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第1章〜サーカス列車の旅〜
勤務初日⑨
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ピアジェは朝礼の後ケニーとルーファスを事務所に連れて行った。心配で覗いてみたら他にも5人ほどのスタッフがパソコンの前で作業をしていて、ピアジェはケニーを机に座らせて、ルーファスに仕事を教えるように伝えていた。私は彼らの邪魔をしないようにトレーニングルームへ戻った。
トレーニングルームでは、シンディや他のパフォーマーが各々練習前のストレッチを始めていた。私に気づいたシンディは前後開脚の姿勢で手を振った。
「やっほう、ネロ。あなたも一緒にやりましょう」
シンディは私に明るく声をかけながら立ち上がり脚をゆっくり上げ、耳に脚をつけてみせた。あまりの身体の柔らかさに驚いていると、「このくらい朝飯前ってやつよ」と得意げに笑った。
そこに小さなサルのコリンズを肩に乗せた黒人の青年がやってきた。髪型はツーブロックにお洒落なアフロ風のパーマで、年は私と同じくらいに見える。身長は190センチはあるだろう。年は私と同じくらいに見えるが身長は190センチはあるだろう。広がっている癖っ毛がお洒落に見える。コリンズは青年の頭に飛び乗ってキキッと上機嫌に鳴いている。
「やぁ、楽しそうだね」と青年はフレンドリーに話しかけてきた。シンディはひらひらと手を振り、「ハーイ、アルフ。調子はどう?」と返した。「ぼちぼちだな」と青年は微笑み、頭上の動物と自分の顔を交互に指さして、「彼と僕、よく似てると思わないか?」と悪戯っぽく尋ねた。
確かに目が大きく顔立ちがくっきりしたところや、鼻と口元が少し離れているところ、口の形などの顔の造作が彼らはよく似ていた。
「本当だ、よく似てるね」
「だろ? コリンズは僕によく懐いてるんだ。しょっちゅう僕の物を取ったり髪を引っ張ったり、悪戯を仕掛けてくる。一回檻から出るとなかなか戻りたがらなくてね」
アルフレッドは苦笑いをしたあと、「彼は賢いんだ、見てて」と前置きして、「コマネチ」や「シェー!」や「モーレツ!」などどこで覚えたかわからないポーズを一緒に決めてみせた。
「わぁ、すごい!」
3人から拍手と歓声を送られて気をよくしたらしく、コリンズは右手で頭のてっぺんをかいて「キッキッキ~♬」と嬉しそうに鳴いた。
「アルフレッドはスターのブランコ乗りなの、ミラーと二枚看板でね」
シンディに紹介されたアルフレッドは「君も合わせて三枚だろ」と軽快に返し、後ろにいたジュリエッタが「あら、私のことも忘れられちゃ困るわ」と言って場がどっと湧いた。
「口を動かす暇があるなら身体を動かせ!」
ピアジェが来て檄を入れると一気に空気が張り詰めて、団員たちはそれぞれの場所に散らばって訓練を再開した。
「ネロ、君の伯父さんはかなり優秀だな」
皆の練習を見学していた私の側に来たピアジェは上機嫌に白い歯を見せ、ケニーから聞き出したらしい職歴や、彼の知識と技術を気味悪いくらいに褒めちぎった。次に彼は、このサーカス団の辿ってきた歴史について滔々と語り始めた。
イギリスの中でも大きな規模と歴史を誇るこのサーカス団はピアジェの曽祖父の代から続いていて、今年がちょうど創立100年目の節目であるらしい。それを記念して、これまで巡業といっても国内のみかヨーロッパだけだったが、初の世界巡業に向かうことになった。そのためいつも以上に大々的で派手なマーケティングを使ったプロモーションが必要になるようだ。集客数も例年の倍を望んでいるらしい。
「私の曽祖父は言った。『サーカスは祭りであり、人生である』と。私はこのサーカス団に命をかけるつもりでいる。同じように、他の団員たちにもそうであってほしい」
力強い口調でリズミカルに話すのでいかにも説得力があるように聞こえるが、何故だか私には引用された曽祖父の名言以外の彼自身の台詞のどれもが薄っぺらく聴こえてならなかった。それなら前にテレビでやっていた、すごい数学者が食い入るように見つめる学生に向かって3時間の講義をする番組の方が、さっぱり意味は分からなかったけど中身がある気がする。
