ライオンガール

たらこ飴

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第1章〜サーカス列車の旅〜

場越しとパレード②

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 8時間かけてテント設営が終わると、空中芸をするパフォーマーが参加してブランコやリボンなど空中に設置された機材の動作チェックが行われる。少しの綻びが命に関わるからである。

 テントの中、直径14. 5Mの円形のサーカスリングの中央からは、360° 10段目の席まで階段のように連なる客席を見渡すことができる。暖房設備もついているこのテントには2000人の観客を収容することができる。こんな場所で演技したらどれほどエキサイティングだろう。考えるだけで胸が躍った。

 これから3日間、この地で昼と夜の2回公演が行われる。終わればまた別の街に移動する。

 開演が待ち遠しい。わくわくしている私の側に、役目を終えたシンディとアルフレッド、ジャンがやってきた。

「去年のテーマは『ホラー』だったのよ」とシンディが言った。

「そうそう。去年はオープニングに、みんなで仮装してマイケル・ジャクソンの『スリラー』を踊ったんだ」とアルフレッド。

「シンディはセイレーンだ。アルフはフランケン・シュタイン、ミラーはミイラ男だった」ジャンも続く。

「あれは傑作だったな」とアルフレッドが笑う。ホラー映画好きな私からしたら、去年の公演の話を聞いているだけで気持ちが浮き立つ。

「僕も一緒に踊りたかったよ」

「今年は創立100年を記念して、『銀河鉄道の夜』をイメージした『星まつり』っていう公演をやるの」とシンディが言う。

「絵本で読んだことがあるよ、すごく綺麗な物語だよね」

 どうやらその作品は、日本の宮沢賢治という作家の『銀河鉄道の夜』の大ファンであるピアジェの元奥さんが在籍していた時に演出を考えたものらしく、節目節目に演じられているという。私もその作品は絵本で読んだことがあって好きだった。

「楽しみにしてて。きっと感動すると思うわ」

 シンディは明るい笑顔を見せた。

 深夜にサーカステントの周りに張り巡らされた宿泊用テントで短い休息を終えたメンバーは、早朝に動物たちも合流し、楽団も加わってのリハーサルに参加する。楽団の都合がつかない時は音源を使うが、地域によってはオーケストラと共演することもある。今回はそのパターンだった。

 音楽と共に繰り広げられる仲間たちの全力のパフォーマンスに早くも目が釘付けになった。

 ショーの合間の機材の撤去なども全て団員たちの手で行われる。余りに重い機材の運搬はボランティアが手伝うこともあるが、このサーカス団では撤去作業だけでなく観客の誘導や売店の売り子などほとんどの作業をメンバー間で交代して行うらしい。

 私はケニーと一緒に無人の観客席から緊張感とエネルギーにあふれる仲間たちの演技の様子を見守った。とりわけケニーはシンディに目が釘付けだ。

「シンディのことが好きなの?」

 ケニーは顔を真っ赤にしながら「馬鹿っ、そんなことあるか!」と否定した。

「やっぱり、赤くなってるよ」

 ケニーは俯いた。

「どうせ叶わぬ恋さ、彼女みたいなキラキラした人が僕に振り向くはずはない」

「そんなの、やってみなきゃわからないわ」

「いいんだよ、見ているだけで」とケニーは微笑んだ。伯父の恋を応援したかったが、今は本当に見ているだけで満足しているようなので手を出さないでおこうと思った。私が下手に動くことでおかしなことになってもよくないし。

「気づいたんだけど」

 曲芸の練習をするゾウのトリュフが丸い台に両脚を乗せるのを見つめながら、私はあることが気になっていた。

「このサーカスにクラウンはいないのかな?」

「そういえば、いないな」
 
 どのサーカスにもクラウンはいるものだけれど、このサーカス団でそれらしき存在に出会ったことはない。

 ちょうど歌の音響調整と練習を終えてやってきたジュリエッタに尋ねるとこう言った。

「1ヶ月前まではいたのよ。詳しくは教えられないんだけど、事情があって辞めたの」

「補充はしなかったの?」

「オーディションは何回もしたわ。たけど、ここは給料も安いし団長もあんなだから、面接のあとでみんな断るのよ」

「そうなんだ……。好きなのに、クラウン」

「クラウンがいないサーカス団なんて、玉ねぎの入ってないカレーのようなものだわ」

 ジュリエッタはため息をついて、トリュフを台から下ろし観客に礼をしてアリーナを去るトムを拍手で見送った。

「そうだ」といつの間にか私の横に来ていたルーファスが言った。思わず「わっ、いたんだ!」と声が出る。「悪かったな、チビで」とルーファスは肩を竦めてみせた。

「クラウンはただ観客を楽しませるだけじゃなくて、ショーの合間の繋ぎの役割をする。演劇なんかだと舞台に幕があるけれど、サーカスにはない。幕の役割を担うのがクラウンなんだ。サーカスの中心ーーいわば太陽みたいなものだ。空中ブランコや綱渡りなんかの芸は観ていてハラハラするもんだが、クラウンはそんな緊張した空気を和らげる役割もある。いないと全てが物足りない。ショーにおける笑いの要素が半減して、サーカス全体が締まらないんだ」

「前にルーファスがクラウンをやって酷い目に遭ったのよ」

 出番を終えて戻ってきたシンディが、面白い記憶を辿るみたいにくすくす笑った。ケニーはシンディが来た途端に挙動不審になって、ガチガチに身体が固まっている。

「ああ……。やる奴がいないなら俺が出ようと思ってな。ある日慣れない玉乗りの練習をしようとしたら、後ろにすっ転んで頭を打っちまった。目の前で星がチカチカ飛んだよ。俺には身体を張るショーは向いてないと分かった」

 ルーファスはわざと両目の瞳をぐるぐると回しておかしな顔をしてみせた。

ーー私にできるものなら、やってみたいな。

 その言葉を飲み込んだ。やる人がいないならやってみたい。幼い頃からクラウンは憧れの存在だった。

 でも、果たして私にできるだろうか?

 自信も確信もなかった。サーカスは個人競技ではない。パフォーマーやスタッフが一体となって作り上げるものだ。もしやってみて本番で失敗でもしたら仲間に迷惑をかけることになるだけでなく、観衆の面前で無様な姿を晒すことになるのだ。ピアジェも激怒するに違いない。

 恥を晒し己の無能さを呪い挫折を味わうくらいなら、最初からやらない方がいいかもしれない。このときの私は弱気な女子のまま、広いテントの隅に座っていた。
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