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第5話:ケイトと夜会話

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 目が覚めた時には、自室のベッドの上だった。
 全身のだるさを感じながら、紗香は上体を起こす。
 ぼうっとした頭で、ベッドに入る前のことを思い返す。いつの間に部屋に帰ったのだったか。
 記憶を掘り起こして、思い至る。

 ――そうだ、儀式の途中で気を失ったんだった。

 あの光景が、感覚が、蘇って瞬時に顔が熱を持った。
 いつもと同じ儀式だと思っていたのに。気をやってしまうほど、乱れてしまうなんて。
 あのランドルという男、なんてことをしてくれたのか。
 最中はろくに言い返すこともできず、いいようにされてしまったが。いざ落ち着いてみると、もっと毅然とした態度を取れば良かった、と思ってしまう。
 しかし、ではもう二度とランドルには触れられたくないか、と問われれば。

 ――そんなこと、ない。

 ランドルの言葉は、決して的外れではなかった。紗香はランドルを止めることができた。それをしなかった理由は、自分でも信じたくないが、快楽を求める気持ちがあったのだろう。
 いつも外側を丁寧に責められるばかりで、ひくつく内側は誰にも触れられない。それをもどかしく思う気持ちが、確かにあった。
 けれど、聖女であるためには処女でなければならない。からっぽのそこが埋まることは、紗香が聖女である限り絶対にない。
 だから例え指だけだとしても、紗香の内側に触れてくれたことに、喜びがあった。

 騎士達に必要なのは、紗香のだけだ。
 誰も紗香のには。
 
 ――こころには。

 じわりと滲んだ涙が、ぱたぱたとシーツに染みを作った。
 声を上げて泣くわけにはいかない。部屋の外には、護衛の騎士がいるはずだ。
 日中の騎士とは違うはずだが、気を失っていたため、交代時の挨拶を受けていない。だから誰が担当しているかはわからない。
 外は暗い。時計を見れば、もう夜中だった。このまま朝まで大人しくしておいたほうがいいだろう。
 そうは思うけれど、暗い部屋で一人蹲って泣いていると、気持ちがどんどん落ち込んだ。

 ――喉が、渇いた。

 さんざん喘いだせいか、喉がひりついていた。
 そうだ、水を取りに行こう。
 喉が渇いたから。水を取りに行くくらいなら、許されるだろう。
 そう心の内で言い訳をしつつ、紗香はベッドから降りた。
 大きな音を立てないように気をつけてそうっと扉を開けると、廊下で待機していたのはケイトだった。

「サヤカ様。どうかなさいましたか?」
「あ……えっと、喉が渇いたので、水を取りに」

 護衛がケイトだったことにほっとして、そう告げる。すると、何故かケイトは少しだけ目を丸くした。

「……そうでしたか。では、食堂へ参りましょう。この時間なら誰もいませんから、気兼ねせずとも良いですよ」
「ありがとうございます」

 ケイトにエスコートされ食堂への道を歩く。
 しんとした空間が、怖くもあり、心地良くもあった。
 やはり部屋を出てきて良かった。人目がある、ということは、紗香にとって重要だった。
 見られていることを意識すれば、体裁を気にしないわけにはいかないから。人前で、むやみに落ち込んでみせたり、泣いたりはできないから。
 見られていることで、自分を強く保つことができた。

 食堂につくと、ケイトは紗香を席に座らせて、自分は厨房の方へと向かった。

「サヤカ様はこちらでお待ちください」

 水を貰うだけなのに、なんだか申し訳ない。
 そう思いながら待っていたが、水を汲んでくるだけにしては、時間がかかっている。
 どうしたのだろう、と思っていると。

「お待たせいたしました」

 テーブルの上に置かれたのは、湯気の立つホットミルクだった。

「これ……」
「夕食をお召し上がりになっていないでしょう。小腹が空いているのではないかと思いまして。蜂蜜も入っておりますから、喉にも良いですよ」

 優しく微笑むケイトの気遣いに、紗香はうっかり泣きそうになった。

「……ありがとうございます」

 やけどしないように気をつけながら、そっとカップに口をつける。
 ほっとする温かさと優しい甘みに、強張っていた心が解れていくようだった。

「どうぞ、ゆっくりなさってください。明日は一日お休みになりましたから、朝寝坊しても問題ありませんよ」
「お休み?」

 冗談めかしたケイトの言葉に、紗香は問い返した。聖女の務めは、毎日果たさなければならないのではなかっただろうか。

「疲れが溜まってらしたのでしょう。やはり毎日では、ご負担が大き過ぎると進言いたしまして。七日に一度、休息日を設けることになりました。明日は七日目ですから、一日お休みです。ご自由にしていただいて構いませんよ」

