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3巻
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しおりを挟む「あれは、ペンカビリンですね。夏の間はかなり北の方にいるのですが、北の短い夏が終わると、越冬のため南に来て、のんびり時間をかけて子育てをするようです」
「へ~、いいなあ。俺たちもそんな生活が早くしたいね」
「ひゃい!?」
「楽しみ」
朔が言った言葉を『早く子育てがしたい』という意味だと早とちりしたナタリアは奇妙な悲鳴を上げ、あえてそういう意味に取ったミラは朔に微笑む。一方の朔は、皆で過ごすスローライフに思いを馳せるのであった。
朔たちが目的地を決めて雑談を始めた頃、馬車の中では……
「お風呂上がりの冷たいフルーツ牛乳は最高ですわ!」
魔法兵団のエマが風呂から上がり、ぐひぐびと朔が作ったフルーツ牛乳を飲んでいた。
「エマは順応するのが早すぎだろう。服がはだけている上に、フルーツ牛乳で口元が白い髭が生えたようになっているぞ」
その姿を見た王国騎士団のロジャーが声をかけたが、エマは恥ずかしがる様子もなく、ハンカチで口周りをぬぐってから答える。
「ロジャーは頭が固すぎですわ。こんな快適な旅になるとは思ってもいませんでしたもの。まるで高位貴族にでもなった気分ですわ」
「高位貴族でも、こんな馬車を持っている方はいないと思うがな」
「確かにお風呂、冷蔵庫、水魔法を利用した洗濯機に、風魔法と火魔法を利用した乾燥機、風魔法を利用した掃除機など、興味深い魔導具がたくさんある馬車なんて聞いたことがありませんわね。王都に戻るまで何年かかるかわからない部隊に配属されると聞いたときは泣きたくなりましたけれど、こんな生活が送れるのなら、むしろラッキーでしたわ」
馬車の中には、朔が好き放題に作っていた魔導具類が多数あった。使い方を習ったハロルドが毎日掃除や洗濯をしており、二人はその奇妙な魔導具類に興味津々であった。
「まあ、訓練も怠るなよ」
「あの部屋には二度と入りたくありませんわ」
「それは俺もだ」
ロジャーはすっかり気が緩んでいるエマに注意するが、先刻まで行っていた訓練を思い出し、げんなりした様子で同意した。
エマとロジャーが言う部屋は、リビングがある階を馬車の一階とするならば、地下一階に位置する。朔が重力魔法を付与した部屋であり、壁に取りつけられた魔石に触れて魔法を発動することで部屋の内部にいる者に対して重量五倍の重力魔法がかかる。
今、その部屋の中では、カイン、キザン、ツェンの訓練が、まずはジョギングから行われていた。
(おも……きつ……)
(……涼しい、顔……しやがって)
(……これは無理っす)
重力魔法の効果は、STRだけでなくMDFでも抗うことが可能である。……が、STRもMDFも高くないツェンはほとんど動けず、カインとキザンでもかなりきつい。なお、バステトとタンザは入ってすぐに諦めた。
「お前ら! ちんたら走るな!」
「ライ殿、隙だらけだぞ?」
ライがカインたちに指示を出すと、彼と対峙していたアルがその隙をついて剣を振るい――
「これはいい訓練になるな」
「いやいや、きついですよ」
ウルとロイは淡々と訓練をこなし――
「お館様に言ってもっと強い部屋も造ってもらうか」
「ドMであります!」
「……貴様」
イルとルイはぎゃあぎゃあと騒ぎながらも、この環境を楽しむように稽古をしているのであった。
同じ頃、荷馬車に乗って、一人のやや細身の男と、身体中に鞭の古い傷跡がある一匹のオークが南へと進んでいた。
「はあ……アサクラ男爵たちは大丈夫だろうか」
「フゴッ?」(なんだ?)
