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第11話:レナードの願い
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聖女の役目を永続的に続けていくことは無理だ。そう悟った紗香は、根本的な解決方法はないのだろうかと考え始めた。
そんな方法があるのなら騎士団がとっくに実行しているだろうが、何か聖女でなければできないことはないのだろうか。
午前の勉強でも、聖女の役目や騎士団の成り立ちについて、表面的なことは最初に一通り学んでいる。しかしその後は一般的な淑女が学ぶのと同じような礼儀作法や歴史ばかりで、あまり魔物や戦争については扱わない。女性に軍事や政治の話は不要という方針なのかもしれない。
こちらから質問をしても、良い答えは得られないだろう。
しかし。講師に聞けないのなら、その道の専門家に聞けば良いのだ。
「それで私に?」
目を丸くするレナードに、紗香は素直に頷いた。
「団の活動についてなら、団長にお聞きするのが良いかと思いますが」
「うーん……ケイトさんは、わたしを気遣いすぎて、わたしに不利になるような内容は省く気がするんですよね。その点レナードさんは、以前聖女の伝承についても教えてくれたので。騎士団も長いみたいだし、詳しいかなって」
「なるほど。それでお呼びになったのですね。てっきり逢瀬のお誘いかと」
「か、からかわないでくださいっ!」
顔を赤らめた紗香に、レナードは穏やかに笑った。相変わらず冗談がわかりにくい人だ。場所を紗香の自室でなく図書室にしたことで、何となく察していただろうに。
「いいですよ。何から聞きたいですか?」
「えっと……そもそも、魔物ってなんなんですか? 被害があると聞いていましたが、先日城下に降りた時には、あまり感じませんでした」
「魔物は害獣と似たようなものですね。獣と違うのは、人間への攻撃性が高いこと、種の番から生まれるのではなく、どこからともなく湧いて出ることです。そのため、根絶が難しい。ほとんどは森にいますが、たまに街の近くにも下りてきます。この国には初代聖女の張られた結界がありますので、大量に押し寄せることはまずありません。しかし、稀に結界の隙間から入り込んでしまうこともあり、国内で発見された場合は真っ先に駆除します」
「なら、国から出なければほとんど被害はないんですか?」
「そうですね。しかし、この小さな国で、外交を全く持たないというのは無理です。せめて街道くらいは安全を確保しないと」
「ああ……そうですよね……」
結界とやらがあるなら思ったほど深刻ではないのでは、と一瞬期待したが、そう簡単な話でもないようだ。それに、結界も綻びが出る、ということは、永久に続くものではないのかもしれない。
「その……湧いてくる、というのは、どういう現象なんですか? 巣がわからないとか、無性生殖とか?」
一匹見るとなんとやら、の黒い悪魔のようだ。毒餌とかで根絶できないのだろうか。
「そのあたりは一切が謎です。いつの間にか、いるんですよ。後を追っても姿を消してしまい、毒餌には食いつかない。捕らえて解剖しようにも、死骸は時間が経つと溶けてしまうんです」
「うえ……」
「討伐隊の任務の一環として、どこかに巣や拠点があるのではないかと、探索活動も行っているのですが……今のところ成果は芳しくないですね」
やはり、騎士団はできる限りのことをしている。悪戯に紗香が首を突っ込んでも、事態が改善することはないだろう。
「なるほど……。わたしにできることは、騎士さんの生存率を上げることくらい……ってことですかね……」
落胆した様子の紗香を、レナードがじっと見る。
「聖女様は、それ以上の何かをお望みで?」
「望み……というか。今のままだと、堂々巡りでしょう。死傷者は減るかもしれませんが、根本的な解決になりません。わたしもいつまで聖女の力があるのかわかりませんし、できることがあるならやってみようと思いまして」
探るようなレナードの視線に、心がざわざわする。いったい何だというのだろうか。
「……ありますよ。聖女様にしかできないことが」
「えっ!?」
なんだそんなのがあるなら早く言ってくれ。
そんな軽口が叩ける空気ではなく、紗香は固唾を呑んだ。
「我々では、探索しても何も見つけられませんでしたが。聖女様なら、魔物の発生源を辿れるかもしれません」
「そんな能力が!?」
「記録には、あります。しかし……」
言い淀むレナードに先を促すと、彼は重い口を開いた。
「かつてそれを試みた聖女は、魔物に殺されました」
がつりと、殴られたような衝撃が走る。
殺された、という言葉が、どこか遠い言語のようだった。
殺された? 誰が? 聖女が?
