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58. お見舞い
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案の定ルーシーは一人きりでマンションの部屋にいた。熱があるらしく頬が赤く染まり、目は虚ろで潤んでいる。声は掠れて足取りもおぼつかない。やっとの思いで玄関に出てきたであろう彼女の身体を支えながら寝室に続く廊下を歩く。
ルーシーはこんなに頼りなかったのか。こんなに華奢で弱々しくて痛々しげでーー。誰かに守ってもらわないと駄目なのに、脆さを笑顔の裏に潜ませて強がっている。私が彼女を放って置けないのはきっとそんなところなのだろう。
寝室のベッドに横たわったルーシーの身体に薄い掛け布団をかける。
「ごめんね、リオ」
ルーシーは消え入りそうな声で言って潤んだ目をこちらに向ける。
「飲み物買ってきた」
スポーツドリンクの入ったペットボトルを買い物袋から出して熱い額にあててやると、彼女は「ああ、冷たくて気持ちいい」 と目を細めた。
「ありがとう、あなたが来てくれて安心したわ。具1人きりで凄く心細かったの。自分の面倒だけじゃなく猫の面倒も見ないといけないのに、具合悪くて怠くて動くのもやっとで……」
いつもより枯れた弱々しい声を聴きながら、ベッドの縁に腰掛けルーシーの紅潮した顔を見つめる。
「連絡してくれたら飛んできたのに」
「だって、あなたは安静にしてないとでしょ? 怪我してるんだし」
「平気よ、もう」
本当を言うとまだ時々後頭部は痛むものの、入院していた頃に比べたら大した痛みではない。私にとっては彼女の風邪の方が一大事だ。
「そういえば少し前に銃撃事件あったわよね?」
ルーシーが言った。
「うん」
あのすぐ近くで銃声を聴き倒れた男性の姿を見たことを告げるとルーシーは言葉を失った。
「……どうしてあの時間にあそこに?」
「ウミの家に行ったんだけどゲームしてたら遅くなっちゃって、泊めてもらったの。そしたら夜中に銃声が聞こえて……」
「何てこと……」
ルーシーが顔を両手で覆う。彼女は泣いている。被害者の男性を思っての涙か、現場近くにいた私を案じての涙か、それともその両方か。
「こんなことはもう嫌だわ……誰にも死んで欲しくない。その男の人にも、あなたにも、他の人たちにも」
手のひらでルーシーの髪にそっと触れる。熱のためか、少し湿っている。彼女を泣かせるようなこの世界が憎い。こんな泣き虫を一人にして置けるわけがない。彼女がブルーベルのことをまだ想っていたとしても、私のこの気持ちが叶わぬ想いだとしてもいい。これ以上彼女を一人で泣かせたくないというその願いさえ叶うのならば。
「馬鹿みたいね、こんなに泣いて。最近何かあるとすぐに泣きたくなる。涙腺が脆くなってるんだわ」
鼻を啜り涙を拭う友人はいつも以上に感傷的だ。優しすぎるルーシーのことだからこの反応は予想していた。それなのに話したのは、私ならこんな重大なことを大切な友達にあとから打ち明けられたら、なんで話してくれなかったんだろうと感じ落胆するだろうと思ったからだ。
「身体が弱ってると心も繊細になるもんだよ」
ルーシーの髪を撫でる。まるで小さな子どもをあやしているようで自然と笑みが溢れる。こんな不思議な感情が自分にもあるとは俄かに信じられなかった。いっそこのまま子守唄でも歌って彼女を寝かしつけようか。
「優しいのね、今日はやけに」
「まぁね」
この優しさが彼女にしか向かないものだということは内緒にしておく。
「不思議ね、風邪をひくとみんな優しくしてくれる。いつもは怖いお母さんや生意気な妹も。だけど一人暮らしだとそんな優しさに触れられることも少なくなる。自分のことは自分でしなくちゃならないし、問題が起きても自力で解決しないといけない。寄りかかれる相手がいないって寂しいことね」
寂しげな彼女のブラウングレーの瞳を見つめる。ルーシーは以前スコットランドに住んでいたと言っていた。その瞳には離れた家を思う懐かしさと切なさが閉じ込められている。
「逆に一人暮らしって自由で良いなって思ってた」
「自由っちゃ自由だけど、寂しいものよ」
「その寂しさって何かで埋められたりする?」
「仕事かな。あと友達とか猫とか……だけど全部は埋まらない」
