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プロローグ 家名を奪われた少年
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厚い黒塗りの身に、不気味な紫色の線が渦巻く波のように走った鞘。
金色の目貫と黒色の柄巻、鍔には四枚花が刻まれており、頭には真っ白な筆先のような装飾がなされていた。
持ってみると、かなり重い。
少なくとも12歳の未成熟な少年の体には似つかわしくない逸品だ。
クロム・ジーヴェストはその柄と鞘を両手で握りながら、この刀を持つに至った経緯を思い出してみた。
♢♢♢
「クロム、お前をこの家に置いておくわけにはいかなくなった。今すぐ出て行ってもらおう」
パルメア王国の大貴族、ジーヴェスト公爵家の一室。
当主であるグラウス・ジーヴェストは、一応息子であるクロム・ジーヴェストにそう告げていた。
「そんな……僕はもう、ここにいることすら許されなくなるのですか?」
「ああ、そうだ。近々我が大切な息子のギリウスが、第二王女殿下と婚約を結ぶことになる。そのうえで、我が家にお前という存在がいてもらっては困るのだ」
父と言葉を交わすのは幾年ぶりだろうか。
普段は視界に入れようとすらしないのに、今日は何故か自ら声をかけてきて、自室へと招いてきた。
もしかすると、ようやく自分を息子として認めてくれるかもしれないという、淡い期待を抱いてここに来た、が。
その結果はまるで逆。
むしろ今より状況を悪くする、最悪の宣告がクロムを待っていた。
「お前もよくわかっていると思うが、お前には魔力を一切作り出せず、魔術師の才能が全くない。魔術師の名家である我がジーヴェスト家において、お前という存在はあってはならないのだ」
「…………」
「亡き我が妻メルフェの意思を汲んで、屋敷外の者の目に触れないようにお前を生かし続けては来たが、それも限界だ。このままではいずれお前の存在が見つかり、必ず面倒ごとになる」
何も、言い返せなかった。
積もった埃を見るような目。
これは相談ではなくただの報告――いや、命令だ。
クロムに対する興味など最初からなく、できることならさっさと消え失せてくれと言わんばかりの目でこちらを見ている。
クロム自身もこの重く冷たい空気に耐えられず、今すぐこの場から逃げ出したいと思っていた。
「さあ、話は以上だ。後は私が手配した者たちの指示に従ってさっさと消え失せるがいい」
だが、不意に背後のドアが開く音が聞こえた。
「ふふ、父上。まあそう仰らず、この〝出来損ない〟にも一つチャンスを与えてやりましょうよ」
入ってきたのは、鮮やかな金髪を長く伸ばした、長身の美男子。
腰にバラを模した鍔を持つ煌びやかな剣を携え、その剣によく似合う派手だが美しい貴族服に身を包んだ青年。
ギリウス・ジーヴェスト。血縁上クロムの兄にあたる男だった。
「ギリウスか、何用だ」
「簡単な話です。今からそこの〝出来損ない〟と私で決闘をして、もし勝つことが出来れば此奴が私に匹敵する有能な人材として家にとどまることを許す。ただし負ければ我がジーヴェスト家が抱えている妖刀を持たせて魔物蠢く森の中に捨てる。如何でしょう」
「……ほう、面白い。確かに妖刀はクロムと同じくらい処理に困っていた不要なモノ。近々処分しようと思っていたところだが、丁度いい。流石は我が自慢の息子、素晴らしい提案だ」
「ありがとうございます、父上」
この状況に混乱しているクロムにはその話の内容がほとんど理解できなかった。
理解できなかったが、それが決して自分にとって有益な話ではないことだけは確かだと分かった。
父グラウスは顎に手を当て考えるそぶりを見せるが、すぐに口角を上げ、〝よし、やって見せろ〟と口にした。