――わたしも?
「大丈夫ですか、聖女様」
レナードの声に、はっと意識が戻る。
青い顔をしているのだろう、心配そうに眉を下げたレナードの表情が目に入った。
「だい、じょうぶ……です。その、殺されたというのは、何故」
「当然ではありますが、聖女本人に戦闘能力はありません。当時の聖女は箱入りだったようで、森での動きもままならず……護衛の騎士が彼女を守りきれずに、魔物に襲われて命を落としました」
「箱入りの聖女を、ろくに対策も取らずに、無理やり魔物のいる森へ?」
「騎士団の不手際については、返す言葉もありません。ただ、あくまで記録を見る限りでは、聖女に無理に探索を依頼したわけではなく、聖女の方から強く要望があったようです。当時の聖女は、役目に対して大変意欲的だったと。しかしその一件を受け、聖女は討伐の現場に出さないように規則が追加されました」
意識して長く息を吐く。
なるほど。いわゆる厄介な姫ムーブをかましてしまったのだろう。
大して役にも立たないのに、私にも何かできるはずだわ! とかいって無駄にやる気を出し、周囲の静止も聞かず、結局仕方なしに周りがお膳立てしてあれこれやらせてあげた結果、盛大に足を引っ張りながらも本人はご満悦、というやつだ。
この話での失敗は、足手まとい度が高すぎて、ご満悦どころか周囲に大ダメージを与えたところだろう。
ちなみにこの手の姫は現代にも存在する。何とか姫にもできることをご用意して差し上げないと、虐められているとか言い出すので取り扱い注意案件である。どこの世界でも思うことはただ一つ。
大人しくしてろ。
さてここで紗香のスペックを振り返るが、彼女はいたって普通のOLである。
実は格闘技が得意であるとか、ソロキャンパーで自然に詳しいとか、そんな特異事項もない。
つまりただの一般人。足手まとい。護衛対象。
数年かけて訓練すれば、介助付きで同行可能なくらいには育つかもしれないが、少なくとも今すぐにできることではない。そもそもこの国の風潮で女性に戦闘訓練をしてくれるかどうか。
従って、ここで「それでもわたしやります!」などという姫ムーブはかまさないのである。デッドエンドが見えている。
「わたしも、足手まといにしかならないでしょうし……。他の方法を考えるしかないですね」
溜息と共にそう告げたが、レナードは何かを言いたげな視線を向けている。
まさか。
「そう……ですよね。聖女様を危険な目に遭わせるわけには、参りませんね」
そう言って寂しそうに目を伏せた。
なんだそのしおらしい反応は。やめてくれ。
冷や汗をかきながらも、紗香の方から迂闊なことは言えないと黙っていると、葛藤するような間を置いて、覚悟を決めた表情でレナードが紗香を見据えた。
「聖女様。無理を承知でお願いします。探索任務に、同行してはいただけないでしょうか」
ピシャーン、と雷が落ちるカットが入った。気がする。
まさか、本気でやらせようというのか。姫ムーブを。
「先ほど、規則で禁止されていると言ってませんでしたか?」
「はい。しかし、古い規則ですから。この国も、随分と疲弊しています。聖女様の同意があれば、恐らく通るでしょう」
「……なんだか、珍しいですね。レナードさんが、そんな風に強く要求を口にするのは」
いかにも真面目に見える彼が、規則破りを躊躇なく口にすることに驚き、思わずそう零した。
騎士団なら、当然魔物の根絶は悲願であるはずだ。しかし、それだけではないように見える。
図星だったのか、レナードが目に見えて動揺した。やがて紗香に苦笑して見せる。
「冷静さを欠いてしまい、失礼いたしました。個人的な要求を願い出るなら、納得いただける説明が必要ですね」
「個人的……?」
魔物討伐は国全体の問題であるはずだ。だというのに、この口ぶり。やはり何かあるのだろう。