「もっとあなたに頼られたいな」
「だけど、あんまりベタベタ依存されるの好きじゃないでしょ?」
「あなたはそこまで依存しないでしょ」
「そうだけど……私、信用した相手には甘えたくなるタイプだから。てゆうか珍しいわね、あなたがそんなこと言うなんて」
「そう?」
「うん」
ルーシーが私の目を真っ直ぐに見つめる。きっと何でも許してしまう。この目で見つめられたらどんな無茶な我儘でも聞いてしまう。そんな気がする。
「てかお腹空かない?」
動揺を隠すように質問を投げかける。
「食欲がなくて朝から何も食べてない」
「だけど何か食べなきゃ」
買ってきた葡萄のパックを鞄から取り出して、右手で一粒ちぎって彼女の口許に近づける。間もなく乾いた唇がその紫色の果実を口に含む。
「何だか子どもみたいね」
ルーシーは恥ずかしそうに苦笑いして半身を起こす。私が葡萄の粒を尖らせた唇に挟み目を見開いておかしな顔をすると、彼女は口に手を当てて吹き出した。
「泊まろっか? 今日」
ルーシーは遠慮がちに首を振る。
「悪いわ」
「遠慮するのはなし! 今日は私を好きなだけパシっていいから」
「本当?」
「うん。何でもお願いを聞いてあげるわ」
「じゃあ……デュシャンのお世話をお願い。餌をやって時々遊んであげるだけでいいわ。ごはんはキッチンの調理台の下の棚に入ってる」
「お安いご用」
右手を額に当てて敬礼サインをしデュシャンを探す。彼はリビングのテレビの脇にある箪笥の上に座り黄色に輝く目で元々の飼い主である私を見つめていた。
「久しぶり、デュシャン。今ご飯あげるから待っててね」
声をかけルーシーから教わった場所から猫用の缶詰を取り出して口を開けダイニングの壁際の床に置いてある皿にあけると、育ち盛りのデュシャンは目にも止まらぬ速さで駆け寄ってきて皿に頭を突っ込みガツガツ音を立てて餌を食べ始めた。
ご飯を食べ毛繕いを終えたデュシャンとネズミのおもちゃで遊んだあと、ルーシーに何か作ってやろうと思いつく。普段あまり料理はしない私だが、こんなときくらい腕を振るおうではないか。
猫缶のあった棚の隣の棚に入っていたトマトのキャンベルスープ缶とオートミールの袋を取り出し、鍋に入れてしばらく煮込む。できたリゾット風のものを皿によそい火傷をしないように少し冷まして寝室に持って行ったとき、ルーシーは静かな寝息を立てて眠っていた。
ルーシーはこんなに頼りなかったのか。こんなに華奢で弱々しくて痛々しげでーー。誰かに守ってもらわないと駄目なのに、脆さを笑顔の裏に潜ませて強がっている。私が彼女を放って置けないのはきっとそんなところなのだろう。
寝室のベッドに横たわったルーシーの身体に薄い掛け布団をかける。
「ごめんね、リオ」
ルーシーは消え入りそうな声で言って潤んだ目をこちらに向ける。
「飲み物買ってきた」
スポーツドリンクの入ったペットボトルを買い物袋から出して熱い額にあててやると、彼女は「ああ、冷たくて気持ちいい」 と目を細めた。
「ありがとう、あなたが来てくれて安心したわ。具1人きりで凄く心細かったの。自分の面倒だけじゃなく猫の面倒も見ないといけないのに、具合悪くて怠くて動くのもやっとで……」
いつもより枯れた弱々しい声を聴きながら、ベッドの縁に腰掛けルーシーの紅潮した顔を見つめる。
「連絡してくれたら飛んできたのに」
「だって、あなたは安静にしてないとでしょ? 怪我してるんだし」
「平気よ、もう」
本当を言うとまだ時々後頭部は痛むものの、入院していた頃に比べたら大した痛みではない。私にとっては彼女の風邪の方が一大事だ。
「そういえば少し前に銃撃事件あったわよね?」
ルーシーが言った。
「うん」
あのすぐ近くで銃声を聴き倒れた男性の姿を見たことを告げるとルーシーは言葉を失った。
「……どうしてあの時間にあそこに?」
「ウミの家に行ったんだけどゲームしてたら遅くなっちゃって、泊めてもらったの。そしたら夜中に銃声が聞こえて……」
「何てこと……」
ルーシーが顔を両手で覆う。彼女は泣いている。被害者の男性を思っての涙か、現場近くにいた私を案じての涙か、それともその両方か。
「こんなことはもう嫌だわ……誰にも死んで欲しくない。その男の人にも、あなたにも、他の人たちにも」