男が思わず呟いた独り言にオークが反応した。男は手話で答えた。
――なんでもない。
オークはそれを見て頷く。
「フゴ」(そうか)
朔たちと大きく異なり、彼らはほとんど会話をせずに、目的地を目指していた。
■
朔たち一行はいくつかの宿場町を通りすぎ、北西方向に伸びる街道を進んでいた。
現在はダンジョン都市の南、王都の西、スタットの北にある交易都市セルタの百キロほど手前にいた。左手には森、右手には平原が広がっている。
前日から雨がしとしとと降り続き、道がぬかるんでいるため、いつもより速度を落として進んでいる。すると、突然ナタリアが左手にある森を見つめ、耳をぴくぴくと動かした。そして、御者席に垂れている紐を三回引っ張りつつ、朔に告げる。
「サクさん、何者かが魔物に追われているようです」
「ありがとリア。ミラ、馬車を停めて」
「ん」
ミラが手綱を引くと、イアンとトウカは速度を落とし、馬車は停まる。すぐに軽装備に雨具(ポンチョのような革製のマント)を装備したアルたちに続いて、ラッキーフラワーの面々も外に出てきた。
アルらは阿吽の呼吸で素早く散開して索敵に向かい、カインは指示を出す。
「タンザ、バステトは馬車の屋根に。キザン、ツェンは待機」
キザンたちはカインの指示に従い、各々が四方に目を光らせる。次に、ロジャー、エマ、ルイ、ハロルドが御者席まで来て武器を構え、イルは屋根に上って森を見つめているナタリアに尋ねた。
「非常用のベルが鳴りましたが、何かありましたか?」
「もうすぐ森から出てきます。あれは……サーベルラットの群れです!」
ナタリアが叫ぶのとほぼ同時に、森から二人の冒険者が飛び出してきた。二人のうち体格のいい方の男は小柄な女性を背負っている。そして、二人を追いかけて、長く鋭い前歯を持ち、中型犬ほどの大きさがあるネズミの群れも森から出てきた。
懸命に走っている冒険者の一人――女性を背負っていない方が、朔たちに気づいて叫ぶ。
「逃げろ! 魔物の群れだ!」
「援護する! 馬車の後ろまで走り抜けろ!」
朔は大声で答えると、火玉を六つ生成してそのまま維持した。
「サジはシンシアを!」
「ガストロさん!」
「行け! お前らを助けられなかったら、ダンに申し訳が立たん!」
しかし、先ほど朔に叫んだガストロと呼ばれた男は、朔の火玉を見る前に反転し、魔物の群れを迎え撃つ構えを取った。もう一人のサジは、女性を背負ったまま、下を向いて走り続ける。
「貴族を巻き込むなんて最悪だ。ダン、すまん」
死ぬ覚悟をしたガストロは、構えた剣に力を込める。そこに、何者かの声がした。
「感傷に浸っているところに悪いが、お館様の邪魔だ」
「おおお!?」
「暴れるな。急ぐぞ。巻き添えを食らう」
状況を確認した瞬間に走り出していたイルは、既にガストロのそばにおり、有無を言わさず彼を左肩に担ぎ上げる。そして、土操作の杖で横に広い落とし穴を作ると、すぐに馬車の方へ走り出した。ものの数秒でサジたちに追いつき、彼が背負う女性を右手で抱え、加速する。
「え? え? え?」
「焼かれたくなければ急げ」
「ええええええええええ!?」
イルが、馬車の上にいる朔が作り出した火玉を視線で示す。それを視認したサジは、声を上げながらも気力を振り絞って速度を上げた。
「イルさん、グッジョブ!」
彼らの様子を確認した朔は、イルに向かって親指を立ててから、維持している六つの火玉にさらに魔力を込める。
(雨も降ってるし、大丈夫だろ。ナパーム弾みたいに、着弾したあと広範囲に広がるイメージで……行け)
「カイン! 先頭の生き残りを殲滅して。前に出すぎないようにね!」
朔は指示を出しつつ火玉を射出する。それらは魔物の群れの中央に着弾し、豪炎を上げて広がり、群れのほとんどを焼き尽くした。
「……うん。無問題。カイン、後は任せたよ」
「……キザン、ツェン、行くよ」
「ほとんどいねえじゃねえか!」
「加減を覚えたほうがいいっす!」
カインたちは文句を言いながらも、武器を構えてわずかな生き残りのもとへと駆け出した。朔は、そそくさと屋根から下りようとしたところ、ナタリアに捕まる。
「サクさん、ツェンさんの言う通りです。あやうくイル様たちまで巻き込むところでした。猛省してください」
