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第2章〜クラウンへの道〜
第46話 消えた手紙とマフィン
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2月が過ぎ、3月になった。
サーカス団はアラスカ公演を終えて船でハワイやフィジー、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ニュージーランドなどの島々を1ヶ月半かけて巡業し、オーストラリアへと向かった。
故郷であるシドニーに1年ぶりに帰ってきた私は、海に囲まれた街の潮の匂いと人の解放性、フレンドリーで温かい人々の雰囲気に触れて心が生き返ったようだった。
最後のシドニー公演が終わると、私はケニーと一緒に住んでいた家の近くに行ってみることにした。家のあった場所は更地になり、父はもう住んでいないみたいだった。いざ見てみるとショックだった。
オーロラの家は依然としてあった。こぢんまりとした、母娘2人で住むのに丁度いい家だった。ここで子どもの頃によくお菓子作りをしたり、勉強をしたり遊んだりした。子どもの頃の私たちの姿が草の生い茂った庭の中に見える気がした。
途端にオーロラに会いたいという気持ちが大きくなり、抑えきれないほどになった。
近所のフローラお婆さんの家で電話を借り、国際電話の回線からオーロラの家にダイヤルしてみる。3コール目に柔らかい女性の声が応じた。オーロラだとすぐに分かった。
会いたくて話したくて堪らなかった相手がこの電話の向こうにいる。一瞬でいろんな感情が押し寄せ胸が苦しくなり視界がぼやけた。
「……オーロラ? オーロラなの?!」
数秒後、『アヴィー?』と声が返ってきた。およそ1年ぶりに聴くオーロラの声があまりに懐かしくて温かくて、想いと呼応するように涙が溢れ出した。ケニーは気を遣ったのか側から離れた。
『アヴィー、無事なの? 今どこにいるの?』
彼女の声も震えていた。
「今公演でシドニーに来てるの。あなたの家の側にいる。フローラさんの家で電話を借りてかけてるの」
『良かった、誘拐されてなくて。手紙読んだわ。頑張ってるみたいね』
「ふふっ、そうね。色々大変だけど、クラウンを演じるのは楽しいわ」
『元気そうでよかった。実はあなたがいなくなっでたあたりに家の電話が故障したの。だから通じなかったのよ、ごめんなさい。何を思ったか電話を自分で直そうとして、廊下に置いたらちょうどエリーゼがお風呂場から飛び出してきて、電話を踏んでバラバラに……』
コメディドラマでもなかなかない展開に、思わず笑ってしまった。オーロラは昔からよくこんなおかしな出来事に巻き込まれる。彼女は「持ってる」人なのだ。
「絵本のネタになりそうな話ね! そうそう、絵本の調子はどう?」
『今新作に追い込みをかけてるの。早ければ今年の春には店に並ぶはずよ』
「楽しみにしてるわ。絶対買うから!」
『できたら真っ先にあなたに送るわ。あっ、そうそう、お菓子は食べてくれた?』
「……お菓子?」
『ええ、あなたが食べたいって手紙に書いてたから、少し前にオレンジピール入りのマフィンを送ったのよ。腐ったりカビが生えるといけないから、手紙と一緒にクール便で……』
「何も貰ってないけど……」
『おかしいわね、ちゃんと届いてないのかしら。船が沈んだとか……? その前に送った手紙は届いてる?』
「届いてない……」
『変ねぇ……。返事を書いたのに』
友達を疑いたくはないが、まさかジェロニモが鞄に隠しているということはなかろう。彼がそれをする理由はないし、手紙もマフィンも私の元に届かないのはどう考えても不自然だ。
「よかったらまた送って、絶対食べるから!」
『分かったわ』
しばらく他愛のない思い出話で盛り上がったあと、元気で、とオーロラから言った。この電話を切ってしまうことが名残惜しかった。切ってしまえばもう二度と話せないような気がして。そんなことは絶対にないのだけれど、切なさと寂しさで胸が締め付けられて仕方なかった。
「元気で、オーロラ。ロンドンで公演するときは絶対観に来て」
『ええ、もちろん行くわ。じゃあね。よく食べて、怪我をしたり風邪をひかないようにね』
「分かったわ、またね」
電話を切ったあと、幾ばくかの虚しさのあとでまたあの明るく清々しいエネルギーが心に戻ってきたのを感じた。オーロラと話している間、時間を忘れるようだった。できたらずっと一生こうして話していたいと、彼女の声に耳を傾けていたいと思った。でも切らなければいけないのは今の向こう側に彼女の人生が、私の人生があるからだ。だが例え抗いようのない非常な運命が私を飲み込もうとしても、今日彼女の声を聴き話をしたことはこの先ずっと心の糧になり私を奮い立たせ勇気づけてくれるだろう。
しかし、一つ気がかりなのはオーロラから届いているはずの手紙とマフィンのことだ。ケニーに話すと彼も怪訝そうに首を傾げた。
「おかしなことに、僕にも返事が届いてないんだよ。母さんと姉さん宛にも何度も手紙を出したんだけどな……」
「やっぱり変よね」
これは誰かが意図的に隠しているとしか思えない。でも、一体誰が何のために?