焦燥を抑え、レナードが口を開くのを待つ。
「私の妻は、魔物に殺されています」
紗香が息を呑む。言葉が出ない。
魔物被害。人間への攻撃性。
あり得る話だ。騎士ではなくとも。民間人にも。死傷者が、出ることは。
ただそれを、初めて実感した。
「当時の私は、騎士団長でした。多忙な私を、妻はよく支えてくれました。騎士団に顔を出すこともあり、私達は仲の良い夫婦として、それなりに知られていたのです」
騎士団長。口を挟まないよう声には出さずに、紗香は目を瞠った。
道理で騎士団のことに詳しい。ただ古参というわけではなかったのだ。
しかし、今はケイトが団長の任についている。レナードが健在であるのに団長が交代したということは、レナードが降格するに至る出来事があったのだ。
「妻は優しく、勇敢な人物でした。結界をすり抜け国内に入り込んだ魔物に対し、民間人の避難誘導を先導していたそうです。しかし、騎士団が到着した時には、妻は既に……」
当時のことが思い返されたのか、レナードの眉間に皺が寄る。それを紗香は、黙って見ているしかなかった。
「妻のおかげで、他に死者は出ませんでした。しかし、私は許せなかった。国内への出現は稀だからと、その場凌ぎの対処ばかり行っていたことを。何故もっと早くに奴らを根絶やしにしなかったのか。後悔ばかりが頭を占めて、傍からわかるほどに憔悴し、無力感はやがて復讐心に変わりました。団長の立場も忘れ、無茶な任務を命令したり、自身の命も顧みないような自棄を起こした。そんな私を叩きのめしたのが、当時団長補佐だったケイトです」
今のレナードからは考えられない姿に呆然と話を聞いていると、突然慣れた名前が飛び出した。レナードがケイトを呼び捨てにするのを初めて聞いた。親しげに見えていたが、二人はその頃からの付き合いだったのか。
「仮にも騎士団長でしたから、腕には自信がありました。しかし、ケイトに一騎打ちを申し込まれ、私はあっさり負けた。自分の剣が、目が、どれほど濁っていたか、よくわかりました。ケイトが早めに私を叩いてくれたおかげで、私は取り返しのつかないほどの間違いは犯さずに済んだ。一騎打ちで敗北すれば、団長の任は交代するのが決まりです。そのまま騎士を辞任するつもりでしたが、ケイトから、自分を支えてほしいと頼まれまして。妻を亡くし、一人では死にかねない私に、生きる意味を与えてくれたのでしょう。彼の優しさに甘えて、私は今も騎士団で、団長補佐として働いています」
「……ケイトさんらしいです」
ケイトが団長の立場にあるのは、立身出世のためではない。レナードのためなのだ。人望が厚いのも頷ける。レナードの件がなくとも、いずれは望まれて団長となったかもしれない。
自分のためではなく、人のために動ける人だから。そういう人だから、レナードもかつての部下であっても、礼儀を尽くしているのだろう。
「もうあの頃のように、復讐心に目を曇らせたりはしません。それでも、妻のことは忘れられない。今のままでは、新たな犠牲者も出る。できることなら、私の代で終わりにしたいのです。聖女様の身の安全には、最大限の対策をさせていただきます。ですから、どうか。お力を貸していただけないでしょうか」
真摯に頭を下げるレナードに、紗香は軽く息を吐いた。
こんな風に頼まれたら、断れない。
元々、紗香は自分にできることが知りたくて、レナードに話を聞いたのだ。願ったり叶ったりだろう。
「わたしでお役に立てるのなら、喜んで」
「……! 本当ですか!」
ぱっと目を輝かせたレナードに、紗香は苦笑した。
「ご期待に沿えるかはわかりませんので、あまり期待しすぎずに」
「いえ、試していただけるだけでも十分です。ありがとうございます」
言い出した手前、姫ムーブにならないように、紗香の方も最大限の注意を払わなければならないだろう。
