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和食
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生田はみどりのマンションへと帰った。
「ただいま」
そう言って靴を脱いでいると、不安そうな表情を浮かべたみどりが、リビングから出迎えに来た。
生田はみどりを気遣おうと、優しく肩に触れ、こめかみのあたりにキスをした。
そのまま肩を抱いて、リビングへと二人で歩いていき、一緒にソファに腰を下ろした。
「俊介は……あの幼馴染の……俊介は、実家に顔を出す予定の時間だからって、そっちに向かった。少し話をしてきたんだ。遅くなってごめん」
「いいけど……連れてくればよかったのに。そんなに久世さんに会いたくなかったの?」
生田はそこで微かに震えたが、みどりは気がつかなかった。
「……そうなんだ。透は何か言ってた?」
「え、うん。大喧嘩したから出ていったんだろうって」
「……そう。東京でね。縁を切るレベルの大喧嘩をしたんだ」
「うそぉ!? 雅紀がそんなにキレることあるの?」
生田はみどりに笑顔を向けただけで答えない。
「マジ? 信じらんない。私にはキレないでね」
生田は笑い声をあげた。
「みどりにそんなことはしないよ。大丈夫。男同士の喧嘩ってやつだ」
「ふうん。それより、もう久世さんのこと怒ってない? なんか、戻ってきたら連絡してくれって名刺もらったけど」
生田はそこで一瞬笑顔が曇った。みどりは名刺を見ていて気づかない。
「あ、なんだっけ? 雅紀の機嫌が直ったらって言ってたかも」
生田はみどりから視線を外して、窓の方を向いた。そして笑って言う。
「まだ怒ってるから連絡しないでおいて」
「えー、せっかく来てくれたのに? 会わないままでいいの?」
「いいんだよ。それであいこだ。次に来た時は会うよ」
「久世さんは東京にいるんでしょ? 荷物を取りに行ったときに仲直りしたら?」
「……そうだね」
そう言って生田はみどりに視線を戻して、みどりの頭を撫でた。しばし撫でたあと、おでこにキスをすると立ち上がり、キッチンへと向かった。
「今日は洋食でもいい?」
キッチンから生田が大声で聞いた。
「えー、毎日和食にするはずじゃん。身体にいいからって言ったの雅紀だし」
「たまにはいいだろ」
「うん、そうだね。たまには食べたいかも」
「じゃあ、仕込むからゆっくりしてて」
「わかった。ありがと!」
生田は、みどりのことを気遣って家事をなるべくするように心がけていた。その中でも得意分野である料理は全て担当している。臨月で塩分を気にするみどりのことを考えて、毎日薄味の和食にしていたが、久世が来たその日に、久世の好物である和食を調理することはできなかった。
和食だけでなく、久世のために作った料理はどれも作りたくなかった。久世が食べてくれると考えてしまいそうだったからだ。
生田は、久世に作ったことのない、ネットで調べたレシピを今日の献立にした。
予想はしていた。兄に連絡をすれば、いつかは来るだろうとわかっていた。
早いと思ったのも嘘ではないが、透ならばこれくらい当然だろうとも思った。
会いたかった。一目だけでも顔を見たかった。
最後に見たのは、隣で眠る姿だった。
初めて愛し合った日の翌朝、目覚めたときと同じ気持ちを抱いた。愛する男の横で目覚めることほど幸福なことはないと、最後のその日も同じように感じた。
透と恋人になり、生活を共にするようになっても、嫌なところが見えてくるどころか好きなところが増えていく一方だった。
こんなに幸せでいいのかと怖くなるほど幸福だった。
あのまま世界が崩壊してくれればよかったのに。
そうしたら自分のこんな嫌な部分を知らずに済んだ。
自分のせいで、一人で子供を産もうとした女性がいたことを知らずに済んだ。
その女性と暮らし始めて、毎日透と比べて、透を恋しく思う自分を知らずに済んだ。
自分の子供を産んでくれるのに、その日が来るのが怖くて今にも逃げ出したいと思う自分を知らずに済んだ。
あのまま透だけを愛して、毎日穏やかに過ごせたらどんなに良かっただろう。
しかし子供は一人で出来るものではない。
男として責任は取らなければならない。
連絡してくれたみどりの両親には感謝をしている。
産む前に間に合えたのだから。生まれた後に知ったらもっと自分を責めていただろう。
しかし、婚姻届を出す踏ん切りがつかない。いつ産まれてもおかしくないというのに、未だ出せないでいる。
みどりはそんな僕を責めるでもなく何も言わない。みどりも何か思うところがあるのだろうか?