 これは紗香にとって朗報だった。さすがに一日も休みがないのは厳しいと思っていた。
 心も体も回復するための時間が取れるのなら、とても助かる。

「それから……ランドルのことは、申し訳ありませんでした」
「えっ!?」

 深々と頭を下げたケイトに、紗香は慌てた。ケイトが謝るようなことだろうか。

「あれは優秀なのですが、少々癖が強く。私が護衛を担当する日に割り当てていたはずなのですが、まさか勝手に別の者と交代するとは思ってもみませんでした。サヤカ様に無理をさせてしまったこと、申し開きのしようもありません。ランドルへは然るべき罰を与えた上で、暫くサヤカ様への接近を禁じました」
「そこまでしなくても」
「いえ、奴の所業を鑑みれば当然のことです」

 厳しい態度のケイトに、紗香は戸惑った。
 ランドルは別に紗香に怪我をさせたわけでも、乱暴を働いたわけでもない。罰せられるほどのことなのだろうか。
 それに。

 ――『いっそ何もわからないくらい狂ってしまった方が、貴方は幸せなんです』

 あの言葉は。嘲笑では、なかったと思う。
 ランドルは、紗香のことを気遣っていた。紗香の思い込みかもしれないが、根は優しい人なのではないか。
 でなければ。あんな風に、人に触れられないと思う。

「ランドルさんへの罰って、取り消せないでしょうか」

 紗香の言葉に、ケイトは目を瞠った。

「……ランドルを、庇うのですか?」
「庇う、とかじゃなくて。その、結果的に、わたしは気絶してしまいましたが。あの人は、違反になるような行為は何もしていません。それでランドルさんを罰したら、今後わたしの相手をする騎士さんは、萎縮してしまうんじゃないでしょうか。ちょっとでもわたしの機嫌を損ねたら罰せられるかも、なんて。そんなの聖女じゃなくて、暴君みたいです」
「決してそのようなことは」
「でしたら、お願いします。厳しすぎる前例を、作らないでください」

 訴えるような紗香の視線に、ケイトは暫し困ったように眉を寄せた後、深く溜息を吐いた。

「……わかりました。できるだけ、軽減するようにいたします」
「軽減、ですか」
「さすがに全くお咎めなし、というわけには参りません。そもそも個人の判断で勝手に順番を入れ替えたことが問題ですし、サヤカ様を気絶させるほど無理をさせたのも事実です。これ以上は、私の方も譲れません」
「……わかりました。無理を言って、すみません」
「いえ。サヤカ様のご厚意は、ランドルにも伝えます」
「えっそれはいいです」

 慌てて手を振る紗香に、ケイトは笑った。
 遠慮とかじゃなくて、余計な勘繰りをさせそうだから、本当に言わなくていいのだけれど。それは伝わっていなさそうだ。

「そろそろ、お部屋に戻られますか?」
「はい。付き合ってもらって、ありがとうございました」
「このくらい、お気になさらず」

 また静かな廊下を歩いて、自室へと戻る。
 ケイトが扉を開けて、微笑んで挨拶をする。

「おやすみなさい、サヤカ様。良い夢を」
「ありがとうございます。護衛、よろしくお願いします」
「承りました」

 すっかり気も紛れたので、この分なら眠れそうだ、と紗香はベッドに腰掛けた。
 そして、気づく。

「ん?」

 サイドテーブルに置かれた、水差しとカップ。
 それに気づいた時、紗香はあっと声を上げそうになった。

 ――水、あったんだ……!

 とんでもない見落としだ。
 あの気遣いの鬼みたいなケイトなら、このくらい想定しておくべきだった。
 いつ目覚めるかわからない紗香のために、予め用意してあったのだろう。
 道理で、水が欲しいと言った時のあの反応。
 紗香が恥をかかないように、食堂まで連れ出してくれたのだ。
 もしかしたら、ホットミルクを出してくれたのも、水差しの件込みだったのかもしれない。
 言ったことも嘘ではないだろうが、そのまま水を出したら、部屋に戻って水差しに気づいた時、それはもう気まずいだろう。だから、食堂でないと出せないものにした。

 ――ほんと、敵わないなあの人。

 目を閉じて、優しい笑みを思い浮かべた。
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