そう考えると胃が痛いが、少なくとも一歩前進だ。
「行くとなると、ケイトさんにも相談しないといけませんね」
何なら付いてきてほしい。何せ騎士団長だ。先日のアルフレッドとの外出には来なかったが、さすがに魔物探索となれば最強戦力にいてほしい。
しかしレナードは、言葉に詰まったように口を閉ざした。首を傾げる紗香に、言いにくそうに告げる。
「団長は、恐らく、反対されると思います。なので、聖女様にも、説得をお手伝いいただけたらと……」
マジかい。
心の中でだけつっこむ。さすがにあれだけの話を聞いて、軽口は叩けない。
呼称も業務モードに戻っている。先ほどまでの話は本当にレナードの独断で、騎士団の姿勢として考えると望ましくないのだろう。
説得を手伝うことは吝かではないが、内容から考えるにレナードの方からケイトに強くは言えないだろう。ということは、紗香が主体となってケイトに頼む必要がある。
満足にこなせる能力がないのに、無茶なことをしたがる。それで世話してくれている人を困らせる。つまり。
――姫ムーブ……。
結局そこから逃げられないのか、と紗香は内心で大きく溜息を吐いた。
そんな方法があるのなら騎士団がとっくに実行しているだろうが、何か聖女でなければできないことはないのだろうか。
午前の勉強でも、聖女の役目や騎士団の成り立ちについて、表面的なことは最初に一通り学んでいる。しかしその後は一般的な淑女が学ぶのと同じような礼儀作法や歴史ばかりで、あまり魔物や戦争については扱わない。女性に軍事や政治の話は不要という方針なのかもしれない。
こちらから質問をしても、良い答えは得られないだろう。
しかし。講師に聞けないのなら、その道の専門家に聞けば良いのだ。
「それで私に?」
目を丸くするレナードに、紗香は素直に頷いた。
「団の活動についてなら、団長にお聞きするのが良いかと思いますが」
「うーん……ケイトさんは、わたしを気遣いすぎて、わたしに不利になるような内容は省く気がするんですよね。その点レナードさんは、以前聖女の伝承についても教えてくれたので。騎士団も長いみたいだし、詳しいかなって」
「なるほど。それでお呼びになったのですね。てっきり逢瀬のお誘いかと」
「か、からかわないでくださいっ!」
顔を赤らめた紗香に、レナードは穏やかに笑った。相変わらず冗談がわかりにくい人だ。場所を紗香の自室でなく図書室にしたことで、何となく察していただろうに。
「いいですよ。何から聞きたいですか?」
「えっと……そもそも、魔物ってなんなんですか? 被害があると聞いていましたが、先日城下に降りた時には、あまり感じませんでした」
「魔物は害獣と似たようなものですね。獣と違うのは、人間への攻撃性が高いこと、種の番から生まれるのではなく、どこからともなく湧いて出ることです。そのため、根絶が難しい。ほとんどは森にいますが、たまに街の近くにも下りてきます。この国には初代聖女の張られた結界がありますので、大量に押し寄せることはまずありません。しかし、稀に結界の隙間から入り込んでしまうこともあり、国内で発見された場合は真っ先に駆除します」
「なら、国から出なければほとんど被害はないんですか?」
「そうですね。しかし、この小さな国で、外交を全く持たないというのは無理です。せめて街道くらいは安全を確保しないと」
「ああ……そうですよね……」
結界とやらがあるなら思ったほど深刻ではないのでは、と一瞬期待したが、そう簡単な話でもないようだ。それに、結界も綻びが出る、ということは、永久に続くものではないのかもしれない。
「その……湧いてくる、というのは、どういう現象なんですか? 巣がわからないとか、無性生殖とか?」
一匹見るとなんとやら、の黒い悪魔のようだ。毒餌とかで根絶できないのだろうか。
