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18. ジョーダン
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ルーシーと会ったあと、久しぶりにジョーダンに連絡を取って会いに行こうと思いついた。ジョーダンの家はロンドン郊外の閑静な住宅地にあった。玄関脇のチャイムを押すと少し間があって、『入って』と憔悴した声が返ってきた。
綺麗好きの彼の家のダイニングテーブルにはすっかり麺が伸び切った食べかけのヌードルとポテトチップスの袋が置いてあり、床にはビールの缶やワインのボトルが散乱しその他のゴミも散らばって、目も当てられぬほどの荒廃ぶりだった。
ケイシー曰くジョーダンはナッツによるアナフィラキシーショックで病院に運ばれたあと、そこで働いていた看護士の恋人に悲しい失恋をし、精神を病んでしばらく休職することにしたのだという。
「あんまり連絡が来なくなってたの。入院してるときに彼が病室に来たから問いただしたら、やっぱり浮気されてたって分かった」
テーブルの向かいに座ったジョーダンの顔は、悲哀とやるせなさで沈んでいる。いつも明るく輝いていた大きな目は淀んで瞼は赤く腫れ、全身から哀愁とアルコールの匂いが漂ってくる。彼は悲しげに微笑んだまま、俯きがちな視線をゆっくりと泳がせぽつりぽつりと打ち明けた。
その恋人の男性はストレートだった。ケイシーにはストレートの男と付き合ったって傷つくだけだからやめろと猛反対されていた。だが本当に好きだったから付き合った。最初は幸せだった。しかし段々と「お前が女だったら良かったのに」「お前とじゃ子どもが作れない」と相手が発言するようになり、人知れず苦しむようになった。
付き合って1年が過ぎた頃を境に恋人からの連絡が減り、ジョーダンは不安に駆られるようになった。それに比例して食べる量と酒の量も増えた。幼い頃からナッツ類による酷いアレルギー反応に苦しんでいたためいつもは神経質なくらい成分表示を確認してから飲食物を摂取するのに、その日は自棄になっていて何も考えずに、深夜にインスタントのスープにお湯を注いで飲んでしまった。やがて全身の発熱と激しい痒みを伴う蕁麻疹症状が発現し、呼吸困難になって救急車を呼んだ。
幸い医師の的確な処置により一命は取り留めたものの、病院でジョーダンは身も心も引き裂かれるような辛い体験をすることになる。
入院して数日経った頃、ジョーダンの恋人が薬を持って病室にやってきた。彼がここで働いていることは知っていたけれど、この病棟の担当だとは知らなかったので驚いた。なぜ連絡をくれなくなったのか、他に好きな人ができたのかと尋ねると彼はこう言い放った。
「君のことは好きだったよ、本当に。だけど僕たちは一緒にいるべきじゃない。僕たちは男同士だ。君だって分かってるだろう? それに、僕には今新しい彼女がいるんだ。院長の娘で、僕と結婚したがってる。彼女と結婚しようかと思うんだ」
どんな言葉を返せばいいのか分からない私は、ただ相槌を打ちながらジョーダンが涙ながらに打ち明ける失恋話に耳を傾けていた。もしも私が彼と同じ立場だったら、激しい自己否定感と劣等感に苛まれるに違いない。恋人が出世と普通でありたいという欲求のために自分とは違う性別の、しかも権威ある存在の娘の方を選び自分のことを捨てたのだから。失恋の辛さだけでも十分な、自分が自分としてあることを否定されたような気持ちになって人知れず苦しむはずだ。
こんなときルーシーならどんな言葉をかけるだろう。「ジョーダン、私に何かできることがあったら言って」と優しく声をかけて、そっと抱きしめてあげたりするんだろうか。
この間ルーシーと会ったときといい今といい、私はまるで役立たずだ。今の私に思いつくことといったらこう声をかけることくらいだ。
「ジョーダン、ゲーセン行こう」