透とだったら何でもすぐに話し合えるのに。
ああ、また透と比較してしまった。もうやめなければ。透のことは忘れなければならない。
忘れよう、そう思っていても、毎日毎時間、常に透のことばかりを考えてしまう。
今何をしているのか、仕事をしているのか、食事はどうしているのか、ちゃんと寝ているだろうか、僕を想っているのだろうか、と毎日同じことを考えてしまう。
透のことを考えると会いたくなって、会えないならばと声を聞きたくなって、スマホを手に持つけど思い留まって、写真を見ようとして、見たら会いたくなるからと、それも我慢をして。
二度と会えないと決意していても、連絡先も写真も、透からもらった服も時計も、捨てることができない。
会えないなら、もう会わないから、それだけは奪わないで欲しい。一生心の中想うだけだから、その想いを馳せるためのものだけは手元に置かせて欲しい。
生田は、妻と未来の子供にそう懺悔した。
「ただいま」
そう言って靴を脱いでいると、不安そうな表情を浮かべたみどりが、リビングから出迎えに来た。
生田はみどりを気遣おうと、優しく肩に触れ、こめかみのあたりにキスをした。
そのまま肩を抱いて、リビングへと二人で歩いていき、一緒にソファに腰を下ろした。
「俊介は……あの幼馴染の……俊介は、実家に顔を出す予定の時間だからって、そっちに向かった。少し話をしてきたんだ。遅くなってごめん」
「いいけど……連れてくればよかったのに。そんなに久世さんに会いたくなかったの?」
生田はそこで微かに震えたが、みどりは気がつかなかった。
「……そうなんだ。透は何か言ってた?」
「え、うん。大喧嘩したから出ていったんだろうって」
「……そう。東京でね。縁を切るレベルの大喧嘩をしたんだ」
「うそぉ!? 雅紀がそんなにキレることあるの?」
生田はみどりに笑顔を向けただけで答えない。
「マジ? 信じらんない。私にはキレないでね」
生田は笑い声をあげた。
「みどりにそんなことはしないよ。大丈夫。男同士の喧嘩ってやつだ」
「ふうん。それより、もう久世さんのこと怒ってない? なんか、戻ってきたら連絡してくれって名刺もらったけど」
生田はそこで一瞬笑顔が曇った。みどりは名刺を見ていて気づかない。
「あ、なんだっけ? 雅紀の機嫌が直ったらって言ってたかも」
生田はみどりから視線を外して、窓の方を向いた。そして笑って言う。
「まだ怒ってるから連絡しないでおいて」
「えー、せっかく来てくれたのに? 会わないままでいいの?」
「いいんだよ。それであいこだ。次に来た時は会うよ」
「久世さんは東京にいるんでしょ? 荷物を取りに行ったときに仲直りしたら?」
「……そうだね」
そう言って生田はみどりに視線を戻して、みどりの頭を撫でた。しばし撫でたあと、おでこにキスをすると立ち上がり、キッチンへと向かった。
「今日は洋食でもいい?」
キッチンから生田が大声で聞いた。
「えー、毎日和食にするはずじゃん。身体にいいからって言ったの雅紀だし」
「たまにはいいだろ」
「うん、そうだね。たまには食べたいかも」
「じゃあ、仕込むからゆっくりしてて」
「わかった。ありがと!」
生田は、みどりのことを気遣って家事をなるべくするように心がけていた。その中でも得意分野である料理は全て担当している。臨月で塩分を気にするみどりのことを考えて、毎日薄味の和食にしていたが、久世が来たその日に、久世の好物である和食を調理することはできなかった。
和食だけでなく、久世のために作った料理はどれも作りたくなかった。久世が食べてくれると考えてしまいそうだったからだ。
生田は、久世に作ったことのない、ネットで調べたレシピを今日の献立にした。
予想はしていた。兄に連絡をすれば、いつかは来るだろうとわかっていた。
早いと思ったのも嘘ではないが、透ならばこれくらい当然だろうとも思った。
会いたかった。一目だけでも顔を見たかった。
最後に見たのは、隣で眠る姿だった。
初めて愛し合った日の翌朝、目覚めたときと同じ気持ちを抱いた。愛する男の横で目覚めることほど幸福なことはないと、最後のその日も同じように感じた。
透と恋人になり、生活を共にするようになっても、嫌なところが見えてくるどころか好きなところが増えていく一方だった。
こんなに幸せでいいのかと怖くなるほど幸福だった。
あのまま世界が崩壊してくれればよかったのに。
そうしたら自分のこんな嫌な部分を知らずに済んだ。
自分のせいで、一人で子供を産もうとした女性がいたことを知らずに済んだ。
その女性と暮らし始めて、毎日透と比べて、透を恋しく思う自分を知らずに済んだ。
自分の子供を産んでくれるのに、その日が来るのが怖くて今にも逃げ出したいと思う自分を知らずに済んだ。
あのまま透だけを愛して、毎日穏やかに過ごせたらどんなに良かっただろう。
しかし子供は一人で出来るものではない。
男として責任は取らなければならない。
連絡してくれたみどりの両親には感謝をしている。
産む前に間に合えたのだから。生まれた後に知ったらもっと自分を責めていただろう。
しかし、婚姻届を出す踏ん切りがつかない。いつ産まれてもおかしくないというのに、未だ出せないでいる。
みどりはそんな僕を責めるでもなく何も言わない。みどりも何か思うところがあるのだろうか?
透とだったら何でもすぐに話し合えるのに。
ああ、また透と比較してしまった。もうやめなければ。透のことは忘れなければならない。
忘れよう、そう思っていても、毎日毎時間、常に透のことばかりを考えてしまう。
今何をしているのか、仕事をしているのか、食事はどうしているのか、ちゃんと寝ているだろうか、僕を想っているのだろうか、と毎日同じことを考えてしまう。
透のことを考えると会いたくなって、会えないならばと声を聞きたくなって、スマホを手に持つけど思い留まって、写真を見ようとして、見たら会いたくなるからと、それも我慢をして。
二度と会えないと決意していても、連絡先も写真も、透からもらった服も時計も、捨てることができない。
会えないなら、もう会わないから、それだけは奪わないで欲しい。一生心の中想うだけだから、その想いを馳せるためのものだけは手元に置かせて欲しい。
生田は、妻と未来の子供にそう懺悔した。
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