その言葉を受けて兄ギリウスは邪悪な笑みを浮かべ、クロムの傍へ寄ってきた。
「くくく、最後くらい兄として可愛がってやろう。楽しみしておけ、ははははははっ!!」
その醜悪な笑い声が耳に飛び込み、クロムの体が震えあがった。
これから自分はいったい何をされるのだろうか。
それを想像するだけで、背筋が凍り付く。
しかし、父に今すぐ裏庭にある訓練場へ向かえと命令された以上、それに逆らうほうが恐ろしい目に合うと判断した。
クロムはしぶしぶながらも頷き、大人しく兄についていくことになった。
そして、到着する。訓練場へ。
外見はドーム状の建物で、壁に当たった魔術を吸収しエネルギーに変換する最新技術を用いた造りとなっている。
中は一対一の勝負をするには広すぎるくらい余裕がある。
兄ギリウスは奥の方で立ち、それに対峙する形でクロムが立つ。
クロムには訓練用の刃をつぶした剣が与えられ、ギリウスはどこからともなく取り出した魔術師用の杖を握っていた。
「ルールは簡単だ。先にどちらかが意識を失うか、降伏宣言を行うまで戦う。まあ安心しろ、すぐに終わらせてやるから余計なことは考えなくていい」
「た、戦うって、どうやって……」
「ふん、お前がこそこそ訓練場で何かをしていたのは知っている。何をしていたのかは知らないが、雑魚は雑魚らしく醜く抗って見せればいい。せいぜい私たちを楽しませるんだな」
「…………」
戦う。魔術師と、戦う。生憎とクロムにはその経験がなかった。
確かにクロムはこの訓練場を用いて毎日のように剣の修行をしていた。
クロムは魔術師としての才能が全くない故に、どうすれば自分が必要とされる存在となれるかを考えた結果、剣術を鍛えることを選んだのだ。
しかしクロムの対戦相手になってくれる魔術師などいるはずもなく、どうやって戦えばいいのか、そもそも魔術師はどのような攻撃をしてくるのかすら分からなかった。
その上ギリウスは魔術師の家系として高名なジーヴェスト家の中でも、特に優れた魔術師の才能を持つ男だという。
普通に戦っては、まず勝てない。
「では始めたまえ」
「喰らえ! ファイアーボール!!」
開始の合図と共に、ギリウスは杖を高く構えて無数の火球を打ち出してきた。
魔術としては初歩中の初歩。しかし生身の人間が喰らえば軽い火傷では済まされない。
魔術を知らないクロムでも、これは危険なものだと本能ですぐに理解できた。
〝出来損ない〟を処理するだけならこの程度の魔術で十分。
そういう自信の表れだったのだろう。
しかしギリウスは知らなかった。クロムに剣を持たせるということと、その才能を。
「至天水刀流・波流し!」
迫りくる十に近い火球。
その全てがクロムを焼き尽くさんと襲い掛かってきていた。
だがクロムは退かない。それどころか、火球群に向かって走り出した。
そして己の体をまるで波のごとく滑らせ、避けきれない火球は剣で優しく受け流す。
まるで火球と火球の間を縫うように進み、全ての火球が着弾するころにはクロムはギリウスのすぐ近くまで迫っていた。
「なっ!? バカなっ!!」
その驚きは兄ギリウスのものか、父グラウスのものか、或いはその両方か。
目の前で起きている〝出来損ない〟の信じがたい動きに困惑していた。
だからこそ、対応が遅れた。
「はあああああああっ!!」
無我夢中だった。
クロムは目の前で動けないギリウスの首を狙い、思いっきり剣を振っていた。
やらねば、やられる。その思いだけを胸に秘めて。
そして、
ガンッ――と、鈍い音が響いた。
ギシギシと、硬い者同士が競り合う音が鳴る。
恐る恐る面を上げて、その様子を見てみると……
「は、ははっ、ははははははははっ!!! 驚かせやがって! 斬れない、そうだ斬れないんだよ!! 魔力を乗せていない剣は、魔術師を絶対に斬れないっ!!」
剣は、止まっていた。
