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1.さようなら

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 私は大きなスーツケースを引きながらエレベーターに乗って7階まであがってきた。そして意を決して住み慣れた家のドアフォンを鳴らす。同級生のトモキはエレベーターホールで控えてもらっている。

 玄関のドアから先日まで付き合っていたヤマトが気怠そうに顔を覗かせた。彼は無言で私を部屋に招き入れる。今日は昨日あった女性ものの靴が無くなっている。泊まりはしなかったのか、泊まったけど帰ったのか。
 
 「まとめたら出て行くから」

 私はヤマトの方を振り返りもせず、トモキから借りた大きいスーツケースに洋服を詰めていく。それでもやっぱりカバンやら靴やら全ては入りきりそうにない。元々スーツケースで何往復かする覚悟はできていたので、トモキから借りたスーツケースと、自分が元々持っていたスーツケースに入るだけ荷物を詰め込んで1度部屋を出ようと寝室からリビングに移動した。

 私の様子を伺っていたのか、ソファに座り、私に背を向けたままヤマトが事務的に言う。
 「いちいちチャイム鳴らされんの面倒だから、勝手に入って来てよ。最後のときだけ声かけて」

 私は「分かった」とだけ答えると、スーツケースを押してエレベーターホールへ向かう。
 同級生のトモキは車でここまで運転をしてくれて、さらに私の荷物の運搬まで手伝ってくれている。ちなみにお礼としてハンバーグを希望されている。料理が好きでも得意でもない私からすれば、なかなかに面倒な料理だ。

 私とトモキはスーツケースを車まで運び、中のものを車に積んだ段ボールに入れ替え、再度スーツケースを部屋に戻すという作業を何往復か繰り返した。持って行くのは洋服、カバン、靴、それに細々とした日用品だけだ。
 大掛かりになる引っ越しと違い、自分の身の周りのものだけでいいので、おそらく段ボール5箱分くらいで済むだろう。

 これで最後の運搬というところで、私は室内にいたヤマトに声をかけた。
 「じゃあ、これで最後だから」
 「ああ」

 お互いさよならもありがとうも言わず、顔も見ないで私は部屋を後にした。

 呆気ない別れだ。


 エレベーターホールに着くと、荷物の運び出しを手伝ってくれていたトモキが「それで最後か?」と言ってスーツケースを自分の方に移動させた。

 「うん」

 エレベーターを見るとちょうど1階から7階に登ってくるところだった。

 「早く帰って荷物整理して、ゆっくりしようぜ。あと、飯。ハンバーグ」
 「うまくできるか自信ないけど、作りますよ! もう、荷ほどき大変なのにハンバーグって」
 「いいだろ、とりあえず明日からの洋服さえ出せばいんだから」
 そんなやり取りをしていたから、私は部屋のドアが開いたことに気が付かなかった。

 「こずえ?」
 びっくりして振り返るとそこには私とトモキを見比べるヤマトの姿。

 「おい、誰だよそれ」
 初対面の相手に対して失礼すぎる態度でヤマトがトモキと私を睨みつける。

 「関係ないでしょ」
 私はヤマトから視線を外す。ちょうどエレベーターが到着し、ドアが開いたのでトモキと共に乗り込んだ。

 私はヤマトの方を見ず、エレベーターの地面を見ていて気が付かなかった。

 ヤマトが怒りを前面に押し出した表情で私とトモキを見ていたことを。
 そして、トモキもまたヤマトを睨み返していたことを。
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