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序.再開の門と、半裸の女神。
0#2 肌色
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「な……」
「うわぁ……」
その、多分転生担当の女性は、やたら肌色成分多めだった。って言うか肌色一色だった。なんのサービスだこれ。
あまりにもあんまりなサービスに、仁科さんですら言葉もなくドン引きしている。
さすがにこれは笑えないらしい。が、何故かガン見だ。そんなじろじろ見ていいものなのか?
俺はというと、直視していいのか目を逸らすべきなのか迷いに迷って、とりあえず目を逸らすことにした。
むぅ、今更もうちょっと見るべきだったかと少し後悔の念が……いやでも、手術着の姿だったら色々ヤバかった。っていうかこれ、後で怖いオニーサンが出てきてお金請求されたりしませんよね?
「ふむふむー、なるほどー?」
そんな俺達の反応に気付いた素振りもなく、巨大な門に続く階段の手前――勝手に入られないようにか、柵があるあたり遊園地のアトラクションを連想させる。――で立ち尽くしたまま、手元のボードであれこれ確認しては一人で納得している。
「ねえねえ、あれヤバくない? っていうかヤバいよねぇ」
いや、ヤバいと言われても俺はそのヤバイものを直視してなかったからなんとも……とか考えていたら、俺はうっかり、本当についうっかり、視線を女性の方へと向けてしまった。
さっきは一瞥しか出来なかったからほぼ裸かと思ったが、そうではなかった。ちゃんと隠すところは隠れているから『ほぼ裸』ではなく『ほとんど裸』だ。
うむ、これなら安心。とりあえず公道を歩けば間違いなくお巡りさんに呼び止められる程度の安心度。むしろ不安から数えた方が早いかもしれない。
一安心した俺は、その女性の肌色部分以外にも目をやった。
金糸を縒(よ)ったようなキラキラと輝く白金のブロンドは足元まで伸びて渦を巻き、白い素足に煌めきを添えている。
手元のボードに向けられた大きな瞳はプラチナの睫毛に翳(かげ)り、物悲しい美しさを醸し出していた。
その端整な横顔は妙齢にもあどけない少女にも見える。
それだけなら称賛すべき美女なのだが……。
纏っているのはひらひらと風もないのに勝手に浮遊する純白の薄布一枚。それが胸と局部を辛うじて隠している状態。それがまたその薄さでどうやって隠しているのか不思議になるくらい薄い。
あと、迂闊に視点を動かすと見えそうなのに布が意外としっかりガードしている。って、なんか論点がずれた。これじゃ俺、見ようとしてるみたいじゃないか。したけど。
しかし見れないとなると余計に想像を掻き立てられて……なんというかチラリズムと露出を極限まで追求したエロティシズムの極致を垣間見ている気がする。平たく言えば裸よりエロい。
「君……さっきから首の動きがキモいんだけど……インド人?」
「いや、それはインド人に失礼だろ」
どうやら仁科さんには俺が首だけ動かして様々なアングルを試している様子が、インド伝統舞踊の仕草に見えたらしい。
ジト目の仁科さんにインド人へのフォローをしっかり入れていると、
「あ……ああ、おおお待たせしましたー」
『実は忘れてました』と言外に聞こえる慌てた声に、俺は振り向く。
俺はその瞬間、初めてその人の顔貌(かおかたち)を真っ直ぐに見た。
伏し目の横顔に受けた印象と違い、くりっとした大きな瞳で真っ直ぐにこちらを見上げる女性は、妙齢というより少女と言った方が近いか。
しかし彼女が持つ豊かな胸、引き締まった腰回り、溌剌とした四肢は少女と呼ぶにはあまりにも煽情的だ。
惜しむらくはそんな端整な顔に浮かべているのが、これ以上ないってくらい白々しい営業スマイルであることか。
あまりにも薄っぺらいその笑みが、彼女の魅力を八割ほど削っている気がする。
他にも――。
「お名前をどうぞー」
「……え?」
「名前だって」
どうやら俺は見惚れていたのか。
仁科さんに小脇を小突かれて我に返る。
「あー、えーと、天堂宗、です」
「はいはい天堂宗さんですねー……えーと、はい、前方不注意による四輪自動車との接触事故及び衝撃による臓器損傷、多重骨折、脳挫傷ですかー」
「なんか、聞いてるだけで痛いね、君の死因……」
「いや、仁科さんだって電車にひかれたんでしょ? たぶんどっこいだと思うけど……」
「うへぇ……」
二人でうんざりした顔を突き合わせる。
「ま、死因はどうでもいいんですけどねー」
「じゃあなんで読み上げたし!?」
「だってー、こんな仕事してるとそれくらいしか楽しみがないんですものー」
「人の死因を楽しむのか! 楽しいのか!?」
「楽しいですよー」とへらへら笑う謎の破廉恥露出狂。なんか、疲れる、この人。
仁科さんはツッコむ気すら起きないほど、彼女の性癖にドン引き中だ。
つまりこの後も俺がツッコまなきゃいけないんだろうな……はぁ、帰りたい。
「改めまして、わたくし、第……えーと、何番か忘れましたけど、多分三億三千万番台の転生ゲート『始まりの門』を担当いたします、フィーネと申しますー」
「はぁ……」
この人、えらくいい加減な性格なんじゃなかろうか。一言一句一挙手一投足と第一印象からそんな気配がプンプンする。
それにしても『始まりの門』に『フィーネ』か……始まりと終わりとか、乙な取り合わせだこと。
「あ、一応女神の端くれですから、敬愛を込めて『麗しのフィーネ様』って呼んでくれて結構ですよー」
「チェンジで」
「そのオプションはご利用できませんー」
華麗にスルーされた。っていうか、今のが通じるとかずいぶん通俗的な女神様だな。
「話を戻しますねー。あなたにはこれからこの門を潜って新天地へと転生して頂きますー」
「そーみたいですねー」
いかん、この人の喋り方、なんか感染力が高いぞ。こっちまで間延びする。
「転生するにあたり、あなたには選択の権利が与えられますー」
販売員よろしく説明ごとに身振り手振りが入るのだが、ほとんど着てない彼女が動くと必要以上に身体が揺れる。特に胸部の破壊力は目に余る。
その揺れに惑わされていた俺の耳に、辛うじて『選択の権利』という言葉が耳に飛び込んできて、意識がそっちに攫(さら)われる。
選択の権利って、あれか? 転生するのに色々条件を決めさせてもらえるってことか? 自由なキャラエディットってことか?
「はいはーい、あなたが何を考えているか大体想像はつくので先に説明させていただきますとー」
俺の妄想にフィーネが水を注す。
「あくまで権利であり、自由ではありませんー。あなたが転生する条件を提示するのはー、これ――」
さっきからずっと片手に提げていた金属プレートを一回背中に廻して隠してから、
「スレシュマイファルホールトー!」
どこぞの未来型ロボットよろしく、それを天高く掲げて名称を宣言した。
どうでもいいが声真似が似てない。っていうか似せる気あるのかってレベルで似てない。
だがしかし本人はご満悦そうにほっこり笑って居住まいを正す。
「似てました? ねえ、似てましたか?」
「はぁ……その……なんなのかわかる程度には……」
やだ……この人ほんとメンドクサイ……。
「スレイシュ……? いやまあ、それをどうするんですか」
多分こっちから話を主導した方が面倒が少ないだろうと判断した俺は、その思惑を即座に実行へ移す。
何かを言いかけていた女神サマは、一旦口を噤んで俺の問いに向き直ってくれる。
よし、助かった。
「このスレシュマひ……」
噛んだ。
「シュれ……」
また噛んだ。
「……スレシュマイはふホふーほの導きに従って、あなたには新たな人生を歩んで頂くのですー」
噛んだけど鋼の精神で押し通した。
すげえ、この健気さは全俺が泣くレベルだ。腹筋がよじれてだが。
っつーか笑いを噛み殺すのにこっちにも鋼の精神を要求してきやがる。この人めんどくさくて難易度高いよ。誰か助けて。
「スレシュマイファルホールト、スレシュマイファルホールト、スレシュマイファルホールト……」
俺が女神サマの説明を頭の中で再確認してるとでも思っているのか、気付かれていないつもりのフィーネは舌の滑りを確認するように何度もその板の名前を口にしている。
今やるか、それ。笑いを堪えるのが辛い。あんた止め刺しにきてんだろ。そろそろ勘弁して下さい。
とりあえずあれは放っとこう。そうしないと色々ヤバい。深呼吸……よし。
あれか、そのタブレット端末みたいな金属プレートが俺の転生後の姿とかを勝手に決めるってことか。
そりゃそうだよな、転生のたんびに自分でキャラエディットしてんなら、世の中チート性能の美男美女しか生まれなくなるか。ちぇ。
「はい、ではこのスレシュマイファルホールトを手にしてくださいー」
一抹の未練を残しながらも、俺はフィーネに差し出されたスレシュマなんとかを受け取る。
「えーとですねー」
すると女神サマは何の躊躇いもなく俺の隣に肩が触れるほど接近して並ぶと、顔を寄せ合って10インチタブレットほどの大きさのスレマシュなんとかを覗きこんだ。
近い、近いって! あんたただでさえ裸っぽい格好してんだから、そんな近寄んな! 青少年の情操にすこぶる悪影響を及ぼす! 公然的な意味で!
「これをこうしてー……」
そんな俺の焦りも気付かぬ様子で、フィーネは桜色の肌の温もりと甘やかな香りを振りまきながらストレなんとかを手際よく操作していく。
って、これ、なんか見覚えあると思ったら……生前、俺が使ってたスマホ端末によく似ている……? つーかUIとかそのまんまじゃね?
女神サマがアプリの一つを起動する。
どっかで見たようなタイトル画面の後、ありきたりなホーム画面に移行し……ってなんだこれ、ゲームか?
「ここをぽちっとー」
女神サマの指先が画面の下端をタップすると、閉じられた四角い門の映像が現れる。それは俺の眼前で壁のように屹立するこの門にそっくりだった。
「はい、準備完了ー」
そう言って女神サマはようやく身体を離してくれた。名残惜しいやら一安心やら。
しかしこのシュトマなんとか。まるっきりあれだな。スマホだな。うん、スマホと呼ぼう。いまだに名前覚えられてねーし。
「それじゃあ、説明させてもらいますねー」
女神サマのスマホ……ってかどう見てもタブレットの大きさだが、この鉄板は意外と軽い。同じ大きさの発泡スチロール程度の重さしかないんじゃなかろうか。
しかし感触はしっかりと金属の冷たく硬質なそれだ。持っていると不思議な違和感が生まれる。
そしてよくよく見てみると、驚いたことに表示される映像はディスプレイ部分が発光するのではなくプレートの表面にわずかに浮いて表示されていた。
というか、鉄板はホントにただの鈍色の金属板で、ディスプレイっぽい部分もベゼルも見当たらない。横から見たら1mmくらいの隙間があったんだから間違いない。このスマホ、映像を宙空に投射してやがる。
一体どうやって映像を表示してんのか、想像も出来ない技術だ。魔法なのか?
