ライオンガール

たらこ飴

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第1章〜サーカス列車の旅〜

パイプレットとジャグリング②

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 照明が落とされた後、再びテント全体が紺色に覆われる。
 
 スポットライトの下に現れたのは、煌びやかな膝上の白いドレスを着たシンディだ。

 リング中央には1メートルほどの高さの鉄の棒が2本、人一人分の間隔を開けて立っている。2本の棒の先には黒板消しくらいの形と大きさの長方形の木のグリップが付いている。

 3メートルほど離れた場所に丸い弓矢の的がある。これは世界で数名しかできない技なのだと、前にルーファスが言っていたのを思い出した。隣のケニーはいつになく真剣な眼差しで、シンディの様子を見守っている。

 シンディは笑顔で客席に手を振ると、グリップを両手で握り左膝を後ろ向きに曲げて左の指で持っていた弓矢を挟んだあと、両腕に力を込めて身体を持ち上げ、両腕をピンと張って身体を浮かび上がらせ背筋を伸ばし綺麗な逆立ちの姿勢になった。次に首を持ち上げ的を見据え、胸から下半身までを大きく反らせた姿勢で、脚を的に向けてまっすぐに伸ばすと、左足の指で挟んで真っ直ぐに立てた弓矢の弦を右足の指で挟んで引いた。弦のしなる音が聞こえてくるほど、そこにいる全員がシンディの技に集中していた。

 それは瞬きよりも速かった。

 放たれた矢は空気を切り裂くようなびゅっという音とともに的の真ん中に命中し、観客席から拍手が轟いた。

 難易度の高い技を成功させたシンディは観客に煌びやかな笑顔で手を振った。

 ジュリエッタの歌が再開する。ピアジェの奥さんが作詞・作曲した『銀河の塵』という曲だ。




 涙が空から一粒落ちた
 星のような涙が
 いっそ消えてしまえたらいい
 ちょうど銀河に浮かぶ塵みたく
 誰にも見向きもされない
 実在してもしなくても
 構わないような物質になれたら


 あなたは前に言った
 起こること全てに
 見えない意味があるのだと
 痛みや悲しみという感情の波も
 雨が降っては上がるように
 ただ流れに任せていればいいと

 
 あなたは夜空に光る月
 命を燃やす全ての星々を
 力強い輝きと熱で
 照らし続けている
 

 私は銀河の塵
 あなたに手を伸ばす
 それすらできずに
 ただ一人泣いている


 大それたものでなくていい
 あなたにとって大切なものほど
 失ったときに激しい痛みを伴うから
 だから私は宇宙に浮かぶ
 数えきれない粒子とともに
 星の人生が始まって終わるのを
 何億光年もかけて見つめている


 この身が朽ちたら私は
 美しい白鳥になろう
 色鮮やかな花となり蝶となり
 稲穂にかかる雨や虹となり
 あなたを守ろう
 

 あなたは明るい月
 私のような塵も等しく
 他の惑星と同じように
 包み込んでいる


 私はただの塵
 暗闇の中
 息を潜めながら
 生きている
 
 


 オーケストラの奏でるスローテンポで神秘的な切ないバラードに乗って、ジュリエッタの伸びのある透き通った高音が響き渡る。

 歌の途中、天井に大きな金色の月を模したバルーンが現れる。

 シンディは上空からゆっくりと降りてきた長い赤い2本のリボンを素早く両手首に巻きつけて掴むと、右脚を背中に向けて曲げ、くるくると回転しながらふわりと空に飛び立った。エアリアル・リボンというパフォーマンスだ。

 命綱なし、リボンだけで地上15メートルに浮かんだシンディの身体は、まるでリボンと一体になっているかのような滑らかな動きで、音楽に合わせて月の周りをゆっくりと回る。

 シンディは上空をゆっくり滑るように動く2本のリボンの間で鉄棒を回るように前向きに3回ほど回ったり、両手で押さえた両脚を前後に広げてみせたり、胸を逸らし右足を頭につくほど上げてみせたりした。

 シンディは一度リングに降りてくると、今度は両足首にリボンを巻きつけ逆さ吊りの姿勢で空に飛び立った。音楽に合わせ、しなやかな動作で開脚や身体を逸らす技をした後、頭が地面を向いている状態で身体をまっすぐ伸ばし、くるくるくるくるとコマのように高速で回った。客席から「おお~」という感嘆の声と拍手が響く。

