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30話 虚しさ

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 人間一人をまるまる埋め尽くした氷華の山。
 奥にはうっすらとだがルフランの姿が見える。
 その表情は苦悶と怒りに染まっており、このような目に合わせたフェルマに対して向けどころのない怒りを覚えた。
 
「――どうしよう。強引に破壊するのは……やっぱりマズいよね」

 触ってみると、手が焼けつくような感覚すら覚えるほど冷たかった。
 そして何より硬い。刀で軽く突いただけでもこれは破壊に苦労するであろうとすぐに分かった。
 どうしたものかと頭を抱えるクロム。やはり彼女に当たらないように気を付けながら叩き斬るしかないのだろうか。
 そんな事を考えていると、

「――ん?」

 ピキッ、と何かがひび割れる音が聞こえた。
 慌てて顔を上げると、ルフランが閉じ込められていた氷華の山に亀裂が入っていた。
 しかもその亀裂は無数に分裂し、段々と大きくなっていく。
 このまま中にいるルフランごと崩壊してしまっては困るのだが。どう手を出したらいいのか分からないクロムはただその様子を見守ることしかできなかった。
 そして亀裂が全体に行きわたると、まるで爆発したかのように氷華が砕け散った。

「――ん、んんっ……」
 
「ルフラン……?」

「クロ、ム……? はっ!? フェルマ――フェルマはっ!?」

 先ほどまで絶望的な状況にあったはずなのに、目覚めるや否や勢いよく首を振り姉の姿を探し始めるルフラン。
 よかった。この様子なら何か後遺症などがある訳でもなさそうだ。
 クロムは深く安堵し、胸をなでおろす。
 
「すみません、逃げられました。ですがルフランが無事で本当に良かった……」

「……そう」

 クロムがフェルマに逃げられたことを告げると、ルフランは怒りとも悲しみとも取れない、虚ろな表情で頷いた。
 故郷の復活と己の復讐をかけて戦った姉の姿はもうどこにもない。
 普段は冷静なルフランがあそこまで激情に支配され、取り乱す様を見たクロムは、どんな言葉をかければよいのか正しい答えが浮かばなかった。
 
「心配かけたわね、クロム。あたしはこの通り、大丈夫だから――だから、そんな顔しないで」

「……はい。本当に良かったです。僕はもう、目の前でがいなくなるのは耐えられないから……」

「……ありがと、クロム」

 うっすらと涙を浮かべていたクロムを見て、バツの悪そうな顔をしながら髪を掻くルフラン。
 改めて己の手足を動かして感覚を確かめる。
 すっかり冷え切っていて若干の違和感があるものの、とりあえずは正常に動くことが確認できた。
 しかし心は――感情は未だに整理がついていない。

 周囲に残る、激しい戦いの傷痕きずあと
 いたるところが爆破魔法によってえぐり取られ、一面が強固な氷によって包まれている。
 全力を以って自慢の魔法を乱発したルフランに対して、フェルマが魔法らしい魔法を使ったのはたった一度だけ。
 そのたった一度の魔法でルフランは完膚なきまでに負けたのだ。

 拳をぐっと握り、唇を強く噛みしめる。
 血が滲み出るほどに、強く。

 自分は精いっぱい自らの思いをフェルマにぶつけたのに、フェルマルフランのことなど眼中になかった。
 まるで顔の周りを飛ぶ虫を払いのけるかのように。すでに興味を失ったことを隠しもせずに一撃で終わらせた。
 強かった。今の自分ではどうあがいても勝ち目がないと思わされるほどにフェルマは強かった。
 
(それに比べて、あたしは何なの……?)

