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1巻
1-3
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次の日、僕は周囲を心配させないためにも、いつも通り学園に登園し、授業を受けた。
夕方、学園から家に戻り自室のドアを開けると、ベッドに座っているサモンにギロリと強く睨まれる。
病人に睨まれたところでなんのその。全く恐怖を感じない。
「やぁ、ようやく目覚めたんだね。顔色がいいけれど、気分はどうだい?」
「貴様……何を企んでいる」
ベッドの上でサモンがプルプルと肩を震わせる。
それにしても、僕のフリフリのパジャマが全く似合わない……! こんなにフリルが似合わない人がいるなんて。
「ぶぶっ変な服! ぶぶぶ」
「……貴様が着せたのだろう」
サモンもフリルが似合わないことを自覚しているのだろうか。羞恥に頬を染めながらも、怒りで額に青筋を立てている。
「ごほん。まさか拉致されるとは思わなかったでしょう。ようこそ、アイリッシュ家へ! このまま、君を軟禁して帰さないよ……なーんて、はは、は……」
ちょっとした冗談のつもりなのに、サモンは肩から黒い靄を浮かび上がらせた。
誤魔化すように苦笑いしながら、間近でその靄をチラリと見る。
僕はこの靄がサモンの意識と魔力に深く繋がっているのではないだろうかと思っていた。怒りや悲しみといった負の感情や体調を崩したりすると現れやすい、とか?
──つまり今は、随分怒っているってことだ。……家の家具や窓ガラスを破壊されるかもしれないと思い、慌てて話を変える。
「冗談はさておき、事情は僕の母から聞いているでしょう」
「……あぁ」
二日間だけアイリッシュ家で彼を預かった。明日の朝には家に送っていくつもりだ。
「それから──今回の事故は、魔力の誤作動だ。体調が悪い君を、僕が無理矢理連れ回そうとしたから起きた」
「は?」
「君にベッタリ付きまとう僕をクラスメイトは知っていたからね。今日、みんなにはそう説明しておいた」
サモンはきょとんとした顔をする。病み上がりだからか、いつもよりも表情が素直だ。
「……意味が分からない」
「意味も何もないよ。難しいことを考えようとせず、今は休んで。ね?」
熱は微熱まで下がったけれど、まだ油断はできない。
無理をして出ていかないように念押ししていると、メイドが夕食を部屋に持ってきてくれた。
メニューは白菜のミルクスープだ。白菜をクタクタに煮込んであってとても美味しい。
ベッド脇に小さいテーブルを持ってきて、サモンと一緒に食事をとった。
何か思うところがあったのか、サモンは口を開きかけたがやっぱり止めて、スープを食べ始める。
一口啜って、もう一口。
お腹が空いていたのだろう、あっという間にペロリと平らげてしまった。
「ふふ」
「……なんだ」
「ううん。よかった、と思って」
「……」
食欲があるなら回復も早いだろうと安心する。
その後はサモンの傍で本を読んだり、気を遣って部屋を出たり。彼は面倒臭いのか傷が痛いのか、ずっと横になっている。
本を読みながらちらりと盗み見しているタイミングで、彼が小さく「なぜだ」と呟いた。
「ん?」
「貴様は俺が怖くないのか。……もっと酷い目に遭うとは考えないのか?」
「……」
初めてサモンからまともに話しかけられたけど、彼の顔は僕と反対側を向いている。
背中を向けるのは、僕を嫌っているからっていうより……
君の方こそ僕を怖がっているように思うよ。
読みかけの本を置いて、少し椅子をベッドに近づける。それから、僕の声が優しく聞こえるように静かにゆっくりと静かに声をかけた。
「怖いよ」
「…………なら」
「もし、君のせいで危険な目に遭ったら、その時は守ってよ。それなら僕は一番安全だ。そういう関係になろう?」
反対側を向いている彼が息を呑んだ音がする。
それから、沈黙。
「……病み上がりにあまり話しかけちゃ駄目だよね。僕は隣の部屋にいるから、何かあったら横に置いている鈴を鳴らして。ゆっくり休んでね」