ギリウスの首の数ミリ手前。目には見えぬ壁に遮られて、止まっていた。
そう。クロムは後になって知ることだが、この世界の魔術師に物理攻撃は効かないのだ。
魔術師の体の中から生成される魔力が、その体の表面を覆うように纏わりつき、ありとあらゆる物理攻撃をはじき返す。
その壁を貫通できるのは、同じ魔力を宿した剣を振るうものだけ。
つまり魔力を持たず、魔力を宿していない武器を振るったクロムは、最初からどう頑張ったってギリウスに傷一つつけることなんてできなかったのだ。
大量の冷や汗を流したギリウスは、己の無事と安全を再確認し、叫んだ。
そして焦りと恐怖は、段々と怒りと屈辱へと変化する。
いくら油断していたとはいえ、己の魔術をすべて見切られ、斬られかけた。
それも常日頃から見下し、蔑んできた〝出来損ない〟の弟に。
許せない。許してはならない。その感情が暴発し、いまだ何が起きているのか理解できていないクロムを強く睨みつける。
そして――
「この出来損ない野郎があああああっ!」
「うっ!? うあああああああっ!!?」
杖を高く振り上げたギリウスは、その先端に巨大な水球を宿し、それを思いっきりクロムに叩きつけた。
慌てて剣を両手で持ちその杖を受け止めたが、その剣は所詮訓練用。
ギリウスの怒りの一撃を受け止めて、耐えきれるはずもなかった。
その刃はぽっきりと折れ、水球を叩きつけたことで発生した滝のような水流の衝撃をその体全体で受け止める羽目になったクロムが、思いっきり地面へ叩きつけられる。
そのまま倒れこんだクロムの腹に、ギリウスの靴がめり込んだ。
「うぐっ!! あぁっ……」
「この出来損ないがっ! この俺に、なにをした!? お前ごときがこの俺に一撃を加えようだなんて、夢見てんじゃねえよ!!」
「ぐっ、あっ、うぅっ……」
何度も何度も執拗にクロムを踏みつけるギリウス。
息も口調も荒くなり、激情に支配されている。
年も離れ、体格も全然違うギリウスの暴力。その恐怖から、クロムは一切抵抗が出来ないでいた。
もはや勝負と言えない一方的な蹂躙となっているが、父グラウスはこの試合を終わらせようとはしなかった。
「よく見ろ。ファイアーボールだ。さっきてめえが生意気にも避けやがったこの魔法、今度はちゃんと喰らって見せろよ」
「や、やめ……」
「やめる分けねえだろうがっ! いけっ!!」
「ひっ――あ、あああああああっ!!」
そこで、クロムの意識は途切れた。
それを確認したギリウスは、ようやく杖を下ろして息を整えた。
全力に近いファイアーボールを叩き込まれたクロムの体は、酷い火傷を負っていた。
「はぁ、はぁ。チッ、こんな奴につい熱くなっちまった。クソが」
まるでゴミを見るような目で倒れたクロムを見下し、ギリウスはグラウスに一言〝後はお任せします〟とだけ言って去っていった。
グラウスは愛する息子に〝よくやった〟と声をかけ、
「……おい、妖刀を持ってこい。ただし持ってくる際に絶対に鞘から抜くなよ。アレは抜いたものの魔力を全て食らいつくす呪われた刀だ」
近くで待機させていた従者を呼び出し、そう指示をした。
そしてグラウスはクロムのもとへ歩き寄り、はぁとため息をついた。
「妙な技術を身に着けたようだが、結局は魔術師の成りそこないであることに変わりはなかった。やはりお前は我が家には不要な存在だよ」
その言葉はクロムの耳には届いていないだろう。
もう顔を見ることもないであろう、息子だった少年に、背を向けた。
「あの呪われた妖刀は大昔、我が祖先が使っていた刀らしい。だからなかなか捨てる決心がつかなかったが、いい機会だ。どうせ誰も扱えやしないあの刀は、お前にくれてやろう。まあ、名目上は〝盗まれた〟ことにしておくがな」
♢♢♢
「うぅ、痛い……」
思い返すだけで、傷が痛む。
