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嫌悪で

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「あはは! そうか。お前、まさか透と結婚するために晶に近づいたのか? 面白い女だな」

 西園寺と瑞稀はドア近くのソファに並んで座っている。西園寺が無理やり座らせたのだ。
「うるさい! 離せ! この変態クソ野郎が」
 瑞希はまだ西園寺に腕を捕まえられている。
 西園寺は愉快げな顔で対応していたが、その言葉でいきなり冷徹な目を瑞稀を向けた。
「度胸があるのか、女だから手を出されないと思っているのか」
 しかし瑞稀はそれに気圧されるどころか、さらにいきり立った。
「この化け物が! 西園寺、透さんを最初に惑わしたお前はいつか殺してやる!」
「ほう。そんなに透に惚れていたか。しかし透を見てみろ。完全に無視だ。いくら意気込んでも俺に効きはしないし、耳障りだ。離してやるから少し黙れ」
 西園寺は瑞稀の腕をようやく離した。

 瑞稀は締め上げられた腕をさすりながら、言われたように久世を見た。久世は興味のない様子でそっぽを向いている。その様子で自分のしたことを思い返したのか、瑞希は力が抜けたようにソファに背中を預けた。

 晶は、瑞稀たちとは別の一人掛けのソファに腰を下ろし、両腕を膝の上に乗せて手で顔を覆っているが、指の隙間から瑞希と西園寺のやり取りをジッと見ていた。
 愛する女の変わりように驚いたのか最初は取り乱した様子だったが、今は瑞希に近寄ろうとせず、彫刻のように微動だにしない普段の冷静さを取り戻して見える。

「悠輔は、自分に歯向かってくる女は好きだよね。男だったら殺してるけど」
 マモルは一人、酒の入ったグラスを手にして呑気にカラカラと笑っている。

 久世は、瑞稀の変化と婚約者の愛人だったことに驚いたものの、瑞希に対して一切の関心を持っていなかったため、早く帰りたいとしか考えていなかった。
 しかし、話題の中心は当の自分なので、帰りたいなどとはとても言い出せない。久世はドアから一番遠いソファに座らされていたこともあり、やり合っている西園寺と瑞稀の横を通り抜けてまで帰る勇気はなかった。

「おい、透。これで話は済んだな。良かったじゃないか。未来の妻は愛人を失い、お前も余計な女に悩まされることはなくなった」
「透さんは私と結婚するのよ」
 瑞希は威勢が衰え、力のない様子でつぶやくように言う。
「ここまで醜態を晒しといて根性があるな」
 西園寺はまた豪快に笑った。
「透さんは私のものなの! 透さんを愛しているのよ……」
 瑞稀はとうとう泣き出した。

「ミキ……」
 晶は瑞希の涙を見て気がついたように立ち上がると、慰めるためか手を伸ばしながら瑞希に駆け寄った。しかし瑞稀はその手を振りほどく。
「透さんじゃなきゃ嫌」
 そう言って、また泣き出した。
 晶はその反応に身体を強張らせ、差し出していた手を力なく下ろした。

「おいバカ女。透がお前のことをどう考えているのか教えてやろうか? え? 何も考えていないよ。興味なし。お前の本性がどうだろうが、飾り立ててシナを作ろうが、透の目には一切入ってない」
「うるさいっ! 黙れゾンビ野郎!」
「そんなんで、どうやって透の興味を引けるんだ。バカを通り越して頭がおかしい」
「透さんとの間にあった邪魔は全部なくなったはずよ。後は私しかいない」
「それで結婚したとして満足なのか? 透はお前のことを好きでもなければ抱きもしないぞ」

「てめぇ」
 瑞稀が怒りの形相で立ち上がった。
 西園寺はそんな瑞稀を見て、せせら笑う。
「もう一人の婚約者である晶も、そこにいるマモルでさえ透とヤッてるが、お前なんて一生相手にされない」

 瑞稀はそれを聞いて晶を、次にマモルを睨みつけると、最後に久世を見た。
 久世は壁を見ていて相変わらず瑞稀の方を一顧だにしない。

「ミキ、私だけって言ったじゃん。他には誰も好きじゃないって」
 晶がおそるおそると言った調子で瑞希に声をかける。
「ミキが透と結婚したいのならすればいい。ミキが頼むなら私と透の婚約話は解消してもらう。お父様にお願いするよ。でも一番は私だって、結婚は見せかけだって言って欲しい」

 瑞稀は晶に笑顔を向ける。
「晶、ありがとう。じゃあ晶のお父様と西園寺議員にそう言ってくれる?」
「うん」
「じゃあ、行って」
「今から?」
「早い方が嬉しいな」
 瑞稀は例の極上な笑みを晶に向ける。
「……わかった。戻ってきたら一緒にいてくれる?」
「もちろんだよ。そうしたらずっと一緒だよ」
「……透と結婚しても私のことを捨てない?」
「当然だよ。親のために透さんと結婚しなきゃいけないけど、一番は晶だよ」
 晶はパッと明るい顔になり、急いで部屋を出ていった。

 瑞稀は晶がいなくなるまで待ってから、立ち上がってマモルのところへ向かう。
「マモル、あれちょうだい」
 瑞希はマモルの前に片手を差し出した。
 マモルは西園寺を伺うようにチラリと見る。
 西園寺は首を横に振る。
 マモルは、両腕の肘を曲げて手の平を上に向け『残念』と言う身振りで肩をすくめた。
 瑞希の顔に不満が浮かぶ。
「なんで? いつもは何も言わずにくれるじゃない」
「……悠輔に聞いてよ」
 瑞稀は顔を強張らせた。

