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第12話:ケイトとお説教

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「駄目です」

 笑顔でばっさりと切って捨てた騎士団長に、紗香は「ですよねー」という表情しかできなかった。

 騎士団の執務室。団長の机に座したケイトを前に、紗香は早くも行き詰っていた。後方からはレナードの圧を感じ、前門の虎、後門の狼という気分である。

「でも……えぇと、わたしにしかできないことがあるなら、試してみたいと」
「試し、で命を落としたらどうなさるんですか? 二度目は挑戦できませんよ」
「本当に危ないと判断された時は、すぐ引き返しますから。レナードさんも、護衛を固めると約束してくれましたし」
「本当に危なくなってからでは遅いんですよ。私は騎士団の者達を信頼しておりますが、それとこれとは別問題です。戦地に戦士以外の者が立ち入るのは、私は反対です」

 取り付く島もない。確かに、ケイトの言うことは正論なのだ。言っている紗香自身も、結局は騎士団任せの他力本願という矛盾に気づいている。しかし現状のままでは、安全は確保できても、変化は何も得られない。

「ケイトさん。何かを変えようと思ったなら、どうしても犠牲は必要になります。これまで騎士団だけでは、変えられなかったのでしょう。聖女が存在する期間は限られています。成果は上げるべきです」

 紗香の口ぶりに、ケイトは眉を顰めた。

「その僅かな成果のために貴方が犠牲になったなら、全てがゼロに戻ってしまいます。聖女はサヤカ様お一人しかいないのですよ」
「今は、でしょう。わたしが何かを得られたなら、それは次代に繋がります」

 ケイトとレナードが息を呑んだ。
 気づいていないとでも思ったのだろうか。だとしたら、馬鹿にされたものだ。

 召喚された時、ケイトはさも紗香が特別な存在であるかのように告げた。伝説の再来、唯一無二であるかのように。そして実際、そのように大切に扱われた。
 だが違和感はあった。伝承では、一人の聖女について記されている。講義では濁した言い方で伝えられたが、それは【初代聖女】を指している。初代というからには、別の代がいるのだ。その記録が残っていることも、レナードの話からはっきりしている。
 つまり、この国は聖女召喚に成功している。
 道理で、聖女を役職の一つであるかのように口にする。聖女は代替わりしているのだ。

 ケイト達の言うことも嘘ではない。少なくとも、今の騎士団の者達が在任中、聖女はいなかったのだろう。それこそ、御伽噺だと思われるほど長い時間が空いたのかもしれない。
 それでも確かに、いたのだ。聖女達が。そして今尚魔物が出没しているということは、彼女達も根絶することはできなかった。
 ならば紗香とて、最初から完勝を期待することはできない。それでも、彼女達と同じように、いしずえの一部にはなれるだろう。
 今の役目だけを漫然と続けていくのでは、あまりに途方もない。紗香の肉体が衰えるのが先か、精神が壊れるのが先か。そんな未来を迎えるくらいなら、いっそ胸を張って成果を残したのだと思いながら消えてしまいたい。

「聖女は……そのように、簡単にべるものではありません。我々にとっては、貴方一人が、聖女です」
「だからこそですよ。このまま使い潰しても、貴重な機会が無駄になります」
「貴方が……、貴方さえいてくれたら、我々は今までより困難な任務にも立ち向かえます。その成果を、待ってはいただけないでしょうか」
「それと同じことです。わたしが動けば、今までとは違った成果が持ち帰れるかもしれません。歳をとれば、わたし自身が動くことは難しくなります」

 何故だろう。話す度に、ケイトの顔色が悪くなっていく。
 埒が明かない、と思った紗香は、レナードが止めようとした気配に気づけなかった。

「やってみないことには、何もわからないでしょう。わたしが死んでも代わりはいるんだから、まずは」

 重い音がした。紗香は身を竦めて絶句した。
 どれほどの力を込めたのか、ケイトが拳を叩きつけた事務机にはヒビが入っていた。

「我々は」

 怒りからか、悲しみからか。震えた声に紗香は自分の失態にやっと気づいたが、もう遅い。

「尊い命を、お守りしてきたつもりです。壊れたら交換するような、道具を相手に過ごした覚えはない……!」

 その気迫に、紗香は膝から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
 しかしケイトは優しい言葉をかけることも、手を差し伸べることもせずに、乱暴な足取りで執務室を出ていった。