そのくせ、発色やホワイトバランスは俺が今まで見てきたどんなディスプレイよりも鮮明で高精細だ。まあ、表示されてるのが灰色の門の映像だけだから、もしかしたら気のせいかもしれんけど。
「わー、なにこれすごーい」
再び、仁科さんが俺の背中にしがみついて、肩越しに手元を覗きこんできた。だから、重いうるさい柔らかいっての!
「これでどうするの?」
「こいつで転生先を決めるんだそうですよ」
「正しくは転生条件の決定ですねー」
ぶっきらぼうに教える俺の言葉に、女神サマが言い添える。
「条件って?」
仁科さんの意識がフィーネに移る。すると前のめりに重心を移動するもんだから、余計に背中の柔らかさが強調されて……。
「全部で五つありまーす。一つは資質。これは君達が生まれ変わった後、どれくらい能力を伸ばせるかっていう目安のようなものねー。高ければ高いほど能力は延びやすく、限界も高いけど、努力しなければ宝の持ち腐れになっちゃうから、高い資質を持っているからって油断しちゃだめよー?」
「なるほどー」
一つ頷いた仁科さんの細い顎が、俺の肩をこつんと叩く。筋肉を抉って地味に痛い。
「あ、じゃあじゃあ、生まれ変わる前の資質ってわかるんですか?」
「わかるわよー、今の画面の右下の、蜘蛛の巣みたいなマークを触ってみてー」
「これ?」
仁科さんが俺の肩越しに……っていうかいつまで乗ってんだよこの人は!
俺はスマホの画面に手を伸ばす仁科さんから身を屈めて離れると、少し非難を込めてスマホを突き付けた。
「お、ありがとー」
「転生の順番は守ってねー」
「はーい」
軽く答えた仁科さんが、今度こそフィーネに言われたボタンをタップする。
「ほほう……」
切り替わった画面に しせんを落とした途端、仁科さんが唸った。なんか理解が早いな。
と感心していたら、仁科さんは顔を上げて一言。
「よくわかんないんだけど」
わかってなかっただけかよ。
仁科さんのつまらなさそうな声に誘われて、俺はその画面をのぞき込む。
そこにはほとんど円と言ってもいいほど角の多い正多角形があった。角の多さはつまり項目の多さを意味しているのだろう。ステータスはかなり細分化されているみたいだな。
その正多角形の中に、それよりも一回り小さくて歪な多角形が収まっている。これはレーダーチャートか? じゃあ、正多角形の真ん中ぐらいにある線が平均値ってことなのかな。
だとすると、仁科さんのスペックは全ての値が平均以上、中には正多角形の最高値に迫るものまで存在するぞ。なんちゅーハイスペックガール。
俺が戦慄しながらそのことを教えてやると、
「へー、そういうこと。ふーん」
と、さして興味もなさそうに俺にスマホを押しつけて、
「ねえねえ、資質の決定ってどうするんですか?」
フィーネの方に駆け寄っていった。
それを見送って、俺はスマホの画面を一つ戻し、こっそりと資質チャートを起動する。どうやら、このボタンをタップした人間の資質を測ってくれる機能のようだが……。
まああれだ。さして期待はしていないぜ? 自分が大した人間じゃないことは自分が一番よくわかっている。親の期待にも応えられない半端者だ。でももしかしたらなんか隠された凄い能力とかあるかもしれないしさ、確認しておくに越したことはないじゃん?
と、自分に言い訳している間に、資質のチャートが表示された。
俺は凍り付いた。
なん……だと……? 何も表示されない……だと?
さすがにこれは動揺を隠せない。えーと……壊れてますよ、これー。
「あの、女神サマ? なんか資質チェックに何も表示されないんですけど……」
恐る恐る報告すると、仁科さんにあれこれ質問攻めにあっていた女神サマは逃げるようにこちらに寄ってきた。
その際、彼女は二本の足で歩くのではなく、ふわりとわずかに浮かんでそのまますいっと滑ってきた。床にとぐろを巻いていた金の髪の毛も、尻尾のように宙を流れてきて、俺のそばに着地した彼女の足元へ当然のように纏(まと)わりつく。
「えーと……あー、なるほどー、ちゃんと表示されてますよー?」
「は? でも実際画面には何も……」
「平均値を表す線にぴったりすぎて、隠れちゃってるんですよー」
「わ、ほんとだ、逆にすごくない?」
いつの間にか戻ってきた仁科さんが、女神サマと反対方向から俺の手元を覗き込む。
女神サマの格好には慣れてきたもんだが、こうして顔の横をこの二人に挟まれると、流石に落ち着かないものがあるな……何もしてないのに悪い事をしている気分になるのは何故だろう。
ああ、そうか、きっと俺なんかがこんな美少女二人を侍らしてる罪悪感なんだろうな。って、どんだけ卑屈なんだ、俺。
いや、問題はそこじゃない。
「やだ……俺の資質、低くない?」
そんな言葉しか出なかった。ちょっとこれはあんまりにもあんまりな気が……。
「まあ、平均以下ではないわけですしー、無難って言えば無難?」
「それ、励ましてくれてるんですよね……」
「それはあなたの受け取り方次第ねー」
大きく溜息を一つ。気持ちを切り替えて、曲った背筋を伸ばした。
「それで、どうやって資質を決定するんですか?」
俺が尋ねると、かたわらにいた女神サマはついっと元の位置、柵の前まで戻って振り返った。
「それは転生条件の説明が全て終わってから、最後の楽しみに取っておきましょうー」
「そうですか……」
なんつーか、これって絶対マニュアル無視してるよな? なんともいい加減なリベラル具合が不安になるぜ。
内心の不安にうんざりしていた俺に代わり、仁科さんが前に出た。
「次は何ですか?」
「二つ目の項目は、転生先ですねー」
「いきなり転生先?」
意外な話に俺は声を上げた。
「転生先の世界を決めないと、その世界に準拠した容姿や能力を限定できませんからー」
「なるほど」
言われてみればもっともな話だ。
もし、先に容姿を決定してエルフとかドワーフみたいな見た目に特徴のある存在に決定してから、俺達が元いたような一種類の人間しかいない世界に行っちゃったら大問題だ。人間に限った話でも問題なのに、スライムとかドラゴンとか、そんなものも含まれてるとしたらもはや世界観もへったくれもあったものじゃない。
「なので、三つ目が種族と容姿ですねー」
「性別も三つ目ですか?」
仁科さんが人差し指を口元に添えて尋ねる。
そこに興味を持つってことは、男に生まれ変わりたいとか言ってたのはどうやら本気なのか。なんだかちょっともったいない気もするが、中身があれじゃあ確かに男の方が付き合いやすいかもしれない。
って、別に今後は関係ないか。どうせこれから生まれ変わるまでの短い間柄、この門を潜っちまえば仁科さんとは今生の別れだ。
「そうですよー、種族と容姿と一緒に性別も決まりますねー」
「全部一緒くたに?」
「全部一緒くたに。あんまりのんびりやってるとケツカッチンですからー」
なんでそこに業界用語が挟まる。
「というわけでー、四つ目がみなさんお待ちかねの特殊能力でーす」
鳴り物があったらドンドンパフパフと賑やかしたくなる単語に、俺は少しときめいた。
ただでさえ、生前は役立たずスレスレの言われようだったんだ、仁科さんの言葉じゃないけど生まれ変わった先であれこれ自由に生きる為にはちょっとでも他人より抜きんでれる特殊能力があるに越したことはない。
あー……あんまり認めたくないけど、俺、仁科さんの『好きなように生きてみたら』って言葉に相当励まされたんだな……感謝くらいしといてもバチは当たらないかも。
「それって、どんなものがあるんですか?」
俺は鼻息も荒く身を乗り出す。
「色々ありますよー。これもまた転生先の世界にある程度制限されるものですが、ポピュラーな所ですと、飛行能力、怪力、瞬間学習、発電、発火とかー」
「それを聞く限りだとなんかアメリカンヒーローですね……」
「む……因果律操作とか、エントロピー収束とか、追い込まれたら強くなる背水系のだってありますよー」
何が勘に触ったのか、女神サマは拗ねた子供みたいな顔で言い募る。
この人、ちゃんと服さえ着てくれれば、けっこう子供っぽいところが可愛いんじゃなかろうか。まあ、あくまで愛玩的な、だけど。
俺はどちらかというと海外系の大人な女性の魅力に惹かれるタイプだ。特にイギリスあたりの落ち着いた品格は堪らないね。
って、俺の好みはどうでもいい。話を聞こう。
「あ、でもでも、能力なしのハズレもありますから、そこはご容赦をー」
「ハズレあんの!?」
「そりゃそうですよー。誰でも彼でもそんな変な力持ってたら、場合によっちゃ大混乱じゃないですかー。だから特殊能力の付与は、転生先の世界によってもだいぶ左右されますねー。でも、これって努力しないでも使えちゃうスペシャルスキルですから、ほんとに運がいいか特別な運命を背負った人でないと付与されないんですよー」
「そういうもんなのか……」
「そういうもんなんですー」
ぷーっと唇を尖らせた女神サマが言い切る。聞き分けの無い相手に不貞腐れる子供か、あんた。
まあ、そういう事なら仕方ない。あまり期待しないで楽しみにしておこう。
「それで、五つ目は?」
「最後の五つ目は運命です」
『運命?』
俺と仁科さんの声が唱和した。
「はい。生まれ変わった世界で、あなた方がどんな生き方をするかっていう、まあ、占いみたいなものですね。あんまり深く気にしないで下さい」
「なんか、具体性のあった今までの項目と一線を画す上にお座成りだな……決める必要あんのか?」
「あるんですよー。上からそういう風に言われてるんですから、小役人は黙って従うしかないのですー」
なんか、女神サマの縦社会もなかなか荒んでるんだな……。
「さ、ちょっと時間を取られ過ぎたので、ちゃっちゃと決めていっちゃいますよー」
俺の転生条件はちゃっちゃと決められちゃうのか。なんか寂しい。
「決めるって言われても、どうやって決めるんスか」
「そのスマホを使うんですよー」
あ、今この人スマホって言った。
っていうかタブレットだろ、これ。大きさ的に。いや、略しただけか?
