ロマンドール

たらこ飴

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7. 私も同じ

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 ミシェルがモデル仲間と話している間、裏庭のプールサイドに座りカルキ臭のする水に足をつけながらぼんやりとしていた。もし明日世界が終わるとしても、彼らはああやって飲んで騒いでいちゃついているんだろうか。それが彼らの幸せだとしたら私には何も口出しする権利などない。だが時々異常に煩わしくなる。大音量で鳴り続ける電気信号のような音楽も、誰が誰なのか、誰と誰が友達かすらよく分からない参加者たちと交わす、上辺を取り繕っただけのパイシートのように薄っぺらな会話も、酒に酔って発情したカップルを見るのも。 

 そもそも私は人間がそれほど好きではないのかもしれない。子供の頃から誰かに合わせることが苦手だった。協調性がない子どもというのは、他の子どもたちや大人たちにとっても面倒な存在らしい。いつも抱いていたのは、地球人の群れの中に宇宙人の私がポツンとひとりいるような感覚だった。

 高校3年の時に付き合ったマルコは同じスペイン系の男の子だった。彼は2回目のデートで私を夜景の見える展望台の上に連れて行った。普通の女の子なら「素敵」だの「綺麗」だの「ロマンチック!」だのと言って目を輝かせるところを、その景色に全く感動する様子も、情熱的な言動に全く動じる様子もない私に対して彼はこう言った。

ーー『君には心がないの?』

 それは私にとって一番ショッキングな言葉だった。恋愛に対して同年代の子どもたちよりも関心が薄かった私は、自分は他の人に比べて心が未発達なんじゃないかとか、感情が薄いんじゃないかなどと人知れず思い悩んでいた。そんなときに浴びせられたマルコの言葉は、私の心をフローズンヨーグルトのように固く凍らせた。

 今こうして星の輝く夜空を眺めていてもそれほど感動はしない。私にとって夜空を見ることは、ただ暗い宇宙に月があって星があるという事実の確認に過ぎず、それ以上の意味を持たない。何より私にはそれ以上に心に引っかかる事柄があった。
 
 さっきウミと視線が合った時に感じた不思議なシンパシーのようなものーー彼女も私と同類かもしれないという感覚。そして、今にも泣き出しそうな目。あれは一体何だったのか。こんな感覚は生まれて初めてだった。

「1人?」

 おもむろに声をかけられ隣を見ると、さっきまでブースにいたウミが私に向かって微笑みかけていた。モノクロ写真と英語のロゴの入った黒いTシャツにジーンズ姿の彼女は私の隣に腰掛け、ジーンズの裾が濡れるのもかまわずに裸の足を水につけた。

 超有名人のウミがすぐ隣にいて私に話しかけているという現実が信じられなかったけれど、反面すっと受け入れられてもいた。彼女が声をかけてくるという予感めいたものが、心のどこかにあったのかもしれなかった。

「うん……。さっきまで友達といたんだけど」

「ふーん、あんまり楽しくなさそうだね」

 ウミは歌っている時とほとんど同じ、中性的で僅かに機械じみた声で話す。ヘアサロンでかかる音楽に乗った彼女の声を初めて聴いたとき、野生のウサギが初めて聴く川のせせらぎに耳をそば立てるように、ほぼ瞬間的に意識が引き寄せられた。そのくらい未知の響きだったのだ。

「少し1人になりたくなっただけ」

「そう……。同じだね」

 ウミが微笑みながら答えた。大勢が集まるパーティーを開いておきながら1人になりたいというのも不思議な話だ。だがその気持ちは分からなくもない。

「喧騒の中にいると、時々頭がおかしくなりそうになる」

 ウミがつぶやいた台詞は、さっき流れていた"Run away from the hell"の一番最初の歌詞と酷似している。そのことを指摘すると彼女は苦笑いとともに頷いた。

「うん、あの曲は全部私の胸の内だよ。だけど歌詞の『私の首に手をかけて』っていう部分だけは、日本の芥川龍之介の『歯車』って小説に出てくる言葉を参考にした」

「パクッたんかい」    

 鋭いツッコミを入れつつも少しホッとしていた。正直あの曲の歌詞はかなり危うかったから。全てが本心だとしたら、明日にでも目の前の少女は死んでしまうのではないかという気がしてならない。