「今のは、失言でしたね」
「気づいてたなら止めてくださいよ……」
「止めようとはしましたよ」

 あまりのやらかしに、思わず責任転嫁の言葉が出る。しれっと返してくるレナードも、やはり思うところがあるのだろう。ケイトがあれだけの激情を見せたから、追撃するのを抑えているだけで。

「……ごめんなさい」
「何がですか?」
「騎士団の仕事を、軽んじるような言い方をしました。もちろん、そんなつもりはありませんでしたが……。守る価値のない物を守っている、と捉えられても仕方のない表現でした」

 模擬戦の時に、学んだのではなかったか。彼らの聖女に対する価値観を。聖女には価値がある。その自覚はしていたはずなのに。
 しかし紗香の弁明を受けて尚、レナードは渋い顔をしていた。

「団長が怒ったのは、そういうことではないと思いますよ」
「え? でも……」
「……聖女様は、団長とよく話された方が良いでしょう。お互い、少し時間を置いて、頭を冷やしてから。その結果、探索任務が駄目でも、私は構いません」
「……交渉が下手ですみません」
「いえ、無理を聞いていただいてありがとうございました。ただ、最後の言葉が聖女様の本心なら、私も同行は反対します」

 驚いてレナードを見上げる。彼の表情から、その内心を読み取ることは難しかった。
 紗香は手をついて、一人で立ち上がった。


+++


 ケイトが日中の護衛担当の時に、ちゃんと話そう。
 そう考えていたのに、紗香と顔を合わせないようにしているのか、珍しいことにケイトではない騎士の護衛が続いた。毎日でも会えるような気がしていたのに、避けられれば姿を見ることも難しいとは。担当ではない日でも、ケイトが紗香と会えるように調整してくれていたのが、今になってわかった。
 仕事だ任務だと逃げられてしまえば、日中捕まえるのは困難だ。痺れを切らせた紗香は、夜間の護衛担当を脅して、ケイトの部屋へと押しかけた。かなりスレスレな行動だとは思うが、怒らせたのは紗香の方だ。その紗香が呼びつけるのは違う気がする。

 そう思って勇気を出して来たというのに、いざ扉の前に立つと、何かを盛大に間違えているのではという気分になった。そもそも、夜に女性から男性の部屋を訪れるなど、メイドにでも知られたらどんな醜聞が立つか。
 しかし、来てしまったものは仕方ない。今更後には引けない。それに一人ではない、護衛騎士も同行している。
 心中で言い訳をしながら、扉の前で数回深呼吸をする。震えそうになる手を叱咤して、軽くノックした。

「誰だ」

 素っ気ない物言いに、どきりとした。
 それもそうか。こんな時間に私室を尋ねるなど、騎士団員か、使用人くらいだろう。上の立場の者なら呼びつける。

「わたしです。紗香です」

 部屋の中で、物が落ちるような音がした。驚いて肩が跳ねたが、まさか勝手に扉を開けて様子を確認するわけにもいかない。そのまま返答を待っていると、

「少々、お待ちください」

 焦ったような声がして、またバタバタと音がする。
 暫くして、目の前の扉が開いた。

「お待たせいたしました」

 姿を見せたケイトは、シャツに上着を羽織っただけの、ラフな格好だった。それでも幾分か整えられている身なりから、慌てて支度をしたのだろうか、と想像する。

「何か、急ぎの御用ですか」
「あ……いえ、少し、話がしたいと」
「……それで、この時間に、部屋まで?」
「日中は、忙しいようでしたから。夜なら、と」

 ケイトが、深く長い溜息を吐いた。
 責められているような気になって、紗香は泣きそうに顔を歪めた。そんな表情を見せたくなくて、唇を噛みしめて俯く。
 やはり、とんだ勇み足だった。ただでさえ怒らせているのに、火に油を注いだかもしれない。
 ケイトが口を開く呼吸に、ぎゅっと目を閉じた。