「“我、定めの門を敲(たた)く者。約定に法(のっと)り、新たな光明を我が前に示し給え。即ち、壱の門”と、スマホに語り掛けてみてくださいー」
「……マジで?」
「マジですよー」
「恥ずかしいんですけど」
「決まりですから」
にっこりと微笑む女神サマに、譲歩の気配は欠片も見受けられない。
やるしか……ないのか……。
「わ……我、定めの門を敲く者……えーと?」
「約定に法り、新たな光明を我が前に示し給え、だよ」
背後から仁科さんが耳打ちしてくれる。よく覚えてんな……。
「約定に法り、新たな光明を我が前に示し給え……即ち、壱の門」
俺が呪文を唱え終わるやいなや、画面の中の門扉に縦一文字の亀裂が走り、そこから眩いばかりの光が溢れだす。
ちょっと目に痛いくらいの光に目を瞑ってしまった俺は、何が起こっているのか慌てて目を開ける。
目を閉じている間に光は収まっていた。そして、門の描かれていた画面の変化に気付く。
半開きになった門の向こうから淡い光が溢れ、画面の中央で左右にピコピコと動く大きな矢印、そしてど真ん中にでかでかと踊る『SWEEP!!』の文字。
えーと、左右にスワイプしろってこと? え? なんかとてもじゃないけど自分の人生を左右するような重大な雰囲気は皆無なんですが?
と、内心を不安やら戸惑いやらでてんやわんやにしつつ、指示通りにスワイプする。
すると半開きだった門が重苦しい石の擦れる音を上げて開いていく。同時に画面はその中に吸い込まれていき――。
「結果が出たみたいですねー、見せて下さいますかー?」
画面には完全に開いた門と、その中に浮かぶ『UC』の文字。UC……なんだろう、微妙になじみのあるアルファベットだ。何かの略か?
真正面まで近づいたフィーネが、逆さまにスマホの画面をのぞき込む。背後からは仁科さんも興味津々に首を伸ばしてきた。
にわかに俺の周りが甘く柔らかい匂いに包まれて……。
だからお前ら近いって! そんな無防備に近づくな! こちとら女性経験が豊富とは言えないんだから!
「ちょ、ちょっと近いから!」
特にフィーネの格好はヤバい。青少年の生理現象が発動するのは明白。ってかすでになかば発動してる。
俺は禅語を挟む二人から横手に逃れた。
「あーん、見せて下さいよー、登録処理もあるんですからー」
フィーネがおもちゃを欲しがる子供みたいに、逃げた俺を追ってよたよた近づいてくる。
「あんたはそれ以上見せないで下さいよ!」
「ええ?」
なんの話だかわからないと形のいい眉根を寄せるフィーネに、仁科さんが言い添える。
「服装ですよ、彼にはちょっと刺激が強すぎるみたいで。わたしは可愛いと思うんだけどね。絶っ対っに着たくはないけど」
「ああ、これですか、たまにいるんですよねー、よっと」
フィーネが軽く声を掛けると、身体の周りに漂っていた薄布がしゅるりと衣擦れの音を立てて彼女の身体に纏わりつき、あっという間にイブニングドレスのようなボディコンのような、胸元に大きなリボンをあしらったワンピースに早変わりした。
確かに露出は減ったけど、布の集まりがまちまちなのかお腹のあたりや背中は肌色が分かるほど透けてるし、膝上あたりでは白布の裾がほぐれてうねうね動いているもんだから相変わらず見えそうで見えないチラリズム力は高い。
あの下、何も穿いてないんだよな……と考えて、生唾を飲み下す。
「これでどうでしょう?」
「うん、結構普通になったね。ね?」
「普通、か?」
「私はなんでもいいんですけどねー」
言いながら女神サマは無造作に俺に近づいてくる。確かに、さっきのようなピンク色の威圧感は薄れている気がする。
しかし、この人の羞恥心は一体どこにあるんだ……唖然とする俺の手から、するりとスマホが引き抜かれた。
そのスマホをさっと瞥視(べっし)して一言。
「あー、まあ、なんというか……」
言いよどみ、憐れみに満ちた目で俺を見てくる。
「資質が全てじゃありませんよー?」
「なにその残念そうな感想」
と呟いて思い至る。UCって……もしかしてアンコモンの略か!?
つーか一度目の条件決定をしてから妙に懐かしい安堵を覚えてたんだが、これってスマホゲーでガチャを引いた時の『なんか、やっちゃったな……』っていう虚しさと背中合わせの充足感じゃねえか!
『こんなの、ゲームの運営が終わったら手元にも残らないデータ屑になる』ってのがわかってるのに『いま引いておかないと絶対後で後悔する……』っていう変な強迫観念に駆られて、結局『当たるかどうかじゃなくて引くことに意義があるんだよな……』とか価値を無視した理屈のすり替えで結局ガチャっちまった後の『ふう……やっちまったぜ……だが、後悔は……ないわけねーだろなんだよこの結果!』ってな具合で満足してんのか後悔してんのかよくわからんあの感覚にそっくりだ……。
っていうか……そうだよ、これってまるっきりガチャだよ!
ガチャで俺の運命決まんのか!?
「……あの、結果は追々聞くとして……五項目全部こうやって決めんスか?」
「そうよー」
気の抜けた俺の手からスマホをひょいっと抜出した女神サマは、画面に注視したままあっさりと答えた。俺の結果を手続きに反映しているのか、手元が忙しなく動いている。
「あのー、で、俺の結果は?」
「こんな感じね」
渡されたスマホの画面にはついさっき見せられたレーダーチャートが表示されている。俺の資質を表示した時の、標準線しか見えないやつだ。
「あの、なんも変わってないみたいなんですが」
「すごいわよねー、こんなに変化に乏しい結果は初めて見たわー」
「……やり直しは?」
「でっきませーん」
やたら嬉しそうに拒否された。
「いやでも、下がるよりはマシだし、以前と変わらないってことは違和感なく新しい人生を送れるってことだよな……うん……」
誰かに同意してもらいたくて敢えて声に出して確認してみたけれど、
「ねえねえ、わたしもやっていいですかー?」
「一人が全部終えるまで次の人は出来ない決まりなのよー」
てな具合で、反応を期待した二人は俺なんか眼中にもない様子で話し込んでいたりする。
うん……まあ、俺の人生ずっとこんなだったし……慣れてるけどさ……。
二人の会話になんとなしに耳を傾けると、お薦めのスイーツとか下界の流行りとか、今そんな話する必要あるのか? ってな具合の話題ばかりだった。
そんなん後でいいじゃんよ……。
「あの、とっとと次に行きませんか……?」
何がスイッチになったのか、いきなりガールズ(?)トークを楽しみ始めた二人に、おずおずと提案する。
俺がげんなりしていると、口を動かす合間にスマホを差し出された。俺が受け取っても二人はお喋りをやめる気配はない。
勝手にやっとけってことですか。
「あー……我、定めの門を敲く者。約定に法り、新たな光明を我が前に示し給え。即ち、弐の門 」
ものは考えようだ。これがガチャであれば俺にとっては慣れたもの。別に一人で出来るもん。
いや、そういう問題じゃない。なんだこの疎外感……。
二回目ともなれば慣れたもの。しかし毎回この目を焼かんばかりの閃光を放つんですか、こいつは。
今度は確か転生先の世界だったか。開いた門に表示されたのはアルファベット五文字。『ZHWRL』
なんだ、また何かの略称か? それとも神様の隠語か?
「あの、これなんて読むんスか?」
俺が二人の方にスマホを掲げると、流石にフィーネもお喋りを中断してこっちに顔を向けた。
「あらー、行き先は『ツェール』なのねー」
「ツェール?」
「今だと丁度あなたが住んでた世界の中世くらいに当たるのかしら? 封建制が根強い戦乱の時代よー」
「戦乱……」
俺の頭の中に、馬に跨った甲冑騎士が駆け回るヨーロッパの風景と、刀や槍を携えた鎧武者の姿が同時に現れて交錯した。
実際はもっと現実的なんだろうが……できればヨーロッパ風の中世がいいなぁ。和風はなんか堅苦しイメージがある。いやまて、中国とか中東の可能性も……南北アメリカ時代とかももしかして中世? いやあれは近代だった気が……しかし封建制って言ったらヨーロッパの印象だけど……そもそも封建制って具体的になんだっけ?
「そうねー、あなたの生きていた世界と比べるとー……産業が未発達な分、人口の増加が緩やかで、しかも戦乱の時代、開発の手は滞っていて、自然環境や未開の地が多く残されている世界ねー」
「ってことは、情報産業なんてものは……」
あれこれ無い知識を搾り出す俺を余所に、フィーネと仁科さんが俺の行く世界について語り合う。
「影も形もないわねー。そもそも電波や重力波――は、あなたの世界じゃまだ実用には至ってないか。とにかく、無線技術どころか電気すらろくに知られていないもの。最速の情報伝達手段が烽火(のろし)による情報リレーよ」
「腕木通信ですらないんですか」
「望遠鏡の類がまだ発明されていないのよー。戦争の時代はそれに関わる技術体系が著しく拡張されるものなのだけど、この世界は不思議とその辺りが横ばいなのよねー」
「人材と資材の不足?」
「それもあるでしょうけど、さっきも言った通り未開発地域が多すぎる上、各々の抱えている土地の奪い合いに終始しているから……新しいものに眼を向けられる指導者が現れないことには、今の状況がもうしばらく続くでしょうねー」
えーと、俺の行く世界の話だよな? なんか、仁科さんと女神サマの間で俺の理解が及ばない方向へ話がシフトしているんだが……っていうか仁科さん、今時の馬鹿っぽい娘かと思ってたけど、伊達にハイスペックじゃねーな……。
「戦乱の時代がどれくらい続いてるんですか?」
「既に二百と二十年強。長いとまでは言わないけど、決して短くはないわね」
「じゃあ、民衆の生活もだいぶ荒れているんでしょうね……戦闘行為による略奪行為、戦費による重税、そして戦場になった畑の荒窮……見通しの暗い世界ね……というわけで、頑張ってね、君!」
「あー、うん、どういう話かわかんなかったけど、あんまり楽しそうな世界じゃないってのはよくわかった」
わざわざ暗い未来が待ってることを俺に突き付けてくれたわけね。感謝感激だよコンチクショウ。
「そんなに悲観したものでもないわよー。情勢が不安定な分、実力次第で成り上がれるってことなんだからー」
「実力次第……ね」
その実力を決めるガチャが微妙な結果に終わった俺にとっては、あんまり慰めになっていない。
「さあさあ、気を取り直して三つ目に行きましょうー」
「はいはい……我定めの門を敲く者――」
もうすっかり覚えてしまった文句を早口に唱え上げる。スマホが光る。スワイプする。この演出、飛ばせないのかな。
「えーと、種族と容姿と性別はー……」
「……据置?」
って、書いてある。漢字で。
「はい、据置ねー」
「ちょっと待て! いくらなんでもお座成りすぎやしませんか!?」
「でも決まった事ですしー」
能力も所属も容姿も性別も結局前世と同じとか、新しい人生に対するこのワクワクにどう責任を取ってくれる!?