「君もここの歯車の一つとして、ぜひ頑張ってほしいと思うんだよ」
ぽんぽんとピアジェの手が私の右肩を叩いた時、得体の知れない嫌悪感が全身を駆け抜けた。彼は口の端をくいと上げ、「雨に歌えば」を口ずさみながら再び団員たちの訓練を監視しに向かった。
ジャンがマットの上でバク転をし、得意げに笑って見せた。
トイレから出てきたケニーは顔が真っ青だった。右手でお腹をさすっている。
「ケニー、顔色悪いけど大丈夫?」
この旅によってケニーの心に負担がかかるのは覚悟していたが、ここまで症状が顕著だと流石に心配になる。
「久しぶりに外に出たし、あんな沢山の人に囲まれたのも初めてでさ……。緊張してるんだな」とケニーは答えた。
「よく耐えたわ」
「それくらい耐えて見せるさ。耐えきれなくて社会からドロップアウトして、長いこと引きこもってたんだ。でももう弱い自分でいたくない。やると決めたからにはやり抜かないと」
ケニーのつぶらな目は以前の輝きを取り戻していたが、私はなお心配が拭い切れなかった。彼が頑張りすぎないか、また前みたいに無理をしすぎて壊れてしまわないか。
「ケニー、もし本当に辛くて我慢できなくなったら……ううん、なる前に相談してね。逃げたきゃ逃げたっていい。あなたは変わった。こうして外に出て、私たちと一緒にいる。それだけで十分だわ、おばあちゃんもママも喜んでくれる」
「それじゃだめなんだ」ケニーはかぶりを振った。
「自分で自分が強くなれたと思えないと駄目だ。今までみたいに逃げ続けるのは嫌なんだ。人並みに、胸を張って生きられるようになりたいんだ。そして母さんを安心させてやりたい。僕のせいで散々迷惑をかけたからな」
「そう……私も頑張るわ、一緒に頑張りましょう」
変わりたいという強い意志をもつ伯父に対して、それ以上水を差せるはずがなかった。そして、変わりたいという目的を持つという意味で私たちは同志だった。私はケニーとまた拳を付き合わせた。強くても弱くてもケニーがケニーのままで生きていられるような世の中だったら、こんなに彼は苦しんだり無理をしなくても済んだ。自分らしくいられたら、私だって誰かに合わせたり我慢をし続けなくてもよかったのに。
トレーニングルームでは、シンディや他のパフォーマーが各々練習前のストレッチを始めていた。私に気づいたシンディは前後開脚の姿勢で手を振った。
「やっほう、ネロ。あなたも一緒にやりましょう」
シンディは私に明るく声をかけながら立ち上がり脚をゆっくり上げ、耳に脚をつけてみせた。あまりの身体の柔らかさに驚いていると、「このくらい朝飯前ってやつよ」と得意げに笑った。
そこに小さなサルのコリンズを肩に乗せた黒人の青年がやってきた。髪型はツーブロックにお洒落なアフロ風のパーマで、年は私と同じくらいに見える。身長は190センチはあるだろう。年は私と同じくらいに見えるが身長は190センチはあるだろう。広がっている癖っ毛がお洒落に見える。コリンズは青年の頭に飛び乗ってキキッと上機嫌に鳴いている。
「やぁ、楽しそうだね」と青年はフレンドリーに話しかけてきた。シンディはひらひらと手を振り、「ハーイ、アルフ。調子はどう?」と返した。「ぼちぼちだな」と青年は微笑み、頭上の動物と自分の顔を交互に指さして、「彼と僕、よく似てると思わないか?」と悪戯っぽく尋ねた。
確かに目が大きく顔立ちがくっきりしたところや、鼻と口元が少し離れているところ、口の形などの顔の造作が彼らはよく似ていた。
「本当だ、よく似てるね」
「だろ? コリンズは僕によく懐いてるんだ。しょっちゅう僕の物を取ったり髪を引っ張ったり、悪戯を仕掛けてくる。一回檻から出るとなかなか戻りたがらなくてね」
アルフレッドは苦笑いをしたあと、「彼は賢いんだ、見てて」と前置きして、「コマネチ」や「シェー!」や「モーレツ!」などどこで覚えたかわからないポーズを一緒に決めてみせた。
「わぁ、すごい!」
3人から拍手と歓声を送られて気をよくしたらしく、コリンズは右手で頭のてっぺんをかいて「キッキッキ~♬」と嬉しそうに鳴いた。
