ライオンガール

たらこ飴

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第3章〜新たな出発〜

アフリカ⑥

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 タネルは夜寝る前にマイムを1時間教えてくれた。時間がそれ以下になることもそれより長くなることもなかった。

 マイムの動きというのは独特だった。

 タネルの教え方もまた然りで、最初に身体の動かし方を教わったのだが、ビー玉が身体に入っていて、身体の壁にビー玉をぶつけるイメージで肩や胴体や腰などを逸らしたり折り曲げたりしろと言われた。私の中にはビー玉があると思い込みながらグネグネと動いていたら、今度はピンポン玉のイメージで、と指示された。体内のピンポン玉は野球ボールに、次にハンドボール、バレーボール、最後はバスケットボールになり、身体の動きはボールが大きくなるのに比例して大きく鋭く変化していった。

 次に何の練習があるのかと思えば、横になって手足やお尻の先からインクが出るようなイメージでそれぞれの身体の部位を動かして大きな円を描いてみろと言われた。

 今度のレッスンでは自分が水槽の中にいて、ネバネバしたワックスをいっぱいに注がれた設定で身体を動かしてみろだの、それが突然水に変わったら動きはどう変わるかやってみろだのと言われた。ジャンがよく使っていた『ささるんです』というやたら強力なワックスを思い浮かべる。あれを試しに借りて付けたら、2日くらい癖が取れなくて挙句シャワーで洗ってもなかなか落ちなくて、匂いもおかしくて苦労した。

 あのワックスの中にいるのを想像して手をバタバタ動かそうとしても、ゆっくりとしか動けない。粘つく液体を必死に搔こうとする両手と両腕、そしてバタつかせる両脚の動作は恐ろしく緩慢になり、極めて曲線的になるだろう。ネバネバのワックスに圧迫されて顔も歪みそうだ。逆に水の中を泳ぐなら動作はもっと機敏に、手脚の動きもスムーズになるはずだ。パントマイムの練習は黙々と、淡々とやる退屈なイメージだったけれど、やっていたらだんだん楽しくなってきた。

 タネルはやがて身体の使い方に拘って詳細に教えてくれるようになった。

「例えば電車が動き出すとする。電車は前に動くけれど、私たちの身体は反対側に揺れて倒れそうになる。後ろから押されれば前に身体が倒れる。前から押されれば後ろに倒れるな。

 逆に自分がどこかに力を加えようとするとーー例えば両手に力を入れて壁を押してみると、胴が後ろに下がる。ドアノブを捻ってドアを開ければ上体が前に傾く。綱を引っ張るときは腕が前に伸び脚を踏ん張る代わりに腰が後ろに退がる。パントマイムではそういう身体のリアルな動きを細かく再現しないといけない。だから、どこかの部位だけを意識的に動かす練習というのは大切なんだ」
  
 最初は頷く、頭を後ろに反らす、下を見る、上を見る、首を左右に傾げる、首を回すなど簡単な顔の動きから始まった。

 自分の身体がテトリスのようなブロックに囲まれていると想像して、顔の両側や後方、または前方から交互にブロックが飛び出してくる感覚で首だけを左右前後にに動かして避けろと言われた。このゲームについては苦戦した。タネルが「右!」と言えば左に首を動かす。「後ろ!」と言えば前に動かす。

 この左右前後に動かす練習は腰や背中、腹、お尻などの部位にも応用して行われた。

 しかしどうしても一つを動かそうとすると他の部位まで一緒に動いてしまって、何度も注意された。私は向いていないのかもしれないと心が折れそうになった。

 かと思えば今度は2人の男性に取り合いされて両側から手を掴まれて引っ張られているイメージで、肩から上だけを左右に動かす動きというのもやった。タネルが右側から「アヴリルは俺のもんだ!」と言い、今度は左側から「いいや、僕のものさ!」と声を変えて言うものだから吹き出してしまった。

 両腕を広げて伸ばし、手の先から波のように動かす練習もした。

 ある夜彼は前にルーファスがチラッと言っていた身体を板のように硬直させる『ブロック』または『エッフェル塔』のやり方を教えてくれた。全身を動かさずに頭の位置を固定し、腕と脚も背中もピンと伸ばしたまま前後左右に傾いたり、身体を回転させたりする。

 マイムにおいて動きと同じくらい表情を作る練習も不可欠だという。唇を左右に動かす、歯を食いしばる、眉間に皺を寄せる、目玉をぎょろぎょろ動かすなど、顔のパーツを自在に動かして豊かな表情を作る練習も行われた。

 一通りの動きと表情のパターンを覚えたら、タネルが作曲した『マイムーヴ』というクラブミュージック調の音楽に合わせて習った一連のことを復唱する。これが毎日の習慣になった。
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