「これじゃあ、前世の記憶があってもおんなじ人生を生きる羽目になるんじゃ……」
俺の不安はその一事に尽きる。もう、あんな惨めな人生はまっぴらだ。今度こそ、自分の意志で決めたことをやり通す、自由に生きるって、そう決めたのに……ちょっとこれはあんまりじゃね?
「んん? 前世の記憶?」
と、女神サマが俺の言葉を聞き咎める。
「何か勘違いされてますねー」
「勘違い?」
「前世の記憶は完全に、一切合切、微塵も残さず消えますよー」
俺は世界が凍り付く音を聞いた。気がする。
耳の奥でフィーネの声がわんわんといつまでも反響して、俺に無慈悲な現実を突きつける。
「記憶、消えちゃうんですか?」
「そりゃそうですよー。あなた、前世の記憶って覚えてます?」
「確かに……覚えてませんね」
やけに冷静な仁科さんと呆れた様子のフィーネの会話も、ロクに頭に入ってこない。
なんてこった。前世の記憶を保持して転生するからこそ、転生モノに物語が生まれるんだろ?
記憶もなしに転生したところで、それじゃあ単なるファンタジーモノになるだけじゃないか。いや、そもそも、俺のスペックじゃファンタジーモノの主役すら覚束ない。
このまんまじゃ、前世と同じ負け組モブキャラ人生確定……? それじゃあ好きなように生きるってのも夢のまた夢じゃ……。
愕然とする俺を無視して、女神サマは無慈悲に場を取り仕切る。
「はーい、では四つ目に行きますよー」
四つ目……特殊能力……。
「そーだよ! ここですごい特殊能力を引けば!」
まだ主役人生の望みはある! 思うがまま望むままに人生を謳歌できる! 生きる目的の分からない
いきなり大声をあげて復活した俺に目を丸くする二人に構わず、俺はフィーネの手からスマホを取り上げて早速次のガチャを回しにかかる。
「我定めの門を敲く者約定に法り新たな光明を我が前に示し給え即ち肆の門!」
声の張りと指の動きは完璧だ。テンポもいい。それで結果に何か影響するのかと聞かれたらわからんが、こういうのはきっと気持ちの問題だ。スマホゲーのガチャだって本気でこれが当たらなきゃ死ぬとか思ってたら当たったことあったし!
重々しい音と共に門が開き、画面が白光に塗り込められる。俺はその光から逃げず、爛々とかっぴらいた眼をじっと画面に注ぎ込む。きっとここで目を逸らさず眼力を注ぎ込むことも大事だと、自分に言い聞かせて必死に光を睨みつける。
「っと思ったけどやっぱ女神サマ確認して!」
結果が表示される直前に、俺は怖くなってスマホを女神さまに押し付けた。「やん!?」と悩ましげな声が聞こえてスマホ越しに今まで味わったことの無い優しい感触が拳を包み込むのも味わう余裕はなく、俺は女神サマのご託宣を待つべく神妙に頭(こうべ)を垂れた。
「んもう……えーと?」
上目遣いにその様子を窺うと、ちょっと頬を紅潮させて口を尖らせたフィーネが、スマホの画面を確認する所だった。
スマホに半分隠れたフィーネの顔から、きょとんと表情が消え失せ、次にあわあわと泡を食ったように慌て始める。
「わ、わ、すごいですよー、SSRクラスの特殊能力です!」
「マジかっ!?」「SSRって?」
逸る俺の声と、呑気な仁科さんの声が被る。
「え、SSRっていうのはですねー――」
「説明はいいから、内容はっ!?」
猛獣の如く眼を血走らせて半裸の女性に食って掛かる俺の図。
「来ないで!」
「うべしっ!?」
謎の見えない壁に阻まれ、何故か拒絶されて、数メートル吹っ飛ばされる俺の図。
「今のは君が悪いよー」
潰れたカエルのように無残に倒れる俺の脇に、納得した顔で仁科さんが屈み込んだ。
俺、何か悪いことしたか?
そう思っていると、倒れた俺の視界に女神サマの白い素足が入ってくる。見上げれば――薄布がしっかりガードしてやがる。なんかこれ、アニメのそういうシーンに出てくる白い光に似てるな……いろんな意味で。
「ごめんなさい、突然だったから驚いちゃって……ああいう風にいきなり襲い掛かってくるような人もたまにいるので、私の意志で干渉空間が即座に展開するセキュリティがあるんですよー」
その襲ってきた奴は間違いなくあんたの格好に勘違いした野郎だろうが、あんたの格好をみて勘違いしないやつの方が少ないと思うぞ……なんて口にすると、そういう意味で襲い掛からなかった俺のヘタレが発覚するので黙っておく。事実はあくまで紳士だから襲わなかったのだ。うん。
「いやそんな事よりも結果は!?」
俺は跳ね起きた。
「ご自分で確認してくださいなー」
フィーネは心得た様子で俺の鼻先にスマホの画面を突き出した。
そうだよわかってるじゃん、やっぱこういうのは他人に伝えられるより自分で確認した方が何倍も嬉し……さが……。
「記憶……保持……だと?」
「はい、記憶保持ですよー。すべての世界に共通して出現する可能性がありながら、私は今の今まで一度も見た事の無かった超超超レアスキルですー!」
まるで我が事のように手を打って喜ぶフィーネ。
「記憶保持かぁ……うん、レアなら凄いんじゃない?」
なんかちょっと同情気味の仁科さん。
「記憶保持……」
ってつまり、あれだろ? 転生しても記憶が消えないってことだろ?
……正直微妙だ……確かに前世の記憶を持っていることは、転生モノじゃお約束、主人公の条件と言っても過言じゃないけれど……ファンタジーモノに意識がすっかり路線変更していた俺にとっては、至極微妙な代物だ。
第一、俺の知識で本当に新しい世界に新風を巻き起こすことが出来るのか?
そりゃ実際に行ってみないことにはわからんけど……冷静に考えてみると、不安なことこの上ない。
学校の成績は悪くなかったが、正直成績がいいだけで頭が良いとは言い難いのだ。
勉強なんてただのコツ、勉強法次第。その勉強法を考えつくのが頭の良さ……って持論はあれど、結局向こうで新しい知識が得られないんじゃ、頭の回転以上に豊富な知識がものをいう訳で……テストの為にしか勉強していなかった俺には、そんな自慢できるほどのものはないぞ……。
いやまて主人公なんて大それたことを考えるから、期待するから不安になるんじゃないか?
もっと慎ましく、村の英雄くらいなら俺の知識でも行ける気がする。
そうだ、主人公なんておこがましい考えを捨てて、スーパー村人Aとして生きるんだ。世界に名をとどろかせる必要なんてない。ちょっとした村のピンチを俺の知恵で颯爽と救い、周囲の人達に注目され、尊敬され、みんなが羨む村一番の可愛い娘と結婚して、子供を作って、あいつはすごかったと語り草にされながら老後をのんびり楽しむ。そんな人生も悪くないんじゃないか?
そう考えたらちょっと希望が湧いてきた。
「よし、そうと決まったら最後の運命だ」
「気張ってどうぞー」
気を取り直した俺はフィーネに促され、最後の詠唱を口にする。
「即ち、終の門!」
もう見飽きた演出の後、門の中に表示されたのは――。
「追われる者……?」
「追われる者ねー」
「何に追われるの?」
「何に追われるんでしょうねー」
「っていうか誰が追われるの?」
「あなたの運命ですから、あなたではー?」
……どうにもこうにも不安しか感じられない。
「もうちょっと具体的にはわからないんですか?」
「わからないのよねー、『あくま』で『そんな風』に『なるかもしれない』『気がする』『程度』の代物だからー」
仮定ばかりずらずら並んだな。
「もしかしたら女の子に追われるのかもよ?」
「そんな能天気に構えてられないな……今までの俺の人生を振り返るに」
「楽しくなるものと思っとかないと、どんなことだって楽しめないよ。ほら、次は思いっきり自由に生きるんでしょ?」
そうだ、仁科さんの言う通りだ。
俺は前世のつまらない言いなり人生を捨てて、自分の意志で生きる人生を開拓するために転生するんだ。
ここは資質も容姿も変わらないことは忘れよう。そう考えれば、生きる目的を忘れずに済む記憶保持の特殊能力は俺の為にあるようなものじゃないか。
うん、そう考えたらなんだか全部が全部俺の為にうまく働いてくれている気がする。
仁科さんに出会えたのも、神様の粋な計らいだったのかもしれない。
「さあさあ、あなたの転生条件は確定しました。新しい人生をお楽しみくださいー」
フィーネが高らかに宣言すると、とてもじゃないが開きそうになかった巨大な石の扉が、ゆっくりと音もなく左右に割れて道を開けた。
門の向こうは光の靄に隠されて見通しは利かないが、なんだか輝かしい未来に繋がっている気がして胸が高鳴った。
全体から見れば隙間程度にしか開いていない門だが、石段を登ってそのふもとまで来ると大人が優に通り抜けられるくらいには口を開けている。
あと一歩踏み出せば俺は新天地へ向かう事になる。
その前に……。
「仁科さ――」
おっと、そう言えば諄(くど)いくらい名前で呼べって言われてたっけ。
「エリ、ありがとうな!」
「どういたしまして!」
エリの会心の笑顔に見送られて、俺は光の中に旅立った。
願わくば、また彼女と再会する日が訪れるように……無理だろうけどさ。
「うわぁ……」
その、多分転生担当の女性は、やたら肌色成分多めだった。って言うか肌色一色だった。なんのサービスだこれ。
あまりにもあんまりなサービスに、仁科さんですら言葉もなくドン引きしている。
さすがにこれは笑えないらしい。が、何故かガン見だ。そんなじろじろ見ていいものなのか?
