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気が付けば僕は大河の側に佇んでいた。澄み切ったその川は冷え冷えとして生き物を寄せ付けない雰囲気をまとっている。サラリーマンである僕が何故こんな所にいるのか正直分からなかった。
ここは何処だろうか。家の近くにも川原はあったが、あそこは文明発達の犠牲となって底が見えないほど濁っていたはずだ。
「……何か探してみるか」
川に沿ってなんとなく歩き始めた。と、遠くから聞こえる数多くの人の声。もしかしたらここについて知っているかもしれない。僕は自然と早足になっていた。
***
ある程度近づいてくると話し声も鮮明に聞こえ始めた。聞き耳を立てるつもりはなかったが耳に入ってきた会話によると、もうすぐこの川辺には川を渡って機関車が着くらしい。いまどき機関車なんて珍しいと感じた。
しかも、橋らしい橋もないのに川を渡るようなのだ。珍しいを通り越して、真新しい。
そうこう思っているうちに、僕は人々のかなり近くまで来ていた。
しかしそこではたと気が付く。彼らはさっき話していた機関車に乗るということも言っていた。それならば、彼らがいる場所は駅のホームもしくは駅の近くということになる、はずなのに、どう考えても彼らのいる場所は何の変哲もない石段の上だ。あるものと言ったら、人を除いて看板が一つぐらいだ。そう、そこには屋根もなければ塀もない。おまけに券売機も改札も存在しない。何かがおかしい、普通ではありえない。
僕は怖くなって、そこで立ち止まってしまった。
その時だ、
「あ、お客さん!」
人々の間からひょっこりと顔を出し、僕を見ている青年がいた。その人は僕に向かって手招きする。
「もうすぐ列車が到着します!さあ、早く上がって上がって!」
毒気のない笑顔でそう言われ、僕は恐る恐る石段の上に上がった。よく見ればその青年は駅員のような制服姿であった。
彼は足早に僕の方へとやってきた。
「いやー、お客さんタイミング良いですね!
待ち時間もなく行けるんですもん。待つ人なんか一日ぐらい待たなきゃいけないですよ」
やや早口に青年はそう言った。まるで僕がその機関車に乗ることは確定事項のような物言いに、少しばかり苛立ちを覚える。
「待ってください! なんで僕は機関車に乗ることになってるんですか?」
青年はきょとんとした顔をした。
「なんでって、ここに来た人は全員乗る決まりなので」
「決まり?」
決まりとはいったいなんに対する決まりなのか、何故ここに来た全員がその決まりを守らないといけないのか。青年の答えにもやもやが増す。
と、青年はふところからおもむろに懐中時計を取り出し時間を確認した。
「はい、そうです。列車も到着しますし、詳しいことは乗務員にお聞きください」
青年が言い終わるかどうかという瞬間、僕の目の前には突如として古めかしい機関車が煙を吐きながら出現する。まるで見計らったようだった。
僕はそれの突然の登場に驚いてまたしても固まってしまう。そんな僕を見かねてかなんなのか、青年は僕の手を引き機関車の前まで引っ張っていった。
それまで石段に乗っていた人々は何の迷いもなくその機関車に乗り込んでいく。
「ご乗車ください、お客さん」
僕はなぜだか抵抗できなかった。
***
『本日はご乗車いただきありがとうございます。当列車は一度休憩をはさんだのち、閻魔御殿前に停まります。長旅となりますので、皆様ごゆっくりくださいませ』
そんなアナウンスが車内に響く。
結局有無をいう暇もなく僕は機関車に乗せられてしまった。ついでに言えば、さっきまで話していた青年はあそこから動けないとかで、もう一緒にはいない。仕方がないので、今は彼に言われた通りにしようと乗務員を探している真っ最中である。