ギリウスに撃ち込まれたファイアーボールによって負った大火傷は、もちろん治してなんてもらえるはずもなく、ボロボロになった状態のままこの森の中に捨てられたのだ。
今、クロムの手にあるのは〝抜いたら終わり〟とだけ告げられ押し付けられた妖刀一本。
「……僕はここで、死ぬのかな」
正直、どうしようもない状況だ。
もう立ち上がる気力すらもなく、地を這ってでも生きようという気概も消え去ってしまった。
〝僕なんて、生まれてこないほうがよかったのかな〟
そう、考えてしまった。
今まで抑え込んできた、ずっとずっと抱え込んできたその言葉。
母にその言葉を言ったとき、思いっきり頬を叩かれたのを今でも覚えている。
〝この世界に生まれてきてはいけない命なんてありません〟
そう諭されて、その時は納得した振りをした。
でもいつまでたってもその疑問は頭の中から消えなくて、とうとう死を目前として我慢が利かなくなってしまっていた。
「ごめんなさい、お母さん、師匠。僕はもう……」
その先の言葉は、猛獣の咆哮によって遮られた。
耳をつんざくような爆音だ。
思わず体が震えあがり、傷がさらに痛みだした。
「ひっ……」
現れたのは、巨大なクマのような生物だった。
鋭い爪、鋭い牙。クロムの身長の倍はありそうかという巨大な魔物を前に、クロムは恐怖した。
だが、震えは間もなくしてピタリと止まった。
「……そうか、キミが僕を殺すのか」
そう分かった瞬間、不思議と恐怖はなくなった。
死んだら余計なことを、考えずに済む。
こんな惨めな思いを、しなくて済む。
死んでしまえば、全てが――
――ふざけるな! 死んでは何も為せぬだろうが! 死んでも生きろ! 生きて我が剣術を極めて見せよ!!
あぁ、そうだ。一度、師匠に向かって〝もし死んじゃったら、楽になれますか?〟って聞いてしまったことがあった。
それは無念のうちに死んだらしい師匠を激高させ、その日の修行が一段と厳しくなったことをよく覚えている。
生きていれば、何でもできる。
本当に、こんな僕でも、生きていれば、何かできるのかな。
死んでしまえば、掴めたはずの幸せが、掴めなくなってしまう。
「やっぱりちょっと、死ぬの、怖くなっちゃった」
そして、クロムは手をかけた。
抜けば死ぬと言われた、妖刀の柄に。
あれだけクロムを始末したがっていた父たちが言うのだから、きっとこの妖刀の呪いは本物なのだろう。
だけど、このまま何もしなければ、クロムはただ殺されるだけだ。
だったら一縷の望みにかけて、抗ってみよう。
殺されるのではなく、自らの意思で死んで見せよう。
「はああああああっ!!!」
ボロボロの体に鞭を打って立ち上がり、迫りくる魔物に向かって思いっきり妖刀を振り下ろした。
そして、世界が割れた。
「……え?」
鞘から解き放たれた妖刀は、魔物だけに留まらず、その直線状にあったすべてを斬り裂いた。
木も、岩も、大地すらも。
「ガ、ァ……」
魔物が、落ちた。
クロムは、目の前の状況に唖然としていた。
そのまま妖刀に突き動かされるように再び刃を鞘に納め、座り込んだ。
そして――
「……あれ、生きてる?」
クロムは生き残っていた。
鞘から抜いたら終わりといわれた妖刀を抜き、そしてその力を行使したにも関わらず、クロムは生き残った。
さらに――
「うわっ!!」
妖刀からもくもくと紫色の煙が噴き出し、クロムの体全体を包み込んだ。
すると体の痛みと傷がすべて消え、妖刀のサイズがクロムの体格に合わせるように小さくなっていた。
妖刀が、クロムを主として認めた、何よりの証拠だった。
「ぼく、助かったんだ……」
だけど今のクロムはそんなことはどうでもよくて。
クロムは死ぬ覚悟で妖刀を抜き、結果生き残った。
その事実をただ、喜んでいた。
これもまた、後になって知ることだが、実は魔物もまた、魔術師同様物理攻撃が利かない存在であった。
しかしクロムは、魔物を斬った。