俺はというと、直視していいのか目を逸らすべきなのか迷いに迷って、とりあえず目を逸らすことにした。
むぅ、今更もうちょっと見るべきだったかと少し後悔の念が……いやでも、手術着の姿だったら色々ヤバかった。っていうかこれ、後で怖いオニーサンが出てきてお金請求されたりしませんよね?
「ふむふむー、なるほどー?」
そんな俺達の反応に気付いた素振りもなく、巨大な門に続く階段の手前――勝手に入られないようにか、柵があるあたり遊園地のアトラクションを連想させる。――で立ち尽くしたまま、手元のボードであれこれ確認しては一人で納得している。
「ねえねえ、あれヤバくない? っていうかヤバいよねぇ」
いや、ヤバいと言われても俺はそのヤバイものを直視してなかったからなんとも……とか考えていたら、俺はうっかり、本当についうっかり、視線を女性の方へと向けてしまった。
さっきは一瞥しか出来なかったからほぼ裸かと思ったが、そうではなかった。ちゃんと隠すところは隠れているから『ほぼ裸』ではなく『ほとんど裸』だ。
うむ、これなら安心。とりあえず公道を歩けば間違いなくお巡りさんに呼び止められる程度の安心度。むしろ不安から数えた方が早いかもしれない。
一安心した俺は、その女性の肌色部分以外にも目をやった。
金糸を縒(よ)ったようなキラキラと輝く白金のブロンドは足元まで伸びて渦を巻き、白い素足に煌めきを添えている。
手元のボードに向けられた大きな瞳はプラチナの睫毛に翳(かげ)り、物悲しい美しさを醸し出していた。
その端整な横顔は妙齢にもあどけない少女にも見える。
それだけなら称賛すべき美女なのだが……。
纏っているのはひらひらと風もないのに勝手に浮遊する純白の薄布一枚。それが胸と局部を辛うじて隠している状態。それがまたその薄さでどうやって隠しているのか不思議になるくらい薄い。
あと、迂闊に視点を動かすと見えそうなのに布が意外としっかりガードしている。って、なんか論点がずれた。これじゃ俺、見ようとしてるみたいじゃないか。したけど。
しかし見れないとなると余計に想像を掻き立てられて……なんというかチラリズムと露出を極限まで追求したエロティシズムの極致を垣間見ている気がする。平たく言えば裸よりエロい。
「君……さっきから首の動きがキモいんだけど……インド人?」
「いや、それはインド人に失礼だろ」
どうやら仁科さんには俺が首だけ動かして様々なアングルを試している様子が、インド伝統舞踊の仕草に見えたらしい。
ジト目の仁科さんにインド人へのフォローをしっかり入れていると、
「あ……ああ、おおお待たせしましたー」
『実は忘れてました』と言外に聞こえる慌てた声に、俺は振り向く。
俺はその瞬間、初めてその人の顔貌(かおかたち)を真っ直ぐに見た。
伏し目の横顔に受けた印象と違い、くりっとした大きな瞳で真っ直ぐにこちらを見上げる女性は、妙齢というより少女と言った方が近いか。
しかし彼女が持つ豊かな胸、引き締まった腰回り、溌剌とした四肢は少女と呼ぶにはあまりにも煽情的だ。
惜しむらくはそんな端整な顔に浮かべているのが、これ以上ないってくらい白々しい営業スマイルであることか。
あまりにも薄っぺらいその笑みが、彼女の魅力を八割ほど削っている気がする。
他にも――。
「お名前をどうぞー」
「……え?」
「名前だって」
どうやら俺は見惚れていたのか。
仁科さんに小脇を小突かれて我に返る。
「あー、えーと、天堂宗、です」
「はいはい天堂宗さんですねー……えーと、はい、前方不注意による四輪自動車との接触事故及び衝撃による臓器損傷、多重骨折、脳挫傷ですかー」
「なんか、聞いてるだけで痛いね、君の死因……」
「いや、仁科さんだって電車にひかれたんでしょ? たぶんどっこいだと思うけど……」
「うへぇ……」
二人でうんざりした顔を突き合わせる。
「ま、死因はどうでもいいんですけどねー」
「じゃあなんで読み上げたし!?」
「だってー、こんな仕事してるとそれくらいしか楽しみがないんですものー」
「人の死因を楽しむのか! 楽しいのか!?」
「楽しいですよー」とへらへら笑う謎の破廉恥露出狂。なんか、疲れる、この人。
仁科さんはツッコむ気すら起きないほど、彼女の性癖にドン引き中だ。
つまりこの後も俺がツッコまなきゃいけないんだろうな……はぁ、帰りたい。
「改めまして、わたくし、第……えーと、何番か忘れましたけど、多分三億三千万番台の転生ゲート『始まりの門』を担当いたします、フィーネと申しますー」
「はぁ……」
この人、えらくいい加減な性格なんじゃなかろうか。一言一句一挙手一投足と第一印象からそんな気配がプンプンする。
それにしても『始まりの門』に『フィーネ』か……始まりと終わりとか、乙な取り合わせだこと。
「あ、一応女神の端くれですから、敬愛を込めて『麗しのフィーネ様』って呼んでくれて結構ですよー」
「チェンジで」
「そのオプションはご利用できませんー」
華麗にスルーされた。っていうか、今のが通じるとかずいぶん通俗的な女神様だな。
「話を戻しますねー。あなたにはこれからこの門を潜って新天地へと転生して頂きますー」
「そーみたいですねー」
いかん、この人の喋り方、なんか感染力が高いぞ。こっちまで間延びする。
「転生するにあたり、あなたには選択の権利が与えられますー」
販売員よろしく説明ごとに身振り手振りが入るのだが、ほとんど着てない彼女が動くと必要以上に身体が揺れる。特に胸部の破壊力は目に余る。
その揺れに惑わされていた俺の耳に、辛うじて『選択の権利』という言葉が耳に飛び込んできて、意識がそっちに攫(さら)われる。
選択の権利って、あれか? 転生するのに色々条件を決めさせてもらえるってことか? 自由なキャラエディットってことか?
「はいはーい、あなたが何を考えているか大体想像はつくので先に説明させていただきますとー」
俺の妄想にフィーネが水を注す。
「あくまで権利であり、自由ではありませんー。あなたが転生する条件を提示するのはー、これ――」
さっきからずっと片手に提げていた金属プレートを一回背中に廻して隠してから、
「スレシュマイファルホールトー!」
どこぞの未来型ロボットよろしく、それを天高く掲げて名称を宣言した。
どうでもいいが声真似が似てない。っていうか似せる気あるのかってレベルで似てない。
だがしかし本人はご満悦そうにほっこり笑って居住まいを正す。
「似てました? ねえ、似てましたか?」
「はぁ……その……なんなのかわかる程度には……」
やだ……この人ほんとメンドクサイ……。
「スレイシュ……? いやまあ、それをどうするんですか」
多分こっちから話を主導した方が面倒が少ないだろうと判断した俺は、その思惑を即座に実行へ移す。
何かを言いかけていた女神サマは、一旦口を噤んで俺の問いに向き直ってくれる。
よし、助かった。
「このスレシュマひ……」
噛んだ。
「シュれ……」
また噛んだ。
「……スレシュマイはふホふーほの導きに従って、あなたには新たな人生を歩んで頂くのですー」
噛んだけど鋼の精神で押し通した。
すげえ、この健気さは全俺が泣くレベルだ。腹筋がよじれてだが。
っつーか笑いを噛み殺すのにこっちにも鋼の精神を要求してきやがる。この人めんどくさくて難易度高いよ。誰か助けて。
「スレシュマイファルホールト、スレシュマイファルホールト、スレシュマイファルホールト……」
俺が女神サマの説明を頭の中で再確認してるとでも思っているのか、気付かれていないつもりのフィーネは舌の滑りを確認するように何度もその板の名前を口にしている。
今やるか、それ。笑いを堪えるのが辛い。あんた止め刺しにきてんだろ。そろそろ勘弁して下さい。
とりあえずあれは放っとこう。そうしないと色々ヤバい。深呼吸……よし。
あれか、そのタブレット端末みたいな金属プレートが俺の転生後の姿とかを勝手に決めるってことか。
そりゃそうだよな、転生のたんびに自分でキャラエディットしてんなら、世の中チート性能の美男美女しか生まれなくなるか。ちぇ。
「はい、ではこのスレシュマイファルホールトを手にしてくださいー」
一抹の未練を残しながらも、俺はフィーネに差し出されたスレシュマなんとかを受け取る。
「えーとですねー」
すると女神サマは何の躊躇いもなく俺の隣に肩が触れるほど接近して並ぶと、顔を寄せ合って10インチタブレットほどの大きさのスレマシュなんとかを覗きこんだ。
近い、近いって! あんたただでさえ裸っぽい格好してんだから、そんな近寄んな! 青少年の情操にすこぶる悪影響を及ぼす! 公然的な意味で!
「これをこうしてー……」
そんな俺の焦りも気付かぬ様子で、フィーネは桜色の肌の温もりと甘やかな香りを振りまきながらストレなんとかを手際よく操作していく。
って、これ、なんか見覚えあると思ったら……生前、俺が使ってたスマホ端末によく似ている……? つーかUIとかそのまんまじゃね?
女神サマがアプリの一つを起動する。
どっかで見たようなタイトル画面の後、ありきたりなホーム画面に移行し……ってなんだこれ、ゲームか?
「ここをぽちっとー」
女神サマの指先が画面の下端をタップすると、閉じられた四角い門の映像が現れる。それは俺の眼前で壁のように屹立するこの門にそっくりだった。
「はい、準備完了ー」
そう言って女神サマはようやく身体を離してくれた。名残惜しいやら一安心やら。
しかしこのシュトマなんとか。まるっきりあれだな。スマホだな。うん、スマホと呼ぼう。いまだに名前覚えられてねーし。
「それじゃあ、説明させてもらいますねー」
女神サマのスマホ……ってかどう見てもタブレットの大きさだが、この鉄板は意外と軽い。同じ大きさの発泡スチロール程度の重さしかないんじゃなかろうか。
しかし感触はしっかりと金属の冷たく硬質なそれだ。持っていると不思議な違和感が生まれる。
そしてよくよく見てみると、驚いたことに表示される映像はディスプレイ部分が発光するのではなくプレートの表面にわずかに浮いて表示されていた。
というか、鉄板はホントにただの鈍色の金属板で、ディスプレイっぽい部分もベゼルも見当たらない。横から見たら1mmくらいの隙間があったんだから間違いない。このスマホ、映像を宙空に投射してやがる。
一体どうやって映像を表示してんのか、想像も出来ない技術だ。魔法なのか?
