ライオンガール

たらこ飴

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第2章〜クラウンへの道〜

第42話 想い

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 クラウンデビューはグアテマラのグアテマラ・シティでの公演の日に決まった。それまで残された時間は1ヶ月余り。

 相方のルーファスとスキットの脚本をつめに詰め、皆のショーの間を繋ぐためのジャグリングや傘回し、綱渡りなども必死に練習した。

 公演の合間にスキットの練習を観てもらえるレベルに漕ぎ着けるまで必死にこなした。その間もピアジェは睨みをきかせているが、ルチアの件が相当応えたのかよほどのことがない限り口出しはしてこない。

 自分とは真逆の気質の詩になりきることは所作や言動に気を配るという点で難しかったが、同じくらい新鮮で楽しかった。

 練習は休日や観光の時間を返上し夜遅くまでやった。ジャグリングのボールとクラブの基本技は大分押さえられていたので、道具をある物に代えて練習を始めた。

 デビューまで1週間を切ったとき、トレーニングルームでクラブジャグリングの練習をやっていたら、後ろから「頑張ってるわね」と話しかけられ驚いてクラブを落としてしまった。

「ごめんなさい!」

 ルチアが慌ててクラブを拾ってくれた。集中しすぎて人が来たことにも気づかなかったのだ。

「大丈夫だよ」

 ルチアは手に提げていた袋からパックの牛乳とドーナツを取り出して見せ、「少し休憩しない?」と訊いた。

 ルチアに連れられ停車した列車の屋根に梯子を伝って上り星空を見た。雨季のコスタリカでこんなに綺麗な星空が見えることは珍しいらしい。

 ドーナツをかざし小さな穴から夜空を覗いてみる。

「こうして見ると天窓から見てるみたいで、余計に綺麗じゃない?」

「そうね、すごく綺麗ね」

 ふと、私は誰かとずっと前に同じやり取りをしたような気がした。夢の中で? いや違う。感覚があまりにもリアルだから、きっと誰かと本当に話したのだ。

 もしかしたらオーロラだったかもしれない。そう思い当たった瞬間、水槽の底に並べられたビー玉みたいに心の奥に沈んでいた記憶が、鮮やかに濃度をもって浮上してきた。

 確か中学のときの野外学習のときのことだ。同じ班になった私たちは夜テントを抜け出して、緑の草の茂る丘の上に腰を下ろした。オーロラはタッパーに入れた手作りのドーナツを持ってきていて、1つを私にくれた。木苺ジャムの練り込まれたホワイトチョコレートのかかったドーナツは、木苺の甘酸っぱい風味がきいていて、生地もサクサクしていて最高に美味しかった。

 オーロラは右目を瞑り、まだ口をつけていないドーナツを空にかざして言った。

「子どもの頃肺炎にかかって入院したの。病室の天井には四角い天窓があって、夜にそこから見える星を眺めるのが楽しみだった。普通に夜空を見上げるよりも、天窓から見える夜空はすごく綺麗に思える。まるで狭い空間に宇宙が閉じ込められているみたいで」

「あなたは感性がすごく豊かなのね」

 オーロラの感じ方は私にはないものだった。彼女はいつも私が思い付かないようなことを言った。ときに突拍子もないアイデアだったりするけれど、ささやかなことを美しいと感動できるオーロラのことが羨ましいと素直に思った。

 その話を聞いたルチアは「その子は人と違う感性を持った子なのね、あなたと同じで」と微笑んだ。

「あなたって全然男の人って感じがしない。なんていうか、可愛すぎるのよ」

「そうかい? 可愛いだなんて照れるな」

「ふふっ、そういうところよ」

 ルチアのくれた牛乳を一気飲みしたあとドーナツを一口齧り、右目を瞑り夜空にかざしてみる。穴から星空がペンキのように溢れ出たみたいだ。

「オーロラは特別な子だよ、誰も気づかないようなことに気づくんだ。いつもびっくりさせられた。羨ましかったよ、小さなことに美しさや幸せを見つけられる彼女のことが」

「ねぇ、ネロ」

 空を見ながらルチアの声を聴いた。

「何だい?」

 少し冷たい湿った風がルチアの髪を揺らす。彼女の憂いを帯びた横顔を見る。この頃彼女は元気がなかった。元気がないねと声をかけても、何でもないわと答えるだけだった。

「ずっと考えてたことがあるの。私は……あなたの友達の代わりにはなれないかしら?」

 彼女の言葉の真意が図りかねた。ルチアがオーロラの代わり? 私にとっては2人は全く別の人物だ。確かにルチアの雰囲気や眼差しや表情がふとしたときにオーロラに似ていてハッとすることがあるけれど、彼女たち2人を同一視したことはなかった。

「オーロラはオーロラ、君は君だよ。代わりだなんて……」

「それは分かってるんだけど……。あなたの側にいられるなら、彼女の代わりでも幸せだなって」

「それはどういう……」

「そのまんまの意味よ。私、あなたが好きなの」

「えっ……」

 彼女の緑色の透き通った目が真剣に私を見たとき、彼女の『好き』の意味を知った。友達としてではない、もっと特別な感情なのだと。

「初めて会ったときから、あなたには特別なものを感じてた。深いところで通じ合える気がしたの。こんな気持ちになったのは初めてよ」

 初めての女の子からの告白に嫌な気はしなかった。ルチアはいつも私を献身的にサポートしてくれる。練習していればタオルや夜食を持ってきてくれ、頑張ってと応援してくれる。妹みたいで可愛いと感じるし、とても優しくて良い子だと思う。でも、それ以上の感覚があるかどうかと訊かれたら違う。

「ごめん……ルチア。気持ちは凄く嬉しいよ。だけど僕にとって君は、可愛い妹みたいなものなんだ」

 ルチアの頬を一雫の涙が伝う。透明な雫は月明かりに照らされ、あまりに美しく切なかった。

「そう……やっぱりそうよね。望みがないのは知ってた。でも、ただ伝えたかったの」

 ルチアが手のひらで涙を拭って立ち上がり、梯子を伝って降りていく。

 その背中に声をかけようとしたが、それをしてしまったら余計に彼女の痛みを増幅させるだけだと思いとどまった。
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