「パクッたってゆうか、オマージュ的な?」

 ウミはあくまでもパクリというのを否定したいようだ。

「大丈夫、真似したことは秘密にしておく。間違ってもマスコミにパクりだってリークしたりなんかしないから」

「だからパクりじゃねーわ」

 このままでは気まずい押し問答になりそうなので、やむをえず話題を変えることにした。

「あなたは日本のハーフなのよね? 日本に行ったりはしないの?」

「ほんのたまに母親について行くことはあるよ。いいところだよ」
 
 ウミの細められた目が遠くを見つめる。

「日本の桜って、アーモンドの花に似てるって本当?」

「うん。だけど、私はアーモンドよりも桜の方が好きだな。知ってる? 桜って唯一人の方を向いて咲く花だから綺麗に見えるんだって」

 どこか影のあるクールでミステリアスな人。そんなイメージを私に抱かせていたウミは、思っていたよりも優しい笑顔をしていた。

「知らなかった。一度行ってみたいな、日本」

「行ってみるといいよ。人も親切だし、街も清潔で景色も綺麗。凄く素敵な国だよ」

「なんで私に話しかけようと思ったの?」

 私はそれまで疑問に感じていたことを直球で訊いてみた。

「あなたと私は似てる気がしたから」

 その台詞と一緒に、それまで前を向いていたウミの目が真っ直ぐに私に向けられた。深みのある褐色の瞳ーー。

「不思議ね。私もあなたを見た時、私と似てると思った。顔とか見た目は全然似てないけど」

 きっとこれが映画の中で私たちが男と女だったとしたら、このあと熱い眼差しで見つめあってキスしたりするんだろうけれど、私とウミの間にそんな化学反応は起きていない。彼女と私の間にあるのは純粋な同族意識ーー仲間を見つけた者同士が共有する喜びに近いものだった。

「私はさ、本当のところあんまり人に興味がないんだ。他人の世間話やゴシップにも全くと言っていいほど無関心。なのにこんな風に人を集めて賑やかにしてるのは孤独感を紛らすため。矛盾してるよね、人に興味がない奴が孤独を感じるなんて」

 ウミの細い白い手がプールサイドの水を掻く。水の弾ける音がする。

 彼女の台詞はまるで、私の中纏まらずにあった感情や思考の残滓のようなものを掻き集めて言葉にしたかのようだった。

「別におかしくはないと思うけど。私も人と交わるのが嫌いってわけじゃない。ただ時々鬱陶しくなる。踏み込んだことを訊かれたり、どうでもいい他人のことをあれこれ言う周りの人たちに」

「あなたって、特定の恋人が欲しいとかあんまり思ったりしないタイプじゃない?」

「正解。よく分かったね」

「私もそうだから分かる。まるで義務みたいにメールを返したり、忙しい合間を縫ってデートに出かけたり、相手の気持ちを試すために駆け引きをしてみたり、誕生日に年の数だけバラの花束を贈ったり……。恋人からそんな行動を求められること自体が面倒くさい」

「分かる分かる。そんなことにエネルギーを使うんなら、家で猫と遊んでた方がずっと楽しい」

 私の心を代弁したような彼女の台詞に幾度とない相槌を打ちながら、ウミとなら良い友達になれるかもしれないと感じた。彼女と話していると、居場所を見つけたような深い安心感に包まれた。今の今まで誰にも理解してもらえなかった感情をようやく共有できる仲間ができた。そんな感覚だった。

 そのあと私は初対面のウミに中学のときにチェルシーたちに言われたことや、付き合ったボーイフレンドたちとうまく行かなかったこと、そのうちの1人に心がないのかと問われてショックを受けたことを順繰りに打ち明けた。ウミは静かに話を聞いたあとでこう言った。

「あなたは心が無いんじゃない、感じ方や表現の仕方が人と違うだけ。私と一緒だよ」

 ウミの言葉は、卑屈になっていた私の心を少なからずとも救ってくれた気がした。

「あなたと話せて良かった。ありがとう、話しかけてくれて」

 お礼の言葉を送られたウミは笑顔を浮かべ「また話そう」と言い残すと、裸足のまま背後の開け放たれたガラス戸からホールへと戻って行った。
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