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第2章〜クラウンへの道〜
第38話 傘回し
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綱渡りの進歩度はイマイチだったのだが、キトでの最終公演が終わった後のテントで下駄を脱いで足袋を履いて綱の上に乗ってみたら、足指で綱を挟め上手くバランスが取れることに気づいた。いつも半分くらいで落下していたため、もはや落下することが目的のようになっていた練習に光が差し始めた。
「凄いね、その調子!」
最後まで渡り切った私にクリーは拍手を送ってくれた。今回ばかりは調子に乗ってもバチは当たるまい。
夜のテントで休憩していたらジュリエッタが鼻歌を歌いながらやってきた。
「道化の恋は一度きり~♬」
そのフレーズがなぜか頭に焼き付いて離れなかった。
私は一度の恋すらしていない。これからできるとも思えないけれど、もし心から愛する人に出逢えるのなら人生でたった1人、一度きりでいい。
キトでの最終公演の日の翌日、街の日本雑貨屋でケニーと一緒に何か面白いものはないかと見繕っていたら、中年の日本人の夫妻が紙風船を勧めてくれた。お土産として人気なのだという。赤、白、緑、青の三日月の色の入ったそれは、最初の形状は葉っぱみたいなのに、膨らますと可愛らしい丸い紙風船に変身する。
これを使って何か芸ができないかと駄目元で尋ねたら、旦那さんの方が「傘回しというのがあるよ」と教えてくれた。日本の大道芸の一つで、旦那さんは元傘回しの日本チャンピオンだという。
旦那さんは店先で華やかな白い桜柄が渦を巻く紫色の美しい傘を広げ、少し傾け右手を軸にして両手で持つと、枡という正方形の小さな木箱を傘の上で回し始めた。くるくると高速で回る傘の上で、桜と一緒に升がころころと飛び跳ねるみたいに回っている。
「おお~っ」
ケニーと私は感激して手を叩いた。
「傘回し初心者はまず、紙風船から始めるといいよ」と旦那さんは流暢な英語で言った。紙風船は傘の上に乗りやすく止めやすい。また、軽いためにバランスがとりやすいのだとか。傘回しにはレベルがあり、初心者は紙風船、中級は鞠、上級は金輪、達人になると枡を回せるようになるらしい。
私は他の客の邪魔にならぬよう店の隅に移動し、旦那さんに紙風船の傘回しを教わった。ケニーも一緒にトライした。
「傘の柄と紙風船が90度になるように回すといいよ」
観ているだけだと簡単そうに見えるが、いざやってみると難しく、紙風船を回しているうちに身体が前のめりになり、紙風船が傘の傾斜に転がり落ちてしまう。しかも右腕だけでなくいつも使わない右手の指先の筋肉を酷使するため、腕がすぐに疲れてしまう。見た目では分からないが、結構な運動量だ。ケニーは10分の運動で汗をかいていた。
旦那さんは、前のめりになりそうな時は傘をまっすぐに立てて紙風船が元の位置に来るように調整すればいいと教えてくれた。その通りにしたら上手くできるようになった。最後、逆さにした傘でキャッチするところまで30分余りでマスターした。
「君はなかなか勘がいいね」と旦那さんに褒められまた調子に乗りそうになった。
「そうですか? ありがとうございます」
紙風船をクリアしたら次は鞠だ。
鞠は重さがあるぶん回転スピードも早く、紙風船とは比較にならない難易度だ。これは1分続けて回せるようになるまでに1時間を要した。
「鞠までできたら大したものよ」と奥さんが励ましてくれた。
逆さにした傘に入れた鞠を手に取り、これでジャグリングをしたら面白いかも知れないと閃いた。普通のジャグリングボールよりもニ回りくらい大きいが、金箔を散りばめた生地に白い蓮子の柄と素材の触り心地がとても気に入った。
他にいい道具はないものか。
「日本にお墓ってありますよね? あの隣に刺してある木でできた長いギザギザしたものは……」
「アレは卒塔婆っていうものだ。縁起が悪いから使わない方がいい」旦那さんは必死に首を振った。奥さんは苦笑いしていた。その反応で触れてはいけない領域だったのだと理解した。