「はい。ごめんなさい」
「それと、まだ終わっていませんので、戦闘態勢を解かないように」
「はい。ごめんなさい」
朔が怒られている間にも、カインたちはサーベルラットへ剣を振るう。
「身体が軽いって素晴らしい!」
「何匹でも来やがれ! 挑発!」
「剣の切れ味もヤバいっす!」
カイン、キザン、ツェンは生き生きとした動きで、瞬く間に生き残りを殲滅した。三人が息があるものに止めを刺していると、アルたちが巨大なネズミを一匹引き連れて森から出てきた。カインたちを確認したライが彼らに叫んだ。
「坊主ども追加だ! 大狼と同じEランクだぞ! 今度はやられるなよ!」
「え、あのときも見られてたの?」
「ちっ! やってやるよ!」
「おいらたちも成長したっす!」
素早く隊形を整えてから、カインは指示を飛ばした。
「タンザ! バステト! 撃って!」
「隊長たちが前にいますよ?」
指示を受けたタンザは少し困惑した様子で尋ねるが、カインがきっぱりと告げる。
「当てるつもりでいい!」
「ひゃっはー!」
「了解にゃ!」
タンザは意気揚々と全力で大きな火玉を放ち、バステトは短弓を引き絞って矢を放つ。アルたちが当たる直前で左右に分かれると、それが目隠しの役割を果たしたため、火玉と矢が大鼠に直撃した。しかし、大鼠は多少たじろいだものの、炎に焼かれ矢が肩に突き刺さったまま、甲高い雄叫びを上げて突っ込んでくる。
「プイイイイイイイ!」
「来いこらあ! 挑発!(重力魔法起動!)」
キザンは大鼠に挑発をかけて大盾を地面に刺し、その大盾に付与されていた重力魔法を発動させ、衝撃に備える。
挑発された大鼠はまっすぐキザンへと突進する。だが、五百キロを超える重さの鉄塊となった大盾を構えるキザンは、二百キロそこそこの大鼠のぶちかましにも耐えた。一方の大鼠は岩に激突したかのように、痛みで転げ回る。
「はああああああ! 重・力(発動!)・斬!」
そこに、カインが重力魔法を発動させた大剣を振り抜いた。
それは大鼠の首を断ち切り、地面へとめり込む。
なお、重力斬というのはスキルではなく、重力魔法を起動するタイミングを取るためにカインが勝手に言っているだけである。
「おいらだけ出番がないっす!」
「ツェン、大鼠の解体は頼んだよ」
「地味っす……」
がっくりと頭を下げたツェンとともに、アルたちやラッキーフラワーたちが事後処理を始めた。
一方の朔は、助けた冒険者たちに近づいていく。彼に気づいたガストロは、はっと顔を伏せ、ぬかるんだ地面に膝をついた。
「私は冒険者のガストロと言います! 巻き込んでしまい、申し訳ありません!」
「ガストロさんですね。私はサク・フォン・アサクラと言います。魔物の討伐も仕事のうちなのでお気になさらないでください。あ、あなたも怪我してますね。(キュア)ヒール。それより、そちらの苦しそうにしている女性を見せてください」
「シンシアを?」
ガストロの傷を癒やした朔は、サジが背負っていた女性――シンシアのところへ行く。彼女は今、地面に降ろされ、ぐったり横たわっている。
ガストロは朔を呆けた顔で見送った。朔はそんなことを意に介さず、心配そうに彼女のそばで名を呼んでいたサジに声をかける。
「シンシアさんの治療をさせていただけますか?」
「え? あ、は、はい」
突然声をかけられたサジは、わたわたと慌ててシンシアから一歩下がる。
朔が彼女の全身を確認すると、細かな擦過傷と左手の小指に深い咬傷があり、また左手全体がひどく腫れ上がっていた。
「噛まれたのはいつですか?」
「今から三、四日ほど前です」
「熱が出たのは? 他に症状はありませんでしたか?」
「今日からです。早朝に突然寒がりだして、一時はよくなったんですが、また……それに、食べたものを吐き出してしまっていました」
「回帰性の発熱に、嘔吐。他に気になる点は?」
「魔物に見つかってからは、逃げるのに必死で……」
「そうですか。ちょっと失礼」
サジに問診をしつつ、朔はシンシアの患部を洗浄しながら丁寧に観察していく。
「これは……四肢の内側に暗黒色の発疹か」
(状況から考えると、これはほぼ鼠咬症かな。ペニシリンなんてないけど、いざとなればキュアで治せるか?)