魔力を一切持たないクロムが、斬った。
つまり今この瞬間――この世界に、魔術師及び魔物を斬れるただの剣士が誕生したのだ。
金色の目貫と黒色の柄巻、鍔には四枚花が刻まれており、頭には真っ白な筆先のような装飾がなされていた。
持ってみると、かなり重い。
少なくとも12歳の未成熟な少年の体には似つかわしくない逸品だ。
クロム・ジーヴェストはその柄と鞘を両手で握りながら、この刀を持つに至った経緯を思い出してみた。
♢♢♢
「クロム、お前をこの家に置いておくわけにはいかなくなった。今すぐ出て行ってもらおう」
パルメア王国の大貴族、ジーヴェスト公爵家の一室。
当主であるグラウス・ジーヴェストは、一応息子であるクロム・ジーヴェストにそう告げていた。
「そんな……僕はもう、ここにいることすら許されなくなるのですか?」
「ああ、そうだ。近々我が大切な息子のギリウスが、第二王女殿下と婚約を結ぶことになる。そのうえで、我が家にお前という存在がいてもらっては困るのだ」
父と言葉を交わすのは幾年ぶりだろうか。
普段は視界に入れようとすらしないのに、今日は何故か自ら声をかけてきて、自室へと招いてきた。
もしかすると、ようやく自分を息子として認めてくれるかもしれないという、淡い期待を抱いてここに来た、が。
その結果はまるで逆。
むしろ今より状況を悪くする、最悪の宣告がクロムを待っていた。
「お前もよくわかっていると思うが、お前には魔力を一切作り出せず、魔術師の才能が全くない。魔術師の名家である我がジーヴェスト家において、お前という存在はあってはならないのだ」
「…………」
「亡き我が妻メルフェの意思を汲んで、屋敷外の者の目に触れないようにお前を生かし続けては来たが、それも限界だ。このままではいずれお前の存在が見つかり、必ず面倒ごとになる」
何も、言い返せなかった。
積もった埃を見るような目。
これは相談ではなくただの報告――いや、命令だ。
クロムに対する興味など最初からなく、できることならさっさと消え失せてくれと言わんばかりの目でこちらを見ている。
クロム自身もこの重く冷たい空気に耐えられず、今すぐこの場から逃げ出したいと思っていた。
「さあ、話は以上だ。後は私が手配した者たちの指示に従ってさっさと消え失せるがいい」
だが、不意に背後のドアが開く音が聞こえた。
「ふふ、父上。まあそう仰らず、この〝出来損ない〟にも一つチャンスを与えてやりましょうよ」
入ってきたのは、鮮やかな金髪を長く伸ばした、長身の美男子。
腰にバラを模した鍔を持つ煌びやかな剣を携え、その剣によく似合う派手だが美しい貴族服に身を包んだ青年。
ギリウス・ジーヴェスト。血縁上クロムの兄にあたる男だった。
「ギリウスか、何用だ」
「簡単な話です。今からそこの〝出来損ない〟と私で決闘をして、もし勝つことが出来れば此奴が私に匹敵する有能な人材として家にとどまることを許す。ただし負ければ我がジーヴェスト家が抱えている妖刀を持たせて魔物蠢く森の中に捨てる。如何でしょう」
「……ほう、面白い。確かに妖刀はクロムと同じくらい処理に困っていた不要なモノ。近々処分しようと思っていたところだが、丁度いい。流石は我が自慢の息子、素晴らしい提案だ」
「ありがとうございます、父上」
この状況に混乱しているクロムにはその話の内容がほとんど理解できなかった。
理解できなかったが、それが決して自分にとって有益な話ではないことだけは確かだと分かった。
父グラウスは顎に手を当て考えるそぶりを見せるが、すぐに口角を上げ、〝よし、やって見せろ〟と口にした。
その言葉を受けて兄ギリウスは邪悪な笑みを浮かべ、クロムの傍へ寄ってきた。
「くくく、最後くらい兄として可愛がってやろう。楽しみしておけ、ははははははっ!!」
その醜悪な笑い声が耳に飛び込み、クロムの体が震えあがった。
