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第1章〜サーカス列車の旅〜
第4話 辛い初体験
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初めて男の人と付き合ったのは14歳の時。ボーイフレンドのバリーは私より2つ年上の高校1年生で、バスケットボールの州選抜に選ばれるほどの実力がある選手だった。甘いマスクで背も高く優しい彼は、言うまでもなく女子たちから人気があった。告白は彼からだった。好きなわけではなかったけれど、かっこいいからという単純な理由だけで付き合った。誕生日には遊園地に連れて行ってくれ私を世界一魅力的で可愛いと言ってくれた。嫌な気持ちではなかった。
一方で、ずっと得体の知れない違和感が付き纏っていた。私は本当に彼が好きなのだろうか? 彼も私と心から一緒にいたいと感じているのだろうか?
バリーはすごく紳士で優しかった。会話もクラスメイトの男子たちよりずっと面白くて知的で、繊細な気遣いに溢れていた。でも何か違った。彼から肩を抱いてきたりキスをしてきたりもしたけれど、本当にしたくてしている感じではなくて、まるで恋人ごっこをしているような感覚だった。彼は私のボーイフレンドの役を演じていて、私も彼の喜ぶことを冷静な頭で考えて言っているような。このことを誰かに相談したって、最高の彼氏なのに何の不満があるの? と返される気がして誰にも打ち明けられなかった。
初体験はその年の夏だった。彼の部屋で私たちはベッドに腰掛け心地よいバラード音楽に身を任せながら寄り添っていた。突然彼が私の肩に手を回してキスをした。流されるままにベッドに横たえられたとき、彼の身体のどこからも熱を感じなかった。代わりにあるのは、私に向けられる苦しげな眼差しだけだった。
彼は優しく私を抱いてくれたけど、クラスの友達が言うように最高に幸せで気持ち良くなんてなかった。バリーは行為の間中ずっと辛そうにしていた。途中からは目を瞑って、私を見ないようにしながら誰か別の誰かを思い出しているみたいだった。重なり合い向かい合った時の私たちは、まるでお互いを鏡に映したみたいだった。
「僕はゲイなのかも」
全てが終わったあと、トランクス姿のバリーはベッドの上で項垂れながら打ち明けた。
「5歳の時に、近所の男の子を好きになったんだ。それを母さんに話したら、『それはいけないことよ』って叱られた。だけど君と付き合ってみて分かった、やっぱり自分に嘘を突き通すなんて無理なんだって」
「そっか……」
彼の告白にぴったりの言葉をこの時の私は持っていなかった。代わりにこんな言葉が浮かんだ。
ーーもしかしたら、私もそうなのかもしれない。
高校に入ってからも異性には困らなかった。告白してくる相手はいくらでもいたし、幼い頃から容姿を悪く言われたことはなかった。それに関して特段悪い気はしないし、容姿に大きなコンプレックスを持つ他人から見たら幸せに映るかもしれないけれど内心は複雑だ。私に告白してくる人たちのほとんどは私のことを本当に愛してるんじゃない。スマートフォンにつけるイヤホンジャックのような、アクセサリーみたいなものだと思っている。彼らは皆一様に私を人目につくような場所に連れて行きたがり、友達に会うたび自慢したがった。ただ自己顕示欲を満たすためだけに私と付き合っているようにしか見えなかった。私を見せびらかすためにわざわざ友人宅に連れて行っては私と2ショットの、時には私だけ写った写真を撮ってSNSに貼り付けて公開したりした。
『すごく綺麗な彼女だね!』
『こんな可愛い恋人がいて羨ましいな!』
コメント欄に並ぶ無機質なお世辞の言葉たちを眺めながら、満足げに笑う恋人たちーー。
内心辟易していた。
