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きっかけ②
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次の日の朝登校すると、教室の外の私のロッカーに油性マジックで下品な落書きがされていた。私と思しき裸の女性のイラストと、『私はお姉ちゃんの〇〇を舐めたことがある』『エイヴェリーは姉のロマンにご執心』などという下品な言葉とともに。一緒に登校したクレアは「先生に話したほうがいいわ」と進言したが、首を振ってその提案を断った。大人達は大抵の場合、有益な解決策を提示してはくれない。それどころか彼らが首を突っ込むことで、事態を余計に拗らせることがほとんどだ。
「ひでぇ……」
いつのまにか隣に来ていたオーシャンがつぶやいた。
「誰だよ、こんなことした奴!! 俺が聞いてきてやるよ!!」
教室に駆け込もうとしたオーシャンの腕を掴む。
虐めを受けることには慣れきっていた。だが姉の名前まで使い、こんな生々しい言葉で攻撃を受けたのは初めてだった。犯人は分かっていた。私のクラスの人間ではないということも、何故彼女がこんなことをしたのかも。
「オーシャン……やめて。きっと私のクラスに犯人はいないわ」
「どうしてそんなことが分かるんだよ」
「何となく……。ある人に、恨まれるようなことをした覚えがあるから」
「その人の名前は?」
クレアがいつになく深刻な表情で私を見つめる。
「先輩よ。私のシスターなの」
「何てこと……」
頭を抱えるクレアと、「ふざけてんな」と吐き捨てるオーシャン。
ふざけている。この状況は、普通ではあり得ないことだと分かっている。本当ならここで取り乱して泣き出しても、学校を飛び出してしまってもおかしくない。それなのにまるでブルースクリーンになったパソコンのように思考が停止して、現実に感情がついていかない。
「とりあえず、この落書きを消しましょう」
クレアがバッグを開けて筆箱を出し、中から消しゴムを取り出した。オーシャンも続く。その時、背後から声がした。
「馬鹿だね、あんたたち」
振り向くと、長い髪を鮮やかな緑色に染め、前髪にピンク色のメッシュを入れた少女が立っていた。大きな二重瞼の中にある瞳は赤みがかったブラウンで、首には黒いヘッドフォンをかけている。
「ソニア!」
オーシャンが驚いた様に声を上げた。
ソニアという少女も、クレアと同じく滅多に学校に来ることのない生徒の一人だった。彼女は国内で中高生を中心に絶大な人気を誇るシンガーソングライターだ。14歳でフランスの『グランドスター』という国内最大規模のオーディション番組に出演し、見事グランプリに輝いた。ギターやピアノを使って作曲をするというオーソドックスなスタイルでありながら、その卓越したメロディセンスに審査員が舌を巻いていたのを覚えている。ガールクラッシュな低めのハスキーボイスから一転、高音に入ると透き通った美しい歌声を響かせる彼女は毒舌と名高いニコラスという審査員に、「鋼のような声と天使の声が同居している」と評された。オーシャン曰く彼女は多忙なのと元々学校嫌いなので、ほとんど教室に顔を出さないらしい。何故ミュージシャンの彼女が、演劇の学校に入ったのかは大きな謎だ。
ソニアは色褪せたダメージジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して、ロッカーの落書きを撮影した。
「こういうのは、ちゃんと証拠とっとかなきゃね?」
ロッカーの写真が撮られたスマートフォンの画面をかざし笑顔を見せたソニアは、「ああ、眠い」と一人ごちて大きなあくびをしながら教室に入って行った。
その後二人のおかげで案外簡単に落書きは消えた。だが時間が経つにつれてそこに書かれていた言葉が、私の心にずしりとのしかかってきた。
昼休み、オーシャンが鼻息荒く教室に戻ってきた。
「ジャンヌの奴に購買で会ったから、あの落書きのこと問いただしてやったんだ。そしたら、『私はやってない』って言い張りやがる。ミアさんに聞いてみたら、きっとやったのはあいつの友達だろうって。自分では手を下さないんだ、卑劣な女だぜ」
憮然とした表情でどすんと私の後ろの席に腰を下ろすオーシャンの顔は、怒りに歪んでいる。