一人にしてあげようと部屋を出る。
次の日の朝、完全に熱が下がったサモンは、従者に連れられて僕の家を後にした。
◇
サモンは校舎の窓ガラスを割ったことで一週間の謹慎処分となった。
その間、事件の噂があらぬ方向に歪んで広まっていた。
『サモン・レイティアスが同級生を恐喝。窓ガラスを壊し、暴行を加えた』
「なんで……訂正したのに、こうなっちゃうんだよぉ⁉」
窓ガラスを壊したこと以外は、事実とは異なる。
クラスメイトにも先生たちにも、僕が話した事実は受け入れられたはずだった。なのに、噂が独り歩きしている。
当事者の僕が「噂は事実ではない」と伝えて回っても、サモンのこれまでの態度が災いして、噂が広まるのを止められなかった。
「今回のことだけじゃない、サモンは前から……」
「サモン・レイティアスはやはり悪鬼に違いない」
「今度は何を企んでいるのか、恐ろしい」
悪い噂に尾ひれがついていく様子に、既視感を覚える。
前世の僕がビッチだという噂が流れた時、どんどん話が膨れ上がって、最終的には学校内に居場所がなくなったのだ。
僕には姉がいたから、家では安心して過ごせた。
けれど、サモンは──違うのだろう。
休憩時間に誰とも話す気になれず、窓の外を見た。曇り空。特に何も面白くはない。
そういえば、サモンもよく窓の外を見ていた。
あれは別に空を見ることが好きだったんじゃない。周りを見たくなかったんだ。
「……」
前世の記憶があるのに、今になってようやくその気持ちが分かった。
◇
「──というわけで、僕には噂をどうすることもできませんでした。ごめんなさい!」
謹慎が解けて登校してきたサモンに謝った。頭を深く下げる僕を素通りし、彼は席に座った。
「その、ごめん。自信満々で問題解決したように伝えたのに、面目ない」
「……」
いつもはそのまま本や窓の外に向けられる視線が、僕を向いた。
「別に構わん」
「おぉ、会話のキャッチボールが」
「黙れ」
謹慎前と変わらぬ様子に安心する。
そのまま話を続けようとしてみたが、会話らしい会話はそれだけで、以降は通常運転だった。
無視、無反応、何を考えているのか分からない。
けれど、魔力で威嚇されることがなくなった。都合よく解釈して、休憩時間を一緒に過ごす。
まあ、ほとんど僕が一方的に話しかけているだけ……
周りのクラスメイトは心配しているようだけど、その度、彼らの手をキュッと握ってニコリと微笑みかけた。毎回これで誤魔化されてくれるから助かる。
次の授業は教室を移動するため、僕は廊下を歩くサモンの横を勝手に歩く。
廊下の角を曲がってすぐの階段下で、クラスメイトがサモンの悪口を言っているのに遭遇した。僕らの姿に気が付いた彼らは気まずそうに視線を逸らして、蜘蛛の子を散らすように足早に去っていく。
「あ~……」
わざわざ僕がいない場所で、サモンの悪口。
以前、校舎裏でのことを話した時に分かってもらえたと思っていたけれど、実際は僕の前で話を合わせただけだったようだ。
「あ~……、あ~、みんな、暇なだけだよ」
サモンの肩にぽんと手を置いた。
何のフォローにもなっていないが、落ち込まないでほしい。
「……貴様は?」
「ん? 何?」
睨むような目つきにも慣れてしまって、呑気に返事をする。すると、そのくっきり刻まれた眉間のしわがますます深くなる。
「貴様の魂胆は分かっている」
「え……、僕の魂胆?」
話題を変えるために食べ物の話でもしようと思っていたので、頭の中が食べ物だらけだ。
「とぼけるな。レイティアス家に取り入って、将来的に有利な立場につきたいのだろう。貴様も小賢しい」
「!」
サモンのこともレイティアスの名も利用する気である僕はたじろいだ。
最近は彼の助けになりたいと善人ぶっているけど、僕は自分の目的を果たすためにサモンと付き合っているんだった。
動揺が筒抜けになってしまい、視線を泳がせていると、彼はフンッと鼻で笑った。
「貴様の浅はかな考えはお見通しだ」
ぐうの音も出ない。
「……分かった。君には白状するよ」
サモンが〝ほらな〟という表情で、早く白状しろと顎を上げる。