「アルフレッドはスターのブランコ乗りなの、ミラーと二枚看板でね」
シンディに紹介されたアルフレッドは「君も合わせて三枚だろ」と軽快に返し、後ろにいたジュリエッタが「あら、私のことも忘れられちゃ困るわ」と言って場がどっと湧いた。
「口を動かす暇があるなら身体を動かせ!」
ピアジェが来て檄を入れると一気に空気が張り詰めて、団員たちはそれぞれの場所に散らばって訓練を再開した。
「ネロ、君の伯父さんはかなり優秀だな」
皆の練習を見学していた私の側に来たピアジェは上機嫌に白い歯を見せ、ケニーから聞き出したらしい職歴や、彼の知識と技術を気味悪いくらいに褒めちぎった。次に彼は、このサーカス団の辿ってきた歴史について滔々と語り始めた。
イギリスの中でも大きな規模と歴史を誇るこのサーカス団はピアジェの曽祖父の代から続いていて、今年がちょうど創立100年目の節目であるらしい。それを記念して、これまで巡業といっても国内のみかヨーロッパだけだったが、初の世界巡業に向かうことになった。そのためいつも以上に大々的で派手なマーケティングを使ったプロモーションが必要になるようだ。集客数も例年の倍を望んでいるらしい。
「私の曽祖父は言った。『サーカスは祭りであり、人生である』と。私はこのサーカス団に命をかけるつもりでいる。同じように、他の団員たちにもそうであってほしい」
力強い口調でリズミカルに話すのでいかにも説得力があるように聞こえるが、何故だか私には引用された曽祖父の名言以外の彼自身の台詞のどれもが薄っぺらく聴こえてならなかった。それなら前にテレビでやっていた、すごい数学者が食い入るように見つめる学生に向かって3時間の講義をする番組の方が、さっぱり意味は分からなかったけど中身がある気がする。
「君もここの歯車の一つとして、ぜひ頑張ってほしいと思うんだよ」
ぽんぽんとピアジェの手が私の右肩を叩いた時、得体の知れない嫌悪感が全身を駆け抜けた。彼は口の端をくいと上げ、「雨に歌えば」を口ずさみながら再び団員たちの訓練を監視しに向かった。
ジャンがマットの上でバク転をし、得意げに笑って見せた。
トイレから出てきたケニーは顔が真っ青だった。右手でお腹をさすっている。
「ケニー、顔色悪いけど大丈夫?」
この旅によってケニーの心に負担がかかるのは覚悟していたが、ここまで症状が顕著だと流石に心配になる。
「久しぶりに外に出たし、あんな沢山の人に囲まれたのも初めてでさ……。緊張してるんだな」とケニーは答えた。
「よく耐えたわ」
「それくらい耐えて見せるさ。耐えきれなくて社会からドロップアウトして、長いこと引きこもってたんだ。でももう弱い自分でいたくない。やると決めたからにはやり抜かないと」
ケニーのつぶらな目は以前の輝きを取り戻していたが、私はなお心配が拭い切れなかった。彼が頑張りすぎないか、また前みたいに無理をしすぎて壊れてしまわないか。
「ケニー、もし本当に辛くて我慢できなくなったら……ううん、なる前に相談してね。逃げたきゃ逃げたっていい。あなたは変わった。こうして外に出て、私たちと一緒にいる。それだけで十分だわ、おばあちゃんもママも喜んでくれる」
「それじゃだめなんだ」ケニーはかぶりを振った。
「自分で自分が強くなれたと思えないと駄目だ。今までみたいに逃げ続けるのは嫌なんだ。人並みに、胸を張って生きられるようになりたいんだ。そして母さんを安心させてやりたい。僕のせいで散々迷惑をかけたからな」
「そう……私も頑張るわ、一緒に頑張りましょう」
変わりたいという強い意志をもつ伯父に対して、それ以上水を差せるはずがなかった。そして、変わりたいという目的を持つという意味で私たちは同志だった。私はケニーとまた拳を付き合わせた。強くても弱くてもケニーがケニーのままで生きていられるような世の中だったら、こんなに彼は苦しんだり無理をしなくても済んだ。自分らしくいられたら、私だって誰かに合わせたり我慢をし続けなくてもよかったのに。
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