とりあえずあとでジェロニモにそれとなく訊いてみよう。オーロラが私のために送ってくれたマフィンと手紙の行方は何としても突き止めなければならない。
家主のお婆さんに礼を言い、断られたのにも関わらず電話代を多めに渡して家を出た。
サーカス団はアラスカ公演を終えて船でハワイやフィジー、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ニュージーランドなどの島々を1ヶ月半かけて巡業し、オーストラリアへと向かった。
故郷であるシドニーに1年ぶりに帰ってきた私は、海に囲まれた街の潮の匂いと人の解放性、フレンドリーで温かい人々の雰囲気に触れて心が生き返ったようだった。
最後のシドニー公演が終わると、私はケニーと一緒に住んでいた家の近くに行ってみることにした。家のあった場所は更地になり、父はもう住んでいないみたいだった。いざ見てみるとショックだった。
オーロラの家は依然としてあった。こぢんまりとした、母娘2人で住むのに丁度いい家だった。ここで子どもの頃によくお菓子作りをしたり、勉強をしたり遊んだりした。子どもの頃の私たちの姿が草の生い茂った庭の中に見える気がした。
途端にオーロラに会いたいという気持ちが大きくなり、抑えきれないほどになった。
近所のフローラお婆さんの家で電話を借り、国際電話の回線からオーロラの家にダイヤルしてみる。3コール目に柔らかい女性の声が応じた。オーロラだとすぐに分かった。
会いたくて話したくて堪らなかった相手がこの電話の向こうにいる。一瞬でいろんな感情が押し寄せ胸が苦しくなり視界がぼやけた。
「……オーロラ? オーロラなの?!」
数秒後、『アヴィー?』と声が返ってきた。およそ1年ぶりに聴くオーロラの声があまりに懐かしくて温かくて、想いと呼応するように涙が溢れ出した。ケニーは気を遣ったのか側から離れた。
『アヴィー、無事なの? 今どこにいるの?』
彼女の声も震えていた。
「今公演でシドニーに来てるの。あなたの家の側にいる。フローラさんの家で電話を借りてかけてるの」
『良かった、誘拐されてなくて。手紙読んだわ。頑張ってるみたいね』
「ふふっ、そうね。色々大変だけど、クラウンを演じるのは楽しいわ」
『元気そうでよかった。実はあなたがいなくなっでたあたりに家の電話が故障したの。だから通じなかったのよ、ごめんなさい。何を思ったか電話を自分で直そうとして、廊下に置いたらちょうどエリーゼがお風呂場から飛び出してきて、電話を踏んでバラバラに……』
コメディドラマでもなかなかない展開に、思わず笑ってしまった。オーロラは昔からよくこんなおかしな出来事に巻き込まれる。彼女は「持ってる」人なのだ。
「絵本のネタになりそうな話ね! そうそう、絵本の調子はどう?」
『今新作に追い込みをかけてるの。早ければ今年の春には店に並ぶはずよ』
「楽しみにしてるわ。絶対買うから!」
『できたら真っ先にあなたに送るわ。あっ、そうそう、お菓子は食べてくれた?』
「……お菓子?」
『ええ、あなたが食べたいって手紙に書いてたから、少し前にオレンジピール入りのマフィンを送ったのよ。腐ったりカビが生えるといけないから、手紙と一緒にクール便で……』
「何も貰ってないけど……」
『おかしいわね、ちゃんと届いてないのかしら。船が沈んだとか……? その前に送った手紙は届いてる?』
「届いてない……」
『変ねぇ……。返事を書いたのに』
友達を疑いたくはないが、まさかジェロニモが鞄に隠しているということはなかろう。彼がそれをする理由はないし、手紙もマフィンも私の元に届かないのはどう考えても不自然だ。
「よかったらまた送って、絶対食べるから!」
『分かったわ』
しばらく他愛のない思い出話で盛り上がったあと、元気で、とオーロラから言った。この電話を切ってしまうことが名残惜しかった。切ってしまえばもう二度と話せないような気がして。そんなことは絶対にないのだけれど、切なさと寂しさで胸が締め付けられて仕方なかった。
「元気で、オーロラ。ロンドンで公演するときは絶対観に来て」
『ええ、もちろん行くわ。じゃあね。よく食べて、怪我をしたり風邪をひかないようにね』
「分かったわ、またね」
電話を切ったあと、幾ばくかの虚しさのあとでまたあの明るく清々しいエネルギーが心に戻ってきたのを感じた。オーロラと話している間、時間を忘れるようだった。できたらずっと一生こうして話していたいと、彼女の声に耳を傾けていたいと思った。でも切らなければいけないのは今の向こう側に彼女の人生が、私の人生があるからだ。だが例え抗いようのない非常な運命が私を飲み込もうとしても、今日彼女の声を聴き話をしたことはこの先ずっと心の糧になり私を奮い立たせ勇気づけてくれるだろう。
しかし、一つ気がかりなのはオーロラから届いているはずの手紙とマフィンのことだ。ケニーに話すと彼も怪訝そうに首を傾げた。
「おかしなことに、僕にも返事が届いてないんだよ。母さんと姉さん宛にも何度も手紙を出したんだけどな……」
「やっぱり変よね」
これは誰かが意図的に隠しているとしか思えない。でも、一体誰が何のために?
とりあえずあとでジェロニモにそれとなく訊いてみよう。オーロラが私のために送ってくれたマフィンと手紙の行方は何としても突き止めなければならない。
家主のお婆さんに礼を言い、断られたのにも関わらず電話代を多めに渡して家を出た。
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