ライオンガール

たらこ飴

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第1章〜サーカス列車の旅〜

一か八か④

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「アヴィー、本気か?」

 サン・ルイスでの最終公演の翌日、観光で向かったセー教会の前でケニーにクラウンの話をしたら予想通りの反応が返ってきた。真っ白なお城のような外観の教会は、午後の陽射しを受けて一際神々しく佇んでいた。

「本気よ、誰がなんと言おうとやるつもり。もし団長ががダメだって言っても直談判しにいく」

「その気概は素晴らしいけど、もし怪我をしたりしたら大変だ。命の危険だってある」

 ケニーからしたら心配の他に保護者的な責任を感じているのだろう。止めるのも頷ける。だが私の気持ちはそう簡単には動かないレベルに固い。何より仲間たちに背中を押されておいて、今更撤回なんかできるはずもない。

「その時はその時よ。私、こんなに本気で何かをやりたいって思ったのは生まれて初めてなの。例え世界中の人に反対されたってやるつもり」

 決意の固さを感じ取ったらしい。伯父は観念したようにため息をついた。

「君がそんなに本気なら、僕はもう何も言わないよ。だけど、これだけは覚えておいてくれ。何か困ったことがあったらいつでも僕を頼れ。頼りにならないかもしれないけど、僕は君の味方だ」

「ありがとう、ケニー!」

 感極まって抱きつくと、「全く君って子は、これだから放って置けない」とケニーは苦笑した。彼が私の伯父で、すぐ近くにいてくれて本当に良かった。

「それとケニー」

 私はずっと胸の内にあったことを訊いてみることにした。

「シンディとご飯にでも行ってきたら?」

 途端にケニーは真っ赤になった。

「むっ、無理だ! 彼女を誘うなんて……。それに、僕のような奴に彼女が振り向くはずがない」

「そんなの分からないじゃない」

「僕はこの通りカッコよくもないし、頭も禿げてる。何だか前より腹も出てきた気がする。彼女はすごくキラキラしてて、明るくて楽しくて才能だってある。所詮僕には手が届かない相手さ」

 ケニーはため息をつき項垂れた。

「僕はずっと君たちのようなキラキラした人たちが羨ましかったんだ。どんなに努力したって、僕はそうなれない。一生日陰で生きていくんだ」

「卑屈になっちゃダメよ」

 ケニーの背中を叩く。いてっ、と短い声が漏れる。

「誰もが本の表紙だけを見て判断するわけじゃないわ。それにシンディだって、キラキラして見えるのは表面だけで、実は見えない悩みがあるかも。ケニーならそれをうまく受け止めて共有してあげられると思うの」

 私だってそうだ。常に恋人がいて、周りからは楽しくて充実した人生を送っているように見えるかもしれないけれど、言わないだけで実際には沢山葛藤を抱えていた。皆が皆、イメージと同じではない。イメージと現実というのは多くの場合隔絶している。

「私なんてパパが色々やらかして両親は離婚してるし、一番仲良い友達はイギリスに行っちゃった。告ってくる人は私の外見しか見てない。大切にするとかいいながら、自分が得意になりたいだけなの。好きじゃないのに付き合う私も私だけど」

 話しているうちに私まで卑屈な気持ちになってきた。まるで、これまでの人生が全て失敗で、悪いことばかりだったみたいに。

「じゃあどうして付き合うんだい? 好きじゃないのに」

「それは……断るのが申し訳ないから。あと、付き合ったら好きになれるんじゃないかって」

「それは、相手に対しても失礼なことだと思うがな」

 いつの間にか私の横に来ていたルーファスが言った。彼は「あまり深刻にならないで聞いて欲しいんだが」と前置きをして語り始めた。

「俺はこの通りの小人だ。これは俺の意地悪な兄貴から聞かされた話だが、生まれたばかりの俺を見た父親は悲鳴をあげたらしい。『こんな化け物を育てるつもりか、ドブ川にでも捨てちまえ!』と怒鳴り散らした。オカルトに傾倒していた祖母は『神の罰だ』とかなんとか言って泣き叫んだらしい。

 父親の家は弁護士一家で、地元でも有名な名士の家系だった。時代も時代だ、俺は面汚しと思ったんだな。だが母親だけは俺を可愛いと言ってくれた。暴力を振るい、俺の姿を見ては聞くに耐えない言葉で罵る父親から逃れて、友達の誘いでサーカスで働き始めた。それから女手一つで俺を育ててくれた。世の中の目というのは冷たいもんで、父親や兄貴と同じように俺を化け物扱いする奴もいた。だけど母親だけは俺を認めてくれた。

 俺が14歳のとき流行病で母親が死んだ。死ぬ前に彼女は俺にこう言った。『お前は特別な子だよ、その小さな身体と賢い頭は神様がお前に与えた贈り物だ。いつか絶対役に立つことがある』ってな」

 ケニーも私も泣いていたけれど、ルーファスはさして深刻なことでもないというように、まるで懐かしい思い出を辿るみたいに微笑みながら言葉を紡いだ。

「俺がいたサーカスには両脚がない若者もいたし、知的障害を持つ曲芸師もいた。シャバでは爪弾きにされるような連中が、リングの上では驚くほど輝いていた。彼らの姿を見るうちに、俺はこの姿を人前に晒してお金を稼ぎたいと思うようになった。それが俺の生きる唯一の道だと思ったんだ。母親が言ったように、この身体を役に立たせる方法だって。

