ライオンガール

たらこ飴

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第2章〜クラウンへの道〜

別れ③

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 コリンズの様子がおかしくなったのは、その日の夕方のことだった。

 お腹を抑え「キーキー」と痛そうに鳴くものだから、団員たちが心配してコリンズの檻に集まってきた。ホタルがレントゲンを撮ってみたが異常なし。

「どうしたものかしらね」とホタルは腕組みをした。なおもコリンズはお腹を抱え苦しそうに鳴いている。

「食い過ぎじゃねぇか?」とジャンが言い、「可能性はある」とホタルも頷く。

「とりあえず胃薬を飲ませて様子見てみましょう」

 薬を投与されて1時間後、心配で檻を見に行ったらコリンズはケロっとして鉄柵を登ったり雲梯をしたりして遊んでいた。

 だが私がきたのに気づくと一転、再びお腹を抑えてキーキーいい始めた。

 それを見てピンときた。コリンズは構ってほしくて病気のふりをしているのだと。

 ホタルに伝えると、「やっぱりね」とため息をついた。
 
「無駄に薬飲ませちゃったわ、まぁ整腸剤だから毒にはならないけど……」

「猿芝居ってやつにまんまと引っかかっちゃったね」

「上手い。まさにそうね」

 猿芝居を見破られたコリンズはバツが悪そうにしている。

「仕方ない、少し部屋で遊んでやるわ。最近寂しかったのかもしれないから」

 檻を開けられたコリンズはご機嫌になり、ホタルの肩にしがみついた。

 構ってほしくて、気を引きたくて病気のふりをする。幼い頃、同じことを私もしたことがあった。母は当時仕事が忙しくて、私にゆっくり接する時間があまり取れなかったのだと思う。

 あれは小学3年の頃だったか。その日は日曜日で学校が休みだったが、母は仕事に行く準備に追われていた。シッターさんが来てくれる予定だったが、私は母といたいものだから頭が痛いと嘘をついた。体温は測ってみたけど正常で、母は少し悩んだあと会社を休んで一緒にいると言ってくれた。

 母はその日すごく優しくて、私の好物のミートローフを作ってくれ、本を読んでくれた。最初は母と2人でゆっくり過ごせることが嬉しかったけれど、だんだん嘘をついていることがすごく悪いことな気がしてきた。具合が悪い演技なんて続けられるわけもなく、私は夕方ついに白状した。すると母は言った。

「途中から気づいてたわ。具合が悪いっていう割によく食べるし、喋るし笑うし。寂しかったのね、ごめんね」

 母に抱きしめられ、泣きたい気持ちになった。母が私の嘘も気持ちも見抜いていたのに、何も言わずにいてくれたことに。そのときもう嘘はつかないと決めた。

「これからは寂しいなら寂しいと素直に言いなさい」

 そう母は言ってくれたけれど、どんなに母の仕事が忙しくても、父との諍いで母に私をかえりみる精神的な余裕がなくても、寂しいなんて一度も言えたことがなかった。どうしてだろう? 恥ずかしかったから? それも少しはあったかもしれない。でも一番はきっと、母を困らせたくなかったからだ。困らせるよりは、我儘と感じられかねないことをしない、自分の気持ちを殺す。そのほうが簡単で最善なのだと感じられたから。

 こんな風に会えなくなるなら、もっと母と腹を割って話せたらよかった。母やもしくは父との関係について思っていたこと、不満、もやもやの類を打ち明けられたら、母の気持ちも分かったかもしれないしもっと深く繋がりあえたかもしれない。家族なのに何であんなに母を遠く感じたんだろう。今はただ母に会いたい。同じ家で暮らしていた日々よりもむしろ今の方が母を知りたいと思うし近く感じる。思い出やそれに付随する諸々の感情全てがとても鮮明で、今にも手が届きそうなほどだ。

 きっと素直じゃない私と母は、父と私と同じくらいに似た者同士だったんだ。

「何だどうした、泣いてんのか?!」
 
 空っぽの檻の前で泣いていたら、ジャンが顔を覗き込んできた。

「ちょっと家族のことを思い出してね」

「家族かぁ……」とジャンは遠い目をした。

「俺のお袋は5回再婚して、俺には腹違いの弟妹が13人いる。父親は皆DV野郎とかシャバ漬けとか借金まみれとかろくでもねぇ野郎ばっかでさ、俺は一番上だったもんだから、下の子たちの世話や父親の使いっ走りばっかやってた。お袋は俺のことを可愛がってくれたけど、俺が16の誕生日に死んだ。朝お袋がベッドで冷たくなってた。注射器が枕元にあったから、クスリを打ったのが原因だろうと警察が……」

 またしても私は仲間にかける言葉に迷っている。ジャンの悲しみや罪悪感を少しでも楽にする言葉がない代わりに、戯けるわけにもいかない。ただ話を聞いているということを示すために、頷くしかなかった。

「もちろん悲しかったけど、泣いてばっかいらんねぇし、弟たち食わせにゃなんねぇけど他に頼れる大人もいねぇしってんで、その年にサーカス学校卒業してすぐサーカス団に入った。何で俺だけって思ったこともあった。神様を恨んだりもしたし普通の人間なら腐っちまっただろうけど、今の俺は自分を不幸だと思っちゃいない。俺には仲間がいる。そしてサーカスがある。ここが家みてぇなもんだと思ってる。

 お前もいずれ俺と同じ風に思うだろう。でも、血の繋がった家族がいるならそっちも大切にしろ。会えなくなる前に、お互いに生きてる間に親孝行しとけ。後悔しねぇようにな」

 ジャンがぽんと私の頭に手を置いた。家族の愛情に飢えていた人と思えないほどに、その手は温かかった。大人に不信感を抱くこともあっただろう。守ってくれる存在であるはずの母を早くに亡くした彼のこの温かさは、一体どこからくるのだろう。彼がこれまで出会った人たちから与えられたものなのか、自分で生み出したものなのか。

 果たして私は母に何か親孝行できていたんだろうか? 結局今まで母の期待に沿うような生き方ができなかった。今の私を見て母は誇りに思ってくれるだろうか。

 母を喜ばせたい。義務感じゃない、率直な想いだった。ちょうど月末に給料も入ったし、母に何か贈り物をしようか。母の日や誕生日じゃないけれど、確かな繋がりと想いさえあれば理由なんてなくたっていい。
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