ジャンヌに感じた第一印象は、当たっていた。彼女が私のシスターになったのが運の尽きだった。これなら、気まずい思いをしようとまだ自分の実の姉と組んだ方がましだった。フランスの国民的ヒロインである女性騎士と同じ名前でありながら、中身は偉い違いだ。
「ひでぇ……」
いつのまにか隣に来ていたオーシャンがつぶやいた。
「誰だよ、こんなことした奴!! 俺が聞いてきてやるよ!!」
教室に駆け込もうとしたオーシャンの腕を掴む。
虐めを受けることには慣れきっていた。だが姉の名前まで使い、こんな生々しい言葉で攻撃を受けたのは初めてだった。犯人は分かっていた。私のクラスの人間ではないということも、何故彼女がこんなことをしたのかも。
「オーシャン……やめて。きっと私のクラスに犯人はいないわ」
「どうしてそんなことが分かるんだよ」
「何となく……。ある人に、恨まれるようなことをした覚えがあるから」
「その人の名前は?」
クレアがいつになく深刻な表情で私を見つめる。
「先輩よ。私のシスターなの」
「何てこと……」
頭を抱えるクレアと、「ふざけてんな」と吐き捨てるオーシャン。
ふざけている。この状況は、普通ではあり得ないことだと分かっている。本当ならここで取り乱して泣き出しても、学校を飛び出してしまってもおかしくない。それなのにまるでブルースクリーンになったパソコンのように思考が停止して、現実に感情がついていかない。
「とりあえず、この落書きを消しましょう」
クレアがバッグを開けて筆箱を出し、中から消しゴムを取り出した。オーシャンも続く。その時、背後から声がした。
「馬鹿だね、あんたたち」
振り向くと、長い髪を鮮やかな緑色に染め、前髪にピンク色のメッシュを入れた少女が立っていた。大きな二重瞼の中にある瞳は赤みがかったブラウンで、首には黒いヘッドフォンをかけている。
「ソニア!」
オーシャンが驚いた様に声を上げた。
ソニアという少女も、クレアと同じく滅多に学校に来ることのない生徒の一人だった。彼女は国内で中高生を中心に絶大な人気を誇るシンガーソングライターだ。14歳でフランスの『グランドスター』という国内最大規模のオーディション番組に出演し、見事グランプリに輝いた。ギターやピアノを使って作曲をするというオーソドックスなスタイルでありながら、その卓越したメロディセンスに審査員が舌を巻いていたのを覚えている。ガールクラッシュな低めのハスキーボイスから一転、高音に入ると透き通った美しい歌声を響かせる彼女は毒舌と名高いニコラスという審査員に、「鋼のような声と天使の声が同居している」と評された。オーシャン曰く彼女は多忙なのと元々学校嫌いなので、ほとんど教室に顔を出さないらしい。何故ミュージシャンの彼女が、演劇の学校に入ったのかは大きな謎だ。
ソニアは色褪せたダメージジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して、ロッカーの落書きを撮影した。
「こういうのは、ちゃんと証拠とっとかなきゃね?」
ロッカーの写真が撮られたスマートフォンの画面をかざし笑顔を見せたソニアは、「ああ、眠い」と一人ごちて大きなあくびをしながら教室に入って行った。
その後二人のおかげで案外簡単に落書きは消えた。だが時間が経つにつれてそこに書かれていた言葉が、私の心にずしりとのしかかってきた。
昼休み、オーシャンが鼻息荒く教室に戻ってきた。
「ジャンヌの奴に購買で会ったから、あの落書きのこと問いただしてやったんだ。そしたら、『私はやってない』って言い張りやがる。ミアさんに聞いてみたら、きっとやったのはあいつの友達だろうって。自分では手を下さないんだ、卑劣な女だぜ」
憮然とした表情でどすんと私の後ろの席に腰を下ろすオーシャンの顔は、怒りに歪んでいる。
ジャンヌに感じた第一印象は、当たっていた。彼女が私のシスターになったのが運の尽きだった。これなら、気まずい思いをしようとまだ自分の実の姉と組んだ方がましだった。フランスの国民的ヒロインである女性騎士と同じ名前でありながら、中身は偉い違いだ。
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