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32. そうよ。その騎士の顔よ

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 東の司令部に近づくにつれ、戦場そのものといった攻防の音と爆発音、そして人の雄叫びと叫び声が入り混じって聞こえてきた。攻撃を受けて戦闘になっているようだ。

 あと200メートルというところで、シュヴァリエは躊躇したように歩みを遅くした。
「どうしたの?」
 もう立ち止まっているとも言っていいほどの速度だ。
「あんなところへエマ様をお連れするわけには──」
 何を今さら!
 私はシュヴァリエのところへ行って、両手でシュヴァリエの頬を叩くようにして挟んだ。
「身を守れるところは見たでしょう? あんたの方が心配よ!」
 顔を覗き込むと、シュヴァリエは悲痛な表情で目を逸らした。
「騎士のくせにその顔はなに? 死ぬのが怖いの?」
 シュヴァリエは私の手を掴んで頬から離した。
「怖いです。エマ様をお守りできず、死なせてしまうのではないかと思うと恐ろしくてたまりません」
「私はあんたが死ぬ方が怖いわよ!」
「僕はいつ死んでも構いません。エマ様さえご無事なら……寿命を遂げられると確信できたら未練なんてありません」
 何を言っているのよ? 死んでも構わないなんて言わないで!
「戦争を終わらせないと、みんな死んでしまうかもしれないのよ?」
「それは軍がするべきことです」
「あんたは少佐でしょう?」
「その前にエマ様の騎士です」
「それならリサさんを守らないと、どちらにせよ私は死ぬわ」
「エドがいます」

 ああ言えばこう言う……なんだか腹が立ってきたわ。なんでこいつはこんなに意気地がないのよ!

「私は絶対に死なないわ! そして他の人にも死んでほしくない。あんたも、ベルタン侯爵も、リサさんもエドワードもミスター・カーライルもそうだし、ランス軍もケルマン軍もそうよ! 諸悪の根源はあのピーター・チェンバレンなんでしょ? あいつをぶっ飛ばさないと終わらないわ! そんなの軍はできないでしょう?」

 シュヴァリエは顔をあげて私と目を合わせた。
 そうよ。その顔よ。

「理由はわからないけど、あいつがケルマンをそそのかしたんじゃないの? ケルマンが戦争を起こす理由が思い至らないし、奇襲なんて国際法に違反した方法を取ること自体も変よ。ケルマン国王が許可するとは思えない」

「何か因縁があるんですか?」
 ベルタン侯爵だ。それまで少し離れたところで様子を伺っていたようだが、こちらへ近づいてきた。
「その、ミスター・カーライルとピーター・チェンバレンに」

 シュヴァリエはベルタン侯爵に視線を向けて、少し間を空けてから答えた。
「因縁というか、以前申し上げましたが、ミスター・チェンバレンがアンドリューを皇帝にすると言って引き立てていた時期があります。二人で諸国を回り、内乱があればそれを収めたり、国家的な脅威を未然に防いだりして、アンドリューの名を世界的に高めていました。しかしその途上で魔法が使えなくなることを知ります。魔法はこの世界に元々存在していたものではなく、竜の存在によって使えるようになったものだと知り、その竜が旅立つことも同時に知って焦ったミスター・チェンバレンは、竜を惑わし、ウェーデンの労働者階級をそそのかし、反乱を起こさせました。結局竜は怪我を負ったリサのために残ることに決め、ミスター・チェンバレンの思惑は成就しましたが、竜が魔法の存在を人々の記憶から消したので、アンドリューは皇帝に引き立てられることを拒否し、ミスター・チェンバレンと袂を分かつことになりました」
「なぜピーター・チェンバレンはアンドリューをその、皇帝?にしたかったのかしら」
「さあ。でもアンドリューが言っていました。『ピーターは自分が皇帝になりたいんだ』と」
「さっきもそんなこと言ってたわね!」思い出したわ。

 ベルタン侯爵がため息をついて言った。
「つまり、ピーター・チェンバレンは権力者になりたいんだと思います。皇帝とは王のようなものでしょう。もしかしたら、一国の王ではなく世界を統べる者のことかもしれません」
「なんでそんなものになりたいのかしら」
 私の問いに、ベルタン侯爵は微笑した。
「僕はわからないでもないですね」