しかしこれがなかなか、乗務員を見つけられないでいる。列車自体がかなり大きいようなので、一車両に一人ぐらいはいると思われるのだが。
「結構歩き回ってるのに見つからないってどういうこと?」
考えてはみるものの一向に答えは出てこない。五・六車両ぐらいは見て回ったが、車内が広すぎて、一車両見て回るのに時間がかかった。
七車両目に入り、そこでも乗務員を見つけられず、大げさな表現かもしれないが僕は途方に暮れている。
疲れた僕は窓近くの空席に腰を下ろした。そして、窓越しに外の景色を眺める。その時初めて僕は列車が今どこを走っているのか認識したのである。
「川の上を直接渡ってる……のかな?線路が少しも見えないし。というか、この川広すぎるでしょ!?」
僕の眼前に広がるその川はまるで海のようであった。どこまでいっても水で視界が覆われる。先ほどいただろう川辺は遥か遠くにうっすらと見える程度でしかない。しかし、反対側の岸は一向に姿を現す気配がない。
僕は自分自身でもなぜこれを川だと思っていたのかわからなくなっていた。こんなものを見たら海だと思う方が自然だ。
僕は頭が悪くなってしまったのだろうか。まあ、お世辞にも良いといえるようなものでもないことは確かだが。
と、ナンチャラコンチャラ思考にふけっていると僕の肩を遠慮がちに叩く存在があった。
「すみません、貴方が駅で駅員に連れられてご乗車された方ですか?」
それは年の若い女性の方であった。服は駅員の青年が来ていたものと同じ制服だったのでこの列車の乗務員なのだろう。彼女は眉を八の字にして困った風に言う。さしずめ、「間違っていたらどうしよう」という類の顔だ。青年の言ったことと彼女の質問の仕方に少し不快な気持ちになったが、彼女の言ったことは真実なので何とも言えない。代わりに
「はい、そうです」
と、僕は答えた。
「ああ良かった!休憩に入る前に見つかって!」
彼女は嬉しそうに手を合わせる。そして僕に微笑みかけた。
「何かお困りのことがあるんですよね?」
「あ、そうなんです。質問してもよろしいですか?」
「ええ、いいですよ」
ここで僕は一拍間を置いた。彼女は先ほどと変わらずずっとニコニコとしている。僕は意を決して口を開いた。
「ここの決まりとはいったいなんなんですか?」
「決まり、ですか?」
「はい、ここは何処なのか、なぜここにきた全員がこの列車に乗る決まりになっているのか疑問なんです。しかも乗りたくもないのに強制的に乗せられてしまったし。いったい何故なんですか?」
そこまで聞くと彼女は手を口に当てて考え出した。僕は彼女の答えを静かに待った。それからしばらくしてふいに彼女は口を開いた。
「貴方はこの川の名前がわかりますか?」
唐突な質問に僕は固まった。それは僕の望んでいた答えのようで答えではない。キョロキョロとあたりを見回してみたが、この川がどんな名前の川なのか書いてあるものは一つもない。
しかたなく僕は正直に答えた。
「わからないです」
「そうですか……」
「この川はなんというのですか?」
すると先ほどまでニコニコとしていた彼女の顔が途端に初めのように曇ってしまった。それでも彼女は僕に教えてくれたのだ。
「ええっと、この川は
“三途の川”と言います」
「え、三途って……あの……」
「その三途です。この川はあの世とこの世を繋ぐものなのです」
僕は言葉を失った。唇が渇き始め、呼吸がしにくくなるような感覚に陥る。
「ということはつまり、僕は……」
「向こうで死んだということです」
彼女の言葉が僕の体を貫き、それと同時に自分の身に何が起こったのか思い出す。そして、その記憶で僕は吐き気を感じた。
「だ、大丈夫ですか!?顔が真っ蒼ですよ!」
「大丈夫です。ちょっと思い出しただけなんで」
とりあえず、深呼吸して心を落ち着かせる。
「じゃあ、ここに来た全員が列車に乗らないといけないという決まりは、僕らへの配慮ということですね。この川は大きいから」