これから自分はいったい何をされるのだろうか。
それを想像するだけで、背筋が凍り付く。
しかし、父に今すぐ裏庭にある訓練場へ向かえと命令された以上、それに逆らうほうが恐ろしい目に合うと判断した。
クロムはしぶしぶながらも頷き、大人しく兄についていくことになった。
そして、到着する。訓練場へ。
外見はドーム状の建物で、壁に当たった魔術を吸収しエネルギーに変換する最新技術を用いた造りとなっている。
中は一対一の勝負をするには広すぎるくらい余裕がある。
兄ギリウスは奥の方で立ち、それに対峙する形でクロムが立つ。
クロムには訓練用の刃をつぶした剣が与えられ、ギリウスはどこからともなく取り出した魔術師用の杖を握っていた。
「ルールは簡単だ。先にどちらかが意識を失うか、降伏宣言を行うまで戦う。まあ安心しろ、すぐに終わらせてやるから余計なことは考えなくていい」
「た、戦うって、どうやって……」
「ふん、お前がこそこそ訓練場で何かをしていたのは知っている。何をしていたのかは知らないが、雑魚は雑魚らしく醜く抗って見せればいい。せいぜい私たちを楽しませるんだな」
「…………」
戦う。魔術師と、戦う。生憎とクロムにはその経験がなかった。
確かにクロムはこの訓練場を用いて毎日のように剣の修行をしていた。
クロムは魔術師としての才能が全くない故に、どうすれば自分が必要とされる存在となれるかを考えた結果、剣術を鍛えることを選んだのだ。
しかしクロムの対戦相手になってくれる魔術師などいるはずもなく、どうやって戦えばいいのか、そもそも魔術師はどのような攻撃をしてくるのかすら分からなかった。
その上ギリウスは魔術師の家系として高名なジーヴェスト家の中でも、特に優れた魔術師の才能を持つ男だという。
普通に戦っては、まず勝てない。
「では始めたまえ」
「喰らえ! ファイアーボール!!」
開始の合図と共に、ギリウスは杖を高く構えて無数の火球を打ち出してきた。
魔術としては初歩中の初歩。しかし生身の人間が喰らえば軽い火傷では済まされない。
魔術を知らないクロムでも、これは危険なものだと本能ですぐに理解できた。
〝出来損ない〟を処理するだけならこの程度の魔術で十分。
そういう自信の表れだったのだろう。
しかしギリウスは知らなかった。クロムに剣を持たせるということと、その才能を。
「至天水刀流・波流し!」
迫りくる十に近い火球。
その全てがクロムを焼き尽くさんと襲い掛かってきていた。
だがクロムは退かない。それどころか、火球群に向かって走り出した。
そして己の体をまるで波のごとく滑らせ、避けきれない火球は剣で優しく受け流す。
まるで火球と火球の間を縫うように進み、全ての火球が着弾するころにはクロムはギリウスのすぐ近くまで迫っていた。
「なっ!? バカなっ!!」
その驚きは兄ギリウスのものか、父グラウスのものか、或いはその両方か。
目の前で起きている〝出来損ない〟の信じがたい動きに困惑していた。
だからこそ、対応が遅れた。
「はあああああああっ!!」
無我夢中だった。
クロムは目の前で動けないギリウスの首を狙い、思いっきり剣を振っていた。
やらねば、やられる。その思いだけを胸に秘めて。
そして、
ガンッ――と、鈍い音が響いた。
ギシギシと、硬い者同士が競り合う音が鳴る。
恐る恐る面を上げて、その様子を見てみると……
「は、ははっ、ははははははははっ!!! 驚かせやがって! 斬れない、そうだ斬れないんだよ!! 魔力を乗せていない剣は、魔術師を絶対に斬れないっ!!」
剣は、止まっていた。
ギリウスの首の数ミリ手前。目には見えぬ壁に遮られて、止まっていた。
そう。クロムは後になって知ることだが、この世界の魔術師に物理攻撃は効かないのだ。
魔術師の体の中から生成される魔力が、その体の表面を覆うように纏わりつき、ありとあらゆる物理攻撃をはじき返す。