「……僕は、いろいろな人から誘いを受けやすい。きっと、これからもっと酷くなる。そんな予感がする」
「それと俺が何の関係がある。ちゃんと言え」
普段は何を言っても無視するのに、今日は随分グイグイくるじゃないか。
いつかは言おうと思っていた。でも、それは会話が続くようになり、ちゃんと関係を築いてからで……
「君が聞きたいなら、正直に話すけど……その、僕は、サモン君に盾になってもらいたいんだ」
「盾?」
「その、人を近寄らせない君の怖い雰囲気が魅力的で。不人気なところもいい。……君の傍にいれば、人除けになるかと思ったんだ」
悪口の連発となってしまい、しどろもどろになる。
悪いところが僕にとってはいいのだけど。
「傷ついたよね……ごめんなさい」
「──は? 意味が分からん」
「えっと、だから君の腰巾着になれば、人が近寄って来ないと思うし……安心かなぁと」
傷口に塩を塗るかのようで良心が痛む。
ほら、サモンが見たことない表情をして驚いているじゃないか。
これを機に人間不信に拍車がかかって、悪役ルートが固定されちゃったらどうしよう。
「俺だけは、いいのか?」
「え?」
「……貴様が言っているのは、他の奴が傍にいるのは嫌だが、俺はいい。そう聞こえる」
「その通りだけど」
珍しく、会話が途絶えない。これは、まだチャンスがあるのかなと思っていると、ぽんっと背後から肩を叩かれた。
振り返ると、そこにいたのはブラウドだった。取り巻きを連れていない。
「やぁ、フラン」
「ブラウドさん……」
「ずっと心配していたんだけど、なかなか時間がとれなくて。傷はどうだい?」
先週彼に誘われたお茶会は、頬のかすり傷がみっともないという理由で欠席した。窓ガラスの事故は不運だったけど、僕にとってはお茶会を断る口実となり結果オーライだった。
「えぇ、もう大丈夫です」
「可愛い君に傷痕が残らなくて本当によかったよ」
そう言って、ブラウドが僕の頬を撫でた。
ぞぞ……っとする。その目に見つめられると、背筋が粟立つ。
「今度、僕と二人っきりで遊ばない? なんだか君は大勢が嫌いみたいだし」
「そんなことないですよ。……みなさんとお話しするのは楽しいです」
大勢は嫌。でも、ブラウドと二人はもっと嫌。
それを見た取り巻きたちの反応を想像しただけでも恐ろしい。だけど、この男に言ったところで何も変わらないだろう。
「二人っきりで話したいんだ。あぁ、また君のお屋敷に向かおうか? その方がゆっくりできるよね」
「……っ」
嫌すぎて、無意識に離れようと後退りする。
ブラウドは僕の反応など気にも留めないでグイグイと迫ってくるが、僕の頬に触れている彼の手が離れた。横にいたサモンがその手を掴んだのだ。
「……サモン君……?」
「はぁ、なんだい?」
ブラウドの表情から笑みが消え、サモンの手を払いのけた。
「フランと話しているんだ。邪魔をしないでくれ」
「邪魔なのは貴様だ。こいつは俺と話している最中だ。──来い」
「え?」
来い?
自分に都合がいい空耳かと思ったけれど、どうやら違うようだ。サモンが僕の腕を引っ張り、僕の身体を隠すようにブラウドと僕の間に割り込んだ。
「へぇ、随分態度が大きいな。君の名は?」
「サモン・レイティアスだ。態度なら貴様だってでかいだろう」
「そうか、……レイティアス。君が噂の乱暴者か。フランを傷つけた人間だな」
子供同士の睨み合いだけど、ものすごい迫力だ。
二人とも取っ組み合いのケンカなんてしなそうなタイプなのに、どちらかが先に動けばやってやる! そんな雰囲気だ。
険悪な雰囲気に我慢できずに「ごめんなさい!」と大声を出し、サモンの服を掴んだ。
「僕、サモン君と一緒にいるので」
「……っ」
誘いに応じることはできないと謝罪すると、ブラウドは悔しそうに唇を噛む。既に歩き始めたサモンの制服の裾を掴ませてもらい、その場を離れた。
どこに向かうのだろうかと思っていたら、校舎裏でサモンが足を止めた。
彼は相変わらず、薄暗いこの場所を好むようだ。
「これでいいのか?」
「……え?」
「あの男の誘いを断りたかったのだろう」
さっき僕が〝誘いを断りたい〟と言ったから?