彼らが本当に愛しているのは私じゃなくて自分自身だ。私の内面を好きなんじゃなくて外を覆っている容れ物だけを気に入って、それを持ち歩いている自分に価値があるみたいに感じて誇らしいだけ。もしくは私が恋人であるという状況そのものを愛しているだけなのかもしれない。彼らは自分の力だけでは到底埋めることのできない空っぽの自尊心を、私という存在を利用することで満たそうとしていた。必死に周りの男たちと競うみたいに。私と付き合っている現状が幸せなことなのだと、世界中に知らしめるみたいに。
彼らは本当の私のことなんて一つも知らないし知ろうともしていなかった。そのくせ『愛してる』『君の全てが好き』と白々しい台詞を吐いては、私の気持ちを繋ぎ止めようとした。まるで別れるまでのカウントダウンの時間を1秒でも長引かせようとしているみたいで、ただただ虚しかった。
にも関わらず男子たちの告白にOKしては別れるというパターンを繰り返した理由はというと、単純に断るのが面倒だから。断って相手を傷つけるのが辛いからだ。だけど好きでもない人と空間や時間を共有するなんてちっとも楽しくなかった。いつか彼のことを好きになれるんじゃないかという淡い期待は、時間が経つに連れて苦痛と居心地の悪さに掻き消された。
いっそ女になんか生まれなきゃよかったのかもしれないと何度も思った。男性たちの鑑賞の対象になりあからさまに性的な目を向けられる女性という性に、嫌気がさしていたのかもしれない。レイプされるのも恋人にストーカーされるのも逆恨みで殺されるのも、DVを受けるのも多くは女性だ。もちろん女性から傷つけられている男性もいるかもしれないけれど。
いっそ男に生まれたかったとこれまで何度も思った。でもどう足掻いても私は女だった。社会的にも肉体的にもそうだ。男性から性的に見られ選別される対象。男になりたいなんて言う私をボーイフレンドたちは笑ったけれど、私にとって女でいることは苦痛ですごく疲れることだった。何日かでも男になることができたら、どんなにか嬉しいだろう。
他の女の子たちも私の気持ちを理解できないみたいだった。純粋に男の子との恋に夢中になって、彼と結婚したいとか子どもが欲しいとか夢を見ているみたいな蕩けた顔で口にした。だけど私には彼女たちの気持ちのほうが理解できなかった。
第一、周りの皆が言う好きとか愛してるって何だろう? 自分の時間を削っても誰かと一緒にいたい、会いたい、触れたいって思うことだろうか。だとしたら、私は一度も誰かを心から好きになったことなんてない。これからもないのかもしれないと漠然と思いながら、中学でも高校でも大学でも流されるままに交際を繰り返した。自分が嫌になることもたくさんあったけれど、一方で安心してもいた。スーパーの棚に種類ごとに整然と並べられた商品みたいに、『普通』という枠組みの中に上手く収められているみたいで。
高校卒業後、シドニーにある大学で社会福祉士になるための勉強をしていたが、元が勉強嫌いの私は講義について行くだけで精一杯だった。母の叶えられなかった夢を代わりに叶えたい、何より苦しんでいる人の力になりたいという気持ちもあったけれど、周りの学生たちみたいな信念や覚悟や情熱はなかった。ボーイフレンドは何人かできたけれど、いつもみたいにすぐに別れる羽目になった。心を許せる友人にも出会えず、そのうち通うこと自体が苦痛になり2年の8月に退学した。その後はファミレスやファーストフード店でアルバイトをしながら生きていた。
そうしているうちに両親の離婚が決まって、私は母について母の実家のあるアルゼンチンに行くことになり、父は飼い猫のデイジーと一緒にシドニーに残った。
元々家が近いという理由で何となく選んだ大学だった。大学を辞める時は落胆もあったが、残り50%以上を安堵感が占めていた。毎日山のように降ってくるレポートの課題や、長ったらしいだけでつまらない講義から解放されたことは正直喜ばしかった。大学自体に執着はなかった。本当に仲の良い友達も仲良くなりたい相手もいなかったから。
ーーこの道に進んだのは間違いだったんじゃないか?