「そのあたりは一切が謎です。いつの間にか、いるんですよ。後を追っても姿を消してしまい、毒餌には食いつかない。捕らえて解剖しようにも、死骸は時間が経つと溶けてしまうんです」
「うえ……」
「討伐隊の任務の一環として、どこかに巣や拠点があるのではないかと、探索活動も行っているのですが……今のところ成果は芳しくないですね」
やはり、騎士団はできる限りのことをしている。悪戯に紗香が首を突っ込んでも、事態が改善することはないだろう。
「なるほど……。わたしにできることは、騎士さんの生存率を上げることくらい……ってことですかね……」
落胆した様子の紗香を、レナードがじっと見る。
「聖女様は、それ以上の何かをお望みで?」
「望み……というか。今のままだと、堂々巡りでしょう。死傷者は減るかもしれませんが、根本的な解決になりません。わたしもいつまで聖女の力があるのかわかりませんし、できることがあるならやってみようと思いまして」
探るようなレナードの視線に、心がざわざわする。いったい何だというのだろうか。
「……ありますよ。聖女様にしかできないことが」
「えっ!?」
なんだそんなのがあるなら早く言ってくれ。
そんな軽口が叩ける空気ではなく、紗香は固唾を呑んだ。
「我々では、探索しても何も見つけられませんでしたが。聖女様なら、魔物の発生源を辿れるかもしれません」
「そんな能力が!?」
「記録には、あります。しかし……」
言い淀むレナードに先を促すと、彼は重い口を開いた。
「かつてそれを試みた聖女は、魔物に殺されました」
がつりと、殴られたような衝撃が走る。
殺された、という言葉が、どこか遠い言語のようだった。
殺された? 誰が? 聖女が?
――わたしも?
「大丈夫ですか、聖女様」
レナードの声に、はっと意識が戻る。
青い顔をしているのだろう、心配そうに眉を下げたレナードの表情が目に入った。
「だい、じょうぶ……です。その、殺されたというのは、何故」
「当然ではありますが、聖女本人に戦闘能力はありません。当時の聖女は箱入りだったようで、森での動きもままならず……護衛の騎士が彼女を守りきれずに、魔物に襲われて命を落としました」
「箱入りの聖女を、ろくに対策も取らずに、無理やり魔物のいる森へ?」
「騎士団の不手際については、返す言葉もありません。ただ、あくまで記録を見る限りでは、聖女に無理に探索を依頼したわけではなく、聖女の方から強く要望があったようです。当時の聖女は、役目に対して大変意欲的だったと。しかしその一件を受け、聖女は討伐の現場に出さないように規則が追加されました」
意識して長く息を吐く。
なるほど。いわゆる厄介な姫ムーブをかましてしまったのだろう。
大して役にも立たないのに、私にも何かできるはずだわ! とかいって無駄にやる気を出し、周囲の静止も聞かず、結局仕方なしに周りがお膳立てしてあれこれやらせてあげた結果、盛大に足を引っ張りながらも本人はご満悦、というやつだ。
この話での失敗は、足手まとい度が高すぎて、ご満悦どころか周囲に大ダメージを与えたところだろう。
ちなみにこの手の姫は現代にも存在する。何とか姫にもできることをご用意して差し上げないと、虐められているとか言い出すので取り扱い注意案件である。どこの世界でも思うことはただ一つ。
大人しくしてろ。
さてここで紗香のスペックを振り返るが、彼女はいたって普通のOLである。
実は格闘技が得意であるとか、ソロキャンパーで自然に詳しいとか、そんな特異事項もない。
つまりただの一般人。足手まとい。護衛対象。
数年かけて訓練すれば、介助付きで同行可能なくらいには育つかもしれないが、少なくとも今すぐにできることではない。そもそもこの国の風潮で女性に戦闘訓練をしてくれるかどうか。