 もう一度リングに降りてきたシンディはその身体の柔らかさを生かして前転をしてみせたり、音楽に合わせて身体を翻して舞ってみせたりした。

 やがて先端にグリップのついたロープがシンディの前に降りてくる。彼女はそれを上下の歯だけで噛むと、飛行機が離陸する時のようにゆっくり高度を上げて滑空する。

 曲がサビに入るとシンディの滑空スピードも上がる。彼女は胸を大きく外側に逸らし、全身で円を描くみたいにそのまま左足を頭のてっぺんまで持ってきて両手で掴んで見せた。緩やかで流れるようなような曲線的な一連の動きのあと、一番高い場所までくると彼女は胸を下にして地面に水平にし、背中を伸ばして羽ばたくように両手を広げた。銀河を舞う白鳥のように宙空を舞う彼女を、観客は息を呑み、恍惚とした表情で見つめている。

 シンディの身体が空中を滑りながら速い速度で降下してくる。腹部がアリーナと触れ合うすれすれの位置まで降下してきたシンディの身体は、そのままの姿勢で速度を失わずに再び高い位置まで舞い上がった。本当に翼があるのだと錯覚しそうになるような演技に言葉は出なかった。サーカスに言葉などいらない。その思いを共有するかのように、テントにいる全ての観客が彼女の渾身のパフォーマンスを見つめていた。

 終わってほしくない。まだこの場所で、このエネルギーと創造性に溢れたショーを観続けていたかった。魔法をかけられた天幕の中、万華鏡のように目に映る世界に私はすっかり虜になっていた。

 最後地に降り立ったシンディは、右手を高く上げた後大きく礼をしてリングを後にした。

「すごいパフォーマンスだったよ、シンディ」

 通路で声をかけられたシンディは、完璧に演じ終えた安堵感と達成感に満ちた笑顔を浮かべた。

「ありがとう! 成功してよかったわ」

 エンディングを飾るに相応しい彼女の演技で、人間の団員たちのパフォーマンスは終わった。

 20分の休憩のアナウンスのあと、控え室に戻る途中も興奮が冷めやらなかった。

「いいなあ、私も出たい!」

 私はすでに、このショーの虜になっていた。特別目立ちたがり屋というほどではないけれど、サーカスは別だ。感動と興奮で今にも胸が張り裂けそうだ。このショーの一員になりたい。その気持ちは瞬く間に大きくなっていた。

「僕は人前に出るなんてごめんだ」

 案の定、伯父は顔を顰めて首を振った。

「案外やってみれば楽しかったりして」

「最初の挨拶ですらあんなガチガチになったんだ。大勢の客の前で演技するなんて、恥ずかしすぎて死んでしまうよ。僕は裏で皆を支えるのが合っているんだ」

 そこにジュリエッタがやってきた。今日の彼女はいつも以上にエネルギーに満ち溢れて魅力が増して見えた。笑顔も弾けんばかりに輝いている。

「ジュリエッタ、今日の歌すごく良かったよ! 感動して泣きそうだった」

「ありがと」とジュリエッタは微笑んだ。

「ここでは皆が助け合いながら、一丸となってショーを作り上げるの。それぞれの得意なことを武器にして、笑顔の裏で血の滲むような努力をして技を極めてる。一人一人が大切な役割を担ってる。誰一人として欠けられないの」

 彼女の言葉は胸の深いところを打った。皆協力しあい切磋琢磨しながら、観客に感動を運ぶためにそれぞれの役割を全力で果たしている。この環境にいなかったら、こんな風に沢山の人を喜ばせるために必死に生きている人たちがいることなんて考えもしなかっただろう。私がここにいるのは、何か意味がある気がした。

 私もいつかクラウンとしてリングに立てたらーー。

 大量の宝石や金貨なんかとは比べものにならないような煌びやかでワクワクするようなショーの一員として、皆の渾身の演技を際立たせるために笑いを添えられたらいい。

 20分の休憩のアナウンスが流れ、私はケニーと一瞬に控え室で団員たちを激励したあと、テントの裏の檻に向かいルチアやホタル、トムと一緒に動物のショーの準備を手伝った。
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