 それで俺はクラウンをやることにした。運動神経は皆無だしジャグリングも苦手だったから、代わりにパントマイムを披露した。あんまりウケなかったけどな」

 ルーファスは苦笑した。

「結局そのサーカスは団員が病気や演技中の事故で死んだりで相次いでいなくなって、廃業してな。その時の団長が罪滅ぼしにとなけなしの金を俺にくれた。俺はしばらくそれで食い繋いで生きてたが、しまいに金も底をつき、野垂れ死にしそうになった。でもこんな俺を助ける人間なんていない。

 道端で倒れていた時に、このまま死ぬんだと思った。身体も冷え、意識も失いかけていた時に女が俺を拾ってくれた。自分のサーカス団のねぐらのテントに連れて行き、回復するまで甲斐甲斐しく世話をやいてくれた。ピアジェの父親の代に、このサーカス団で曲芸師をしてた女だった。それはそれは綺麗な女性でな。彼女と恋人になれた時はすごく幸せだったよ。でも、何で俺なんかと付き合うんだろうとずっと不思議に思ってた。ある日彼女に理由を聞いたんだ、そしたらこう言われた」

ーー『あなたがあんまり可哀想だから』

 言葉を探しても見つからなかった。状況は少し違うけれど、私は今まで付き合った人たちに凄く酷いことをしていた。胸が痛かった。嫌われたくないからという自己防衛から告白を受けては、本当に愛せずに別れてしまう。不誠実で自分本位な行動を積み重ねてきた自分があまりに情けなくて恥ずかしかった。

 普通とは違う姿で生まれたルーファスは、肉親や他人からの傷を抉られるような酷い差別と波乱の中、何度も苦しみ深く傷つきながら生きてきたのだ。到底私では乗り越えられないような苦難や葛藤を乗り越えて今があるのだ。

「酷い話だな。それで、彼女とは別れたのかい?」

 ケニーが尋ねた。

「同情で付き合ってもらうなんてごめんだからな。だが驚いたことに、別れると言ったら彼女は泣いたんだ。なんで泣いてるのかと聞いたら、『最初は同情で付き合ったけど、一緒に過ごすうちにあなたを本当に愛してしまった。あなたはとても紳士で賢くて素敵な人。小さくて凄く可愛いわ。お願いだから私を捨てないで』なんて言うもんだから、参っちまったよ」

「それで、君はどうした?」

「結局やり直すことにした」

「その彼女は今どこに?」

 ルーファスは低い声でつぶやいた。

「死んだよ」

「どうして……」

 ショックで次の言葉を継ぐことができず立ち尽くした。

「ピアジェに無茶な技をやれと持ちかけられて、断れずに挑戦した彼女は高いところから落下して、頭を打って死んだ。彼女は頑なに落下用ネットを使わなかったんだ」

「それはどうして?」

「あとから別の仲間に聞いた。ネットなしで技に成功したら俺にプロポーズしようと考えてたらしい。そういう突拍子もないことを考える女だった、そしてそんなところが俺たちはよく似ていた」

 ルーファスが鼻を啜った。

「なんてこった」

 ケニーは悲しげに右手でこめかみを押さえた。

「そんな無茶な賭けをしなくたって、彼女とは結婚をするつもりだった。もっと早く言っておけばと悔やんだし自分を責めたよ。何度も絶望して死のうと思った。もうこんな俺を愛してくれる人は現れないと……。しばらくはやけになり酒を飲みまくった。パントマイムもやりたくなくなった。こんな仕事辞めてやると思ったが、仲間たちに止められて踏みとどまった。結局頭を使う仕事が楽しくなって、そっちに転向したわけだ」

 教会の前ではシンディがスマートフォンを掲げて建造物の写真を撮っている。サーカスをする利点の一つはこうして色んな国の景色を目に焼き付けられることだ。

「3年くらい前にシンディがここに入ってきてな。色々と世話を焼いてやっているうちに、妹のような存在になった。俺の使命は彼女を見守ること、そしてーー」

 ルーファスは小さな手を握りしめた。

「あいつにーー彼女を殺したピアジェに復讐をすることだ」

 私たちの言葉を待たず、ルーファスは踵を返して教会へと歩いて行った。彼の言葉に背筋が冷たくなるのと一緒に、彼の背中がいつもよりも大きく見えた。

 私は勇気を出さなければいけない。これ以上長引かせてはいけない。ルーファスだってまだ子どもの時に人前に出る覚悟を決めた。自らの身体的特徴を敢えて生かして笑い者になることに、怖さや不安がなかったはずはない。逃げ出したくもなったはずだ。言い出せなかったのは、ピアジェに批判されることへの恐怖心が少なからずあったからだ。私も覚悟を決めるのだ。明日の朝ピアジェにクラウンをやらせてくれと頼もう。心で燃えていた火はついさっきよりも一回り大きくなって、どんな懸念も恐れも全て溶かし尽くしてしまうような熱だけがあった。
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