やっぱり、僕を助けてくれたのか。
「ありがとう。助かったよ」
遠慮がちにお礼を言うと、サモンは眉間にしわを寄せた。
「先ほどの申し出、了承した。……貴様の面倒くらいは見てやろう」
「……え」
彼の頬がみるみる真っ赤になっていく。
これは怒って睨んでいるのではなく、──照れているのか?
「言っておくが、貴様のことをまだ信用したわけじゃないからな」
「──っ! 分かった! 君に信頼してもらえるように、これからもベッタリさせてもらうよ!」
嬉しすぎて彼に抱きつこうとすると、慎みを持てと怒られてしまった。
◇
『サモン・レイティアスを怒らせてはいけない。奴は人間の皮を被った悪魔だ。呪い殺されるぞ』
校舎裏での出来事から特に何も問題を起こしていないというのに、サモンの悪評は変わらない。
平気で人を呪い、傷つける。ストレス発散のために動物を虐めている。
そんなとんでもない噂が飛び交う彼だけど、実際はそんなことはない。
本当のサモンは真面目な優等生だ。今日も図書館の片隅で大人が読むような難しい本を広げている。
隅っこでサモンが本を読んでいるなんて気付かない生徒は、まるで怪談話を楽しむように、そんな噂話をしている。
しっかり聞こえちゃっているので彼の反応が気にかかる。ちらりと隣を見ると目が合った。
「呪いは、まだ実践したことがない」
「き、気にしちゃ駄目だよ⁉ みんな適当に噂を流しているだけだから」
「どうでもいい」
噂に対する反応はせいぜいこんなもの。
再び静かに彼の目は本に向けられた。読んでいる本をちらりと覗いてみるも、ちっとも分からない。前世の知識はこの魔法世界ではほぼ役に立たず、特に魔法学は苦手だった。
「君は子供ながらに悟りでも開いているのかい? ……まぁいいか」
彼の傍は穏やかで、拍子抜けになってしまう。
サモンのこと、暗くて陰湿だと思っていたけれど、〝硬派で芯がある〟そんなイメージに変わる。
「君はすごいなぁ」
最近知ったことだけど、彼は褒められると眉間にしわが寄る。初めは怒っているのだと思ったけど、どうも照れ隠しのようだ。
「公爵を継ぐなら当たり前だ」
「そっか。……君はフェリクス公爵の名を」
以前、高熱を出したサモンを家に泊めてから、僕も母も彼の家庭環境には気を配っている。
母が社交界でそれとなく聞き出してくれたのだが、学園で見かけたあの赤毛の女性はフェリクス公爵の後妻だった。サモンを産んだ実の母親は、彼が五歳の時に病気で亡くなっている。
家庭内でのサモンは肩身が狭いだろうと母は言った。
以前、学園で見た二人を思い出すと、僕もそうとしか思えない。
だけど、サモンは愚痴一つ零さず、努力を重ね続けている。
その努力は誰かに褒められるわけでもないのに……
彼を見ていると、僕だけでもその頑張りを認めてあげようと思うのだ。
俯き加減の横顔の、目の下にできた隈が酷い。……疲れているのだろうな。
「よしよし」
「……」
真っ黒なその髪の毛を撫でてみた。
精神的には僕の方が大人だから、幼い彼を励ますように。
実際は同じ年だし怒るだろうと思ったけれど、彼は目を見開いて驚いただけだった。
「貴様のその手は一体なんだ……?」
「僕の手? ごめん。嫌だった?」
「いや……」
別にいい。
そう言って僕が触ることを許してくれた。少しずつ僕たちの関係は変化している。
前世でも親しい友達を作れなかった僕は、その変化を嬉しく感じた。
しばらく撫でていると、いきなりサモンの頭がカクンと机に落ちた。
「……え」
見ると、彼は眠っていた。
まさか、撫でていたら、寝るなんて……
驚いたけれど、それほど疲れているのだと思った。
穏やかな眠りが続くようにと祈りを込めて、丸まった背を撫でる。すると、その吊り上がった眉尻が下がり、寝息が聞こえ始めた。
