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42. 鈍痛
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目覚めたとき私は病院のベッドの上にいた。医者によると幸い意識は2時間ほどで戻ったらしかった。両親は涙を流して交互に私を抱きしめた。ルーシーも泣いていた。自分がしたことを後悔はしていないけれど、その結果両親やルーシーに心配をかけたことが申し訳なかった。何よりルーシーが泣いている顔をもう見たくなかった。
脳出血も骨折も認められず明日には家に帰れると医者は言った。その言葉に安堵しつつ、先ほどのカフェでの衝撃的な場面を思い出し気分が悪くなった。次にふつふつと憤りが湧いてきた。ニコルに感じた怒りとは別のもっと激しい怒りだった。頭の血管が脈打つたび負傷した後頭部に鈍い痛みを感じたが、叩かれそうになった女性の胸の痛みよりずっとマシに思えた。
夜遅く警官が2人病室に入ってきて事件の状況を教えてくれと言ったので、起きたことを順繰りに話した。警察の話によるとあの男性と女性は面識がなく、私を跳ね飛ばした直後男性は逃亡し今も行方が分からないという。警察は傷害事件として男の身元を追っているが、ビンタに関しては無差別的な行動だったのではないかとのことだった。
「なんかしっくりこないな」
モヤモヤが治らずつぶやくと、「しっくりこないとは?」と50代くらいの丸顔の警官が尋ねた。あの酔っ払い男はまるで最初からあの黒人女性に標的を絞り、彼女を殴ろうと決めて歩いてきたように見えた。もし本当にあの男と女性が面識がなくて誰でもいいから殴りたかったのだとしたら、すぐ近くにいる客に手を出すんじゃないか。
「本当に無差別的な行為だったのかなって」
どうしてもひっかかっていた。私はこれまでスペインの血が流れているというだけで、謂れのない中傷を受けたり差別にあったことがあった。中学時代クラスで孤立していた際、人種差別的な言葉を投げかけてくる同級生もいた。だからもしもあの男が差別的意味合いであの黒人女性を殴ろうとしたのだとしたら、どうしても黙っているわけにはいかなかったのだ。
「犯人が逮捕されたら詳しく調べて行きますけどね。でもあなたが疑うような、深い意味はないと思いますけど」
30代くらいの白人の警官がへらへら笑いながら軽い調子で答え、年配の警官が「おい!」と険しい表情で嗜めた。警官のくせに真剣味のない態度に苛立ち思わず言い返した。
「てかさ、そんな軽いノリで警官やれんの? あんたなんかより、ミシェルんちの5歳のベンの方がよっぽど利口だわ。犯人が捕まったらそいつに会わせてよ。何であの女の人を殴ろうとしたか直接聞いてやるから」
引き合いに出したあとで、ベンに悪いことをしたなと後ろめたい気持ちになった。この軽薄そうな警官をベンと比べるくらいなら、いっそオムレット王国の王子と比べた方がまだ張り合いがある。
「それは私たちの役割です。あなたの精神的なショックを考えると、会うことはお勧めしません」
年輩警官が答える。私に寄り添っている風を装っているが、内心彼も面倒事は避けたいのだろうことが雰囲気で伝わってくる。
「私のショックなんかより、あの女の人のショックの方がでかいわ」
押し問答を繰り返すうち、若い警官がいかにも怠そうに欠伸をした。
「とりあえず、今は安静にしてた方がいいんじゃないですか? 素人があんまり首突っ込むとロクなことになりませんよ」
この駄目警官め。心の中で毒突きながら若い警官の顔を睨む。
「もう既にロクでもないことになってんのよ、それをどうにかすんのがあんたらの役割じゃない。欠伸してる暇なんかないんじゃない?」
若い警官はこれ以上付き合っていられないとでもいうかのように大きくため息を吐き、やれやれとつぶやいて病室を出て行った。年配警官も「すみませんね」と苦笑いしながら出ていく。この警官たちには何も期待できないと諦め身体をベッドに預ける。仰向けの姿勢は後頭部が痛むため横向きになり考える。
あの警官たちは何も分かっちゃいない。少しでも面倒事を避け自分たちが楽をすることばかりで、被害者の痛みを考えることなんか二の次だ。あのビンタ未遂男にどんな罰が課されるかより、男の動機の方が問題なのだ。この事件を単なる男の気まぐれによるものと片付けてしまっていいのか。そこに隠された闇を暴き出さない限りまた同じような、いや、もっと悲惨な事件が起こるばかりじゃないのか。悔しさ、もどかしさ、怒りーー。色んな感情がないまぜになって私は唇を噛み締めた。
