ロマンドール

たらこ飴

文字の大きさ
上 下
60 / 75

58. お見舞い

しおりを挟む
 案の定ルーシーは一人きりでマンションの部屋にいた。熱があるらしく頬が赤く染まり、目は虚ろで潤んでいる。声は掠れて足取りもおぼつかない。やっとの思いで玄関に出てきたであろう彼女の身体を支えながら寝室に続く廊下を歩く。

 ルーシーはこんなに頼りなかったのか。こんなに華奢で弱々しくて痛々しげでーー。誰かに守ってもらわないと駄目なのに、脆さを笑顔の裏に潜ませて強がっている。私が彼女を放って置けないのはきっとそんなところなのだろう。

 寝室のベッドに横たわったルーシーの身体に薄い掛け布団をかける。

「ごめんね、リオ」

 ルーシーは消え入りそうな声で言って潤んだ目をこちらに向ける。

「飲み物買ってきた」

 スポーツドリンクの入ったペットボトルを買い物袋から出して熱い額にあててやると、彼女は「ああ、冷たくて気持ちいい」 と目を細めた。
 
「ありがとう、あなたが来てくれて安心したわ。具1人きりで凄く心細かったの。自分の面倒だけじゃなく猫の面倒も見ないといけないのに、具合悪くて怠くて動くのもやっとで……」

 いつもより枯れた弱々しい声を聴きながら、ベッドの縁に腰掛けルーシーの紅潮した顔を見つめる。

「連絡してくれたら飛んできたのに」

「だって、あなたは安静にしてないとでしょ? 怪我してるんだし」

「平気よ、もう」

 本当を言うとまだ時々後頭部は痛むものの、入院していた頃に比べたら大した痛みではない。私にとっては彼女の風邪の方が一大事だ。

「そういえば少し前に銃撃事件あったわよね?」

 ルーシーが言った。

「うん」

 あのすぐ近くで銃声を聴き倒れた男性の姿を見たことを告げるとルーシーは言葉を失った。

「……どうしてあの時間にあそこに?」

「ウミの家に行ったんだけどゲームしてたら遅くなっちゃって、泊めてもらったの。そしたら夜中に銃声が聞こえて……」

「何てこと……」

 ルーシーが顔を両手で覆う。彼女は泣いている。被害者の男性を思っての涙か、現場近くにいた私を案じての涙か、それともその両方か。

「こんなことはもう嫌だわ……誰にも死んで欲しくない。その男の人にも、あなたにも、他の人たちにも」

 手のひらでルーシーの髪にそっと触れる。熱のためか、少し湿っている。彼女を泣かせるようなこの世界が憎い。こんな泣き虫を一人にして置けるわけがない。彼女がブルーベルのことをまだ想っていたとしても、私のこの気持ちが叶わぬ想いだとしてもいい。これ以上彼女を一人で泣かせたくないというその願いさえ叶うのならば。

「馬鹿みたいね、こんなに泣いて。最近何かあるとすぐに泣きたくなる。涙腺が脆くなってるんだわ」

 鼻を啜り涙を拭う友人はいつも以上に感傷的だ。優しすぎるルーシーのことだからこの反応は予想していた。それなのに話したのは、私ならこんな重大なことを大切な友達にあとから打ち明けられたら、なんで話してくれなかったんだろうと感じ落胆するだろうと思ったからだ。

「身体が弱ってると心も繊細になるもんだよ」

 ルーシーの髪を撫でる。まるで小さな子どもをあやしているようで自然と笑みが溢れる。こんな不思議な感情が自分にもあるとは俄かに信じられなかった。いっそこのまま子守唄でも歌って彼女を寝かしつけようか。

「優しいのね、今日はやけに」

「まぁね」

 この優しさが彼女にしか向かないものだということは内緒にしておく。

「不思議ね、風邪をひくとみんな優しくしてくれる。いつもは怖いお母さんや生意気な妹も。だけど一人暮らしだとそんな優しさに触れられることも少なくなる。自分のことは自分でしなくちゃならないし、問題が起きても自力で解決しないといけない。寄りかかれる相手がいないって寂しいことね」