入学してからというものずっと胸に渦巻いていた気持ちは、2年の時に行った精神障がいを抱えた人たちが入所している療養施設の実習で決定的なものになった。私は痛みを抱えている人たちと程よい距離で関わりたい、支えられるくらい強くないと思った。
退学を決めた私を母は責めなかった。「考え直してみない?」「お金ならなんとかするわ」そう言った母の悲しそうな顔を今でも覚えている。
私は人生を間違った。それによって母を悲しませた。その事実は今も私を苦しめ続けている。
一方で、ずっと得体の知れない違和感が付き纏っていた。私は本当に彼が好きなのだろうか? 彼も私と心から一緒にいたいと感じているのだろうか?
バリーはすごく紳士で優しかった。会話もクラスメイトの男子たちよりずっと面白くて知的で、繊細な気遣いに溢れていた。でも何か違った。彼から肩を抱いてきたりキスをしてきたりもしたけれど、本当にしたくてしている感じではなくて、まるで恋人ごっこをしているような感覚だった。彼は私のボーイフレンドの役を演じていて、私も彼の喜ぶことを冷静な頭で考えて言っているような。このことを誰かに相談したって、最高の彼氏なのに何の不満があるの? と返される気がして誰にも打ち明けられなかった。
初体験はその年の夏だった。彼の部屋で私たちはベッドに腰掛け心地よいバラード音楽に身を任せながら寄り添っていた。突然彼が私の肩に手を回してキスをした。流されるままにベッドに横たえられたとき、彼の身体のどこからも熱を感じなかった。代わりにあるのは、私に向けられる苦しげな眼差しだけだった。
彼は優しく私を抱いてくれたけど、クラスの友達が言うように最高に幸せで気持ち良くなんてなかった。バリーは行為の間中ずっと辛そうにしていた。途中からは目を瞑って、私を見ないようにしながら誰か別の誰かを思い出しているみたいだった。重なり合い向かい合った時の私たちは、まるでお互いを鏡に映したみたいだった。
「僕はゲイなのかも」
全てが終わったあと、トランクス姿のバリーはベッドの上で項垂れながら打ち明けた。
「5歳の時に、近所の男の子を好きになったんだ。それを母さんに話したら、『それはいけないことよ』って叱られた。だけど君と付き合ってみて分かった、やっぱり自分に嘘を突き通すなんて無理なんだって」
「そっか……」
彼の告白にぴったりの言葉をこの時の私は持っていなかった。代わりにこんな言葉が浮かんだ。
ーーもしかしたら、私もそうなのかもしれない。
高校に入ってからも異性には困らなかった。告白してくる相手はいくらでもいたし、幼い頃から容姿を悪く言われたことはなかった。それに関して特段悪い気はしないし、容姿に大きなコンプレックスを持つ他人から見たら幸せに映るかもしれないけれど内心は複雑だ。私に告白してくる人たちのほとんどは私のことを本当に愛してるんじゃない。スマートフォンにつけるイヤホンジャックのような、アクセサリーみたいなものだと思っている。彼らは皆一様に私を人目につくような場所に連れて行きたがり、友達に会うたび自慢したがった。ただ自己顕示欲を満たすためだけに私と付き合っているようにしか見えなかった。私を見せびらかすためにわざわざ友人宅に連れて行っては私と2ショットの、時には私だけ写った写真を撮ってSNSに貼り付けて公開したりした。
『すごく綺麗な彼女だね!』
『こんな可愛い恋人がいて羨ましいな!』
コメント欄に並ぶ無機質なお世辞の言葉たちを眺めながら、満足げに笑う恋人たちーー。
内心辟易していた。
彼らが本当に愛しているのは私じゃなくて自分自身だ。私の内面を好きなんじゃなくて外を覆っている容れ物だけを気に入って、それを持ち歩いている自分に価値があるみたいに感じて誇らしいだけ。もしくは私が恋人であるという状況そのものを愛しているだけなのかもしれない。彼らは自分の力だけでは到底埋めることのできない空っぽの自尊心を、私という存在を利用することで満たそうとしていた。必死に周りの男たちと競うみたいに。私と付き合っている現状が幸せなことなのだと、世界中に知らしめるみたいに。
