ライオンガール

たらこ飴

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第2章〜クラウンへの道〜

別れ⑤

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 クラウニングの時間の課題は『イマジネーション力をつけよう』だった。クラウンを演じる上で、目に見えないものを本当に存在するみたいにイメージする能力は不可欠らしい。

「お前が好きな場所はどこだ?」

 ルーファスに聞かれ、咄嗟に浮かんだのは故郷であるシドニーの砂場だった。水平線に輝く太陽と、青い海、白い砂浜と人々の歓声ーー。思い出したら急に懐かしくなった。

「海かな」

「じゃあ自分が海の近くのレストランで働くウェイターと仮定して、店の窓から見えるものをイメージしてみろ」

 私は白い砂浜に置かれたカラフルな赤、青、オレンジのビーチパラソルの下でデッキチェアに寝ている白い丈の長いワンピース姿のお金持ちそうな女性、その隣で砂に埋まっている恋人らしき男性の姿をまず思い浮かべた。

 少し離れた場所で4歳くらいの女の子と6歳くらいの男の子が砂でトンネルを作って遊んでいる。その側にいるのは60代くらいの祖母らしき女性だ。

 50メートルほど離れたところでは、2人連れの女の子2人がビーチバレーで遊んでいて、波打ち際ではしゃぐ高校生くらいの男女グループの姿もある。

 海では浮き輪をつけた子どもや若者が楽しそうに泳いでいる。水平線に小舟が浮かび、太陽が青い海を照らしている。

 そこまでイメージしたところで、ルーファスが「じゃあ、そのあと何か驚くようなことが起きるとする。何が起きたと思う?」と尋ねた。

 私は一瞬のうちに映画のように脳内で繰り広げられた光景を言葉にした。

「突然海に黒い背ビレが現れる。それも、遺伝子操作によって生まれ、海底の極秘研究施設から逃げ出した巨大な鮫だ。人々は逃げ惑い、ビーチはたちまち血みどろに……」

「そこまで。とりあえず一度リセットしよう。鮫の襲撃以外にはどんな出来事がイメージできる?」

「中学生の集団がビーチの流木を集めてきてイカダを作り始める。近くで見ていたおばあさんは危険だからやめなさいと注意をする。他の大人たちは笑ってるんだけど、ただ1人砂に埋まっていた男の人が手伝おうとする。実はこの人は、アウトドアのスペシャリストなんだ。そしてできた特製のイカダで少年少女たちは旅立つわけだけど、たどり着いたのは無人島で……」

「……お前、想像力豊かだな」

「でしょ?」

「じゃあ次に、店を出て砂浜を歩いてみよう。何が起こると思う?」

「ヒトデを拾う」

「そのヒトデが突然服の中に入ってきた! どんな感触がする?」

「ヌメヌメ、ザラザラしてて気持ち悪い。身体も服も生臭くなって、シャワーを浴びたくなる」

「どうだ、これだけで随分イメージ力を働かせられただろう?」

「そうだね」

「イメージ力というのは意図的に鍛えなきゃ育たないこともある。じゃあ次に、店内に戻って、店の中の様子を思い浮かべてみよう。テーブルはどのくらいか、他に店員はいるか、どんな客が何人いるかとか、そういうことだ」

 私はしばし目を瞑り、次のイメージを告げた。

 レストランはログハウスみたいになっていて、木のテーブルでカウンターもある。その奥に私の他に店員が3人。テーブル席は15個。客は窓際で読書をしている中年女性が1人、カウンター後ろの席に小学生くらいの子どもを連れた若い夫婦が1組、壁際の席では酔っ払ったおじいさんが寝てる。カウンター席では3人組の男性がビールを飲みながら何か楽しそうに話してる。壁にフェルメールの絵画が架けられてる。窓から差し込む陽の光で店内は明るい。