その壁を貫通できるのは、同じ魔力を宿した剣を振るうものだけ。
つまり魔力を持たず、魔力を宿していない武器を振るったクロムは、最初からどう頑張ったってギリウスに傷一つつけることなんてできなかったのだ。
大量の冷や汗を流したギリウスは、己の無事と安全を再確認し、叫んだ。
そして焦りと恐怖は、段々と怒りと屈辱へと変化する。
いくら油断していたとはいえ、己の魔術をすべて見切られ、斬られかけた。
それも常日頃から見下し、蔑んできた〝出来損ない〟の弟に。
許せない。許してはならない。その感情が暴発し、いまだ何が起きているのか理解できていないクロムを強く睨みつける。
そして――
「この出来損ない野郎があああああっ!」
「うっ!? うあああああああっ!!?」
杖を高く振り上げたギリウスは、その先端に巨大な水球を宿し、それを思いっきりクロムに叩きつけた。
慌てて剣を両手で持ちその杖を受け止めたが、その剣は所詮訓練用。
ギリウスの怒りの一撃を受け止めて、耐えきれるはずもなかった。
その刃はぽっきりと折れ、水球を叩きつけたことで発生した滝のような水流の衝撃をその体全体で受け止める羽目になったクロムが、思いっきり地面へ叩きつけられる。
そのまま倒れこんだクロムの腹に、ギリウスの靴がめり込んだ。
「うぐっ!! あぁっ……」
「この出来損ないがっ! この俺に、なにをした!? お前ごときがこの俺に一撃を加えようだなんて、夢見てんじゃねえよ!!」
「ぐっ、あっ、うぅっ……」
何度も何度も執拗にクロムを踏みつけるギリウス。
息も口調も荒くなり、激情に支配されている。
年も離れ、体格も全然違うギリウスの暴力。その恐怖から、クロムは一切抵抗が出来ないでいた。
もはや勝負と言えない一方的な蹂躙となっているが、父グラウスはこの試合を終わらせようとはしなかった。
「よく見ろ。ファイアーボールだ。さっきてめえが生意気にも避けやがったこの魔法、今度はちゃんと喰らって見せろよ」
「や、やめ……」
「やめる分けねえだろうがっ! いけっ!!」
「ひっ――あ、あああああああっ!!」
そこで、クロムの意識は途切れた。
それを確認したギリウスは、ようやく杖を下ろして息を整えた。
全力に近いファイアーボールを叩き込まれたクロムの体は、酷い火傷を負っていた。
「はぁ、はぁ。チッ、こんな奴につい熱くなっちまった。クソが」
まるでゴミを見るような目で倒れたクロムを見下し、ギリウスはグラウスに一言〝後はお任せします〟とだけ言って去っていった。
グラウスは愛する息子に〝よくやった〟と声をかけ、
「……おい、妖刀を持ってこい。ただし持ってくる際に絶対に鞘から抜くなよ。アレは抜いたものの魔力を全て食らいつくす呪われた刀だ」
近くで待機させていた従者を呼び出し、そう指示をした。
そしてグラウスはクロムのもとへ歩き寄り、はぁとため息をついた。
「妙な技術を身に着けたようだが、結局は魔術師の成りそこないであることに変わりはなかった。やはりお前は我が家には不要な存在だよ」
その言葉はクロムの耳には届いていないだろう。
もう顔を見ることもないであろう、息子だった少年に、背を向けた。
「あの呪われた妖刀は大昔、我が祖先が使っていた刀らしい。だからなかなか捨てる決心がつかなかったが、いい機会だ。どうせ誰も扱えやしないあの刀は、お前にくれてやろう。まあ、名目上は〝盗まれた〟ことにしておくがな」
♢♢♢
「うぅ、痛い……」
思い返すだけで、傷が痛む。
ギリウスに撃ち込まれたファイアーボールによって負った大火傷は、もちろん治してなんてもらえるはずもなく、ボロボロになった状態のままこの森の中に捨てられたのだ。
今、クロムの手にあるのは〝抜いたら終わり〟とだけ告げられ押し付けられた妖刀一本。
「……僕はここで、死ぬのかな」