脳出血も骨折も認められず明日には家に帰れると医者は言った。その言葉に安堵しつつ、先ほどのカフェでの衝撃的な場面を思い出し気分が悪くなった。次にふつふつと憤りが湧いてきた。ニコルに感じた怒りとは別のもっと激しい怒りだった。頭の血管が脈打つたび負傷した後頭部に鈍い痛みを感じたが、叩かれそうになった女性の胸の痛みよりずっとマシに思えた。
夜遅く警官が2人病室に入ってきて事件の状況を教えてくれと言ったので、起きたことを順繰りに話した。警察の話によるとあの男性と女性は面識がなく、私を跳ね飛ばした直後男性は逃亡し今も行方が分からないという。警察は傷害事件として男の身元を追っているが、ビンタに関しては無差別的な行動だったのではないかとのことだった。
「なんかしっくりこないな」
モヤモヤが治らずつぶやくと、「しっくりこないとは?」と50代くらいの丸顔の警官が尋ねた。あの酔っ払い男はまるで最初からあの黒人女性に標的を絞り、彼女を殴ろうと決めて歩いてきたように見えた。もし本当にあの男と女性が面識がなくて誰でもいいから殴りたかったのだとしたら、すぐ近くにいる客に手を出すんじゃないか。
「本当に無差別的な行為だったのかなって」
どうしてもひっかかっていた。私はこれまでスペインの血が流れているというだけで、謂れのない中傷を受けたり差別にあったことがあった。中学時代クラスで孤立していた際、人種差別的な言葉を投げかけてくる同級生もいた。だからもしもあの男が差別的意味合いであの黒人女性を殴ろうとしたのだとしたら、どうしても黙っているわけにはいかなかったのだ。
「犯人が逮捕されたら詳しく調べて行きますけどね。でもあなたが疑うような、深い意味はないと思いますけど」
30代くらいの白人の警官がへらへら笑いながら軽い調子で答え、年配の警官が「おい!」と険しい表情で嗜めた。警官のくせに真剣味のない態度に苛立ち思わず言い返した。
「てかさ、そんな軽いノリで警官やれんの? あんたなんかより、ミシェルんちの5歳のベンの方がよっぽど利口だわ。犯人が捕まったらそいつに会わせてよ。何であの女の人を殴ろうとしたか直接聞いてやるから」
引き合いに出したあとで、ベンに悪いことをしたなと後ろめたい気持ちになった。この軽薄そうな警官をベンと比べるくらいなら、いっそオムレット王国の王子と比べた方がまだ張り合いがある。
「それは私たちの役割です。あなたの精神的なショックを考えると、会うことはお勧めしません」
年輩警官が答える。私に寄り添っている風を装っているが、内心彼も面倒事は避けたいのだろうことが雰囲気で伝わってくる。
「私のショックなんかより、あの女の人のショックの方がでかいわ」
押し問答を繰り返すうち、若い警官がいかにも怠そうに欠伸をした。
「とりあえず、今は安静にしてた方がいいんじゃないですか? 素人があんまり首突っ込むとロクなことになりませんよ」
この駄目警官め。心の中で毒突きながら若い警官の顔を睨む。
「もう既にロクでもないことになってんのよ、それをどうにかすんのがあんたらの役割じゃない。欠伸してる暇なんかないんじゃない?」
若い警官はこれ以上付き合っていられないとでもいうかのように大きくため息を吐き、やれやれとつぶやいて病室を出て行った。年配警官も「すみませんね」と苦笑いしながら出ていく。この警官たちには何も期待できないと諦め身体をベッドに預ける。仰向けの姿勢は後頭部が痛むため横向きになり考える。
あの警官たちは何も分かっちゃいない。少しでも面倒事を避け自分たちが楽をすることばかりで、被害者の痛みを考えることなんか二の次だ。あのビンタ未遂男にどんな罰が課されるかより、男の動機の方が問題なのだ。この事件を単なる男の気まぐれによるものと片付けてしまっていいのか。そこに隠された闇を暴き出さない限りまた同じような、いや、もっと悲惨な事件が起こるばかりじゃないのか。悔しさ、もどかしさ、怒りーー。色んな感情がないまぜになって私は唇を噛み締めた。
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