 寂しげな彼女のブラウングレーの瞳を見つめる。ルーシーは以前スコットランドに住んでいたと言っていた。その瞳には離れた家を思う懐かしさと切なさが閉じ込められている。

「逆に一人暮らしって自由で良いなって思ってた」

「自由っちゃ自由だけど、寂しいものよ」

「その寂しさって何かで埋められたりする?」

「仕事かな。あと友達とか猫とか……だけど全部は埋まらない」

「もっとあなたに頼られたいな」

「だけど、あんまりベタベタ依存されるの好きじゃないでしょ?」

「あなたはそこまで依存しないでしょ」

「そうだけど……私、信用した相手には甘えたくなるタイプだから。てゆうか珍しいわね、あなたがそんなこと言うなんて」

「そう?」

「うん」

 ルーシーが私の目を真っ直ぐに見つめる。きっと何でも許してしまう。この目で見つめられたらどんな無茶な我儘でも聞いてしまう。そんな気がする。

「てかお腹空かない?」

 動揺を隠すように質問を投げかける。

「食欲がなくて朝から何も食べてない」

「だけど何か食べなきゃ」

 買ってきた葡萄のパックを鞄から取り出して、右手で一粒ちぎって彼女の口許に近づける。間もなく乾いた唇がその紫色の果実を口に含む。

「何だか子どもみたいね」

 ルーシーは恥ずかしそうに苦笑いして半身を起こす。私が葡萄の粒を尖らせた唇に挟み目を見開いておかしな顔をすると、彼女は口に手を当てて吹き出した。

「泊まろっか? 今日」

 ルーシーは遠慮がちに首を振る。

「悪いわ」

「遠慮するのはなし! 今日は私を好きなだけパシっていいから」

「本当?」

「うん。何でもお願いを聞いてあげるわ」

「じゃあ……デュシャンのお世話をお願い。餌をやって時々遊んであげるだけでいいわ。ごはんはキッチンの調理台の下の棚に入ってる」

「お安いご用」

 右手を額に当てて敬礼サインをしデュシャンを探す。彼はリビングのテレビの脇にある箪笥の上に座り黄色に輝く目で元々の飼い主である私を見つめていた。

「久しぶり、デュシャン。今ご飯あげるから待っててね」

 声をかけルーシーから教わった場所から猫用の缶詰を取り出して口を開けダイニングの壁際の床に置いてある皿にあけると、育ち盛りのデュシャンは目にも止まらぬ速さで駆け寄ってきて皿に頭を突っ込みガツガツ音を立てて餌を食べ始めた。

 ご飯を食べ毛繕いを終えたデュシャンとネズミのおもちゃで遊んだあと、ルーシーに何か作ってやろうと思いつく。普段あまり料理はしない私だが、こんなときくらい腕を振るおうではないか。

 猫缶のあった棚の隣の棚に入っていたトマトのキャンベルスープ缶とオートミールの袋を取り出し、鍋に入れてしばらく煮込む。できたリゾット風のものを皿によそい火傷をしないように少し冷まして寝室に持って行ったとき、ルーシーは静かな寝息を立てて眠っていた。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

短編集:失情と采配、再情熱。(2024年度文芸部部誌より)

氷上ましゅ。
現代文学
2024年度文芸部部誌に寄稿した作品たち。 そのまま引っ張ってきてるので改変とかないです。作業が去年に比べ非常に雑で申し訳ない

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

私の神様は〇〇〇〇さん~不思議な太ったおじさんと難病宣告を受けた女の子の1週間の物語~

あらお☆ひろ
現代文学
白血病の診断を受けた20歳の大学生「本田望《ほんだ・のぞみ》」と偶然出会ったちょっと変わった太ったおじさん「備里健《そなえざと・けん」》の1週間の物語です。 「劇脚本」用に大人の絵本(※「H」なものではありません)的に準備したものです。 マニアな読者(笑)を抱えてる「赤井翼」氏の原案をもとに加筆しました。 「病気」を取り扱っていますが、重くならないようにしています。 希と健が「B級グルメ」を楽しみながら、「病気平癒」の神様(※諸説あり)をめぐる話です。 わかりやすいように、極力写真を入れるようにしていますが、撮り忘れやピンボケでアップできないところもあるのはご愛敬としてください。 基本的には、「ハッピーエンド」なので「ゆるーく」お読みください。 全31チャプターなのでひと月くらいお付き合いいただきたいと思います。 よろしくお願いしまーす!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

【推しが114人もいる俺 最強!!アイドルオーディションプロジェクト】

RYOアズ
青春
ある日アイドル大好きな女の子「花」がアイドル雑誌でオーディションの記事を見つける。 憧れのアイドルになるためアイドルのオーディションを受けることに。 そして一方アイドルというものにまったく無縁だった男がある事をきっかけにオーディション審査中のアイドル達を必死に応援することになる物語。 果たして花はアイドルになることができるのか!?

鬼母(おにばば)日記

歌あそべ
現代文学
ひろしの母は、ひろしのために母親らしいことは何もしなかった。 そんな駄目な母親は、やがてひろしとひろしの妻となった私を悩ます鬼母(おにばば)に(?) 鬼母(おにばば)と暮らした日々を綴った日記。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ハルのてのひら、ナツのそら。

華子
恋愛
中学三年生のナツは、一年生の頃からずっと想いを寄せているハルにこの気持ちを伝えるのだと、決意を固めた。 人生で初めての恋、そして、初めての告白。 「ハルくん。わたしはハルくんが好きです。ハルくんはわたしをどう思っていますか」 しかし、ハルはその答えを教えてはくれなかった。 何度勇気を出して伝えてもはぐらかされ、なのに思わせぶりな態度をとってくるハルと続いてしまう、曖昧なふたりの関係。 ハルからどうしても「好き」だと言われたいナツ。 ナツにはどうしても「好き」だと言いたくないハル。 どちらも一歩もゆずれない、切ない訳がそこにはあった。 表紙はフリーのもの。

処理中です...