手のひらでルーシーの髪にそっと触れる。熱のためか、少し湿っている。彼女を泣かせるようなこの世界が憎い。こんな泣き虫を一人にして置けるわけがない。彼女がブルーベルのことをまだ想っていたとしても、私のこの気持ちが叶わぬ想いだとしてもいい。これ以上彼女を一人で泣かせたくないというその願いさえ叶うのならば。
「馬鹿みたいね、こんなに泣いて。最近何かあるとすぐに泣きたくなる。涙腺が脆くなってるんだわ」
鼻を啜り涙を拭う友人はいつも以上に感傷的だ。優しすぎるルーシーのことだからこの反応は予想していた。それなのに話したのは、私ならこんな重大なことを大切な友達にあとから打ち明けられたら、なんで話してくれなかったんだろうと感じ落胆するだろうと思ったからだ。
「身体が弱ってると心も繊細になるもんだよ」
ルーシーの髪を撫でる。まるで小さな子どもをあやしているようで自然と笑みが溢れる。こんな不思議な感情が自分にもあるとは俄かに信じられなかった。いっそこのまま子守唄でも歌って彼女を寝かしつけようか。
「優しいのね、今日はやけに」
「まぁね」
この優しさが彼女にしか向かないものだということは内緒にしておく。
「不思議ね、風邪をひくとみんな優しくしてくれる。いつもは怖いお母さんや生意気な妹も。だけど一人暮らしだとそんな優しさに触れられることも少なくなる。自分のことは自分でしなくちゃならないし、問題が起きても自力で解決しないといけない。寄りかかれる相手がいないって寂しいことね」
寂しげな彼女のブラウングレーの瞳を見つめる。ルーシーは以前スコットランドに住んでいたと言っていた。その瞳には離れた家を思う懐かしさと切なさが閉じ込められている。
「逆に一人暮らしって自由で良いなって思ってた」
「自由っちゃ自由だけど、寂しいものよ」
「その寂しさって何かで埋められたりする?」
「仕事かな。あと友達とか猫とか……だけど全部は埋まらない」
「もっとあなたに頼られたいな」
「だけど、あんまりベタベタ依存されるの好きじゃないでしょ?」
「あなたはそこまで依存しないでしょ」
「そうだけど……私、信用した相手には甘えたくなるタイプだから。てゆうか珍しいわね、あなたがそんなこと言うなんて」
「そう?」
「うん」
ルーシーが私の目を真っ直ぐに見つめる。きっと何でも許してしまう。この目で見つめられたらどんな無茶な我儘でも聞いてしまう。そんな気がする。
「てかお腹空かない?」
動揺を隠すように質問を投げかける。
「食欲がなくて朝から何も食べてない」
「だけど何か食べなきゃ」
買ってきた葡萄のパックを鞄から取り出して、右手で一粒ちぎって彼女の口許に近づける。間もなく乾いた唇がその紫色の果実を口に含む。
「何だか子どもみたいね」
ルーシーは恥ずかしそうに苦笑いして半身を起こす。私が葡萄の粒を尖らせた唇に挟み目を見開いておかしな顔をすると、彼女は口に手を当てて吹き出した。
「泊まろっか? 今日」
ルーシーは遠慮がちに首を振る。
「悪いわ」
「遠慮するのはなし! 今日は私を好きなだけパシっていいから」
「本当?」
「うん。何でもお願いを聞いてあげるわ」
「じゃあ……デュシャンのお世話をお願い。餌をやって時々遊んであげるだけでいいわ。ごはんはキッチンの調理台の下の棚に入ってる」
「お安いご用」
右手を額に当てて敬礼サインをしデュシャンを探す。彼はリビングのテレビの脇にある箪笥の上に座り黄色に輝く目で元々の飼い主である私を見つめていた。
「久しぶり、デュシャン。今ご飯あげるから待っててね」
声をかけルーシーから教わった場所から猫用の缶詰を取り出して口を開けダイニングの壁際の床に置いてある皿にあけると、育ち盛りのデュシャンは目にも止まらぬ速さで駆け寄ってきて皿に頭を突っ込みガツガツ音を立てて餌を食べ始めた。
ご飯を食べ毛繕いを終えたデュシャンとネズミのおもちゃで遊んだあと、ルーシーに何か作ってやろうと思いつく。普段あまり料理はしない私だが、こんなときくらい腕を振るおうではないか。
猫缶のあった棚の隣の棚に入っていたトマトのキャンベルスープ缶とオートミールの袋を取り出し、鍋に入れてしばらく煮込む。できたリゾット風のものを皿によそい火傷をしないように少し冷まして寝室に持って行ったとき、ルーシーは静かな寝息を立てて眠っていた。
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