 そのとき、戦場での叫び声が一段と大きくなった。
 オレンジ色と紫色の光があたり一面に放射している。
 紫色の光が円を作って戦場を覆っているようだが、それよりも大きなオレンジ色の光がそれを突き破ろうとしている。

 オレンジ色の光と言えば……
「ピーター・チェンバレンじゃない?」
 私の言葉にベルタン侯爵は頷いた。
「シュヴァリエ、ミスター・カーライルは最強の魔法使いなのよね?」
 しかし、シュヴァリエは険しい表情で一瞬言葉に詰まった。
「……アンドリューが負けるとは思いませんが」
「負けたらどうなるの?」
 私の問いに二人は答えなかった。

 ミスター・カーライルが負けるはずはないという思いはあるが、もし負けてしまったらという考えは拭いきれないという表情を浮かべている。あの巨大な攻撃魔法があの場にいる兵士たちの頭上に落ちるかもしれないと思うと、最強だからと言って安堵していられない。

「戦力にはならないかもしれませんが、防御ならば多少は力になれるかもしれません。僕は行きます」
 そう言ってベルタン侯爵は戦場に向かって駆け出した。

 勇気がある紳士だわ。兵士でもないただの貴族なのに。
 それと比べて少佐であるこいつはどうよ?
 私を案じてくれていることはわかるけど、ここまでくると臆病過ぎると思わないでもない。

 どうすればいいのかしら?
 あの手この手で説得を試みたけど、どれも中途半端に途切れてしまったし、今からまた問答を始める空気でもない。

 だいたいあの悲痛な表情は何よ?
 私が既に死んでしまったかのような顔をして!
 チェンバレンの目的はわからないけど、人を見れば殺意を向けて攻撃してくる輩だ。あんなやつが覇権をとって、世界が良くなるとはとても思えない。
 私たちの命どうこう以前に、あいつを止めることは優先すべきことじゃないの?

 シュヴァリエの方へ目を向けると、悲痛どころか真面目な表情で、いつもの陰気さもなく騎士の顔になっていた。

「エマ様、命に替えてもお守りいたしますから、僕と一緒に戦場へ赴いていただけませんか?」
 あら? ようやくその気になったのね。
「もちろんよ」
「エマ様は、ご自分の身を守ることだけをお考えください」
 そんなわけにはいかないけど、ここは従ったふりをしておこう。
「ええ。そうするつもりよ」

 シュヴァリエは鋭い目で私を見据えていたかと思うと、おもむろに歩み寄り、そっと優しく抱き寄せた。
「お願いします。なによりもまず、ご自身の命を優先してください」
 そう言って、私を抱きしめる手の力が増した。私の存在を確かめているかのように、身を寄せる。
 そんなに心配しなくても大丈夫よ。私は今生きているし、これからも当分生きるわよ。

 戦地へ向かう興奮か不安か、シュヴァリエの鼓動が速くなっている。
 軍人と言えども、元気づけて欲しいのかしら?

 私もシュヴァリエの背中に手を回して、子どもをあやすみたいにして、ぽんぽんと軽く叩いた。
 シュヴァリエは息を吐いた。緊張しているのね。大丈夫よ。私が守るわ。
 シュヴァリエの頭に片手をもっていって、軽く撫でてあげる。よしよし、大丈夫よ。シュヴァリエは強いんだから。
 私の肩に顔をうずめるようにしたわ。なんだか本当に子どもみたい。知人の邸宅へ遊びにいったとき、知人の幼い兄弟がこんな風に抱きついてきたことを思い出したわ。

 よしよし。何度か頭を撫でた後、私は思わずシュヴァリエの頬にキスをした。
 シュヴァリエは驚いたように身を強張らせて、勢いよく私から離れた。
 
 私ったら、何をしたのかしら? 幼い子どものように感じていたけど、相手はシュヴァリエだったわ。なんてことをしてしまったの? 恥ずかしい。

 そのとき、目の前2メートルほどの場所に大きな爆発音がして地面に窪みができた。オレンジ色の光だった。
 見上げると、またこちらに向かって降り掛かってくる。
 シュヴァリエは剣を引き抜いた。私も防御魔法を発動したが──シュヴァリエは私の手を引いて、戦場の方へと駆け出した。後ろに衝撃音がして、足元に砂埃が舞う。

「エマ様、絶対に危ない真似はやめてください」
「はいはい」

 では、参りましょうか。
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