そのくせ、発色やホワイトバランスは俺が今まで見てきたどんなディスプレイよりも鮮明で高精細だ。まあ、表示されてるのが灰色の門の映像だけだから、もしかしたら気のせいかもしれんけど。
「わー、なにこれすごーい」
再び、仁科さんが俺の背中にしがみついて、肩越しに手元を覗きこんできた。だから、重いうるさい柔らかいっての!
「これでどうするの?」
「こいつで転生先を決めるんだそうですよ」
「正しくは転生条件の決定ですねー」
ぶっきらぼうに教える俺の言葉に、女神サマが言い添える。
「条件って?」
仁科さんの意識がフィーネに移る。すると前のめりに重心を移動するもんだから、余計に背中の柔らかさが強調されて……。
「全部で五つありまーす。一つは資質。これは君達が生まれ変わった後、どれくらい能力を伸ばせるかっていう目安のようなものねー。高ければ高いほど能力は延びやすく、限界も高いけど、努力しなければ宝の持ち腐れになっちゃうから、高い資質を持っているからって油断しちゃだめよー?」
「なるほどー」
一つ頷いた仁科さんの細い顎が、俺の肩をこつんと叩く。筋肉を抉って地味に痛い。
「あ、じゃあじゃあ、生まれ変わる前の資質ってわかるんですか?」
「わかるわよー、今の画面の右下の、蜘蛛の巣みたいなマークを触ってみてー」
「これ?」
仁科さんが俺の肩越しに……っていうかいつまで乗ってんだよこの人は!
俺はスマホの画面に手を伸ばす仁科さんから身を屈めて離れると、少し非難を込めてスマホを突き付けた。
「お、ありがとー」
「転生の順番は守ってねー」
「はーい」
軽く答えた仁科さんが、今度こそフィーネに言われたボタンをタップする。
「ほほう……」
切り替わった画面に しせんを落とした途端、仁科さんが唸った。なんか理解が早いな。
と感心していたら、仁科さんは顔を上げて一言。
「よくわかんないんだけど」
わかってなかっただけかよ。
仁科さんのつまらなさそうな声に誘われて、俺はその画面をのぞき込む。
そこにはほとんど円と言ってもいいほど角の多い正多角形があった。角の多さはつまり項目の多さを意味しているのだろう。ステータスはかなり細分化されているみたいだな。
その正多角形の中に、それよりも一回り小さくて歪な多角形が収まっている。これはレーダーチャートか? じゃあ、正多角形の真ん中ぐらいにある線が平均値ってことなのかな。
だとすると、仁科さんのスペックは全ての値が平均以上、中には正多角形の最高値に迫るものまで存在するぞ。なんちゅーハイスペックガール。
俺が戦慄しながらそのことを教えてやると、
「へー、そういうこと。ふーん」
と、さして興味もなさそうに俺にスマホを押しつけて、
「ねえねえ、資質の決定ってどうするんですか?」
フィーネの方に駆け寄っていった。
それを見送って、俺はスマホの画面を一つ戻し、こっそりと資質チャートを起動する。どうやら、このボタンをタップした人間の資質を測ってくれる機能のようだが……。
まああれだ。さして期待はしていないぜ? 自分が大した人間じゃないことは自分が一番よくわかっている。親の期待にも応えられない半端者だ。でももしかしたらなんか隠された凄い能力とかあるかもしれないしさ、確認しておくに越したことはないじゃん?
と、自分に言い訳している間に、資質のチャートが表示された。
俺は凍り付いた。
なん……だと……? 何も表示されない……だと?
さすがにこれは動揺を隠せない。えーと……壊れてますよ、これー。
「あの、女神サマ? なんか資質チェックに何も表示されないんですけど……」
恐る恐る報告すると、仁科さんにあれこれ質問攻めにあっていた女神サマは逃げるようにこちらに寄ってきた。
その際、彼女は二本の足で歩くのではなく、ふわりとわずかに浮かんでそのまますいっと滑ってきた。床にとぐろを巻いていた金の髪の毛も、尻尾のように宙を流れてきて、俺のそばに着地した彼女の足元へ当然のように纏(まと)わりつく。
「えーと……あー、なるほどー、ちゃんと表示されてますよー?」
「は? でも実際画面には何も……」
「平均値を表す線にぴったりすぎて、隠れちゃってるんですよー」
「わ、ほんとだ、逆にすごくない?」
いつの間にか戻ってきた仁科さんが、女神サマと反対方向から俺の手元を覗き込む。
女神サマの格好には慣れてきたもんだが、こうして顔の横をこの二人に挟まれると、流石に落ち着かないものがあるな……何もしてないのに悪い事をしている気分になるのは何故だろう。
ああ、そうか、きっと俺なんかがこんな美少女二人を侍らしてる罪悪感なんだろうな。って、どんだけ卑屈なんだ、俺。
いや、問題はそこじゃない。
「やだ……俺の資質、低くない?」
そんな言葉しか出なかった。ちょっとこれはあんまりにもあんまりな気が……。
「まあ、平均以下ではないわけですしー、無難って言えば無難?」
「それ、励ましてくれてるんですよね……」
「それはあなたの受け取り方次第ねー」
大きく溜息を一つ。気持ちを切り替えて、曲った背筋を伸ばした。
「それで、どうやって資質を決定するんですか?」
俺が尋ねると、かたわらにいた女神サマはついっと元の位置、柵の前まで戻って振り返った。
「それは転生条件の説明が全て終わってから、最後の楽しみに取っておきましょうー」
「そうですか……」
なんつーか、これって絶対マニュアル無視してるよな? なんともいい加減なリベラル具合が不安になるぜ。
内心の不安にうんざりしていた俺に代わり、仁科さんが前に出た。
「次は何ですか?」
「二つ目の項目は、転生先ですねー」
「いきなり転生先?」
意外な話に俺は声を上げた。
「転生先の世界を決めないと、その世界に準拠した容姿や能力を限定できませんからー」
「なるほど」
言われてみればもっともな話だ。
もし、先に容姿を決定してエルフとかドワーフみたいな見た目に特徴のある存在に決定してから、俺達が元いたような一種類の人間しかいない世界に行っちゃったら大問題だ。人間に限った話でも問題なのに、スライムとかドラゴンとか、そんなものも含まれてるとしたらもはや世界観もへったくれもあったものじゃない。
「なので、三つ目が種族と容姿ですねー」
「性別も三つ目ですか?」
仁科さんが人差し指を口元に添えて尋ねる。
そこに興味を持つってことは、男に生まれ変わりたいとか言ってたのはどうやら本気なのか。なんだかちょっともったいない気もするが、中身があれじゃあ確かに男の方が付き合いやすいかもしれない。
って、別に今後は関係ないか。どうせこれから生まれ変わるまでの短い間柄、この門を潜っちまえば仁科さんとは今生の別れだ。
「そうですよー、種族と容姿と一緒に性別も決まりますねー」
「全部一緒くたに?」
「全部一緒くたに。あんまりのんびりやってるとケツカッチンですからー」
なんでそこに業界用語が挟まる。
「というわけでー、四つ目がみなさんお待ちかねの特殊能力でーす」
鳴り物があったらドンドンパフパフと賑やかしたくなる単語に、俺は少しときめいた。
ただでさえ、生前は役立たずスレスレの言われようだったんだ、仁科さんの言葉じゃないけど生まれ変わった先であれこれ自由に生きる為にはちょっとでも他人より抜きんでれる特殊能力があるに越したことはない。
あー……あんまり認めたくないけど、俺、仁科さんの『好きなように生きてみたら』って言葉に相当励まされたんだな……感謝くらいしといてもバチは当たらないかも。
「それって、どんなものがあるんですか?」
俺は鼻息も荒く身を乗り出す。
「色々ありますよー。これもまた転生先の世界にある程度制限されるものですが、ポピュラーな所ですと、飛行能力、怪力、瞬間学習、発電、発火とかー」
「それを聞く限りだとなんかアメリカンヒーローですね……」
「む……因果律操作とか、エントロピー収束とか、追い込まれたら強くなる背水系のだってありますよー」
何が勘に触ったのか、女神サマは拗ねた子供みたいな顔で言い募る。
この人、ちゃんと服さえ着てくれれば、けっこう子供っぽいところが可愛いんじゃなかろうか。まあ、あくまで愛玩的な、だけど。
俺はどちらかというと海外系の大人な女性の魅力に惹かれるタイプだ。特にイギリスあたりの落ち着いた品格は堪らないね。
って、俺の好みはどうでもいい。話を聞こう。
「あ、でもでも、能力なしのハズレもありますから、そこはご容赦をー」
「ハズレあんの!?」
「そりゃそうですよー。誰でも彼でもそんな変な力持ってたら、場合によっちゃ大混乱じゃないですかー。だから特殊能力の付与は、転生先の世界によってもだいぶ左右されますねー。でも、これって努力しないでも使えちゃうスペシャルスキルですから、ほんとに運がいいか特別な運命を背負った人でないと付与されないんですよー」
「そういうもんなのか……」
「そういうもんなんですー」
ぷーっと唇を尖らせた女神サマが言い切る。聞き分けの無い相手に不貞腐れる子供か、あんた。
まあ、そういう事なら仕方ない。あまり期待しないで楽しみにしておこう。
「それで、五つ目は?」
「最後の五つ目は運命です」
『運命?』
俺と仁科さんの声が唱和した。
「はい。生まれ変わった世界で、あなた方がどんな生き方をするかっていう、まあ、占いみたいなものですね。あんまり深く気にしないで下さい」
「なんか、具体性のあった今までの項目と一線を画す上にお座成りだな……決める必要あんのか?」
「あるんですよー。上からそういう風に言われてるんですから、小役人は黙って従うしかないのですー」
なんか、女神サマの縦社会もなかなか荒んでるんだな……。
「さ、ちょっと時間を取られ過ぎたので、ちゃっちゃと決めていっちゃいますよー」
俺の転生条件はちゃっちゃと決められちゃうのか。なんか寂しい。
「決めるって言われても、どうやって決めるんスか」
「そのスマホを使うんですよー」
あ、今この人スマホって言った。
っていうかタブレットだろ、これ。大きさ的に。いや、略しただけか?