「はい、この列車は川を安全に渡るために設けられたものです。これが無かった時代では死者は三途の川を歩いて渡っていたそうですよ」
彼女は心配そうに僕を見つめている。見せたくはなかったが、隠れて悲しむような余裕は何処にもなかった。
思い出すたびに吐き気がしそうな記憶をできるだけ考えないようにし、死んだという事実についてだけ考える。そうしているとだんだんと死について以外にも考えられるようになってきた。
実は僕には妻とまだ三歳になったばかりの愛娘がいる。僕の頭の中はその二人のことでいっぱいになった。目をつむり、二人に思いをはせる。せめて最後に話が出来たらどんなによかっただろうか。後悔しても仕方がないことだということは重々承知している。しかしそれでも、そう思わずにはいられなかった。
「せめて一言だけでも伝えられたら良いのに……」
ポツリと本音が口から零れ落ちた。僕は独り言のつもりで小さくいったはずだった。だから、返事が返ってくるなんて思いもしなかった。
「それでしたら、夢文駅でお手紙を書かれるのはいかがでしょう?」
彼女は確かにそう言った。
「え?手紙ですか?」
「そうですよ!夢文駅は死者が生きてる者あてに書いた手紙を届けてくれる不思議な場所なんです。」
「そんなまさか。出来るはずないですよ」
僕は思わず、彼女の言葉を全否定した。しかし、彼女は気にしていない。
「あ、手紙って言っても生きてる者の眼に見えるようなものじゃなくて、夢文駅という字のごとく、夢に届く手紙のことをいいます」
「それはちゃんと届くんですか?」
「当たり前です。でなければお話ししていません」
真剣な表情で話す彼女。さらに付け加える。
「まあ、騙されたと思ってやってみてください」
「はぁ、騙されたと思ってですか……」
確かに、やってみるのもいいかもしれないと思う自分がどこかにいた。
僕は少し考えて、自問自答の結果を彼女に伝えた。
「行ってみたいです、その夢文駅ってところに」
彼女は「ええ、いいですよ」と、微笑み頷いた。
そこで、ここまで考えていなかったことを思う。
「ところで、夢文駅ってどこにあるんですか?」
彼女がフフッと声を漏らした。
「休憩ポイントです」
***
僕はここに来て初めて近づいてくる大地を見た。休憩地点の夢文駅があの上にはあるんだそうだ。
「というよりも、あの島全体が夢文駅なんですけどね」
と、彼女は言った。どうやらこの夢文駅というのは大きな三途の川の中央に浮かぶ島らしい。遠くからでもわかるぐらい緑が生えているので空気がおいしそうだ。
『まもなく当列車は休憩地点である夢文駅に到着いたします。お降りの際は足元にお気をつけください』
そんなアナウンスが聞こえ、列車が徐々にスピードを落とし始める。
僕は席を立ち、何も持ってきてはいないが一応座席を確認してからドアへと向かった。
ドアが開くと同時に外へ出る。僕は夢文駅の周りの景色に呆然とした。駅にはしっかりとした屋根がついており、また清掃が行き届いているのか床が綺麗であった。それに屋根の上には白いハトが何十羽と止まっている。駅の外も緑あふれる公園のようで、癒しを与えてくれる。
「ちょっと待ってくださいね」
呆けている僕を尻目に乗務員である彼女は辺りを見渡し、ある一点で止めた。そして、そちらの方にいる人物に手を振った。
「駅長さーん!」
彼女の声がホームに響き渡る。その声に気が付いて、駅長と呼ばれた人物が振り返り、のんびりとこちらに向かって歩いてきた。
駅長は僕の前で立ち止まると、彼女の方に目を向けた。その仕草で彼女は話し始めた。
「駅長さん、この方が夢文を行いたいそうなんです」
そう言って、僕ににこりとほほ笑む彼女。反対に駅長は僕をなめまわすように眺める。そしておもむろに無言で手を差し出した。僕もほとんど反射のようにその手を握ってしまう。
その様子に駅長は満足そうに頷いた。