正直、どうしようもない状況だ。
もう立ち上がる気力すらもなく、地を這ってでも生きようという気概も消え去ってしまった。
〝僕なんて、生まれてこないほうがよかったのかな〟
そう、考えてしまった。
今まで抑え込んできた、ずっとずっと抱え込んできたその言葉。
母にその言葉を言ったとき、思いっきり頬を叩かれたのを今でも覚えている。
〝この世界に生まれてきてはいけない命なんてありません〟
そう諭されて、その時は納得した振りをした。
でもいつまでたってもその疑問は頭の中から消えなくて、とうとう死を目前として我慢が利かなくなってしまっていた。
「ごめんなさい、お母さん、師匠。僕はもう……」
その先の言葉は、猛獣の咆哮によって遮られた。
耳をつんざくような爆音だ。
思わず体が震えあがり、傷がさらに痛みだした。
「ひっ……」
現れたのは、巨大なクマのような生物だった。
鋭い爪、鋭い牙。クロムの身長の倍はありそうかという巨大な魔物を前に、クロムは恐怖した。
だが、震えは間もなくしてピタリと止まった。
「……そうか、キミが僕を殺すのか」
そう分かった瞬間、不思議と恐怖はなくなった。
死んだら余計なことを、考えずに済む。
こんな惨めな思いを、しなくて済む。
死んでしまえば、全てが――
――ふざけるな! 死んでは何も為せぬだろうが! 死んでも生きろ! 生きて我が剣術を極めて見せよ!!
あぁ、そうだ。一度、師匠に向かって〝もし死んじゃったら、楽になれますか?〟って聞いてしまったことがあった。
それは無念のうちに死んだらしい師匠を激高させ、その日の修行が一段と厳しくなったことをよく覚えている。
生きていれば、何でもできる。
本当に、こんな僕でも、生きていれば、何かできるのかな。
死んでしまえば、掴めたはずの幸せが、掴めなくなってしまう。
「やっぱりちょっと、死ぬの、怖くなっちゃった」
そして、クロムは手をかけた。
抜けば死ぬと言われた、妖刀の柄に。
あれだけクロムを始末したがっていた父たちが言うのだから、きっとこの妖刀の呪いは本物なのだろう。
だけど、このまま何もしなければ、クロムはただ殺されるだけだ。
だったら一縷の望みにかけて、抗ってみよう。
殺されるのではなく、自らの意思で死んで見せよう。
「はああああああっ!!!」
ボロボロの体に鞭を打って立ち上がり、迫りくる魔物に向かって思いっきり妖刀を振り下ろした。
そして、世界が割れた。
「……え?」
鞘から解き放たれた妖刀は、魔物だけに留まらず、その直線状にあったすべてを斬り裂いた。
木も、岩も、大地すらも。
「ガ、ァ……」
魔物が、落ちた。
クロムは、目の前の状況に唖然としていた。
そのまま妖刀に突き動かされるように再び刃を鞘に納め、座り込んだ。
そして――
「……あれ、生きてる?」
クロムは生き残っていた。
鞘から抜いたら終わりといわれた妖刀を抜き、そしてその力を行使したにも関わらず、クロムは生き残った。
さらに――
「うわっ!!」
妖刀からもくもくと紫色の煙が噴き出し、クロムの体全体を包み込んだ。
すると体の痛みと傷がすべて消え、妖刀のサイズがクロムの体格に合わせるように小さくなっていた。
妖刀が、クロムを主として認めた、何よりの証拠だった。
「ぼく、助かったんだ……」
だけど今のクロムはそんなことはどうでもよくて。
クロムは死ぬ覚悟で妖刀を抜き、結果生き残った。
その事実をただ、喜んでいた。
これもまた、後になって知ることだが、実は魔物もまた、魔術師同様物理攻撃が利かない存在であった。
しかしクロムは、魔物を斬った。
魔力を一切持たないクロムが、斬った。
つまり今この瞬間――この世界に、魔術師及び魔物を斬れるただの剣士が誕生したのだ。
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