60 / 193
第1章〜サーカス列車の旅〜
小さな泥棒②
しおりを挟む
着いた時にはルチアがすでに象のトリュフの身体を洗い、餌と水やりを終えたところだった。トリュフは長い鼻で真っ赤なリンゴを口に運び、しゃりしゃりと噛み砕いた。
そこにトムがやってきて、「寝坊か、若いの」と揶揄ってきた。両手にバケツが提げられている。
「ごめんなさい……」
申し訳なくてやるせなくて頭をかくしかなかった。
「おはよう、ネロ。みんなのお世話は今終わったところよ」
怒る様子もないルチアの様子が、かえって罪悪感を強くする。
「ごめん、ルチア、トム。僕の分までやらせてしまって……」
「いいのよ、事情が事情だからね」
ルチアは優しく微笑み、「その代わり、明日はあなたに全部のお世話をお願いするわ」と悪戯っぽく言った。
「任せておいて」
「ふふ、冗談よ」
往診を終えたホタルがやってきて、険しい目を私に向けた。
「遅刻した人は罰金よ」
「ごめんなさい」
「嘘だけど。ちゃんと目覚ましかけときなさい」
「寝坊してしまって……。あと、コリンズに帽子を取られて、それを取り返そうとしていたらこんな時間に……」
ホタルはふぅとため息をつく。
「朝早く水を取り替えてあげようとしたら逃げ出したのよ、それでアルフレッドが代わりに探してくれてたの。あなたの部屋に行ってたのね。本当に困った子ね」と苦笑いするルチア。
「最初だから許すけど……。また遅刻したら、本当に罰金取るからね」
ホタルの鋭い視線に胸が痛い。
「はい、気をつけます」
「私も時間ごとに見廻りしているけど、動物の体調ってのは変わりやすいわ。人と同じでストレスに弱い子もいるし、それぞれの体質もある。気候や環境によっても調子が変わることがある。ちゃんと観察して、様子の変化に気づいてあげなければいけない。あなたの代わりはいないと思いなさい」
ホタルがいなくなったあと、私は項垂れた。
「情けないな」
「誰にだって失敗はあるわ」
ルチアが励ましてくれたが、気持ちは沈んだままだ。
自分の仕事の責任の大きさを改めて思い知り、動物の命を扱う仕事にも関わらず遅刻してしまったことを深く後悔して恥じた。
「あなたがいない時は私が代わりに面倒を見ればいい。トムだって他のスタッフだっているしね」
「ありがとう。だけど、君の優しさに甘え続けるわけにはいかないよ。これは僕の仕事でもあるんだから」
「まあまあ、やっちまったもんは仕方ない」
ぽんぽんとトムが私の肩を叩き、「少し話はズレるが……」と話しだした。
「若い頃アメリカのサーカス団で調教師をしてたとき、ジェレミーという曲芸師がいてな。奴とワシは親友で、いつもつるんで馬鹿をやってた。才能に溢れた面白い奴だったが、酒癖が悪くてな。サーカスの最終公演がロサンゼルスであったんだが、公演が終わった解放感から酒を飲んで自転車で道を暴走し、大型トラックに突っ込んだ。即死じゃったよ」
言葉を失う私たちに、トムは悲しげに微笑んだ。
「君の失敗なんて可愛いもんじゃ。公演が終わるとついつい解放感で馬鹿をやらかしそうになるけれど、何事にも自制というのは大事じゃ。さもなくばアーティスト生命だけでなく、命そのものを失うことになるからな」
羽目を外してしまったために亡くなった、将来有望な若者に思いを馳せた。彼はあのサーカスの高揚感と興奮を味わうことは二度となかったのだ。サーカスアーティストにとって、自己管理というのはかなり重要なことなのだ。
そこにトムがやってきて、「寝坊か、若いの」と揶揄ってきた。両手にバケツが提げられている。
「ごめんなさい……」
申し訳なくてやるせなくて頭をかくしかなかった。
「おはよう、ネロ。みんなのお世話は今終わったところよ」
怒る様子もないルチアの様子が、かえって罪悪感を強くする。
「ごめん、ルチア、トム。僕の分までやらせてしまって……」
「いいのよ、事情が事情だからね」
ルチアは優しく微笑み、「その代わり、明日はあなたに全部のお世話をお願いするわ」と悪戯っぽく言った。
「任せておいて」
「ふふ、冗談よ」
往診を終えたホタルがやってきて、険しい目を私に向けた。
「遅刻した人は罰金よ」
「ごめんなさい」
「嘘だけど。ちゃんと目覚ましかけときなさい」
「寝坊してしまって……。あと、コリンズに帽子を取られて、それを取り返そうとしていたらこんな時間に……」
ホタルはふぅとため息をつく。
「朝早く水を取り替えてあげようとしたら逃げ出したのよ、それでアルフレッドが代わりに探してくれてたの。あなたの部屋に行ってたのね。本当に困った子ね」と苦笑いするルチア。
「最初だから許すけど……。また遅刻したら、本当に罰金取るからね」
ホタルの鋭い視線に胸が痛い。
「はい、気をつけます」
「私も時間ごとに見廻りしているけど、動物の体調ってのは変わりやすいわ。人と同じでストレスに弱い子もいるし、それぞれの体質もある。気候や環境によっても調子が変わることがある。ちゃんと観察して、様子の変化に気づいてあげなければいけない。あなたの代わりはいないと思いなさい」