私はその店で桜柄の傘と3種類の鞠と、紙風船を買った。
アルマンドという医師が雇用されたのは、エクアドル公演の前日だった。前の医師が逃げるように辞めてからというもの、なかなか医者が決まらなかったのだ。
アルマンドは小太りのインド人で、片言の英語を話し、昨年医師を退職してインドからエクアドルに移住したのだという。よく喋る男であるが、シンディのことをやたらジロジロ見ていて気味が悪くて私は苦手だ。
だが彼の能力は気持ち悪さとは比例しなかった。彼は内科、外科の両方を極め、医学に関しては膨大な知識を持っていた。精神科医ではないらしいが、ケニーはよくアルマンドの部屋兼医務室にピアジェによって与えられるプレッシャーからくる不眠や精神的苦痛に関する相談に行っていた。
だがある日ケニーは珍しくぷんぷん怒りながらアルマンドの部屋から出てきた。どうしたのかと尋ねたら、「彼ときたら、患者が来たってのに『これからカレーを食うから後で来い』って言いやがった。今はお昼休憩でも何でもないってのに。何て奴だ!」
「まあまあ、カレーくらい食べさせてあげようよ。話なら私が聞くよ」
「ありがとう、アヴィー。君も疲れてるだろうから、あとでまた部屋に行くことにするよ」
ケニーはため息をついた。
練習のとき自分の心を奮い立たせるために、綱渡りの前にいつもルーファスとスラッピングをするときに使っている"Ready準備はいい?? " という掛け声を掛けることにした。すると、不思議とスイッチが入るのだ。
ルーファスとはクラウンにとって大事なムーブメントやパントマイムなどの練習を沢山した。パントマイムを教わっていると見つかってピアジェに怒鳴られるので、あまり思うように練習できなかったが。
トイレットペーパーの芯よりも一回り大きくて太い木の筒の上に、長い長方形の木の板をシーソーのようにして置いて、その片端にベレー帽を乗せて、もう片端の浮いた方を足で踏んでベレー帽を上方に飛ばし頭に被る練習も繰り返しやった。上手く頭に乗るようになったら、今度はわざと背中に乗せて、身体を揺らし頭まで帽子を動かして被る難易度の高い技も1週間ほどで習得した。
鞠でのジャグリングも最初はボールの大きさのために難しかったが、慣れてきたら3つでできるようになった。ただし、3つが限界だったが。
「凄いね、その調子!」
最後まで渡り切った私にクリーは拍手を送ってくれた。今回ばかりは調子に乗ってもバチは当たるまい。
夜のテントで休憩していたらジュリエッタが鼻歌を歌いながらやってきた。
「道化の恋は一度きり~♬」
そのフレーズがなぜか頭に焼き付いて離れなかった。
私は一度の恋すらしていない。これからできるとも思えないけれど、もし心から愛する人に出逢えるのなら人生でたった1人、一度きりでいい。
キトでの最終公演の日の翌日、街の日本雑貨屋でケニーと一緒に何か面白いものはないかと見繕っていたら、中年の日本人の夫妻が紙風船を勧めてくれた。お土産として人気なのだという。赤、白、緑、青の三日月の色の入ったそれは、最初の形状は葉っぱみたいなのに、膨らますと可愛らしい丸い紙風船に変身する。
これを使って何か芸ができないかと駄目元で尋ねたら、旦那さんの方が「傘回しというのがあるよ」と教えてくれた。日本の大道芸の一つで、旦那さんは元傘回しの日本チャンピオンだという。
旦那さんは店先で華やかな白い桜柄が渦を巻く紫色の美しい傘を広げ、少し傾け右手を軸にして両手で持つと、枡という正方形の小さな木箱を傘の上で回し始めた。くるくると高速で回る傘の上で、桜と一緒に升がころころと飛び跳ねるみたいに回っている。
「おお~っ」
ケニーと私は感激して手を叩いた。
「傘回し初心者はまず、紙風船から始めるといいよ」と旦那さんは流暢な英語で言った。紙風船は傘の上に乗りやすく止めやすい。また、軽いためにバランスがとりやすいのだとか。傘回しにはレベルがあり、初心者は紙風船、中級は鞠、上級は金輪、達人になると枡を回せるようになるらしい。
私は他の客の邪魔にならぬよう店の隅に移動し、旦那さんに紙風船の傘回しを教わった。ケニーも一緒にトライした。