「サヤカ様は私が部屋までお送りする。お前は先に戻っていろ」

 ケイトが声をかけたのは、紗香ではなかった。
 護衛の騎士が礼をして、素早い動きでその場を去る。それをぽかんと見送って、緩慢な動きで紗香はケイトを見上げた。
 護衛を帰したということは。

「お部屋までの間でしたら、お話を伺います」

 その言葉に、ほっとした気持ちと、落胆した気持ちが入り混じった。
 話を聞いてくれる程度には歩み寄ってくれたが、自室に招き入れてくれるほどには許してくれていないのだ、と。
 冷静に考えれば、紳士が夜間に私室へ女性を入れるはずがないのだが、その時の紗香には拒絶されたように思えてしまった。

 できるだけゆっくりとした足取りで、部屋までの道のりを歩く。ケイトはそれに気づいているだろうに、紗香に合わせた歩調で歩いた。

「先日は、すみませんでした」

 紗香の方から口火を切る。ケイトはただ、琥珀色の目を向けただけだった。

「この国にとって、聖女がどういう存在であるか、わかっていたはずなのに。聖女のことも、騎士団のことも、軽く見るような言い方をしてしまいました。本当に、ごめんなさい」

 迷った挙句、レナードに告げたのと同じ内容を続けた。定型句だけの謝罪では意味がない。
 レナードは、ケイトが怒っている理由は違うのではと言った。それでも、結局紗香には他に心当たりがなかった。

「……聖女、ですか」

 零された言葉の意味が汲み取れなくて、紗香は戸惑ったようにケイトを見上げた。

「私も誤魔化すような言葉を使ってしまいました。我々、などと。騎士団という立場から物を申せば、貴方も聖女という立場で答えるしかないのに」

 立ち止まって紗香を見据えた目に、怒りはなかった。それは、悲しみの色をしていた。

「サヤカ様。私は、貴方をお守りしてきました。今も、サヤカ様をお守りしたいと、そう思っております」
「ありがとうございます。ケイトさんが、騎士団長として誠心誠意役目を果たしてくださっているのは、十分伝わっています。ですから、わたしも聖女として」
「そうではありません」

 首を振ったケイトに、紗香は戸惑った。何を掛け違ているのか、紗香にはわからなかった。また間違えるのではという焦燥が胸を焼く。

「聖女ではありません。私は、貴方を、大切にしたいと申し上げております」

 紗香は目を丸くした。言われた言葉が、すぐには理解できなかった。

「聖女を守るのは、我々の仕事です。最初は勿論、任務で護衛に付きました。ですが、人と人とが関わって、それだけでいられるでしょうか。私は貴方をずっと見てきました。右も左もわからぬ世界で、懸命に生きる貴方を。本来なら、縁もゆかりもないこの国に尽くす義務はない。それでも貴方は、私の願いを受け入れてくださった。ただ淡々と務めさえこなしていれば保護は受けられる。けれど貴方は、この国を、騎士達を、理解しようと努めてくださった。ならば我々が貴方を理解したいと思うのも、自然ではないですか。貴方が騎士団長ではなく、ケイトとして私と向き合ってくださるのに。私が聖女ではなく、サヤカ様と向き合いたいと願うことは、おかしなことですか」

 ケイトのこれほど切実な声を、紗香は初めて聞いた。聖女の役目を頼まれた時ですら、こんなに強い感情の色は見えなかった。
 彼は今、心の底から紗香に訴えている。それを受け止めるだけの心構えが、紗香にはなかった。ただ動揺して、手を握りしめることしかできない。

「サヤカ様の代わりはいません。仮に新たな聖女が現れたとしても、それはサヤカ様ではない。私が最初にした約束を、覚えていますか」
「やく、そく?」
「役割を終えられたなら、必ず無事にお返しすると誓いました。騎士の誓いに二言はない。あの時から、私はサヤカ様のための騎士です。貴方を守り切れずに、他の聖女に仕えることなどない」
「どうして……そこまで……」