「“我、定めの門を敲(たた)く者。約定に法(のっと)り、新たな光明を我が前に示し給え。即ち、壱の門”と、スマホに語り掛けてみてくださいー」
「……マジで?」
「マジですよー」
「恥ずかしいんですけど」
「決まりですから」
にっこりと微笑む女神サマに、譲歩の気配は欠片も見受けられない。
やるしか……ないのか……。
「わ……我、定めの門を敲く者……えーと?」
「約定に法り、新たな光明を我が前に示し給え、だよ」
背後から仁科さんが耳打ちしてくれる。よく覚えてんな……。
「約定に法り、新たな光明を我が前に示し給え……即ち、壱の門」
俺が呪文を唱え終わるやいなや、画面の中の門扉に縦一文字の亀裂が走り、そこから眩いばかりの光が溢れだす。
ちょっと目に痛いくらいの光に目を瞑ってしまった俺は、何が起こっているのか慌てて目を開ける。
目を閉じている間に光は収まっていた。そして、門の描かれていた画面の変化に気付く。
半開きになった門の向こうから淡い光が溢れ、画面の中央で左右にピコピコと動く大きな矢印、そしてど真ん中にでかでかと踊る『SWEEP!!』の文字。
えーと、左右にスワイプしろってこと? え? なんかとてもじゃないけど自分の人生を左右するような重大な雰囲気は皆無なんですが?
と、内心を不安やら戸惑いやらでてんやわんやにしつつ、指示通りにスワイプする。
すると半開きだった門が重苦しい石の擦れる音を上げて開いていく。同時に画面はその中に吸い込まれていき――。
「結果が出たみたいですねー、見せて下さいますかー?」
画面には完全に開いた門と、その中に浮かぶ『UC』の文字。UC……なんだろう、微妙になじみのあるアルファベットだ。何かの略か?
真正面まで近づいたフィーネが、逆さまにスマホの画面をのぞき込む。背後からは仁科さんも興味津々に首を伸ばしてきた。
にわかに俺の周りが甘く柔らかい匂いに包まれて……。
だからお前ら近いって! そんな無防備に近づくな! こちとら女性経験が豊富とは言えないんだから!
「ちょ、ちょっと近いから!」
特にフィーネの格好はヤバい。青少年の生理現象が発動するのは明白。ってかすでになかば発動してる。
俺は禅語を挟む二人から横手に逃れた。
「あーん、見せて下さいよー、登録処理もあるんですからー」
フィーネがおもちゃを欲しがる子供みたいに、逃げた俺を追ってよたよた近づいてくる。
「あんたはそれ以上見せないで下さいよ!」
「ええ?」
なんの話だかわからないと形のいい眉根を寄せるフィーネに、仁科さんが言い添える。
「服装ですよ、彼にはちょっと刺激が強すぎるみたいで。わたしは可愛いと思うんだけどね。絶っ対っに着たくはないけど」
「ああ、これですか、たまにいるんですよねー、よっと」
フィーネが軽く声を掛けると、身体の周りに漂っていた薄布がしゅるりと衣擦れの音を立てて彼女の身体に纏わりつき、あっという間にイブニングドレスのようなボディコンのような、胸元に大きなリボンをあしらったワンピースに早変わりした。
確かに露出は減ったけど、布の集まりがまちまちなのかお腹のあたりや背中は肌色が分かるほど透けてるし、膝上あたりでは白布の裾がほぐれてうねうね動いているもんだから相変わらず見えそうで見えないチラリズム力は高い。
あの下、何も穿いてないんだよな……と考えて、生唾を飲み下す。
「これでどうでしょう?」
「うん、結構普通になったね。ね?」
「普通、か?」
「私はなんでもいいんですけどねー」
言いながら女神サマは無造作に俺に近づいてくる。確かに、さっきのようなピンク色の威圧感は薄れている気がする。
しかし、この人の羞恥心は一体どこにあるんだ……唖然とする俺の手から、するりとスマホが引き抜かれた。
そのスマホをさっと瞥視(べっし)して一言。
「あー、まあ、なんというか……」
言いよどみ、憐れみに満ちた目で俺を見てくる。
「資質が全てじゃありませんよー?」
「なにその残念そうな感想」
と呟いて思い至る。UCって……もしかしてアンコモンの略か!?
つーか一度目の条件決定をしてから妙に懐かしい安堵を覚えてたんだが、これってスマホゲーでガチャを引いた時の『なんか、やっちゃったな……』っていう虚しさと背中合わせの充足感じゃねえか!
『こんなの、ゲームの運営が終わったら手元にも残らないデータ屑になる』ってのがわかってるのに『いま引いておかないと絶対後で後悔する……』っていう変な強迫観念に駆られて、結局『当たるかどうかじゃなくて引くことに意義があるんだよな……』とか価値を無視した理屈のすり替えで結局ガチャっちまった後の『ふう……やっちまったぜ……だが、後悔は……ないわけねーだろなんだよこの結果!』ってな具合で満足してんのか後悔してんのかよくわからんあの感覚にそっくりだ……。
っていうか……そうだよ、これってまるっきりガチャだよ!
ガチャで俺の運命決まんのか!?
「……あの、結果は追々聞くとして……五項目全部こうやって決めんスか?」
「そうよー」
気の抜けた俺の手からスマホをひょいっと抜出した女神サマは、画面に注視したままあっさりと答えた。俺の結果を手続きに反映しているのか、手元が忙しなく動いている。
「あのー、で、俺の結果は?」
「こんな感じね」
渡されたスマホの画面にはついさっき見せられたレーダーチャートが表示されている。俺の資質を表示した時の、標準線しか見えないやつだ。
「あの、なんも変わってないみたいなんですが」
「すごいわよねー、こんなに変化に乏しい結果は初めて見たわー」
「……やり直しは?」
「でっきませーん」
やたら嬉しそうに拒否された。
「いやでも、下がるよりはマシだし、以前と変わらないってことは違和感なく新しい人生を送れるってことだよな……うん……」
誰かに同意してもらいたくて敢えて声に出して確認してみたけれど、
「ねえねえ、わたしもやっていいですかー?」
「一人が全部終えるまで次の人は出来ない決まりなのよー」
てな具合で、反応を期待した二人は俺なんか眼中にもない様子で話し込んでいたりする。
うん……まあ、俺の人生ずっとこんなだったし……慣れてるけどさ……。
二人の会話になんとなしに耳を傾けると、お薦めのスイーツとか下界の流行りとか、今そんな話する必要あるのか? ってな具合の話題ばかりだった。
そんなん後でいいじゃんよ……。
「あの、とっとと次に行きませんか……?」
何がスイッチになったのか、いきなりガールズ(?)トークを楽しみ始めた二人に、おずおずと提案する。
俺がげんなりしていると、口を動かす合間にスマホを差し出された。俺が受け取っても二人はお喋りをやめる気配はない。
勝手にやっとけってことですか。
「あー……我、定めの門を敲く者。約定に法り、新たな光明を我が前に示し給え。即ち、弐の門 」
ものは考えようだ。これがガチャであれば俺にとっては慣れたもの。別に一人で出来るもん。
いや、そういう問題じゃない。なんだこの疎外感……。
二回目ともなれば慣れたもの。しかし毎回この目を焼かんばかりの閃光を放つんですか、こいつは。
今度は確か転生先の世界だったか。開いた門に表示されたのはアルファベット五文字。『ZHWRL』
なんだ、また何かの略称か? それとも神様の隠語か?
「あの、これなんて読むんスか?」
俺が二人の方にスマホを掲げると、流石にフィーネもお喋りを中断してこっちに顔を向けた。
「あらー、行き先は『ツェール』なのねー」
「ツェール?」
「今だと丁度あなたが住んでた世界の中世くらいに当たるのかしら? 封建制が根強い戦乱の時代よー」
「戦乱……」
俺の頭の中に、馬に跨った甲冑騎士が駆け回るヨーロッパの風景と、刀や槍を携えた鎧武者の姿が同時に現れて交錯した。
実際はもっと現実的なんだろうが……できればヨーロッパ風の中世がいいなぁ。和風はなんか堅苦しイメージがある。いやまて、中国とか中東の可能性も……南北アメリカ時代とかももしかして中世? いやあれは近代だった気が……しかし封建制って言ったらヨーロッパの印象だけど……そもそも封建制って具体的になんだっけ?
「そうねー、あなたの生きていた世界と比べるとー……産業が未発達な分、人口の増加が緩やかで、しかも戦乱の時代、開発の手は滞っていて、自然環境や未開の地が多く残されている世界ねー」
「ってことは、情報産業なんてものは……」
あれこれ無い知識を搾り出す俺を余所に、フィーネと仁科さんが俺の行く世界について語り合う。
「影も形もないわねー。そもそも電波や重力波――は、あなたの世界じゃまだ実用には至ってないか。とにかく、無線技術どころか電気すらろくに知られていないもの。最速の情報伝達手段が烽火(のろし)による情報リレーよ」
「腕木通信ですらないんですか」
「望遠鏡の類がまだ発明されていないのよー。戦争の時代はそれに関わる技術体系が著しく拡張されるものなのだけど、この世界は不思議とその辺りが横ばいなのよねー」
「人材と資材の不足?」
「それもあるでしょうけど、さっきも言った通り未開発地域が多すぎる上、各々の抱えている土地の奪い合いに終始しているから……新しいものに眼を向けられる指導者が現れないことには、今の状況がもうしばらく続くでしょうねー」
えーと、俺の行く世界の話だよな? なんか、仁科さんと女神サマの間で俺の理解が及ばない方向へ話がシフトしているんだが……っていうか仁科さん、今時の馬鹿っぽい娘かと思ってたけど、伊達にハイスペックじゃねーな……。
「戦乱の時代がどれくらい続いてるんですか?」
「既に二百と二十年強。長いとまでは言わないけど、決して短くはないわね」
「じゃあ、民衆の生活もだいぶ荒れているんでしょうね……戦闘行為による略奪行為、戦費による重税、そして戦場になった畑の荒窮……見通しの暗い世界ね……というわけで、頑張ってね、君!」
「あー、うん、どういう話かわかんなかったけど、あんまり楽しそうな世界じゃないってのはよくわかった」
わざわざ暗い未来が待ってることを俺に突き付けてくれたわけね。感謝感激だよコンチクショウ。
「そんなに悲観したものでもないわよー。情勢が不安定な分、実力次第で成り上がれるってことなんだからー」
「実力次第……ね」
その実力を決めるガチャが微妙な結果に終わった俺にとっては、あんまり慰めになっていない。
「さあさあ、気を取り直して三つ目に行きましょうー」
「はいはい……我定めの門を敲く者――」
もうすっかり覚えてしまった文句を早口に唱え上げる。スマホが光る。スワイプする。この演出、飛ばせないのかな。
「えーと、種族と容姿と性別はー……」
「……据置?」
って、書いてある。漢字で。
「はい、据置ねー」
「ちょっと待て! いくらなんでもお座成りすぎやしませんか!?」
「でも決まった事ですしー」
能力も所属も容姿も性別も結局前世と同じとか、新しい人生に対するこのワクワクにどう責任を取ってくれる!?
