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父親は

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 生田は、須藤が訪問したその日からみどりが退院してくる金曜日まで、仕事から帰宅すると須藤の顔を見るはめに陥っていた。
 追い返そうにも部屋へ上げざるを得ない。須藤は帰宅者の多い時間帯を狙ってやってきては、インターホン前で粘り続けてテコでも動かないからだ。
 顔を合わせた途端に、初日と同じように嫌味ったらしく質問をぶつけたり、言葉を選んで生田の痛いところを的確に突いてくる。
 瑞希だけでなく、須藤によっても自分の嫌な面を突きつけられて、生田は参っていた。

 そんな不快な四日間を過ごしてきたからか、みどりが退院する金曜日がくるとホッとした。有給休暇を使って休日にした生田は、朝から部屋を片付けて迎える準備を整えると、昼前に病院へ迎えに行った。
 久々に会ったみどりは元気な様子で、入院中に会った妊婦仲間のことや助産師のことを可笑しそうに話している。
 生田はみどりの楽しげな様子につられて、ようやく笑顔を取り戻した。

 昼食を作ってみどりに振る舞う。病院食よりも雅紀の料理が一番だと喜んでくれて嬉しかった。
 後片付けをして二人で寛いでいると、インターホンが鳴った。
 生田は聞こえた瞬間に身体を強張らせた。
 予想をしていたとは言えいざその時になると、みどりの反応が怖い。修羅場のようなものもごめんだ。生田は対応するでもなく身体を硬直させたまま宙を見ていた。

 そんな生田を不思議がりながら、みどりは立ち上がる。みどりはインターホン前に行くと、驚いた声を上げた。
「うそ?」
『みどり! 退院したんだね』
「えっ! 疾風……なんで」
 須藤の名前は疾風はやてである。
『とりあえず入れてくれ。生田さんは僕のことを知っているから大丈夫』
 みどりは思わず自動ドアの解除ボタンを押した。そして生田の方へ丸くしたままの目を向けた。
 生田はうなだれていて、みどりと視線を合わせない。

「雅紀、疾風のことを知ってるの?」
 生田は答えない。
 玄関のインターホンが鳴る。
 みどりはわけがわからず不安を感じながらも、須藤を迎えに出た。
 生田は耳を澄ませた。玄関ドアを開ける音がしたあとに、二人の話し声が聞こえてくる。

「みどり! 久しぶりだね。相変わらず美しい」
 毎日聞いて耳にタコができている須藤の声だ。
「何で来たのよ」
 みどりの声は怒っているようだ。
「みどりの恋人だから」
「別れるって言ったでしょ!」
「あの話は誤解だって言っただろ? それより生田さんを自宅に住まわせるなんて酷いじゃないか。彼とはとっくに別れたって言ってただろう?」
「……雅紀はこの子の父親だから」
「僕がその子の父親だ」
「それは前の話よ! 婚約は破棄したはず」
「あの話の誤解を解くことができる。相手の子に会ったんだ!」
「は?」
「その、みどりが疑っていた相手だよ。僕とは何でもなかったって説明してもらえる」
「……どういうこと?」
「前にも打ち明けたけど、確かにキスはした。それは謝る。でもそれだけだ。それだけでも許せないか?」
 みどりの声は聞こえない。
「何を言われたんだよ。連絡が来たんだろ?」
 またも無音だ。
「僕のことを信じてくれよ」

 その後も続いている二人のやり取りを、生田はリビングから耳を澄ませて聞いていた。しかし二人のところへ行く気力はない。

 須藤の話は本当だった。みどりと恋人だったばかりか、婚約していたことも間違いないようだ。
 みどりの声や態度が自分に対するものと違っていることにも気がついた。
 いつも凛として弱音を見せないみどりが、須藤に対しては恋人のそれと言うか、甘えたような、親密でなければ出ないであろう気を許した声で話している。

 僕もそうだ。透に対する態度とみどりに対するものは全然違う。みどりに対しては仮面を被っている。本音も言わないし、本心も出さない。みどりもそうなのだろう。
 僕とみどりは子供の両親という関係でしかない。心は繋がっていないんだ。いや、それは最初からか。繋がったことなど一度もない。