外に出るのを渋るジョーダンを連れ出して、車で20分ほどのところにあるゲームセンターに向かった。そのゲームセンターは地下のコミックカフェと併設されていて、仕事帰りによく立ち寄るお気に入りの場所だった。
私はジョーダンと一緒に、新しく入った『3Dオブザ・デッド』というゾンビのシューティングゲームで遊んだ。昔からゾンビものには目がない私は、こんなときだけスペインの血が騒ぐ。
最初の画面は教会の前だ。よりにもよってこのタイミングでジョーダンに結婚を想起させるような場所が登場するとは。しかしこれはゲームだ。仮想空間なのだ。そう割り切って楽しむしかない。
「教会の中にゾンビ集団が潜伏していると思われる。警戒せよ!」
私が警告するとジョーダンが、「了解!!」と勢いよく敬礼してみせる。
私たちは教会の入り口の木の扉をぶち破ってわらわらと出てくる無数のゾンビに向かって、マシンガンを撃ちまくりながら口々に叫んだ。
「花嫁ゾンビと神父ゾンビ、その他両家の親族ゾンビたちが襲来中!! ジョーダン二等兵、警戒せよ!!」
「ラジャー!! 式の途中に食べられちゃうなんて、お・き・の・ど・く・さ・ま!!」
ウェディングゾンビたちを駆逐した後、場面は教会裏の墓地へと切り替わる。
「今度は墓ゾンビが来るわよ!! リオ軍曹、準備はいい?」
「もちろん。充填完了!! 出でよ、生きた屍ども!!」
「もう一度土に返してやるから見てらっしゃい!!」
ジョーダンの予想通り土の中から這い出てきたゾンビに2人で容赦なく銃弾を打ち込む。
「亡者どもめ、観念なさい!! あんたたちには人肉よりもニンニクがお似合いよ!!」
「それは吸血鬼よ、ジョーダンニ等兵!!」
「あら、失敬♡」
私たちはたったのワンコインで、時間が経つのも忘れてゾンビの駆逐作業に没頭した。
次々と上がっていくレベルと難易度、最終ステージをクリアして、画面に浮かぶ"CONPLETE"の文字ーー。
私とジョーダンは歓声を上げて抱き合った。
ふと視線を感じて後ろを振り向くと、夏なのに黒い帽子を被って黒い長袖パーカーを羽織り、黒のカーゴパンツを履いた人物が立っていた。死神のような黒づくめの格好の中で唯一黒くないのは、頭にかぶっているキャップから覗く青い髪。
「君、笑うんだね」
ウミは言った。
綺麗好きの彼の家のダイニングテーブルにはすっかり麺が伸び切った食べかけのヌードルとポテトチップスの袋が置いてあり、床にはビールの缶やワインのボトルが散乱しその他のゴミも散らばって、目も当てられぬほどの荒廃ぶりだった。
ケイシー曰くジョーダンはナッツによるアナフィラキシーショックで病院に運ばれたあと、そこで働いていた看護士の恋人に悲しい失恋をし、精神を病んでしばらく休職することにしたのだという。
「あんまり連絡が来なくなってたの。入院してるときに彼が病室に来たから問いただしたら、やっぱり浮気されてたって分かった」
テーブルの向かいに座ったジョーダンの顔は、悲哀とやるせなさで沈んでいる。いつも明るく輝いていた大きな目は淀んで瞼は赤く腫れ、全身から哀愁とアルコールの匂いが漂ってくる。彼は悲しげに微笑んだまま、俯きがちな視線をゆっくりと泳がせぽつりぽつりと打ち明けた。
その恋人の男性はストレートだった。ケイシーにはストレートの男と付き合ったって傷つくだけだからやめろと猛反対されていた。だが本当に好きだったから付き合った。最初は幸せだった。しかし段々と「お前が女だったら良かったのに」「お前とじゃ子どもが作れない」と相手が発言するようになり、人知れず苦しむようになった。
付き合って1年が過ぎた頃を境に恋人からの連絡が減り、ジョーダンは不安に駆られるようになった。それに比例して食べる量と酒の量も増えた。幼い頃からナッツ類による酷いアレルギー反応に苦しんでいたためいつもは神経質なくらい成分表示を確認してから飲食物を摂取するのに、その日は自棄になっていて何も考えずに、深夜にインスタントのスープにお湯を注いで飲んでしまった。やがて全身の発熱と激しい痒みを伴う蕁麻疹症状が発現し、呼吸困難になって救急車を呼んだ。