「ようこそ、夢文駅へ」
駅長と呼ばれた少年は人の悪そうな笑みを浮かべていた。
ここは何処だろうか。家の近くにも川原はあったが、あそこは文明発達の犠牲となって底が見えないほど濁っていたはずだ。
「……何か探してみるか」
川に沿ってなんとなく歩き始めた。と、遠くから聞こえる数多くの人の声。もしかしたらここについて知っているかもしれない。僕は自然と早足になっていた。
***
ある程度近づいてくると話し声も鮮明に聞こえ始めた。聞き耳を立てるつもりはなかったが耳に入ってきた会話によると、もうすぐこの川辺には川を渡って機関車が着くらしい。いまどき機関車なんて珍しいと感じた。
しかも、橋らしい橋もないのに川を渡るようなのだ。珍しいを通り越して、真新しい。
そうこう思っているうちに、僕は人々のかなり近くまで来ていた。
しかしそこではたと気が付く。彼らはさっき話していた機関車に乗るということも言っていた。それならば、彼らがいる場所は駅のホームもしくは駅の近くということになる、はずなのに、どう考えても彼らのいる場所は何の変哲もない石段の上だ。あるものと言ったら、人を除いて看板が一つぐらいだ。そう、そこには屋根もなければ塀もない。おまけに券売機も改札も存在しない。何かがおかしい、普通ではありえない。
僕は怖くなって、そこで立ち止まってしまった。
その時だ、
「あ、お客さん!」
人々の間からひょっこりと顔を出し、僕を見ている青年がいた。その人は僕に向かって手招きする。
「もうすぐ列車が到着します!さあ、早く上がって上がって!」
毒気のない笑顔でそう言われ、僕は恐る恐る石段の上に上がった。よく見ればその青年は駅員のような制服姿であった。
彼は足早に僕の方へとやってきた。
「いやー、お客さんタイミング良いですね!
待ち時間もなく行けるんですもん。待つ人なんか一日ぐらい待たなきゃいけないですよ」
やや早口に青年はそう言った。まるで僕がその機関車に乗ることは確定事項のような物言いに、少しばかり苛立ちを覚える。
「待ってください! なんで僕は機関車に乗ることになってるんですか?」
青年はきょとんとした顔をした。
「なんでって、ここに来た人は全員乗る決まりなので」
「決まり?」
決まりとはいったいなんに対する決まりなのか、何故ここに来た全員がその決まりを守らないといけないのか。青年の答えにもやもやが増す。
と、青年はふところからおもむろに懐中時計を取り出し時間を確認した。
「はい、そうです。列車も到着しますし、詳しいことは乗務員にお聞きください」
青年が言い終わるかどうかという瞬間、僕の目の前には突如として古めかしい機関車が煙を吐きながら出現する。まるで見計らったようだった。
僕はそれの突然の登場に驚いてまたしても固まってしまう。そんな僕を見かねてかなんなのか、青年は僕の手を引き機関車の前まで引っ張っていった。
それまで石段に乗っていた人々は何の迷いもなくその機関車に乗り込んでいく。
「ご乗車ください、お客さん」
僕はなぜだか抵抗できなかった。
***
『本日はご乗車いただきありがとうございます。当列車は一度休憩をはさんだのち、閻魔御殿前に停まります。長旅となりますので、皆様ごゆっくりくださいませ』
そんなアナウンスが車内に響く。
結局有無をいう暇もなく僕は機関車に乗せられてしまった。ついでに言えば、さっきまで話していた青年はあそこから動けないとかで、もう一緒にはいない。仕方がないので、今は彼に言われた通りにしようと乗務員を探している真っ最中である。
しかしこれがなかなか、乗務員を見つけられないでいる。列車自体がかなり大きいようなので、一車両に一人ぐらいはいると思われるのだが。
「結構歩き回ってるのに見つからないってどういうこと?」
考えてはみるものの一向に答えは出てこない。五・六車両ぐらいは見て回ったが、車内が広すぎて、一車両見て回るのに時間がかかった。
