草花の祈り

たらこ飴

文字の大きさ
4 / 60

3. オーシャンとシエル

しおりを挟む
 オーシャンの住む家は、学校から歩いて10分ほどのところにあった。オーシャンは家に着く直前、私にこんなことを打ち明けた。

「母さんは美容師だったんだけど、俺と妹が中学生の時アル中になって、色々あって親父と離婚した後仕事を辞めて、一年位施設に入所したんだ。今は酒をやめて、少しずつ仕事に復帰してる」

「大変な思いをしたのね。あなたも妹さんも」

「まぁな。あのとき俺は伯父さんの家に一年お世話になったんだけど、すげー肩身が狭かったよ。伯父さん夫婦は優しかったけど、その息子に邪魔者扱いされて、嫌がらせされてさ」

「ぶっとばしてやれば良かったじゃない」

「あるときついに我慢の限界が来て、そいつの玉を思い切り蹴り上げてやった。そしたら床に尻餅ついて泣いてやんの。良いザマだぜ」

 吹き出した私を見て、オーシャンも笑った。彼女がこんな苦労をしていたことを初めて知った。

 オーシャンは、ひしめき合うように民家の立つ一角にある2階建ての小さな赤煉瓦造りの家に私を招き入れた。家の中には誰もいなかった。オーシャンの母は仕事で、妹はまだ学校から帰っていないらしい。

 オーシャンは前に言っていた。双子の妹はフルート奏者で、隣町の音楽学校に通っているのだと。

「妹は練習で遅いはずだし、母さんも帰るのは8時過ぎてからだ。今飲み物持ってくるから、遠慮しないでくつろいでてくれ」

 オーシャンは言い残してキッチンへ向かった。私は彼女の言葉に甘えてリビングのソファに腰を下ろした。使い古された茶色のソファは、ところどころ皮が剥がれている。前の長方形のテーブルの上の四角いガラスの灰皿の中には、彼女らの母親が吸ったのか、タバコの吸い殻がいくつか転がっていた。

 彼女たち3人の生活に、私が入り込んで良いのだろうか。邪魔ではないだろうか。そんな懸念が浮かぶ。いっそ、最初からクレアの家にお世話になったほうが良かったかもしれない。

 5分ほどして、二人分のチーズタルトの乗った皿と、マグカップに入った紅茶を銀の丸いプレートに乗せたオーシャンがやってきた。紅茶からはダージリンの香ばしい香りがした。

「オーシャン、本当に泊まって迷惑じゃないかしら? 3人の邪魔になるかもしれないから、やっぱりクレアの家に……」

「馬鹿だな、今更遠慮なんかしなくていいって。さっき母さんにはメールでお前のことを伝えた。余計なこと考えないで、とりあえず食え」

 促されるまま、スプーンを手に取ってチーズタルトに口をつける。チーズの酸味と甘みが同時に舌の上で溶け合って、混ぜこぜになって苦いだけの感情たちを中和してくれるような気がした。

「お前の姉さんはさ、お前のことどう思ってんのかな」

 私よりも先にチーズタルトを食べ終えたオーシャンは、ソファに仰向けに寝そべり、スプーンの先っぽを口に咥えている。

「分からない、姉は大事なことを言わないから」

 昔から、私と比べて姉は自分の感情を表出させることが至極少なかった。姉という立場がそうさせていたのか、それとも、私が彼女をそうさせてしまったのか。後者かもしれないという思い込みは、私の傲慢さの表れだろうか。

「その姉さんも酷いよ。気がないなら気がないって、ハッキリ言えばいい。逆に愛してるなら、そう伝えればいいじゃねーか」

「そんなに簡単にはいかないわ。私たちはまがりなりにも姉妹なわけだし、彼女は私よりもいろんなことを考えているのかも」

「世間体とか、そういうやつ?」

「それも確かにあるかもしれないけど……」

 姉は昔から、人目を気にするタイプではあった。街で腕を組んで歩いていても、友人たちや知り合いに見つかりそうになるとさっと腕を解いた。別に姉妹同士で腕を組むくらい良いじゃないかと言う私に向かって、彼女は苦笑いを浮かべるばかりだった。

「俺は世間体とか大して気にしねーから、その姉さんの気持ちはよく分かんねーな。てか、お前みたいな綺麗な妹がいて、どうにかなんねー方がおかしいと思うけど」

 後半にかけて小さくなるオーシャンの声。彼女の方に目を向けると、心なしか照れたように視線を横に逸らした。時々、彼女はこういうことがよくある。

 いつだったか、オーシャンと仲の良いアレックスから、オーシャンが私のことが気になるらしいと言われたことがあった。それを聞いたところで彼女を特別意識することはなかった。私が下手に避けたり不自然な態度を取ったりすることで、彼女との関係がギクシャクする方が嫌だった。

 オーシャンは、入学当初から何かと私に話しかけてくれ、困ったことがあればさりげなく手を貸して世話を焼いてくれた。彼女がいなかったら、きっと私はクラスで孤立していたに違いない。

 舞台稽古の時も、彼女は私を助けてくれた。台詞が飛びそうになればこっそり教えてくれ、体調が悪い時は飲み物を奢ってくれたり、先生にこっそり伝えて私を休ませてくれるように取り計らってくれた。彼女は良き友達だし、これからもそうありたいと思う。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...