「そんなんで透を落として何になる」
 西園寺が言った。
「……悠輔、俺は何をされた?」
 一切会話に入っていなかった久世が、突然口を開いた。
 西園寺は久世を見て言う。
「別に怪しいドラッグの類じゃない。違法でもない。ただのカフェインの錠剤だ。……媚薬入りのな」
 久世はマモルを見た。マモルはそれに気づいて何度も頷いて見せる。

「本当だ。ただ、微量に記憶を飛ばす成分が入っている。身体に害はないし、単独で使えば記憶は飛ばない。しかし強い酒と一緒に飲むと記憶が飛ぶことがある。初めてだと可能性が高いが、慣れればなんともない」
「そんなものを……」
「そうだ。使い方によっては危険だから俺が管理をしている。あの日はマモルが自分の分をお前に飲ませたんだ。俺の男だから飲み慣れていると思ってな。マモルは悪くない。……俺はお前に飲ませたくなかったから、今まで教えなかった」
「……それでは強姦と変わらない」
 久世が嫌悪の表情でそう吐き捨てる。

 その言葉で西園寺とマモルは目を合わせた。
「あの透を放置しておくなんて無理だよ」
 マモルは笑いながら言うと、西園寺も微笑しながらそれに続いた。
「……人によって効き方が違うんだが、お前にはかなり作用するらしいな」

 久世は表には出さなかったが、内心は怒りと苦悩で悶えていた。記憶のないことが厄介だ。欠片も覚えていない。
 西園寺を睨みつけたが、西園寺はそれを見て笑い声をあげた。
「……そんなものを、お前の婚約者は使おうとしているんだ。どうする? 透」

 久世はそう振られても瑞希を見ないようにしていた。
 自分に対するこれまでの態度でも十分不快だったのに、生田を怒らせた物言いと失礼な態度を見て、怒りを通り越して関わる気を失った。生田とみどりの結婚を白紙に戻せるかもしれないという淡い希望から、情報を得るためにと相手にしていたが、今夜のことでそれも全部投げ出したくなった。情報もなにもかもどうでもいい。ただ関わりたくないと、そう心底うんざりした。

「透さん、違うんです。私は純粋にあなたのことを愛しています」
 マモルの横で立ったままでいた瑞希が、久世の隣にすり寄ってきた。
「どっちみち私たちは結婚するんです。透さんが女性に対して興味を抱かれないのなら、その、少しだけ外からの力を借りれば、あとは私が……」
 西園寺がそこでせせら笑うように言う。
「あの晶をあそこまで夢中にさせたんだ。さぞかしご立派な腕があるだろう。しかし透は俺が育てたんだ。晶の比ではない。お前なんかが相手になるか、バカめ」

 その時久世がいきなり立ち上がった。瑞希は驚いて久世を見上げるが、久世は無言のままドアへと向かう。瑞希は動けず、目で追うだけだ。

「どこへ行く?」
 西園寺が聞く。
「帰る」
「ここにいろ」
 久世は無視して出ていこうとする。
 西園寺は立ち上がると久世の腕を掴んだ。西園寺の方が力が強いため久世は振り払えないが、久世も振り払う気がなかった。ただ瑞希から離れるためにした行動でしかなく、他に意図はなかったからだ。

 その時、着信音が鳴った。
 西園寺は久世から手を離してスマホを取り出し、それを耳に当てた。
「どうした?……ああ……わかった。今から向かう」

 西園寺はスマホを操作してポケットに戻した。久世は出ていこうと思えば出ていけたが、その場に立ったまま西園寺を見上げていた。どこかへ向かうと言うなら、西園寺と一緒に出ていけばいいと、そう頭に浮かんだからだ。
 西園寺はもう一度久世の腕を掴む。今度は力は込めていなかった。
「透、うちへ戻る。行くぞ」
 そう言って久世の腕を引っ張っていく。
 久世はこの場を離れられるのなら、瑞希のいない場所へ行くならどこでもいいと思ったので、黙ってされるがままについて行った。

「透さん!」
 瑞希が大声で呼びながら追いかけてくる。
 フロアの人混みを縫うようにして西園寺と久世は進んでいく。その後ろを瑞希が追いかける。フロアを通り抜け、階段を上って店の外へ出た。
 西園寺はタクシーを捕まえるために商店街を進んでいく。
「透さん!」
 西園寺がタクシーを呼び止めて、乗り込もうとしたとき、瑞希が久世の腕を掴んだ。西園寺とは反対側の右の腕だ。
「透さん、行かないで。私と一緒に行きましょう」

「おい……」
 西園寺が口を開きかけたとき、久世が言った。

「櫻田さんとは行きません。結婚もしません。あなたに一切興味はありません。むしろ私は怒っています。私に二度と関わらないでください」
 久世は抑制の効いた声で丁寧な言葉を使っていたが、その表情は嫌悪で歪み、敵を見るような目で瑞希を睨んでいた。

 さすがの瑞希もそんな久世に気圧されたのか、それ以上は何も言うことができず、久世の腕を掴んでいた手を力なく下ろした。
 そして久世と西園寺がタクシーで去っていく姿を、その場に立ったまま呆然と見ていた。
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