◇◇◇
サモンと一緒にいる僕を見た周りの反応は、〝一般人が不良に捕まった〟みたいなものだった。
気の毒そうな視線を向けられるけれど、なんのその。
自分で言うのもなんだけど、すっかりサモンに懐いてしまったのだ。
彼は律儀にブラウドやらの誘いから僕のことを守ってくれる。
だからといって、何か見返りを求めてくることはない。そんなサモンに信頼を寄せるのはあっという間だった。
こうして、でこぼこコンビを結成してから早一年。変わらず元気よく過ごす僕を見て、クラスメイトのサモンへの誤解は解けつつある。
それでも誤解が完全には解けないのは、彼の不機嫌オーラは相変わらずで、怖がらせるような言動もそのままだからだ。
図書館に向かう途中、今日もまた陰口が聞こえてきた。その内容に僕はぎゅっと唇を噛んだけど、サモンは飄々としている。
「……噂は便利だから利用している」
「え? あえてそうしているってことなの?」
「あぁ、誰も危険にさらさなくていい」
……すごい。サモンには驚かされてばかりだ。
この子は、自らの強すぎる魔力を自覚して、万が一暴走した時のために一人でいることを決意していた。
僕から見ればまだまだ子供なのに、信じられない精神力を持っている。
「だが、貴様はそれでいいのか?」
「ん?」
それで、とはどういう意味なのか分からなくて返事に困っていると、サモンは言い方を変えた。
「俺の傍にいれば、貴様にも悪評がつく。孤立するぞ」
「あぁ、それって、むしろどんとこいでしょう。君の腰巾着を望んだ男は計算高いのだよ」
「……」
堂々とした腰巾着ぶりに、彼は驚いて返事もできないようだ。
実のところ、″孤立する〟と言った時、その表情が曇ったことに気が付いていた。
魔力が暴走する危険があるから、本当は僕のことも傍に置きたくはないのだろう。
でも、同時にその顔が酷くさみしそうにも見えたから、気付かないふりをした。
「あっ、そうだ。今週末僕の家に来ないかい?」
「今週?」
「うん! 弟のソラの誕生日なんだ。母が君に会いたがっているよ。もちろん、僕もだけど!」
こうして僕は、よくサモンをアイリッシュ家に招いている。
サモンは僕の母を前にすると、借りてきた猫のように大人しくなる。「はい」「えぇ」「そうですね」と静かに相づちを打っている。
先生だって無視をするのに、母にだけは心を許しているような気がして嬉しい。
我が家がサモンの避難場所になればいいなと思っている。
「分かった。行く」
「嬉しいよ! あ、そうだ、お泊まりするかい? 着替えも貸すし、僕のベッドで一緒に寝ようよ」
「は? ……貴様は誰にでもそんなことを言っているのか?」
サモンの肩から、ぶわぁあっと暗い靄が浮き出てくる。
最近の彼は落ち着いていたものだから、久しぶりだ。
「えっ、なんで怒っているの⁉ 君以外に言うわけがないでしょ」
わざわざ人除けしてくれているのに、それを壊すようなことをするわけがない。
そう言うと、靄が薄まりなくなった。
「……分かっているならいい。今俺が怒ったことは気にするな」
「ん? うん」
最近、彼は僕の前でだけ、素直な言葉を使い始めた。態度の改善が目覚ましい。
さっきのことも、本人が気にするなと言うのなら大したことではなかったのだろう。
気を取り直して歩いていると、サモンが「弟か……」と何か思い出すように呟いた。
「そういえば、俺も弟ができた」
「へぇ……って、君に弟?」
そうだと彼は頷く。
「義母が先週、男児を産んだ。まだ会わせてもらっていないが」
「──あっ」
急に思い出した。
漫画本編には出ないけど、姉の設定帳に書かれていたサモン・レイティアスの過去設定!