「診断」
朔は診察を終え、診断を発動させた。先に診察をしたのは医師としての矜持もあるが、一番の理由は、診断が全ての病気を明らかにするものではないと思っているからだった。四十代のリーナに診断を使った際に、他の病気が全くないとは考えにくいことから感じていたことである。だから、朔はできるだけ情報を集めた上で使用することを心掛けようと決めていた。
状態:鼠咬症(軽度、発熱期)
脈:やや速い
呼吸:浅く、やや速い
外傷:左小指に咬傷、多数の浅い切創及び擦過傷。
治療法:キュアで治せるけど、せっかくオリヴィアから教えてもらったんだし、中級のキュアポーションを使いなよ。
(いつもありがとな、アルス)
《どういたしましてだよ、ハニー♪》
朔は頭の中でアルスに礼を言い、腰に下げた収納袋から中級のキュアポーションを取り出した。はじめに、シンシアの左手の患部を再度清潔な水で洗い、ポーションを少量かける。それから、ヒールで傷を治し、残りのポーションをゆっくりと彼女に飲ませていく。
「はあ、はあ……どなたかは存じませんが、本当にありがとうございます。すごく楽になりました」
彼女はポーションをごくりと喉を鳴らして飲み干すと、大きく息を吐いてから朔に感謝を述べた。そして、疲れが溜まっていたのか瞼を閉じてしまった。
(ポーションの効果が出るの早くない!?)
「よかったです。雨も降っていますし、身体が冷えてしまっているので、馬車の中に入りましょうか。って、寝ちゃいましたね。よいしょっと」
朔が話している間にも、シンシアは寝息を立てはじめた。そこで、朔は彼女を担いで馬車に入ろうと立ち上がる。だがそのとき、ガストロが膝をついたまま再度頭を下げた。
「滅相もありません! アサクラ様を巻き込んでしまったにもかかわらず、助けていただいたばかりか、シンシアのためにキュアポーションまでいただいて、これ以上お世話にはなれません!」
「旅は道連れ、世は情けです。困ったときはお互い様ですよ。温かい食事も用意しますから、風呂に入って身体を休めてください」
ガストロは戸惑うばかりであったが、意を決した様子で地面に頭をこすりつける。
「(風呂ってどういうことだ? いや、そんなことよりも……)アサクラ男爵に無礼を承知でお願いがあります! どうか、サジとシンシアを町へ送り届けていただけないでしょうか!」
「もちろんそのつもりですが、ガストロさんはどうするのでしょう?」
「ダンを捜しに森へ戻ります」
「ダンさんとは?」
「ダンはシンシアの父親です。サーベルラットの群れからサジとシンシアを逃がすために、一人でおとりになり、まだ森の中に……」
ガストロの悲痛な言葉に、朔は一瞬で決断し、周囲にいた者たちに指示を飛ばす。
「アル隊長たちは、先行して森の偵察をお願いします。イルさん、ルイさん、ハロルドさん、ラッキーフラワーの皆は馬車の近くで待機、サジさんとシンシアさんを頼みます」
号令一下、その場にいた者たちが慌ただしく動き出した。そんな中、アルが朔のもとへと向かう。
「アサクラ男爵はどうされるのか?」
「私たちも、ガストロさんの案内で森に入ります」
「貴族になられたにもかかわらず、一介の冒険者を助けるために森に入ると?」
「民を守るのも貴族の仕事のうちでしょう? もちろん、拒否していただいてかまいません。そもそも私にアルさんへの命令権はありませんから」
アルの鋭い眼差しに、朔は怯むことなくまっすぐ見つめ返した。
十秒ほど見つめ合った後、アルはふっと力を抜く。
「まったく……決意は固いようですな。私たちの任務はあなたを守ることですから、アサクラ男爵が森に入るのであれば、その露払いはお任せあれ」
「アル隊長! あり――」
「――ただし! ロジャーとエマをアサクラ男爵におつけします」
朔の言葉を遮り、アルは有無を言わさぬ強い語気で言い切った。朔はその意見を受け入れ、ロジャーとエマに頭を下げる。
「わかりました。ロジャーさん、エマさん、よろしくお願いします」
「「はっ!」」
胸に右拳を当てて軍隊式の敬礼をするロジャーとエマ。話が終わったところで、そばにいたミラが朔の服の袖を引っ張った。
「サク、私は残って食事の準備をしてる」
「ミラ? そっか。うん、そうしてくれると助かるよ。あったまるのをお願いしてもいい?」
「ん。……頑張る。早く帰ってきてね」
十分もしないうちに準備を整えた朔たちは、ナタリアとガストロを先頭に森へと入る。なお、アルたちはガストロから、ダンのおおよその位置を聞いた上で既に出発していた。
「雨で視界が悪いため、密集して進みましょう。索敵は私とシンちゃんが担いますので、ガストロ様は道案内に集中してください」
「は、はい」
ナタリアの言葉にこくこくと頷くガストロ。あれよあれよという間に、想定とは大きく異なる展開になったため、彼はかなり困惑していたが、必死に自分たちの逃げてきた痕跡を探しつつ足早に進む。
その後ろには、シンを肩に乗せた朔とリト、最後尾にはロジャーとエマがついていた。
応援ありがとうございます!
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