ライオンガール

たらこ飴

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第2章〜クラウンへの道〜

スタート②

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 ルーファスはついてこいと言って私を部屋に連れて行った。

「エンギバロフって誰?」

 通路を歩きながらルーファスに聞いた。

「1960年代に活躍したロシアの天才クラウンだ。抜群の運動神経を持っていて、アクロバットも綱渡りも軽々こなした。だが彼の一番の持ち味はそれじゃない。パントマイムだ。彼のパントマイムは観客が涙するほど素晴らしいものだった。

 圧倒的な才能があったのにも関わらず、エンバギロフは37歳で心臓発作で死んだ。街中で倒れて誰にも助けられないまま死んだんだ。

 俺の中では世界一のクラウンは彼だと思ってる。彼が生きてたらチャップリンに並ぶくらいのすごいクラウンになってただろう」

「そんなすごい人が……」

 チャップリンは大好きで、よくオーロラと一緒にDVDを観て笑い転げたものだった。彼に匹敵するくらいの才能のある人が早逝してしまったのは残念でならない。

 だが世の中というのはそんなふうにできている気がする。マイケル・ジャクソンもマリリン・モンローも、DJのアヴィーチーも……。世界中に名が轟くくらいの才能のある人に限って早死にしてしまう。生き急ぐからか。それとも、運と才能とエネルギーを人の倍早く使い果たすからなのだろうか。

 ルーファスは自分の部屋に私を招き入れ、テレビをつけた。テレビは食堂にしかない。自分のテレビを持っているのが羨ましいと感じた。

「前にここにいたロシアのクラウンがいてな。ピアジェに追い出されたんだが、すごく良い奴だった。そいつがビデオを置いて行ってな」

 ルーファスが今や懐かしいビデオデッキにテープを入れると、白黒の画面でロシアの名だたるクラウンたちの芸を観ることができた。ピアノやアコーディオンなどの楽器を演奏する者もいれば、華麗なアクロバットを披露する者もいる。観たことも聞いたこともない猫を使ったショーをするクラウンもいた。そのビデオは3時間くらいの長さだったが、私の目は画面に釘付けになっていた。壁に掛けられた鳩時計の鳩が鳴き声と共に飛び出してきて初めてお昼になったと気づいたほどだった。

「ああ、面白かった。みんなすごいね、本当に!」

「だろう? 一人として同じクラウンはいない。それぞれにカラーがあるし、オリジナルの芸を持ってる。観客を笑かすだけがクラウンじゃない。観ている者を魅了して、感動させるのがクラウンだ。お前も必死に練習を積めばきっとなれる。観客を沸かすことのできる名クラウンにな」

 ルーファスはいかにも良いことを言ったふうな顔で笑った。

「ありがとう、ルーファス。頑張るよ!」

 ハグをしたらルーファスは「くさっ」と顔を顰めて身体を引いた。

「お前匂うぞ、シャワー浴びてるか?」

「あ……」

 そういえば1週間くらいお風呂に入っていなかった。シャワールームに行ってもいつも満員で、汗を流したい仲間を優先にしようと部屋で空くのを待っているうちに眠ってしまうことの繰り返しだった。前なら考えられない生活だ。集団生活というのは難しい。

 でもよく考えたら夜にシャワーを使うという決まりはない。いっそこっそり昼間に浴びてしまえばいい。

 私は部屋を飛び出して自室に戻りボディソープと着替えとタオルを持ち、シャワールームへ向かった。熱いお湯で身体を洗ったら生き返る気がした。
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