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29. サウザンプトン

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 父の経営するサウザンプトンの海沿いにあるホテルに着いたのは、深夜の1時過ぎだった。スウィートルームを2つ貸し切った私たちは、2人1組となってそれぞれの部屋に別れた。

 ルーシーは先ほどから隣のクィーンサイズのベッドの上でぼんやりと天井を眺めている。時々ルーシーと2人きりになると、何を話しかけたらいいか分からなくなることがある。話したいことは沢山ある。1人でいるときは明日ルーシーに会ったらこうやって声をかけようとか、こんな冗談を言ったら笑ってくれるだろうかなどと考えているのに、いざこうして2人きりになると、頭の中の『ルーシーに話したいことリスト』のメモリが一時的に紛失したかのような状態に陥る。

「パーティーで飲みすぎたのかな、少し頭が痛い」

 ぽつりと呟くルーシーのブラウングレーの瞳は、視界に収まりきらない面積の白く殺風景な天井のただ一点を見つめるともなく見ている。

「この頃お酒の量が増えてるから要注意だよ」

 彼女と同じ仰向けの姿勢の私は母親のようなことを言ってみる。

「そうね、本当にそう。身体に悪いって頭では分かっているのに、飲んでなきゃやってらんないって思っちゃう。駄目よね、私って」

「駄目じゃないよ。誰だってあるよ、何かに逃げたくなることは」

 そういえば、ジョーダンの部屋にも沢山のアルコールの残骸が転がっていたっけ。人は痛みを麻痺させるため酒を煽るように飲んだりするけれど、かえってその姿が側から見たら自分のことを痛めつけているようで痛々しかったりする。

「どうしたら忘れられるんだろう」

 また泣き出しそうな声を出すルーシーに視線を送る。彼女のように長い間一途に想い続け、恋焦がれるほどに愛した存在がいない私に、相手を忘れる術など思い浮かぶはずもない。もしかしたら誰も答えなんて知らないのかもしれない。そんな問いが世の中にはゴロゴロ転がっている。一つ一つ拾い上げて向き合おうとしてみても、正しいのか間違いなのか、YESかNOかすらもわからないような。

 私がよく考える、自分は女優に向いていないんじゃないかという問いにしてもそうだ。ミシェルには「そんな悩むならモデルで良くない?」と言われたけれど、ミシェルのようにずっとモデルになりたくて努力をしてきた人たちと私とでは、積み上げてきたものも覚悟も全く違う。演技が嫌いなわけでは決してない。むしろ凄く好きなのに、いざ上手く演じようとすればするほど頭も心も凝り固まったみたいになる。台詞が日常会話のような自然なものとして出てこなくて、怒りや悲しみ、喜びといった当たり前の感情を表に出すことがいつも以上に難しくなる。結果テレビ画面には全く表情が変わらない、生きた台詞を発せられない機械仕掛けの人形のごとき女の姿が映し出され、オンエアを観た私は一段と絶望するのだった。

 今だってそうだ。考え過ぎて脳みそが硬直したみたいになって、傷ついている友人が欲しいであろう言葉が全くといっていいほど思いつかない。考えれば考えるほど、その言葉たちは思考の渦に飲み込まれて見えなくなってしまう。

「羨ましいよ、あなたが」

 私は心に浮かんだことをそのまま言葉にした。ルーシーは不思議そうな顔で私を見た。私はまた口を開いた。

「誰かを思って泣いたりしたことなんてない。そもそも好きになるって何? って感じ。中学の時友達に言われたの、私は普通じゃないって。そもそも普通って何ですか? 恋してデートしてキスしてセックスすることが普通なんですか? 普通のことをしてそんなに楽しいんですか? そんなわけないよね。普通じゃないから、幸せだししんどいし傷つくんじゃない。そうでしょ? ルーシー」

 どうやったら好きな人を忘れられるかという、友人の切実な問いに対する根本的な答えになどなっていないことは分かっていた。だが恋をしたこともない私が捏ね繰り回すことも推敲することもなく口にした言葉に、ルーシーは何度も頷いた。


♦︎


 翌朝私とルーシーは、海沿いの店で買った苺のクレープを食べながら砂浜を散歩した。

 因みにここサウザンプトンは、映画『タイタニック』で有名になった港町だ。岸壁には何艘もの漁船が並んでロープで繋がれていて、空を自由に行き交うカモメの鳴き声が静かな海にこだましている。ここで突然うら若き乙女の振りをしてロマンチックだなんだと騒いだり、誰かの漁船に乗りこんで先端に立ち両腕を広げタイタニックの名シーンの再現をしたりする気にはとてもなれないが、冷たく微かに湿りけのある海風の匂いは嫌いではない。

 私がタイタニックのエンディングの替え歌を歌うとルーシーはお腹を抱えて笑い、目尻の涙を拭った。替え歌が面白過ぎただけなのか、それとも単純な泣き笑いの涙ではないのか。そんな深読みをしてしまうのは、昨日のパーティーの後の長時間の運転で頭が疲れているからなんだろうか。

「泣き虫ルーシー」

 歌うように言いながら隣を歩くルーシーの頭をぽん、と一度だけ軽く撫でる。ルーシーは「うるさい」と私を軽く睨む。私は突如、何がなんでもビーチフラッグを獲得したいアスリートのような勢いで駆け出して50メートルほど全力疾走したあと、白い砂の上にどさっと仰向けに寝転んで叫んだ。

「私の屍を越えていけ、ルーシー!!」

 これはどこで聞いた台詞だったか。日本のゲームか何かだったろうか。本当に私が死んだら、ルーシーは死体の上を平然と跨いで歩いていくことなどしないだろう。彼女のことだからまた泣くんだろう。そして私の命日には墓に好物のタコスを供えてくれるに違いない。そうであって欲しい。例え誰もが人の屍を越えていくようなカオスな世の中であっても変わらずに彼女は私の友達で、彼女らしくあってくれたら。

「何の台詞? それ」

 突然走り出したかと思えば意味不明なことを叫んだり、側から見たらおかしな女と思われかねない私の言動にルーシーはまた大声で笑った。今度は泣いていなかった。
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