ホタルがいなくなったあと、私は項垂れた。
「情けないな」
「誰にだって失敗はあるわ」
ルチアが励ましてくれたが、気持ちは沈んだままだ。
自分の仕事の責任の大きさを改めて思い知り、動物の命を扱う仕事にも関わらず遅刻してしまったことを深く後悔して恥じた。
「あなたがいない時は私が代わりに面倒を見ればいい。トムだって他のスタッフだっているしね」
「ありがとう。だけど、君の優しさに甘え続けるわけにはいかないよ。これは僕の仕事でもあるんだから」
「まあまあ、やっちまったもんは仕方ない」
ぽんぽんとトムが私の肩を叩き、「少し話はズレるが……」と話しだした。
「若い頃アメリカのサーカス団で調教師をしてたとき、ジェレミーという曲芸師がいてな。奴とワシは親友で、いつもつるんで馬鹿をやってた。才能に溢れた面白い奴だったが、酒癖が悪くてな。サーカスの最終公演がロサンゼルスであったんだが、公演が終わった解放感から酒を飲んで自転車で道を暴走し、大型トラックに突っ込んだ。即死じゃったよ」
言葉を失う私たちに、トムは悲しげに微笑んだ。
「君の失敗なんて可愛いもんじゃ。公演が終わるとついつい解放感で馬鹿をやらかしそうになるけれど、何事にも自制というのは大事じゃ。さもなくばアーティスト生命だけでなく、命そのものを失うことになるからな」
羽目を外してしまったために亡くなった、将来有望な若者に思いを馳せた。彼はあのサーカスの高揚感と興奮を味わうことは二度となかったのだ。サーカスアーティストにとって、自己管理というのはかなり重要なことなのだ。
10
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
やり直し少女は幸せを目指す
香山
恋愛
散々な人生だった。両親の離婚、ネグレクト、虐め、ストーカー。そして最後は、背後から刺されて十九才という若さで死んだ……はずだった。
気がつけば三才児に戻っていた詩織。なぜかはわからないが、時間が巻き戻っている。それならばと、今度は幸せな人生を歩むために奮闘する。
前の人生とは少し違っていたり、前の人生では知らなかったことを知ってしまったり……。詩織は幸せを掴むことができるのか……?!
LOSTTIME~妖眼を持つ少年
夏目碧央
現代文学
高校生の潤也は、いつも前髪で目を隠していた。けれど、ある日前髪をバッサリ切り、目を出した。彼の目は大きくて鋭くて美しい。スクールカーストがひっくり返り、学校の人気者と仲良しになる。しかし、彼の目は呪われているのか、3年前と同じ悲劇が起こる・・・。
真実の愛に目覚めたら男になりました!
かじはら くまこ
ライト文芸
結婚式の日に美月は新郎に男と逃げられた。
飲まなきゃやってらんないわ!
と行きつけの店で飲むところに声をかけてきたのはオカマの男だったが、、
最後はもちろんハッピーエンドです!
時々、中学生以下(含む)は読ませたくない内容ありです。
チート狩り
京谷 榊
ファンタジー
世界、宇宙そのほとんどが解明されていないこの世の中で。魔術、魔法、特殊能力、人外種族、異世界その全てが詰まった広大な宇宙に、ある信念を持った謎だらけの主人公が仲間を連れて行き着く先とは…。
それは、この宇宙にある全ての謎が解き明かされるアドベンチャー物語。
倒したモンスターをカード化!~二重取りスキルで報酬倍増! デミゴッドが行く異世界旅~
乃神レンガ
ファンタジー
謎の白い空間で、神から異世界に送られることになった主人公。
二重取りの神授スキルを与えられ、その効果により追加でカード召喚術の神授スキルを手に入れる。
更にキャラクターメイキングのポイントも、二重取りによって他の人よりも倍手に入れることができた。
それにより主人公は、本来ポイント不足で選択できないデミゴッドの種族を選び、ジンという名前で異世界へと降り立つ。
異世界でジンは倒したモンスターをカード化して、最強の軍団を作ることを目標に、世界を放浪し始めた。
しかし次第に世界のルールを知り、争いへと巻き込まれていく。
国境門が数カ月に一度ランダムに他国と繋がる世界で、ジンは様々な選択を迫られるのであった。
果たしてジンの行きつく先は魔王か神か、それとも別の何かであろうか。
現在毎日更新中。
※この作品は『カクヨム』『ノベルアップ+』にも投稿されています。
ノスタルジック・エゴイスト
二色燕𠀋
現代文学
生きることは辛くはない
世界はただ、丸く回転している
生ゴミみたいなノスタルジック
「メクる」「小説家になろう」掲載。
イラスト:Odd tail 様
※ごく一部レーティングページ、※←あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる