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第17話:後悔先に立たず
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討伐任務後も、聖女の務めは普段通り行われた。聖女の祝福には回復力を上げる効果もある。さすがに重傷者に無理はさせられないが、自分で動ける軽症者から順に、儀式を行った。
重傷者達も、通常よりは回復が早いと聞いて紗香は胸を撫で下ろした。祝福を与えていたことは、無意味ではなかった。
ケイトは三日三晩眠り続けていたが、祝福の効果が最も強かったこともあり、やがて意識を取り戻した。医師から通常であれば致命傷だったと聞かされ、紗香はこの時ほど己の能力に感謝したことはない。
面会が許されたので、紗香はケイトの療養する個室へと見舞いに訪れていた。
「このような情けない姿を晒すことになり……お恥ずかしい限りです」
「その傷は、ダリルさんを庇って受けたものだと聞いています。彼から泣きながら訴えられました。随分と自分を責めていたみたいです。回復したら、声をかけてあげてください」
「お心遣い、痛み入ります。サヤカ様にまでご心配をおかけした件、ダリルにはきっちりと話をしておきます」
きついお説教になりそうだ、と紗香は苦笑した。それも命あってのこと。甘んじて受けてほしい。
「まだ暫くは安静にとのことでしたから、お仕事のことは他の人に任せて、ゆっくりしていてください」
「そうもいきません。今回の失敗は私の責任です。積年の悲願がようやく、というところで……。悔やんでも悔やみきれません」
強く握りしめられた手に血が滲んでしまうのではないかと、紗香ははらはらしながら眉を下げた。
責任感の強い人だ。今回の件で誰よりも自分を責めているのは、ケイトだろう。こういう人だから、いっそ仕事で忙しい方が気は紛れるのかもしれない。だとしても、体のことを考えれば、無理にでも休んでもらわなくては。
「まずは体を治すのが先です。騎士団長が負傷したまま働いたんじゃ、部下に示しがつきませんよ」
「これは、手厳しい」
「それと……回復したら、ケイトさんに大事な話があります」
真剣な表情の紗香に、ケイトも表情を引き締めた。
「それは、急ぎの用ではありませんか。もし私に気遣ってのことなら、今お伝えいただいて構いません」
「いえ、今のケイトさんには言えません。でもなるべく早い方がいいです。だから早く治るように、とにかく療養に専念してください」
「……わかりました」
紗香の微笑みに、根負けしたようにケイトが息を吐いた。
「サヤカ様のほうが一枚上手ですね」
「怪我人相手に負けませんよ」
冗談めかして唇を釣り上げた紗香に、ケイトは目を細めて緩く微笑んだ。
あまり長居をしても体に障るので、少しの会話だけで紗香は退室した。
必要なことは伝えた。後は、回復を待つだけ。
早く元気になってほしいと思うのに、その時が来なければいいと過ってしまったことに自己嫌悪を抱きながら、紗香は自室に戻った。
+++
少しずつ、少しずつ。城に日常が戻ってくる。
紗香には今までと同じように護衛が付き、午前中は見舞いや勉強をして、午後には聖堂で務めをこなす。
騎士達は再討伐を意識しながらの訓練に励み、地下洞窟に変化がないか、偵察を行っている。
討伐任務で傷を負った者達も、回復に伴い業務に復帰していった。
騎士達の回復は早く、二週間もすれば重傷者も自力で歩行できる程度にまで治癒した。
そしてケイトも。一ヶ月が経つ頃には、完全に通常業務に戻っていた。
こちらが回復しているということは、あちらも回復しているということ。竜の回復速度はわからないが、前回与えたはずのダメージを無駄にしたくない。結界を破り、居場所を特定し、敵対する存在があることも認識されている。いつどんな動きをするかわからない。あまりのんびりはしていられない。
ケイトが臥せっている間にも、着実に準備は進められていた。拘束具も、前回から改良を重ねている。団長が復帰した今、既に再討伐のためのスケジュールが組まれている。
そろそろ、決断せねばならない。
いや、心はとうに決まっている。あとは行動するだけだ。
大切な話があると言って、紗香は夜にケイトを自室へ呼び出した。
呼び出すことには抵抗があった。以前のように押し掛けた方が、紗香のわがまま感が強調されて良いのではないかとも思ったが、それだとケイトが自室に入れてくれることが前提となる。更に事に及ぶとなればケイトのベッドを使う可能性が高く、それは大変申し訳ないので呼び出す結論に至った。
見舞いの時に話があると言ったことを覚えていたのか、ケイトは何ら疑うことなく、快く了承した。その笑顔に、紗香は良心が痛むのを感じた。
――何があろうと押し倒す。とにもかくにも押し倒す。どうにかして押し倒す。
完全に犯罪者の思考だが、ぶつぶつと口の中で唱えて、決意が鈍らないようにと紗香は自分に言い聞かせた。
やがてノックの音がして、紗香は大げさに飛び上がった。
「ど、どうぞ!」
ひっくり返った声に顔を赤くしていると、入室してきたケイトが顔を押さえる紗香を見て首を傾げた。それを慌てて誤魔化して、着座を勧める。不思議そうにしながらも、ケイトはソファに腰掛けた。紗香はわざと対面ではなく隣に腰掛ける。ケイトは僅かに目を瞬かせたが、特に言及することはなかった。
「こんな時間に呼び出してしまって、すみません」
「いえ、私も夜は時間の都合がつけやすいですから。それに、内密なお話とのことでしたので」
「はい。なので、護衛の騎士さんには人払いを頼んであります」
不寝番の騎士は、扉の前にはいない。どうしても会話を聞かれたくないのだと無理を言って、少し離れた場所で人が近づかないように見張りを頼んである。
「それで、あの、ケイトさん」
「はい」
「ええと……あれ、あの……なんだっけ、その」
やばい完全に飛んだ。どうやって切り出すかは考えてあったはずなのに。
黒竜討伐の話をして、前回のことを労って、国王のことは隠して、寵愛の説明をして、それで、それで。ああ、どういう順番で話せばいいんだったか。
パニック状態の紗香に、暫く言い出すのを待っていたケイトだったが、このままでは落ち着きそうにないと見てそっと両肩に手を置いた。
「サヤカ様、まずは深呼吸を」
言われた通りに、深く息を吸って、吐いてを繰り返す。
「順序立てて話せなくても構いません。思いついたことから、一つずつで良いですから」
思いついたこと。今日、一番言わなくてはいけないこと。ケイトを呼び出した理由。
「抱かせてください」
口から飛び出した言葉に、ケイトが目を丸くして固まった。
脳を経由せずに声に出てしまった言葉に、紗香は先ほどまでよりも更にひどいパニックになった。
何を言ってるんだ。せめて抱いてくださいじゃないのか。いやむしろ合っているのか。というかそこじゃない。ド直球すぎる。ヤリ目の男だってもうちょっとマシな口説き方をする。
だらだらと冷や汗が流れるが、ここからどう取り繕ったらいいのかわからない。
まともに頭が回らなくて、思考は更に迷走していく。
とりあえず、そうだ。押し倒そう。
固まったままのケイトをぐいぐいと押すが、倒れない。どういう体幹をしているんだ。
紗香の奇行に正気を取り戻したケイトが、はっとして自分を押す手を掴んだ。
ひどく戸惑った様子で、おそるおそる紗香に声をかける。
「あの……サヤカ様? 何を……」
「えっと、とりあえず、倒れてほしいなと」
「……倒して、何か意味があるのでしょうか」
「とりあえず乗ればどうにかなるかなって」
頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せて、ケイトは深く息を吐いた。
「サヤカ様。冗談でも、淑女がそのようなことを口にするものではありません。まして貴方は聖女なのです。聖女がその身を許すということがどういうことか、以前お伝えしませんでしたか」
「だからです」
「……だから?」
「勝ってください、ケイトさん。次こそは。あなたが、黒竜を討ち取ってください」
訴える瞳を正面から受け止めて、ケイトは息を呑んだ。
そして紗香が何をしようとしているのかを理解して、顔を歪めた。
「サヤカ様。それは、一時の感情で軽率に行って良いことではありません。失った力は二度と戻らない」
「わかっています」
「わかっていません。……貴方が、そのように思い詰めるほど。我々が頼りない姿を見せたのは、事実です。申し開きはいたしません。ですがどうか、もう一度だけ、我々に挽回の機会をいただけませんか。一度戦った相手です、次こそ遅れはとりません。騎士団の者達も、そのために準備を重ねてきました。それを無にするおつもりですか」
紗香は言葉に詰まった。傷を負って尚、俯かない騎士達の顔を思い出す。誰もが、勝利を信じている。頷いてしまいたい。ケイトの言葉を、そのまま受け入れたい。けれどそうはいかない。これは国王の命令なのだから。
「それでも、勝てるかどうか、わからないのでしょう」
ケイトの顔が見られない。この言葉は、きっとケイトを傷つける。けれど、紗香が他者を理由にする限り、ケイトは絶対に折れない。だから。
「約束したじゃないですか。わたしを元の世界に帰すって。帰してください。帰りたいんです。そのためなら何でもします。騎士団にどう思われようと、わたしは勝率の高い方に賭けたい」
顔を見なくて済むように、顔を見られなくて済むように。紗香はケイトに抱き着いた。
縋るように、ぎゅうと服を握りしめる。
「ケイトさんがわたしを拒むなら、他の人とします。どの道、わたしはもう聖女の役目を放棄します」
ただのはったりだ。国王からはケイトと指定を受けている。けれど、こう言えば。ケイト以外の者に寵愛を与えるくらいなら。どちらの方が勝率が高いかは、ケイトにだってわかるだろう。
仮に誰にも受け入れられなくとも。役目を放棄するとなれば、もう聖女の力を当てにはできない。ここで紗香を放り出すことは、ケイトも避けたいはずだ。
ケイトは沈黙していた。頼むから頷いてくれ、とぎゅっと目を瞑って祈った。
「……誰に、何を吹き込まれましたか」
え、と声に出す前に、強い力で肩を掴まれ体を引き剥がされた。そのまま至近距離で視線を合わせられる。
ケイトの表情は、予想とは違っていた。痛ましいような、怒ったようなその顔に、紗香は一瞬呆けた。
「何を言われたんですか」
「ま、待ってください。何の話ですか、わたしは、自分で」
居たたまれなくて視線を外した紗香を許さず、ケイトは紗香の顔を両手で覆った。目線が固定されて、ケイトから目が逸らせない。
「サヤカ様がそんなことをご自分から言い出すはずがありません」
「な」
「貴方が。真面目で、努力家で、責任感のある貴方が。役目を途中で放棄するなど、自分から言い出すはずがない」
きっぱりと言い切ったケイトに、紗香は不覚にも泣きそうになった。
駄目だ、涙を零しては。この人を、騙さないといけないのに。
この人は、紗香が口にした言葉よりも、その心根を信じてくれている。
「サヤカ様にこんなことを強いた愚か者は誰ですか。もし騎士団の者なら」
「ち、違います違います! 断じてそんなことはありません!」
「ではいったい何があったんですか」
琥珀の瞳に、嘘は通用しそうになかった。けれど正直に口にしたら。
眉を下げて口を開閉させる紗香に、ケイトは辛抱強く待った。
やがて観念した紗香が、小さく呟いた。
「…………陛下が」
先ほど自分が愚か者呼ばわりした者の正体に、ケイトが目を瞠った。
口にしたからには説明せねばならない、と紗香がぽつりぽつりと語り出す。
「国王陛下から、ケイトさんに寵愛を与えるようにと、命じられました。わたしが応じなければ、ケイトさんに直接命令すると。拒んでも意味がないので、受けました」
ケイトが紗香の作戦に乗ってくれなかった以上、誤魔化したところで堂々巡りだ。どの道紗香が失敗すれば、国王から直接ケイトに話が行く。紗香とケイトへの態度が同じだとは思わないが、あんな物言いでケイトに命令されるくらいなら、紗香の口から伝えた方がまだましだった。
話を聞いたケイトは、文字通り頭を抱えていた。
「陛下には、私からお話します。ですからサヤカ様は、一度このことは忘れてください」
「……この件に関して、陛下が意見を曲げることはないと思います。ケイトさんが消耗するくらいなら、わたしはこのまま従っても構いません」
「……サヤカ様」
咎めるようなケイトの声に少しだけ怯みながらも、紗香は言い募った。
「皆さんが仕える主を悪く言いたくはありませんが……。ケイトさんから見て、陛下は命令を撤回してくれそうですか?」
「……そうなるように、善処します」
即答できないということは、やはり付き合いが長いはずのケイトから見ても難しいのだ。
ケイトの気持ちは嬉しいが、紗香のためにケイトと国王の関係が悪くなったら目もあてられない。役目を終えたら帰る紗香と違って、ケイトはこの先もずっとこの国で騎士団長として働き続けるのだ。
時間の猶予もさほどない。悠長に問答を繰り返している暇はないはずだ。
やはり無理にでも襲ってしまおうか、と過ぎったが、先ほど押し倒すことすらできなかったことを思い返すと、力尽くは無理がある。紗香に勝算があるとすれば、心理的にケイトが絆された場合だけだ。
「サヤカ様が心配されることは何もありません。どうか私にお任せください」
微笑んでそう言われてしまえば、紗香にできることは頷くだけだった。
結局決意虚しく、その日は何事もなく終わった。
後にして思えば。紗香はこの時、泣いて縋ってでも、ケイトを引き留めるべきだった。
重傷者達も、通常よりは回復が早いと聞いて紗香は胸を撫で下ろした。祝福を与えていたことは、無意味ではなかった。
ケイトは三日三晩眠り続けていたが、祝福の効果が最も強かったこともあり、やがて意識を取り戻した。医師から通常であれば致命傷だったと聞かされ、紗香はこの時ほど己の能力に感謝したことはない。
面会が許されたので、紗香はケイトの療養する個室へと見舞いに訪れていた。
「このような情けない姿を晒すことになり……お恥ずかしい限りです」
「その傷は、ダリルさんを庇って受けたものだと聞いています。彼から泣きながら訴えられました。随分と自分を責めていたみたいです。回復したら、声をかけてあげてください」
「お心遣い、痛み入ります。サヤカ様にまでご心配をおかけした件、ダリルにはきっちりと話をしておきます」
きついお説教になりそうだ、と紗香は苦笑した。それも命あってのこと。甘んじて受けてほしい。
「まだ暫くは安静にとのことでしたから、お仕事のことは他の人に任せて、ゆっくりしていてください」
「そうもいきません。今回の失敗は私の責任です。積年の悲願がようやく、というところで……。悔やんでも悔やみきれません」
強く握りしめられた手に血が滲んでしまうのではないかと、紗香ははらはらしながら眉を下げた。
責任感の強い人だ。今回の件で誰よりも自分を責めているのは、ケイトだろう。こういう人だから、いっそ仕事で忙しい方が気は紛れるのかもしれない。だとしても、体のことを考えれば、無理にでも休んでもらわなくては。
「まずは体を治すのが先です。騎士団長が負傷したまま働いたんじゃ、部下に示しがつきませんよ」
「これは、手厳しい」
「それと……回復したら、ケイトさんに大事な話があります」
真剣な表情の紗香に、ケイトも表情を引き締めた。
「それは、急ぎの用ではありませんか。もし私に気遣ってのことなら、今お伝えいただいて構いません」
「いえ、今のケイトさんには言えません。でもなるべく早い方がいいです。だから早く治るように、とにかく療養に専念してください」
「……わかりました」
紗香の微笑みに、根負けしたようにケイトが息を吐いた。
「サヤカ様のほうが一枚上手ですね」
「怪我人相手に負けませんよ」
冗談めかして唇を釣り上げた紗香に、ケイトは目を細めて緩く微笑んだ。
あまり長居をしても体に障るので、少しの会話だけで紗香は退室した。
必要なことは伝えた。後は、回復を待つだけ。
早く元気になってほしいと思うのに、その時が来なければいいと過ってしまったことに自己嫌悪を抱きながら、紗香は自室に戻った。
+++
少しずつ、少しずつ。城に日常が戻ってくる。
紗香には今までと同じように護衛が付き、午前中は見舞いや勉強をして、午後には聖堂で務めをこなす。
騎士達は再討伐を意識しながらの訓練に励み、地下洞窟に変化がないか、偵察を行っている。
討伐任務で傷を負った者達も、回復に伴い業務に復帰していった。
騎士達の回復は早く、二週間もすれば重傷者も自力で歩行できる程度にまで治癒した。
そしてケイトも。一ヶ月が経つ頃には、完全に通常業務に戻っていた。
こちらが回復しているということは、あちらも回復しているということ。竜の回復速度はわからないが、前回与えたはずのダメージを無駄にしたくない。結界を破り、居場所を特定し、敵対する存在があることも認識されている。いつどんな動きをするかわからない。あまりのんびりはしていられない。
ケイトが臥せっている間にも、着実に準備は進められていた。拘束具も、前回から改良を重ねている。団長が復帰した今、既に再討伐のためのスケジュールが組まれている。
そろそろ、決断せねばならない。
いや、心はとうに決まっている。あとは行動するだけだ。
大切な話があると言って、紗香は夜にケイトを自室へ呼び出した。
呼び出すことには抵抗があった。以前のように押し掛けた方が、紗香のわがまま感が強調されて良いのではないかとも思ったが、それだとケイトが自室に入れてくれることが前提となる。更に事に及ぶとなればケイトのベッドを使う可能性が高く、それは大変申し訳ないので呼び出す結論に至った。
見舞いの時に話があると言ったことを覚えていたのか、ケイトは何ら疑うことなく、快く了承した。その笑顔に、紗香は良心が痛むのを感じた。
――何があろうと押し倒す。とにもかくにも押し倒す。どうにかして押し倒す。
完全に犯罪者の思考だが、ぶつぶつと口の中で唱えて、決意が鈍らないようにと紗香は自分に言い聞かせた。
やがてノックの音がして、紗香は大げさに飛び上がった。
「ど、どうぞ!」
ひっくり返った声に顔を赤くしていると、入室してきたケイトが顔を押さえる紗香を見て首を傾げた。それを慌てて誤魔化して、着座を勧める。不思議そうにしながらも、ケイトはソファに腰掛けた。紗香はわざと対面ではなく隣に腰掛ける。ケイトは僅かに目を瞬かせたが、特に言及することはなかった。
「こんな時間に呼び出してしまって、すみません」
「いえ、私も夜は時間の都合がつけやすいですから。それに、内密なお話とのことでしたので」
「はい。なので、護衛の騎士さんには人払いを頼んであります」
不寝番の騎士は、扉の前にはいない。どうしても会話を聞かれたくないのだと無理を言って、少し離れた場所で人が近づかないように見張りを頼んである。
「それで、あの、ケイトさん」
「はい」
「ええと……あれ、あの……なんだっけ、その」
やばい完全に飛んだ。どうやって切り出すかは考えてあったはずなのに。
黒竜討伐の話をして、前回のことを労って、国王のことは隠して、寵愛の説明をして、それで、それで。ああ、どういう順番で話せばいいんだったか。
パニック状態の紗香に、暫く言い出すのを待っていたケイトだったが、このままでは落ち着きそうにないと見てそっと両肩に手を置いた。
「サヤカ様、まずは深呼吸を」
言われた通りに、深く息を吸って、吐いてを繰り返す。
「順序立てて話せなくても構いません。思いついたことから、一つずつで良いですから」
思いついたこと。今日、一番言わなくてはいけないこと。ケイトを呼び出した理由。
「抱かせてください」
口から飛び出した言葉に、ケイトが目を丸くして固まった。
脳を経由せずに声に出てしまった言葉に、紗香は先ほどまでよりも更にひどいパニックになった。
何を言ってるんだ。せめて抱いてくださいじゃないのか。いやむしろ合っているのか。というかそこじゃない。ド直球すぎる。ヤリ目の男だってもうちょっとマシな口説き方をする。
だらだらと冷や汗が流れるが、ここからどう取り繕ったらいいのかわからない。
まともに頭が回らなくて、思考は更に迷走していく。
とりあえず、そうだ。押し倒そう。
固まったままのケイトをぐいぐいと押すが、倒れない。どういう体幹をしているんだ。
紗香の奇行に正気を取り戻したケイトが、はっとして自分を押す手を掴んだ。
ひどく戸惑った様子で、おそるおそる紗香に声をかける。
「あの……サヤカ様? 何を……」
「えっと、とりあえず、倒れてほしいなと」
「……倒して、何か意味があるのでしょうか」
「とりあえず乗ればどうにかなるかなって」
頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せて、ケイトは深く息を吐いた。
「サヤカ様。冗談でも、淑女がそのようなことを口にするものではありません。まして貴方は聖女なのです。聖女がその身を許すということがどういうことか、以前お伝えしませんでしたか」
「だからです」
「……だから?」
「勝ってください、ケイトさん。次こそは。あなたが、黒竜を討ち取ってください」
訴える瞳を正面から受け止めて、ケイトは息を呑んだ。
そして紗香が何をしようとしているのかを理解して、顔を歪めた。
「サヤカ様。それは、一時の感情で軽率に行って良いことではありません。失った力は二度と戻らない」
「わかっています」
「わかっていません。……貴方が、そのように思い詰めるほど。我々が頼りない姿を見せたのは、事実です。申し開きはいたしません。ですがどうか、もう一度だけ、我々に挽回の機会をいただけませんか。一度戦った相手です、次こそ遅れはとりません。騎士団の者達も、そのために準備を重ねてきました。それを無にするおつもりですか」
紗香は言葉に詰まった。傷を負って尚、俯かない騎士達の顔を思い出す。誰もが、勝利を信じている。頷いてしまいたい。ケイトの言葉を、そのまま受け入れたい。けれどそうはいかない。これは国王の命令なのだから。
「それでも、勝てるかどうか、わからないのでしょう」
ケイトの顔が見られない。この言葉は、きっとケイトを傷つける。けれど、紗香が他者を理由にする限り、ケイトは絶対に折れない。だから。
「約束したじゃないですか。わたしを元の世界に帰すって。帰してください。帰りたいんです。そのためなら何でもします。騎士団にどう思われようと、わたしは勝率の高い方に賭けたい」
顔を見なくて済むように、顔を見られなくて済むように。紗香はケイトに抱き着いた。
縋るように、ぎゅうと服を握りしめる。
「ケイトさんがわたしを拒むなら、他の人とします。どの道、わたしはもう聖女の役目を放棄します」
ただのはったりだ。国王からはケイトと指定を受けている。けれど、こう言えば。ケイト以外の者に寵愛を与えるくらいなら。どちらの方が勝率が高いかは、ケイトにだってわかるだろう。
仮に誰にも受け入れられなくとも。役目を放棄するとなれば、もう聖女の力を当てにはできない。ここで紗香を放り出すことは、ケイトも避けたいはずだ。
ケイトは沈黙していた。頼むから頷いてくれ、とぎゅっと目を瞑って祈った。
「……誰に、何を吹き込まれましたか」
え、と声に出す前に、強い力で肩を掴まれ体を引き剥がされた。そのまま至近距離で視線を合わせられる。
ケイトの表情は、予想とは違っていた。痛ましいような、怒ったようなその顔に、紗香は一瞬呆けた。
「何を言われたんですか」
「ま、待ってください。何の話ですか、わたしは、自分で」
居たたまれなくて視線を外した紗香を許さず、ケイトは紗香の顔を両手で覆った。目線が固定されて、ケイトから目が逸らせない。
「サヤカ様がそんなことをご自分から言い出すはずがありません」
「な」
「貴方が。真面目で、努力家で、責任感のある貴方が。役目を途中で放棄するなど、自分から言い出すはずがない」
きっぱりと言い切ったケイトに、紗香は不覚にも泣きそうになった。
駄目だ、涙を零しては。この人を、騙さないといけないのに。
この人は、紗香が口にした言葉よりも、その心根を信じてくれている。
「サヤカ様にこんなことを強いた愚か者は誰ですか。もし騎士団の者なら」
「ち、違います違います! 断じてそんなことはありません!」
「ではいったい何があったんですか」
琥珀の瞳に、嘘は通用しそうになかった。けれど正直に口にしたら。
眉を下げて口を開閉させる紗香に、ケイトは辛抱強く待った。
やがて観念した紗香が、小さく呟いた。
「…………陛下が」
先ほど自分が愚か者呼ばわりした者の正体に、ケイトが目を瞠った。
口にしたからには説明せねばならない、と紗香がぽつりぽつりと語り出す。
「国王陛下から、ケイトさんに寵愛を与えるようにと、命じられました。わたしが応じなければ、ケイトさんに直接命令すると。拒んでも意味がないので、受けました」
ケイトが紗香の作戦に乗ってくれなかった以上、誤魔化したところで堂々巡りだ。どの道紗香が失敗すれば、国王から直接ケイトに話が行く。紗香とケイトへの態度が同じだとは思わないが、あんな物言いでケイトに命令されるくらいなら、紗香の口から伝えた方がまだましだった。
話を聞いたケイトは、文字通り頭を抱えていた。
「陛下には、私からお話します。ですからサヤカ様は、一度このことは忘れてください」
「……この件に関して、陛下が意見を曲げることはないと思います。ケイトさんが消耗するくらいなら、わたしはこのまま従っても構いません」
「……サヤカ様」
咎めるようなケイトの声に少しだけ怯みながらも、紗香は言い募った。
「皆さんが仕える主を悪く言いたくはありませんが……。ケイトさんから見て、陛下は命令を撤回してくれそうですか?」
「……そうなるように、善処します」
即答できないということは、やはり付き合いが長いはずのケイトから見ても難しいのだ。
ケイトの気持ちは嬉しいが、紗香のためにケイトと国王の関係が悪くなったら目もあてられない。役目を終えたら帰る紗香と違って、ケイトはこの先もずっとこの国で騎士団長として働き続けるのだ。
時間の猶予もさほどない。悠長に問答を繰り返している暇はないはずだ。
やはり無理にでも襲ってしまおうか、と過ぎったが、先ほど押し倒すことすらできなかったことを思い返すと、力尽くは無理がある。紗香に勝算があるとすれば、心理的にケイトが絆された場合だけだ。
「サヤカ様が心配されることは何もありません。どうか私にお任せください」
微笑んでそう言われてしまえば、紗香にできることは頷くだけだった。
結局決意虚しく、その日は何事もなく終わった。
後にして思えば。紗香はこの時、泣いて縋ってでも、ケイトを引き留めるべきだった。
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