「よしじゃあ、厨房に下げられたメニューを開いてみろ。どんな料理、もしくは飲み物やドリンクが載ってる?」

「店の看板メニューは手巻き寿司だ。店長が日本人で、他にも1人日本人が働いてる。もう1人はポリネシア人だけど」

「まさかのメニューだな」

「うん。しかもトッピングも自由に決められる。サーモンやアボカド、マグロとレタスとか、マヨネーズにコーンとか、あと納豆とかね」

「なんか楽しそうだ。じゃあ、ここからパントマイムをやるぞ。別に動き方とか深く考えなくてもいいから、自由に情景をイメージしてやってみよう。台詞は無しだ。俺が客の役をやる。そうだな、寝てる爺さんの役をやろう」

 ルーファスはテーブルに突っ伏して鼾をかいて寝ているおじいさんの真似をした。私は店員になり切って、水をお盆に乗せたお盆を持っている仕草をしてテーブルに向かう。

 そこで躓いてグラスの水がおじいさんにかかってしまう。そっと顔を覗き込むがおじいさんは気づかないで眠っているので、私は音を立てないように足早に厨房に戻り、ナプキンを取ってきて濡れたところを拭いてやる動作をする。おじいさんはなおも起きない。丹念に拭いたがまだ乾いていない。

 私はドライヤーを奥から持ってきて、しゃがんでコンセントを壁のプラグに刺す仕草をし、立ち上がりドライヤーをおじいさんに当てる。そのときおじいさんが目を覚ましてしまう。

 私はドライヤーを背中に隠し、バレないようにコンセントを右手で抜いてカニ歩きで厨房に向かう。おじいさんは首を傾げながら髪を触っている。

 これで終わりだ。

「なかなかいいな、お前。センスあるぞ」

「そうかな、えへへ。僕らいいコンビかもね」

 調子に乗って頭をかいていたら、「パントマイムなんてつまらんことをやるなと、あれほど言ったろう!」というピアジェの不機嫌な声が背中を刺して一気に気分が滅入った。いつの間に来ていたんだ。

「これはクラウニングの一環だ。それに、パントマイムはつまらなくないぞ。表現力を磨く上で大切だ」

 ルーファスがいくら説明しても、ピアジェの眉間の皺は消えなかった。彼はかなりのパントマイム否定派らしい。

「とにかく、そんなコントの真似事をやってる暇があったら身体を鍛えるなり、スキルを磨くなりさせろ。コイツは褒めると調子に乗ってどこまでも怠けるタイプだ、厳しくせんと!」

 お前に私の何が分かるんだと言い返したかったが、ろくなことにならないことが見越せたので口をつぐんでおいた。確かに私は賞賛に弱いし舞い上がりやすいけれど、怠けてはいないつもりだ。

「大体にして、お前らは後輩に甘すぎるんだ! 時には力で分からせにゃならんこともある! この頃の若者は特に甘い。ちょっとのことで根を上げる。そんな奴はこのサーカスにいらん!」

「団長、ルーファスの指導はとても的確で分かりやすいです。初心者でも楽しく学べるように工夫してくれてますし……」

「たわけ!! お前は自分の立場を分かってるのか?! 1番の下っ端で何も分からんガキのくせに、生意気に口答えをするな!! 黙ってこの俺に従ってればいいんだ!!」

 ピアジェはまたルーファスに向き直り、「くれぐれもこの小僧を甘やかすな」と釘を刺していなくなった。

「気にするなよ」

 ルーファスは軽い口調で言った。

「高圧的で厳しい指導をする人間というのは、指導力に自信がない。だから力を誇示して駆使して無理やり相手をコントロールしようとする。だがな、俺は思うんだ。指導者に大事なのは知識だけじゃなくて生き方を教えることなんじゃないかと。その背中を見てこんな風になりたいと思えるような人間にこそ人はついていくし、そういう奴が人に物を教えるべきだと」

「すごい、それ僕の心の中の名言集に乗せたい」

 ピアジェのような人間より、教わりたいと、ついて行きたいと感じるのは断然ルーファスだ。ルーファスはピアジェみたいに暴力的でもなければ怒鳴ったりもしない。学ぶべきことを理論立てて教えてくれるし、いつも感情的にならず冷静だ。ピアジェは指導者とはいえない。ただ自己満足で他者をいたぶる暴君でしかない。

 あんな風になりたくはない。将来ものを教える立場になったとしても、ルーファスのように真心を忘れずにいたい。
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