 生田は改めてそれに気がついた。

 生田がソファにうなだれて考え込んでいると、みどりが一人でリビングへと戻ってきた。

「あれ? 須藤さんは?」
 みどりが一人だということに気がついて、生田から声をかけた。
「帰った。てか帰らせた。ごめんね、雅紀。毎日あいつが突撃しきたんだって? 迷惑だったでしょう?」
「……いや」
 みどりの言い方では、こっちが蚊帳の外みたいだ。
「浮気したくせにしつこいのよ。その浮気相手が久世さんと一緒にいたから、連絡が取れるはずだって、直接聞いてくれれば誤解だってことがわかるからって……」

 生田は唐突に上がった久世の名前に反応した。

「……透といたって?」
「そう。目の前で久世さんに電話をかけたけど繋がらなかったから、もういいって追い返した。名刺をもらったみたい。私ももらったけど」
「どこで見たんだ?」
「さあ。でも疾風が見たってことは、青森じゃない? 久世さんはまた来てたの?」

 生田はそれを聞いて思考を巡らせた。

 浮気相手が透と一緒にいたところを須藤が見たってことは、透が青森へ来ていたあの日、僕が追い返した後しかない。つまり一緒に出ていったあの婚約者が須藤の浮気相手? あの女が? どういうことだ?

 生田は混乱したが、確かめようにもできることはなかった。みどりに聞いたところで意味はないし、須藤とも話したくない。あんな追い返し方をした久世に、そんな話題で電話をかけることもできない。

 みどりと須藤、久世と婚約者の瑞稀、それら色々なことが頭を駆け巡り、考えるほどに苛ついて、生田はうんざりして考えることを放棄した。



 翌土曜日は休日だったため、生田はみどりを休ませて午前中から買い物へ出かけた。出産時の入院のために必要な品々を買い足すためだ。みどりの指示通りに何店舗も探し回っていたら、帰宅したころには午後になっていた。

 生田は帰るなり驚いた。
 須藤がみどりとリビングで寛いでいたのである。

 生田が現れると、みどりは慌てた様子で、須藤と口論していたような振りをしてみせたが、須藤は勝ち誇った余裕の表情で待ち構えていたから、昨日の二人とは全く違う時間を過ごしていたことがすぐにわかった。
「それじゃあ帰るよみどり。生田さん、買い物ご苦労さまでした」
 須藤はそう言って颯爽と出ていった。

 生田は出ていく須藤を目で追った後、みどりの方へ視線を戻すと、みどりは苦笑いを浮かべるだけで何も言わなかった。
 生田も何も聞かなかった。
 生田とみどりは互いに自分からは切り出さないまま、相手の出方を伺っているだけだった。

 それからその日はいつものようにそれぞれのことをして過ごしながら、たまに取り留めのない会話をするだけで終わった。

 翌日の日曜日も休日だったが、生田は出勤しなければならなかった。みどりの退院のために有給休暇を取った金曜日の代わりだ。
 夕方になって帰宅したとき、当然のように須藤がいたが、生田はもう驚かなかった。
 みどりが艶がかって満ち足りた表情をしていても、須藤が見る度に取り戻していく自信を表に出して部屋に堂々としていても、生田は驚かなかった。

 二人の心が身に沁みてよく理解できたからだ。
 透が突然青森へ来て僕の前に現れたとき、共に過ごした一夜のあと、僕と透もこの二人と同じような表情をしていたに違いない。


 しかし生田は受け入れなかった。

 例えみどりと須藤が愛し合っていて、復縁したいと言っても手遅れだ。
 もう子供が産まれてしまう。僕のプロポーズを受けたのはみどりだ。それを撤回も破棄もしていない。確かにまだ正式には結婚していないが、手元にある婚姻届には全て記入をしている。今から役所へ持っていけば夫婦として成立するんだ。
 須藤も須藤だ。僕を責めてはいるが、自分だって浮気をして振られているじゃないか。しかも本当の父親でもないのに我が物顔でみどりのお腹をさすっている。さすがにおかしいだろう。

 僕も透を諦めたのだから、みどりも須藤を諦めるべきた。

 生田はそう考えて、二人を別れさせる決意をした。
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