七車両目に入り、そこでも乗務員を見つけられず、大げさな表現かもしれないが僕は途方に暮れている。
疲れた僕は窓近くの空席に腰を下ろした。そして、窓越しに外の景色を眺める。その時初めて僕は列車が今どこを走っているのか認識したのである。
「川の上を直接渡ってる……のかな?線路が少しも見えないし。というか、この川広すぎるでしょ!?」
僕の眼前に広がるその川はまるで海のようであった。どこまでいっても水で視界が覆われる。先ほどいただろう川辺は遥か遠くにうっすらと見える程度でしかない。しかし、反対側の岸は一向に姿を現す気配がない。
僕は自分自身でもなぜこれを川だと思っていたのかわからなくなっていた。こんなものを見たら海だと思う方が自然だ。
僕は頭が悪くなってしまったのだろうか。まあ、お世辞にも良いといえるようなものでもないことは確かだが。
と、ナンチャラコンチャラ思考にふけっていると僕の肩を遠慮がちに叩く存在があった。
「すみません、貴方が駅で駅員に連れられてご乗車された方ですか?」
それは年の若い女性の方であった。服は駅員の青年が来ていたものと同じ制服だったのでこの列車の乗務員なのだろう。彼女は眉を八の字にして困った風に言う。さしずめ、「間違っていたらどうしよう」という類の顔だ。青年の言ったことと彼女の質問の仕方に少し不快な気持ちになったが、彼女の言ったことは真実なので何とも言えない。代わりに
「はい、そうです」
と、僕は答えた。
「ああ良かった!休憩に入る前に見つかって!」
彼女は嬉しそうに手を合わせる。そして僕に微笑みかけた。
「何かお困りのことがあるんですよね?」
「あ、そうなんです。質問してもよろしいですか?」
「ええ、いいですよ」
ここで僕は一拍間を置いた。彼女は先ほどと変わらずずっとニコニコとしている。僕は意を決して口を開いた。
「ここの決まりとはいったいなんなんですか?」
「決まり、ですか?」
「はい、ここは何処なのか、なぜここにきた全員がこの列車に乗る決まりになっているのか疑問なんです。しかも乗りたくもないのに強制的に乗せられてしまったし。いったい何故なんですか?」
そこまで聞くと彼女は手を口に当てて考え出した。僕は彼女の答えを静かに待った。それからしばらくしてふいに彼女は口を開いた。
「貴方はこの川の名前がわかりますか?」
唐突な質問に僕は固まった。それは僕の望んでいた答えのようで答えではない。キョロキョロとあたりを見回してみたが、この川がどんな名前の川なのか書いてあるものは一つもない。
しかたなく僕は正直に答えた。
「わからないです」
「そうですか……」
「この川はなんというのですか?」
すると先ほどまでニコニコとしていた彼女の顔が途端に初めのように曇ってしまった。それでも彼女は僕に教えてくれたのだ。
「ええっと、この川は
“三途の川”と言います」
「え、三途って……あの……」
「その三途です。この川はあの世とこの世を繋ぐものなのです」
僕は言葉を失った。唇が渇き始め、呼吸がしにくくなるような感覚に陥る。
「ということはつまり、僕は……」
「向こうで死んだということです」
彼女の言葉が僕の体を貫き、それと同時に自分の身に何が起こったのか思い出す。そして、その記憶で僕は吐き気を感じた。
「だ、大丈夫ですか!?顔が真っ蒼ですよ!」
「大丈夫です。ちょっと思い出しただけなんで」
とりあえず、深呼吸して心を落ち着かせる。
「じゃあ、ここに来た全員が列車に乗らないといけないという決まりは、僕らへの配慮ということですね。この川は大きいから」
「はい、この列車は川を安全に渡るために設けられたものです。これが無かった時代では死者は三途の川を歩いて渡っていたそうですよ」
彼女は心配そうに僕を見つめている。見せたくはなかったが、隠れて悲しむような余裕は何処にもなかった。