彼らは本当の私のことなんて一つも知らないし知ろうともしていなかった。そのくせ『愛してる』『君の全てが好き』と白々しい台詞を吐いては、私の気持ちを繋ぎ止めようとした。まるで別れるまでのカウントダウンの時間を1秒でも長引かせようとしているみたいで、ただただ虚しかった。
にも関わらず男子たちの告白にOKしては別れるというパターンを繰り返した理由はというと、単純に断るのが面倒だから。断って相手を傷つけるのが辛いからだ。だけど好きでもない人と空間や時間を共有するなんてちっとも楽しくなかった。いつか彼のことを好きになれるんじゃないかという淡い期待は、時間が経つに連れて苦痛と居心地の悪さに掻き消された。
いっそ女になんか生まれなきゃよかったのかもしれないと何度も思った。男性たちの鑑賞の対象になりあからさまに性的な目を向けられる女性という性に、嫌気がさしていたのかもしれない。レイプされるのも恋人にストーカーされるのも逆恨みで殺されるのも、DVを受けるのも多くは女性だ。もちろん女性から傷つけられている男性もいるかもしれないけれど。
いっそ男に生まれたかったとこれまで何度も思った。でもどう足掻いても私は女だった。社会的にも肉体的にもそうだ。男性から性的に見られ選別される対象。男になりたいなんて言う私をボーイフレンドたちは笑ったけれど、私にとって女でいることは苦痛ですごく疲れることだった。何日かでも男になることができたら、どんなにか嬉しいだろう。
他の女の子たちも私の気持ちを理解できないみたいだった。純粋に男の子との恋に夢中になって、彼と結婚したいとか子どもが欲しいとか夢を見ているみたいな蕩けた顔で口にした。だけど私には彼女たちの気持ちのほうが理解できなかった。
第一、周りの皆が言う好きとか愛してるって何だろう? 自分の時間を削っても誰かと一緒にいたい、会いたい、触れたいって思うことだろうか。だとしたら、私は一度も誰かを心から好きになったことなんてない。これからもないのかもしれないと漠然と思いながら、中学でも高校でも大学でも流されるままに交際を繰り返した。自分が嫌になることもたくさんあったけれど、一方で安心してもいた。スーパーの棚に種類ごとに整然と並べられた商品みたいに、『普通』という枠組みの中に上手く収められているみたいで。
高校卒業後、シドニーにある大学で社会福祉士になるための勉強をしていたが、元が勉強嫌いの私は講義について行くだけで精一杯だった。母の叶えられなかった夢を代わりに叶えたい、何より苦しんでいる人の力になりたいという気持ちもあったけれど、周りの学生たちみたいな信念や覚悟や情熱はなかった。ボーイフレンドは何人かできたけれど、いつもみたいにすぐに別れる羽目になった。心を許せる友人にも出会えず、そのうち通うこと自体が苦痛になり2年の8月に退学した。その後はファミレスやファーストフード店でアルバイトをしながら生きていた。
そうしているうちに両親の離婚が決まって、私は母について母の実家のあるアルゼンチンに行くことになり、父は飼い猫のデイジーと一緒にシドニーに残った。
元々家が近いという理由で何となく選んだ大学だった。大学を辞める時は落胆もあったが、残り50%以上を安堵感が占めていた。毎日山のように降ってくるレポートの課題や、長ったらしいだけでつまらない講義から解放されたことは正直喜ばしかった。大学自体に執着はなかった。本当に仲の良い友達も仲良くなりたい相手もいなかったから。
ーーこの道に進んだのは間違いだったんじゃないか?
入学してからというものずっと胸に渦巻いていた気持ちは、2年の時に行った精神障がいを抱えた人たちが入所している療養施設の実習で決定的なものになった。私は痛みを抱えている人たちと程よい距離で関わりたい、支えられるくらい強くないと思った。
退学を決めた私を母は責めなかった。「考え直してみない?」「お金ならなんとかするわ」そう言った母の悲しそうな顔を今でも覚えている。
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