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59. 真実
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リゾットをベッドの脇の本棚の上に置くと、リビングに向かいソファに腰を下ろしてテレビを点けた。ワイドショーではあの銃撃事件の被害者の男性の意識が昨日戻ったと大々的に報じていた。途端に身体中の力が抜け涙が出そうなほどの安堵感に襲われる。
ワイドショーのキャスターはその後衝撃的な事実を突きつけた。
被害者の男性は犯人が車の中から自分を銃で撃ったことと、走り去る車のナンバーもしっかり覚えていた。警察がナンバーを辿ったところ犯人は某白人至上主義団体に所属していたことが判明し、国外逃亡を企て空港にいたところを逮捕されたという。彼と一緒にいた、車を運転していた人物と一緒に。
2人の男の顔写真が画面に映るなり私は目を見張った。何と犯人の乗った車を運転していた人物は、カフェで女性にビンタをしようとした男だったのだ。
ニュースが終わったあとも金縛りにあったみたいにその場から動くことができなかった。やはり私の考えは当たっていた。あのビンタ未遂事件の犯人が白人至上主義団体のメンバーであるということから、あの男のしでかした所業は無差別的なものなどではなくターゲットを黒人に絞って行った一種計画的なものだったのだ。
時間が経つごとに現実が飲み込めてきて、頭に血が昇ってきた。この怒りをぶつける相手が他に思い付かず携帯をポケットから取り出し警察署に電話を入れた。
眠そうな声で電話に出た声を聞いて、あの病院に来た若い警官だと確信した私は一気に捲し立てた。
「さっきニュース見たけど。あんた私にあの男がアリーシャを殴ろうとしたのに深い意味ないって言ってたけどさ、全然無差別的犯行なんかじゃなかったじゃん。アリーシャも言ってたよ。あんたたちはそんなだから何も解決できないんだよ。あのさ、あんたが仕事サボって甘い汁啜ってる陰で努力しても報われなくて誰にも理解されなくて涙流してる人が五万といるわけ。そんな人たちが日の目を見ないまま痛い思いして血流して殺されたりする。これが世の中なんだよ、ちょっとは現実見ろ大人になれこの役立たず!!」
一方的に話して電話を切ったあと泣き出したいような気持ちになった。こんな電話一本で何かが変わるわけではない。あの警官は今頃私のことを鼻で笑っているだろう。誰もが人の痛みに敏感なわけではない。だが敏感であることでしか人は優しくなれないのだ。
ルーシーに今の話が聴こえていないかと心配になり寝室に戻ったが、彼女は相変わらずすやすやと眠っていて安心した。弱っている彼女にこれ以上物騒な言葉を聴かせたくはなかった。
ルーシー宅に泊まるとの電話を入れると、案の定母のアイルランド訛りの怒号が耳に響き渡った。何度も謝りどうしてもルーシーの側にいたい旨を伝えると、母は最後には大きなため息とともに了承した。
『夜は絶対に出歩かないのよ』
強い口調で釘を刺し母は一方的に電話を切った。
再度寝室に行くとルーシーは既に目を覚ましていた。本棚の上の皿は半分ほど空になっている。私の姿に気づいた彼女はそっと微笑んだ。
「リゾットご馳走様。凄く美味しかったわ、残ったのはまた後で食べる」
「どういたしまして」
あんな即席の料理でも、こんなに喜んで貰えるのなら作った甲斐があるというものだ。
「デュシャンと遊んだわ。猫って成長するの早いよね」
「本当。あんなに思うがままに身体を動かせたら、どんなにか楽しいでしょうね」
「生まれ変わったら猫がいいな、それもオスの」
「なんでオス?」
「何となく」
子どもを産んで育てるメスよりオスの方が気楽そうだから。そんな回答を何故か飲み込む。
「私は次生まれてくる時も人間の女に生まれたいわ」
「どうして?」
「メイクしたりお洒落するのが楽しいから」
「なるほどね」
メイクやお洒落は好きだけれどまた女に生まれたいとは思わない。また人間に生まれ変わるとしたら次は絶対男に生まれたい。いつからか漠然とそう感じていた。女性でいることは非常に疲れる。何が疲れるのかと訊かれると言葉にするのは難しいが。
シャワーを浴びルーシーに借りたパジャマを着てソファに寝転んでいると、デュシャンが私の腹に乗って毛繕いを始めた。
「重いんですけど」
非難じみた言葉をものともせず、ほどなくして彼は私の腹をベッド代わりにして眠り始めた。
ここ数日で色んなことがあった。思い出すと気分が悪くなるようなこと、反対に嬉しいことも。あの銃撃事件の犯人は今何を思うのだろう。自分は己の信念に従い正しいことをしたのだと的外れな感想を抱いているのかもしれない。あのビンタ未遂男にしてもそうだ。彼らは完全に間違った衝動に突き動かされている。憎むべき対象をこの世から排除するという目的の下、武器や暴力を用いて誰かを傷つけ命を奪おうとする。
アメリカで同じような事件が数多く起きていたことは知っていた。同じことがイギリスでも起こりかねないということも。だが自分のすぐ目の前で起こるとは想定の範囲外だった。
私からしたら、肌の色が違うという問題は何も大きなことではない。違うことは通じ合えないことと=ではないからだ。あの犯人たちには、異質な存在とみなした相手と通じ合うために対話しようという気持ちすらないのだろう。言葉が理解し合う手段でないのだとしたら、私たちが今必死に取り組んでいる映画にできることは、世界に伝えられることは何なのか。