 疑問が、思わずそのまま口から零れた。
 どうして。
 紗香は、聖女の役目をずっと仕事だと捉えていた。仕事の目的は成果を出すことだ。誰がそれをこなすかじゃない。一人でも、大勢でも。目標に向かって円滑に進むよう、それぞれが役割を果たす。歯車をうまく回すため、壊れた部品は取り替える。そうしてまた、何事もなく回り続ける。
 社会とは、そういうものではなかったか。少なくとも会社員だった頃、紗香はそういう扱いしか受けた覚えがない。簡単に交換できてしまうから、もっと良い部品に替えられないように、自分の有用性を示すのに精一杯だった。
 ここでも同じようにしただけだ。ケイトはまるで紗香が立派な人間のように評価してくれているが、臆病なだけだ。聖女はそう簡単に替えられるものではないとわかっていながら、それでもどこか捨てられることに怯えていた。今の立場を手放せば、紗香はこの国では生きていけないから。絶対に替えのきかないものなど、そうそうありはしないから。

「アルフレッドに初めて祝福を与えた日を、覚えていますか」
「え……はい」

 急に何の話だろう、と当時のことを思い出す。アルフレッドの純粋さは、紗香に大きな影響を与えた。彼がいたから、紗香は聖女の務めと向き合えた。

「あの時、貴方はアルフレッドとは初対面でした。それでも、貴方は初陣を迎える彼を大層心配してくださった。いくらでも替えのきく、騎士の一人でしかない彼を」

 どきりとした。あの時の恐怖を、覚えている。目の前の人間が、命を落としてしまうかもしれないという実感を。

「その後も、サヤカ様はアルフレッドと親しくしてくださいましたね。多少は情もあるでしょう。けれど、まだろくに実績もない新人です。彼一人いなくなっても、騎士団の業務上困ることはありません。では、彼なら危険な任務で使い捨てても構わないと?」
「……そんなことは、ありません」
「何故ですか」

 ケイトの顔が見られなかった。あの時の恐怖を、今でも思い出せるのに。

「私とて同じこと。騎士団長という地位にあっても、私が倒れれば誰かが代わりに就く。では貴方にとって、私はいてもいてなくても良い存在ですか。別の誰かが側にいれば、それで構いませんか」

 激しく首を振ることしかできなかった。口を開けば嗚咽が漏れる。押さえた手が、涙で濡れた。

「今貴方が感じている痛みを、私も感じていた。それだけのことが、どうしてわからないのですか」

 ケイトの言葉が痛かった。でも自分には、その痛みを感じる資格もないと思った。
 なんて自分勝手だったのだろう。紗香が軽んじたのは、聖女の立場でも騎士団の仕事でもない。彼らの愛情だ。
 それは親愛であったり、友愛であったり、敬愛であったりするかもしれない。どのような形でも、義務以外の感情で、紗香と接してくれていた。それをないがしろにしたのだ。自分ばかりが彼らを想っているつもりだったのだろうか。なんて恥ずかしい。

「ごめんなさい……」

 それだけ絞り出すのがやっとだった。こんな謝罪でさえ、もはや何の意味もないほど軽いものでしかない気がした。

「私の方こそ、口が過ぎました。お許しください」

 泣きながらただ首を振る紗香に、ケイトは困ったように眉を下げた。

「冷静にお話できる気がせず、少し距離を置いていたのですが……。まだ早かったのかもしれません。貴方を傷つけてしまった」
「ちが、います。わたしの、方が。自分勝手で、ごめ、なさい」

 しゃくり上げそうになるのを必死で堪えて乱暴に涙を拭うと、ケイトが慌てたように手を掴んだ。

「そのように擦ってはいけません。お目元が傷つきます」
「平気です、このくらい」
「……貴方は、もう少しご自分を大切にされることを覚えた方がよろしい」

 悲し気な目をされると、何も言えない。さっきの今でやってしまった、という気持ちと、だけどこのくらいで、というささやかな反発心。命と肌では天地の差がある。

「夜は冷えます。早めにお部屋に戻りましょう」

 ケイトは上着を紗香の肩にかけると、先ほどまでよりも速い歩調で紗香を促した。
 紗香は上着に残った温かさを感じながら、黙って部屋までの道のりを歩いた。
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