従って、ここで「それでもわたしやります!」などという姫ムーブはかまさないのである。デッドエンドが見えている。
「わたしも、足手まといにしかならないでしょうし……。他の方法を考えるしかないですね」
溜息と共にそう告げたが、レナードは何かを言いたげな視線を向けている。
まさか。
「そう……ですよね。聖女様を危険な目に遭わせるわけには、参りませんね」
そう言って寂しそうに目を伏せた。
なんだそのしおらしい反応は。やめてくれ。
冷や汗をかきながらも、紗香の方から迂闊なことは言えないと黙っていると、葛藤するような間を置いて、覚悟を決めた表情でレナードが紗香を見据えた。
「聖女様。無理を承知でお願いします。探索任務に、同行してはいただけないでしょうか」
ピシャーン、と雷が落ちるカットが入った。気がする。
まさか、本気でやらせようというのか。姫ムーブを。
「先ほど、規則で禁止されていると言ってませんでしたか?」
「はい。しかし、古い規則ですから。この国も、随分と疲弊しています。聖女様の同意があれば、恐らく通るでしょう」
「……なんだか、珍しいですね。レナードさんが、そんな風に強く要求を口にするのは」
いかにも真面目に見える彼が、規則破りを躊躇なく口にすることに驚き、思わずそう零した。
騎士団なら、当然魔物の根絶は悲願であるはずだ。しかし、それだけではないように見える。
図星だったのか、レナードが目に見えて動揺した。やがて紗香に苦笑して見せる。
「冷静さを欠いてしまい、失礼いたしました。個人的な要求を願い出るなら、納得いただける説明が必要ですね」
「個人的……?」
魔物討伐は国全体の問題であるはずだ。だというのに、この口ぶり。やはり何かあるのだろう。
焦燥を抑え、レナードが口を開くのを待つ。
「私の妻は、魔物に殺されています」
紗香が息を呑む。言葉が出ない。
魔物被害。人間への攻撃性。
あり得る話だ。騎士ではなくとも。民間人にも。死傷者が、出ることは。
ただそれを、初めて実感した。
「当時の私は、騎士団長でした。多忙な私を、妻はよく支えてくれました。騎士団に顔を出すこともあり、私達は仲の良い夫婦として、それなりに知られていたのです」
騎士団長。口を挟まないよう声には出さずに、紗香は目を瞠った。
道理で騎士団のことに詳しい。ただ古参というわけではなかったのだ。
しかし、今はケイトが団長の任についている。レナードが健在であるのに団長が交代したということは、レナードが降格するに至る出来事があったのだ。
「妻は優しく、勇敢な人物でした。結界をすり抜け国内に入り込んだ魔物に対し、民間人の避難誘導を先導していたそうです。しかし、騎士団が到着した時には、妻は既に……」
当時のことが思い返されたのか、レナードの眉間に皺が寄る。それを紗香は、黙って見ているしかなかった。
「妻のおかげで、他に死者は出ませんでした。しかし、私は許せなかった。国内への出現は稀だからと、その場凌ぎの対処ばかり行っていたことを。何故もっと早くに奴らを根絶やしにしなかったのか。後悔ばかりが頭を占めて、傍からわかるほどに憔悴し、無力感はやがて復讐心に変わりました。団長の立場も忘れ、無茶な任務を命令したり、自身の命も顧みないような自棄を起こした。そんな私を叩きのめしたのが、当時団長補佐だったケイトです」
今のレナードからは考えられない姿に呆然と話を聞いていると、突然慣れた名前が飛び出した。レナードがケイトを呼び捨てにするのを初めて聞いた。親しげに見えていたが、二人はその頃からの付き合いだったのか。