これまで同じような事件で犠牲になった人、その家族の気持ちを考えるといたたまれない。ルーシーが泣き出す気持ちも痛いくらいに分かるのだ。彼女が泣かなくて済む世界があるのなら今すぐにでも亡命したい。
ワイドショーのキャスターはその後衝撃的な事実を突きつけた。
被害者の男性は犯人が車の中から自分を銃で撃ったことと、走り去る車のナンバーもしっかり覚えていた。警察がナンバーを辿ったところ犯人は某白人至上主義団体に所属していたことが判明し、国外逃亡を企て空港にいたところを逮捕されたという。彼と一緒にいた、車を運転していた人物と一緒に。
2人の男の顔写真が画面に映るなり私は目を見張った。何と犯人の乗った車を運転していた人物は、カフェで女性にビンタをしようとした男だったのだ。
ニュースが終わったあとも金縛りにあったみたいにその場から動くことができなかった。やはり私の考えは当たっていた。あのビンタ未遂事件の犯人が白人至上主義団体のメンバーであるということから、あの男のしでかした所業は無差別的なものなどではなくターゲットを黒人に絞って行った一種計画的なものだったのだ。
時間が経つごとに現実が飲み込めてきて、頭に血が昇ってきた。この怒りをぶつける相手が他に思い付かず携帯をポケットから取り出し警察署に電話を入れた。
眠そうな声で電話に出た声を聞いて、あの病院に来た若い警官だと確信した私は一気に捲し立てた。
「さっきニュース見たけど。あんた私にあの男がアリーシャを殴ろうとしたのに深い意味ないって言ってたけどさ、全然無差別的犯行なんかじゃなかったじゃん。アリーシャも言ってたよ。あんたたちはそんなだから何も解決できないんだよ。あのさ、あんたが仕事サボって甘い汁啜ってる陰で努力しても報われなくて誰にも理解されなくて涙流してる人が五万といるわけ。そんな人たちが日の目を見ないまま痛い思いして血流して殺されたりする。これが世の中なんだよ、ちょっとは現実見ろ大人になれこの役立たず!!」
一方的に話して電話を切ったあと泣き出したいような気持ちになった。こんな電話一本で何かが変わるわけではない。あの警官は今頃私のことを鼻で笑っているだろう。誰もが人の痛みに敏感なわけではない。だが敏感であることでしか人は優しくなれないのだ。
ルーシーに今の話が聴こえていないかと心配になり寝室に戻ったが、彼女は相変わらずすやすやと眠っていて安心した。弱っている彼女にこれ以上物騒な言葉を聴かせたくはなかった。
ルーシー宅に泊まるとの電話を入れると、案の定母のアイルランド訛りの怒号が耳に響き渡った。何度も謝りどうしてもルーシーの側にいたい旨を伝えると、母は最後には大きなため息とともに了承した。
『夜は絶対に出歩かないのよ』
強い口調で釘を刺し母は一方的に電話を切った。
再度寝室に行くとルーシーは既に目を覚ましていた。本棚の上の皿は半分ほど空になっている。私の姿に気づいた彼女はそっと微笑んだ。
「リゾットご馳走様。凄く美味しかったわ、残ったのはまた後で食べる」
「どういたしまして」
あんな即席の料理でも、こんなに喜んで貰えるのなら作った甲斐があるというものだ。
「デュシャンと遊んだわ。猫って成長するの早いよね」
「本当。あんなに思うがままに身体を動かせたら、どんなにか楽しいでしょうね」
「生まれ変わったら猫がいいな、それもオスの」
「なんでオス?」
「何となく」
子どもを産んで育てるメスよりオスの方が気楽そうだから。そんな回答を何故か飲み込む。
「私は次生まれてくる時も人間の女に生まれたいわ」
「どうして?」
「メイクしたりお洒落するのが楽しいから」
「なるほどね」
メイクやお洒落は好きだけれどまた女に生まれたいとは思わない。また人間に生まれ変わるとしたら次は絶対男に生まれたい。いつからか漠然とそう感じていた。女性でいることは非常に疲れる。何が疲れるのかと訊かれると言葉にするのは難しいが。
シャワーを浴びルーシーに借りたパジャマを着てソファに寝転んでいると、デュシャンが私の腹に乗って毛繕いを始めた。
「重いんですけど」
非難じみた言葉をものともせず、ほどなくして彼は私の腹をベッド代わりにして眠り始めた。
ここ数日で色んなことがあった。思い出すと気分が悪くなるようなこと、反対に嬉しいことも。あの銃撃事件の犯人は今何を思うのだろう。自分は己の信念に従い正しいことをしたのだと的外れな感想を抱いているのかもしれない。あのビンタ未遂男にしてもそうだ。彼らは完全に間違った衝動に突き動かされている。憎むべき対象をこの世から排除するという目的の下、武器や暴力を用いて誰かを傷つけ命を奪おうとする。
アメリカで同じような事件が数多く起きていたことは知っていた。同じことがイギリスでも起こりかねないということも。だが自分のすぐ目の前で起こるとは想定の範囲外だった。
私からしたら、肌の色が違うという問題は何も大きなことではない。違うことは通じ合えないことと=ではないからだ。あの犯人たちには、異質な存在とみなした相手と通じ合うために対話しようという気持ちすらないのだろう。言葉が理解し合う手段でないのだとしたら、私たちが今必死に取り組んでいる映画にできることは、世界に伝えられることは何なのか。
これまで同じような事件で犠牲になった人、その家族の気持ちを考えるといたたまれない。ルーシーが泣き出す気持ちも痛いくらいに分かるのだ。彼女が泣かなくて済む世界があるのなら今すぐにでも亡命したい。
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