思い出すたびに吐き気がしそうな記憶をできるだけ考えないようにし、死んだという事実についてだけ考える。そうしているとだんだんと死について以外にも考えられるようになってきた。
実は僕には妻とまだ三歳になったばかりの愛娘がいる。僕の頭の中はその二人のことでいっぱいになった。目をつむり、二人に思いをはせる。せめて最後に話が出来たらどんなによかっただろうか。後悔しても仕方がないことだということは重々承知している。しかしそれでも、そう思わずにはいられなかった。
「せめて一言だけでも伝えられたら良いのに……」
ポツリと本音が口から零れ落ちた。僕は独り言のつもりで小さくいったはずだった。だから、返事が返ってくるなんて思いもしなかった。
「それでしたら、夢文駅でお手紙を書かれるのはいかがでしょう?」
彼女は確かにそう言った。
「え?手紙ですか?」
「そうですよ!夢文駅は死者が生きてる者あてに書いた手紙を届けてくれる不思議な場所なんです。」
「そんなまさか。出来るはずないですよ」
僕は思わず、彼女の言葉を全否定した。しかし、彼女は気にしていない。
「あ、手紙って言っても生きてる者の眼に見えるようなものじゃなくて、夢文駅という字のごとく、夢に届く手紙のことをいいます」
「それはちゃんと届くんですか?」
「当たり前です。でなければお話ししていません」
真剣な表情で話す彼女。さらに付け加える。
「まあ、騙されたと思ってやってみてください」
「はぁ、騙されたと思ってですか……」
確かに、やってみるのもいいかもしれないと思う自分がどこかにいた。
僕は少し考えて、自問自答の結果を彼女に伝えた。
「行ってみたいです、その夢文駅ってところに」
彼女は「ええ、いいですよ」と、微笑み頷いた。
そこで、ここまで考えていなかったことを思う。
「ところで、夢文駅ってどこにあるんですか?」
彼女がフフッと声を漏らした。
「休憩ポイントです」
***
僕はここに来て初めて近づいてくる大地を見た。休憩地点の夢文駅があの上にはあるんだそうだ。
「というよりも、あの島全体が夢文駅なんですけどね」
と、彼女は言った。どうやらこの夢文駅というのは大きな三途の川の中央に浮かぶ島らしい。遠くからでもわかるぐらい緑が生えているので空気がおいしそうだ。
『まもなく当列車は休憩地点である夢文駅に到着いたします。お降りの際は足元にお気をつけください』
そんなアナウンスが聞こえ、列車が徐々にスピードを落とし始める。
僕は席を立ち、何も持ってきてはいないが一応座席を確認してからドアへと向かった。
ドアが開くと同時に外へ出る。僕は夢文駅の周りの景色に呆然とした。駅にはしっかりとした屋根がついており、また清掃が行き届いているのか床が綺麗であった。それに屋根の上には白いハトが何十羽と止まっている。駅の外も緑あふれる公園のようで、癒しを与えてくれる。
「ちょっと待ってくださいね」
呆けている僕を尻目に乗務員である彼女は辺りを見渡し、ある一点で止めた。そして、そちらの方にいる人物に手を振った。
「駅長さーん!」
彼女の声がホームに響き渡る。その声に気が付いて、駅長と呼ばれた人物が振り返り、のんびりとこちらに向かって歩いてきた。
駅長は僕の前で立ち止まると、彼女の方に目を向けた。その仕草で彼女は話し始めた。
「駅長さん、この方が夢文を行いたいそうなんです」
そう言って、僕ににこりとほほ笑む彼女。反対に駅長は僕をなめまわすように眺める。そしておもむろに無言で手を差し出した。僕もほとんど反射のようにその手を握ってしまう。
その様子に駅長は満足そうに頷いた。
「ようこそ、夢文駅へ」
駅長と呼ばれた少年は人の悪そうな笑みを浮かべていた。
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