「これじゃあ、前世の記憶があってもおんなじ人生を生きる羽目になるんじゃ……」
俺の不安はその一事に尽きる。もう、あんな惨めな人生はまっぴらだ。今度こそ、自分の意志で決めたことをやり通す、自由に生きるって、そう決めたのに……ちょっとこれはあんまりじゃね?
「んん? 前世の記憶?」
と、女神サマが俺の言葉を聞き咎める。
「何か勘違いされてますねー」
「勘違い?」
「前世の記憶は完全に、一切合切、微塵も残さず消えますよー」
俺は世界が凍り付く音を聞いた。気がする。
耳の奥でフィーネの声がわんわんといつまでも反響して、俺に無慈悲な現実を突きつける。
「記憶、消えちゃうんですか?」
「そりゃそうですよー。あなた、前世の記憶って覚えてます?」
「確かに……覚えてませんね」
やけに冷静な仁科さんと呆れた様子のフィーネの会話も、ロクに頭に入ってこない。
なんてこった。前世の記憶を保持して転生するからこそ、転生モノに物語が生まれるんだろ?
記憶もなしに転生したところで、それじゃあ単なるファンタジーモノになるだけじゃないか。いや、そもそも、俺のスペックじゃファンタジーモノの主役すら覚束ない。
このまんまじゃ、前世と同じ負け組モブキャラ人生確定……? それじゃあ好きなように生きるってのも夢のまた夢じゃ……。
愕然とする俺を無視して、女神サマは無慈悲に場を取り仕切る。
「はーい、では四つ目に行きますよー」
四つ目……特殊能力……。
「そーだよ! ここですごい特殊能力を引けば!」
まだ主役人生の望みはある! 思うがまま望むままに人生を謳歌できる! 生きる目的の分からない
いきなり大声をあげて復活した俺に目を丸くする二人に構わず、俺はフィーネの手からスマホを取り上げて早速次のガチャを回しにかかる。
「我定めの門を敲く者約定に法り新たな光明を我が前に示し給え即ち肆の門!」
声の張りと指の動きは完璧だ。テンポもいい。それで結果に何か影響するのかと聞かれたらわからんが、こういうのはきっと気持ちの問題だ。スマホゲーのガチャだって本気でこれが当たらなきゃ死ぬとか思ってたら当たったことあったし!
重々しい音と共に門が開き、画面が白光に塗り込められる。俺はその光から逃げず、爛々とかっぴらいた眼をじっと画面に注ぎ込む。きっとここで目を逸らさず眼力を注ぎ込むことも大事だと、自分に言い聞かせて必死に光を睨みつける。
「っと思ったけどやっぱ女神サマ確認して!」
結果が表示される直前に、俺は怖くなってスマホを女神さまに押し付けた。「やん!?」と悩ましげな声が聞こえてスマホ越しに今まで味わったことの無い優しい感触が拳を包み込むのも味わう余裕はなく、俺は女神サマのご託宣を待つべく神妙に頭(こうべ)を垂れた。
「んもう……えーと?」
上目遣いにその様子を窺うと、ちょっと頬を紅潮させて口を尖らせたフィーネが、スマホの画面を確認する所だった。
スマホに半分隠れたフィーネの顔から、きょとんと表情が消え失せ、次にあわあわと泡を食ったように慌て始める。
「わ、わ、すごいですよー、SSRクラスの特殊能力です!」
「マジかっ!?」「SSRって?」
逸る俺の声と、呑気な仁科さんの声が被る。
「え、SSRっていうのはですねー――」
「説明はいいから、内容はっ!?」
猛獣の如く眼を血走らせて半裸の女性に食って掛かる俺の図。
「来ないで!」
「うべしっ!?」
謎の見えない壁に阻まれ、何故か拒絶されて、数メートル吹っ飛ばされる俺の図。
「今のは君が悪いよー」
潰れたカエルのように無残に倒れる俺の脇に、納得した顔で仁科さんが屈み込んだ。
俺、何か悪いことしたか?
そう思っていると、倒れた俺の視界に女神サマの白い素足が入ってくる。見上げれば――薄布がしっかりガードしてやがる。なんかこれ、アニメのそういうシーンに出てくる白い光に似てるな……いろんな意味で。
「ごめんなさい、突然だったから驚いちゃって……ああいう風にいきなり襲い掛かってくるような人もたまにいるので、私の意志で干渉空間が即座に展開するセキュリティがあるんですよー」
その襲ってきた奴は間違いなくあんたの格好に勘違いした野郎だろうが、あんたの格好をみて勘違いしないやつの方が少ないと思うぞ……なんて口にすると、そういう意味で襲い掛からなかった俺のヘタレが発覚するので黙っておく。事実はあくまで紳士だから襲わなかったのだ。うん。
「いやそんな事よりも結果は!?」
俺は跳ね起きた。
「ご自分で確認してくださいなー」
フィーネは心得た様子で俺の鼻先にスマホの画面を突き出した。
そうだよわかってるじゃん、やっぱこういうのは他人に伝えられるより自分で確認した方が何倍も嬉し……さが……。
「記憶……保持……だと?」
「はい、記憶保持ですよー。すべての世界に共通して出現する可能性がありながら、私は今の今まで一度も見た事の無かった超超超レアスキルですー!」
まるで我が事のように手を打って喜ぶフィーネ。
「記憶保持かぁ……うん、レアなら凄いんじゃない?」
なんかちょっと同情気味の仁科さん。
「記憶保持……」
ってつまり、あれだろ? 転生しても記憶が消えないってことだろ?
……正直微妙だ……確かに前世の記憶を持っていることは、転生モノじゃお約束、主人公の条件と言っても過言じゃないけれど……ファンタジーモノに意識がすっかり路線変更していた俺にとっては、至極微妙な代物だ。
第一、俺の知識で本当に新しい世界に新風を巻き起こすことが出来るのか?
そりゃ実際に行ってみないことにはわからんけど……冷静に考えてみると、不安なことこの上ない。
学校の成績は悪くなかったが、正直成績がいいだけで頭が良いとは言い難いのだ。
勉強なんてただのコツ、勉強法次第。その勉強法を考えつくのが頭の良さ……って持論はあれど、結局向こうで新しい知識が得られないんじゃ、頭の回転以上に豊富な知識がものをいう訳で……テストの為にしか勉強していなかった俺には、そんな自慢できるほどのものはないぞ……。
いやまて主人公なんて大それたことを考えるから、期待するから不安になるんじゃないか?
もっと慎ましく、村の英雄くらいなら俺の知識でも行ける気がする。
そうだ、主人公なんておこがましい考えを捨てて、スーパー村人Aとして生きるんだ。世界に名をとどろかせる必要なんてない。ちょっとした村のピンチを俺の知恵で颯爽と救い、周囲の人達に注目され、尊敬され、みんなが羨む村一番の可愛い娘と結婚して、子供を作って、あいつはすごかったと語り草にされながら老後をのんびり楽しむ。そんな人生も悪くないんじゃないか?
そう考えたらちょっと希望が湧いてきた。
「よし、そうと決まったら最後の運命だ」
「気張ってどうぞー」
気を取り直した俺はフィーネに促され、最後の詠唱を口にする。
「即ち、終の門!」
もう見飽きた演出の後、門の中に表示されたのは――。
「追われる者……?」
「追われる者ねー」
「何に追われるの?」
「何に追われるんでしょうねー」
「っていうか誰が追われるの?」
「あなたの運命ですから、あなたではー?」
……どうにもこうにも不安しか感じられない。
「もうちょっと具体的にはわからないんですか?」
「わからないのよねー、『あくま』で『そんな風』に『なるかもしれない』『気がする』『程度』の代物だからー」
仮定ばかりずらずら並んだな。
「もしかしたら女の子に追われるのかもよ?」
「そんな能天気に構えてられないな……今までの俺の人生を振り返るに」
「楽しくなるものと思っとかないと、どんなことだって楽しめないよ。ほら、次は思いっきり自由に生きるんでしょ?」
そうだ、仁科さんの言う通りだ。
俺は前世のつまらない言いなり人生を捨てて、自分の意志で生きる人生を開拓するために転生するんだ。
ここは資質も容姿も変わらないことは忘れよう。そう考えれば、生きる目的を忘れずに済む記憶保持の特殊能力は俺の為にあるようなものじゃないか。
うん、そう考えたらなんだか全部が全部俺の為にうまく働いてくれている気がする。
仁科さんに出会えたのも、神様の粋な計らいだったのかもしれない。
「さあさあ、あなたの転生条件は確定しました。新しい人生をお楽しみくださいー」
フィーネが高らかに宣言すると、とてもじゃないが開きそうになかった巨大な石の扉が、ゆっくりと音もなく左右に割れて道を開けた。
門の向こうは光の靄に隠されて見通しは利かないが、なんだか輝かしい未来に繋がっている気がして胸が高鳴った。
全体から見れば隙間程度にしか開いていない門だが、石段を登ってそのふもとまで来ると大人が優に通り抜けられるくらいには口を開けている。
あと一歩踏み出せば俺は新天地へ向かう事になる。
その前に……。
「仁科さ――」
おっと、そう言えば諄(くど)いくらい名前で呼べって言われてたっけ。
「エリ、ありがとうな!」
「どういたしまして!」
エリの会心の笑顔に見送られて、俺は光の中に旅立った。
願わくば、また彼女と再会する日が訪れるように……無理だろうけどさ。
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