サモンの義母……公爵夫人のミケーラは、嫡男であるサモンではなく、弟のミゼルに爵位を継がせようと企てる。
通常であれば爵位は嫡男が継承するものだが、公爵は跡継ぎをミゼルに決めてしまうのだ。
絶望したサモンは、魔力が暴走して死人も出る大事故を起こしてしまう。それがきっかけで彼は様々な悪事に手を染め始める。
「フラン? どうした?」
「……」
公爵……何よりミケーラの冷たい目や態度を思い出す。弟ができたことによって、ますますサモンへの態度が悪化するはずだ。
「サモン君、家を出て!」
「──家を出る? 貴様はまた突拍子もないことを」
怪訝そうな表情を見て、ハッとする。
サモンをあの家から離さなくてはいけないと焦って、つい口走った。
冗談だと誤魔化す?
──いや、咄嗟に口から出た言葉とはいえ、本心だ。
サモンはあの家にいてはいけない。
我慢強くて芯の強いサモンの心だけど、しなやかではない。家族の酷い扱いに耐え切れず、いつかポキッと折れてしまう。
そんな悲しいこと、あってはいけない。
でも、どうしたら……
うんうん唸っていると、サモンは僕の腕を引っ張って、中庭のベンチに座らせた。図書館に向かうはずだったのに、彼も隣に座って本を広げ始める。
「よく考えもせずに言ったのだろう? 待ってやるから、理由を話せ」
「……っ、なんてことだ⁉ サモン君がイケメン紳士になっていく」
茶化すと、彼が「ふざけるな」と目を細める。
「わ、分かった。ちゃんと考えるから、待ってて!」
「あぁ」
待ってくれる間に、今後の展開を踏まえて、僕が取れる最良の策を考える。
──確か、公爵が後継者を発表するのは、僕らが十九歳になる年だ。
爵位継承に関する運命を変えられればいいけれど、僕の力でどうにかできるとは思えない。社交界デビューも果たしていない子供が、公爵や夫人に太刀打ちできるとは思えないのだ。
でも、彼の心の拠りどころにはなれるはずだ。前世の僕が落ち込んだ時、姉がそうであったように。
悪い環境からは逃げる! サモンにはレイティアス家以外の別の世界が必要なのだ。
僕がポンと手を叩くと、彼は本から目を離してこちらを見た。
「家を出よう!」
「……百面相して考えた結果がそれか。さっきと変わらないぞ」
その呆れ顔を見ながら、うんと大きく頷いた。
僕ら子供が不思議に思われず家を出る方法は一つしかない。
「サモン君、僕と一緒に学園寮に入ろう!」
「は? ますます意味が分からん。俺は理由を話せと言ったんだが」
「……え、理由?」
理由か、君を人殺しにさせないため……そんなの言えるわけがない。
お互い、別に学園と家が離れているわけじゃないし、わざわざ寮に入る理由がない。
探るような目から顔を逸らしながら、腕組みをして必死に理由を捻り出す。
「理由……理由は……、君の友人兼腰巾着としてもっと知名度をあげなくちゃ、僕への誘いが止まらないから?」
「……なんだと?」
「年々、向けられる視線が増えているんだ。この前はラブレターに髪の毛が入っていたし、上履きがよく新品にすり替えられているし、学芸発表会で僕が檀上で歌った時の衣装は紛失して、まだ見つかっていない。……とにかく君の腰巾着として有名になって、人除けがしたい」
これらは確かにどうにかしたい案件なのだけど、今言うべきことじゃない。
そう思いながらも、スラスラと口から出てくる。
「……寮なら同室申請もできるし、朝から晩まで常に一緒にいたら、僕が君の腰巾着だってちゃんと周りに伝わるかと思って?」
我ながら、なんて酷い理由なんだろう。何一つ、サモンにとってメリットがないじゃないか。
隣から浮かび始める黒い靄が視界に入る。
せっかく待ってもらったのに、適当すぎる言い訳だ。さすがに怒られる、と身をすくめたけど、思っていたのとは違う反応が返ってきた。
「分かった」
「──へ? 分かったって?」
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