「仮にも騎士団長でしたから、腕には自信がありました。しかし、ケイトに一騎打ちを申し込まれ、私はあっさり負けた。自分の剣が、目が、どれほど濁っていたか、よくわかりました。ケイトが早めに私を叩いてくれたおかげで、私は取り返しのつかないほどの間違いは犯さずに済んだ。一騎打ちで敗北すれば、団長の任は交代するのが決まりです。そのまま騎士を辞任するつもりでしたが、ケイトから、自分を支えてほしいと頼まれまして。妻を亡くし、一人では死にかねない私に、生きる意味を与えてくれたのでしょう。彼の優しさに甘えて、私は今も騎士団で、団長補佐として働いています」
「……ケイトさんらしいです」
ケイトが団長の立場にあるのは、立身出世のためではない。レナードのためなのだ。人望が厚いのも頷ける。レナードの件がなくとも、いずれは望まれて団長となったかもしれない。
自分のためではなく、人のために動ける人だから。そういう人だから、レナードもかつての部下であっても、礼儀を尽くしているのだろう。
「もうあの頃のように、復讐心に目を曇らせたりはしません。それでも、妻のことは忘れられない。今のままでは、新たな犠牲者も出る。できることなら、私の代で終わりにしたいのです。聖女様の身の安全には、最大限の対策をさせていただきます。ですから、どうか。お力を貸していただけないでしょうか」
真摯に頭を下げるレナードに、紗香は軽く息を吐いた。
こんな風に頼まれたら、断れない。
元々、紗香は自分にできることが知りたくて、レナードに話を聞いたのだ。願ったり叶ったりだろう。
「わたしでお役に立てるのなら、喜んで」
「……! 本当ですか!」
ぱっと目を輝かせたレナードに、紗香は苦笑した。
「ご期待に沿えるかはわかりませんので、あまり期待しすぎずに」
「いえ、試していただけるだけでも十分です。ありがとうございます」
言い出した手前、姫ムーブにならないように、紗香の方も最大限の注意を払わなければならないだろう。
そう考えると胃が痛いが、少なくとも一歩前進だ。
「行くとなると、ケイトさんにも相談しないといけませんね」
何なら付いてきてほしい。何せ騎士団長だ。先日のアルフレッドとの外出には来なかったが、さすがに魔物探索となれば最強戦力にいてほしい。
しかしレナードは、言葉に詰まったように口を閉ざした。首を傾げる紗香に、言いにくそうに告げる。
「団長は、恐らく、反対されると思います。なので、聖女様にも、説得をお手伝いいただけたらと……」
マジかい。
心の中でだけつっこむ。さすがにあれだけの話を聞いて、軽口は叩けない。
呼称も業務モードに戻っている。先ほどまでの話は本当にレナードの独断で、騎士団の姿勢として考えると望ましくないのだろう。
説得を手伝うことは吝かではないが、内容から考えるにレナードの方からケイトに強くは言えないだろう。ということは、紗香が主体となってケイトに頼む必要がある。
満足にこなせる能力がないのに、無茶なことをしたがる。それで世話してくれている人を困らせる。つまり。
――姫ムーブ……。
結局そこから逃げられないのか、と紗香は内心で大きく溜息を吐いた。
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予期せぬ転移にショックを受けるリア。神薙はその職務上の理由から一妻多夫を認められており、王国は大々的にリアの夫を募集する。しかし一人だけ選ぶつもりのリアと、多くの夫を持たせたい王との思惑は初めからすれ違っていた。
リアが真実の愛を見つける異世界恋愛ファンタジー。
基本まったり時々シリアスな超長編です。複数のパースペクティブで書いています。
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【完結】甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする
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