「傘の柄と紙風船が90度になるように回すといいよ」
観ているだけだと簡単そうに見えるが、いざやってみると難しく、紙風船を回しているうちに身体が前のめりになり、紙風船が傘の傾斜に転がり落ちてしまう。しかも右腕だけでなくいつも使わない右手の指先の筋肉を酷使するため、腕がすぐに疲れてしまう。見た目では分からないが、結構な運動量だ。ケニーは10分の運動で汗をかいていた。
旦那さんは、前のめりになりそうな時は傘をまっすぐに立てて紙風船が元の位置に来るように調整すればいいと教えてくれた。その通りにしたら上手くできるようになった。最後、逆さにした傘でキャッチするところまで30分余りでマスターした。
「君はなかなか勘がいいね」と旦那さんに褒められまた調子に乗りそうになった。
「そうですか? ありがとうございます」
紙風船をクリアしたら次は鞠だ。
鞠は重さがあるぶん回転スピードも早く、紙風船とは比較にならない難易度だ。これは1分続けて回せるようになるまでに1時間を要した。
「鞠までできたら大したものよ」と奥さんが励ましてくれた。
逆さにした傘に入れた鞠を手に取り、これでジャグリングをしたら面白いかも知れないと閃いた。普通のジャグリングボールよりもニ回りくらい大きいが、金箔を散りばめた生地に白い蓮子の柄と素材の触り心地がとても気に入った。
他にいい道具はないものか。
「日本にお墓ってありますよね? あの隣に刺してある木でできた長いギザギザしたものは……」
「アレは卒塔婆っていうものだ。縁起が悪いから使わない方がいい」旦那さんは必死に首を振った。奥さんは苦笑いしていた。その反応で触れてはいけない領域だったのだと理解した。
私はその店で桜柄の傘と3種類の鞠と、紙風船を買った。
アルマンドという医師が雇用されたのは、エクアドル公演の前日だった。前の医師が逃げるように辞めてからというもの、なかなか医者が決まらなかったのだ。
アルマンドは小太りのインド人で、片言の英語を話し、昨年医師を退職してインドからエクアドルに移住したのだという。よく喋る男であるが、シンディのことをやたらジロジロ見ていて気味が悪くて私は苦手だ。
だが彼の能力は気持ち悪さとは比例しなかった。彼は内科、外科の両方を極め、医学に関しては膨大な知識を持っていた。精神科医ではないらしいが、ケニーはよくアルマンドの部屋兼医務室にピアジェによって与えられるプレッシャーからくる不眠や精神的苦痛に関する相談に行っていた。
だがある日ケニーは珍しくぷんぷん怒りながらアルマンドの部屋から出てきた。どうしたのかと尋ねたら、「彼ときたら、患者が来たってのに『これからカレーを食うから後で来い』って言いやがった。今はお昼休憩でも何でもないってのに。何て奴だ!」
「まあまあ、カレーくらい食べさせてあげようよ。話なら私が聞くよ」
「ありがとう、アヴィー。君も疲れてるだろうから、あとでまた部屋に行くことにするよ」
ケニーはため息をついた。
練習のとき自分の心を奮い立たせるために、綱渡りの前にいつもルーファスとスラッピングをするときに使っている"Ready準備はいい?? " という掛け声を掛けることにした。すると、不思議とスイッチが入るのだ。
ルーファスとはクラウンにとって大事なムーブメントやパントマイムなどの練習を沢山した。パントマイムを教わっていると見つかってピアジェに怒鳴られるので、あまり思うように練習できなかったが。
トイレットペーパーの芯よりも一回り大きくて太い木の筒の上に、長い長方形の木の板をシーソーのようにして置いて、その片端にベレー帽を乗せて、もう片端の浮いた方を足で踏んでベレー帽を上方に飛ばし頭に被る練習も繰り返しやった。上手く頭に乗るようになったら、今度はわざと背中に乗せて、身体を揺らし頭まで帽子を動かして被る難易度の高い技も1週間ほどで習得した。
鞠でのジャグリングも最初はボールの大きさのために難しかったが、慣れてきたら3つでできるようになった。ただし、3つが限界だったが。
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