 自分だって誰にも負けないくらい努力をして強くなった――そう思っていた。
 今の自分ならフェルマにだって、対等に戦うことが出来ると思っていた。
 だからこそクロムの手助けを拒否して、自分一人で戦いを挑んだのだ。
 だが、その結果がこれだ。

 周囲の様子を探り始めたクロムに視線を走らせる。
 凍っていた間、意識はなかったが、恐らくクロムはフェルマと戦ったのだろう。
 だが、彼の体に目立った傷はない。
 それに先ほどクロムは”逃げられた”と言っていた。
 つまり少なくとも彼はフェルマに対して善戦、あるいは圧倒していたに違いない。

(……近づけた、と思っていたのにな)

 自分よりも幼く、小さい少年は、すぐ近くにいるはずなのに、途方もなく遠い存在に思えた。
 胸の中にぽっかりと穴が開いてしまったような気分だ。
 満たされない思い。どうしようもない虚しさが心の穴を埋め尽くす。

「あっ、ルフラン! ちょっと来てください!」

「――どうしたの?」

 自分を呼ぶ声を受けて、ルフランはゆっくりと歩き出した。
 クロムの下へたどり着くと、彼は何かをルフランに差し出した。
 それは拳大の結晶と一冊の本だった。

「これは……?」

「多分これ、錬魂石れんこんせきですよ! それにこの本、多分錬魂石に関連する資料なんじゃないかなって!」

「えっ……錬魂石って、触れて大丈夫なの?」

「はい。今のところ何ともありません。恐らく加工されているんじゃないかなと……」

 そう言われたので、ルフランは差し出された錬魂石らしきものを手に取った。
 確かに内部から凄まじいエネルギーを感じるが、自分から何かが奪われているような感覚はない。
 そして本の方はというと、見覚えがあるが全く読めない文字が刻まれていた。

「これって――古代文字?」

「そうですね。錬魂石の加工マニュアルと書かれています」

「――って、アナタ。古代文字が読めるの?」

「えっ? あ、はい。師匠がその文字しか使えないというので、昔頑張って覚えたんです。渡された指南書とかもこの文字で書かれていたので仕方なく……」

「そ、そうなの……」

 ルフランにはそこに何が書いてあるのかなどさっぱり分からない。
 思わぬ形でクロムの隠された能力が明らかになり、ルフランは複雑な気持ちになった。

(ほんと、どこが出来損ないなのよ……)

 こんなに才能あふれる少年を捨てた彼の父親に対して呆れに似た思いを抱いた。

「でも、なんでこんなところに加工された錬魂石とそのマニュアルがあるのかしら」

「分かりません……さっき僕が氷漬けにされかけたところの近くに転がっていたんですが……」

 そう言われると、ルフランにはある可能性が思い浮かんだ。
 まさかフェルマが落としていったのか、と。
 この場所にいたのはクロムとルフラン、そしてフェルマの3人だけだ。
 たまたま近くにその二つが転がっていて、それがフェルマの魔法によって凍らされてしまっただけとも捉えられるが――

(それよりもフェルマが落としていったと考える方が自然よね)

 彼女の目的は恐らく錬魂石の入手にあったはずだ。
 その際にたまたま自分たち二人を見かけたから声をかけた、と考える方が自然だろう。
 実際彼女もクロムに対して”興味がある”と口にしていた。

「とりあえず持って帰ってみましょうか。ルフランの新しい杖づくりに使えそうですし!」

「……そうね」

 クロムの提案に、ルフランは頷いた。
 正直なところ、フェルマが持っていたモノなど利用したくないという気持ちが大きいが、それよりも今は少しでも自分が強くなる手段を求める気持ちの方が強い。
 使えるものは何でも使う。そうしなければきっと、フェルマには届かない。
 
 次こそは彼女を超え、打ち倒して見せる。
 そして思い知らせてやるのだ。自分という存在がいつまでも格下ではないということを。
 今はこうして姉に対する怒りを燃やし続けなければならない。
 ルフランは心のどこかでそう感じていた。
 そうしなければ、きっと自分の心は冷めきって、永遠に凍り付いてしまうだろうから。
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