幸い医師の的確な処置により一命は取り留めたものの、病院でジョーダンは身も心も引き裂かれるような辛い体験をすることになる。
入院して数日経った頃、ジョーダンの恋人が薬を持って病室にやってきた。彼がここで働いていることは知っていたけれど、この病棟の担当だとは知らなかったので驚いた。なぜ連絡をくれなくなったのか、他に好きな人ができたのかと尋ねると彼はこう言い放った。
「君のことは好きだったよ、本当に。だけど僕たちは一緒にいるべきじゃない。僕たちは男同士だ。君だって分かってるだろう? それに、僕には今新しい彼女がいるんだ。院長の娘で、僕と結婚したがってる。彼女と結婚しようかと思うんだ」
どんな言葉を返せばいいのか分からない私は、ただ相槌を打ちながらジョーダンが涙ながらに打ち明ける失恋話に耳を傾けていた。もしも私が彼と同じ立場だったら、激しい自己否定感と劣等感に苛まれるに違いない。恋人が出世と普通でありたいという欲求のために自分とは違う性別の、しかも権威ある存在の娘の方を選び自分のことを捨てたのだから。失恋の辛さだけでも十分な、自分が自分としてあることを否定されたような気持ちになって人知れず苦しむはずだ。
こんなときルーシーならどんな言葉をかけるだろう。「ジョーダン、私に何かできることがあったら言って」と優しく声をかけて、そっと抱きしめてあげたりするんだろうか。
この間ルーシーと会ったときといい今といい、私はまるで役立たずだ。今の私に思いつくことといったらこう声をかけることくらいだ。
「ジョーダン、ゲーセン行こう」
外に出るのを渋るジョーダンを連れ出して、車で20分ほどのところにあるゲームセンターに向かった。そのゲームセンターは地下のコミックカフェと併設されていて、仕事帰りによく立ち寄るお気に入りの場所だった。
私はジョーダンと一緒に、新しく入った『3Dオブザ・デッド』というゾンビのシューティングゲームで遊んだ。昔からゾンビものには目がない私は、こんなときだけスペインの血が騒ぐ。
最初の画面は教会の前だ。よりにもよってこのタイミングでジョーダンに結婚を想起させるような場所が登場するとは。しかしこれはゲームだ。仮想空間なのだ。そう割り切って楽しむしかない。
「教会の中にゾンビ集団が潜伏していると思われる。警戒せよ!」
私が警告するとジョーダンが、「了解!!」と勢いよく敬礼してみせる。
私たちは教会の入り口の木の扉をぶち破ってわらわらと出てくる無数のゾンビに向かって、マシンガンを撃ちまくりながら口々に叫んだ。
「花嫁ゾンビと神父ゾンビ、その他両家の親族ゾンビたちが襲来中!! ジョーダン二等兵、警戒せよ!!」
「ラジャー!! 式の途中に食べられちゃうなんて、お・き・の・ど・く・さ・ま!!」
ウェディングゾンビたちを駆逐した後、場面は教会裏の墓地へと切り替わる。
「今度は墓ゾンビが来るわよ!! リオ軍曹、準備はいい?」
「もちろん。充填完了!! 出でよ、生きた屍ども!!」
「もう一度土に返してやるから見てらっしゃい!!」
ジョーダンの予想通り土の中から這い出てきたゾンビに2人で容赦なく銃弾を打ち込む。
「亡者どもめ、観念なさい!! あんたたちには人肉よりもニンニクがお似合いよ!!」
「それは吸血鬼よ、ジョーダンニ等兵!!」
「あら、失敬♡」
私たちはたったのワンコインで、時間が経つのも忘れてゾンビの駆逐作業に没頭した。
次々と上がっていくレベルと難易度、最終ステージをクリアして、画面に浮かぶ"CONPLETE"の文字ーー。
私とジョーダンは歓声を上げて抱き合った。
ふと視線を感じて後ろを振り向くと、夏なのに黒い帽子を被って黒い長袖パーカーを羽織り、黒のカーゴパンツを履いた人物が立っていた。死神のような黒づくめの格好の中で唯一黒くないのは、頭にかぶっているキャップから覗く青い髪。
「君、笑うんだね」
ウミは言った。
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