公爵令嬢の私に騎士も誰も敵わないのですか?

海野幻創

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21. 竜なんて本当に実在しているのかしら?

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 翌日の朝食後、シュヴァリエと共にミスター・カーライルの屋敷へと向かった。
 馬車に30分ほど揺られて到着した屋敷は、山の麓にこじんまりと建っていて、見た目は荘厳だが建てられてかなりの年数が経っているようだ。造りがしっかりしているため、嵐がきてもびくともしないだろうが、風雨にさらされてところどころ傷がついていたり、蔦が巻き付いていて森の一部のようになっている。

 ドアをノックすると、使用人の老婆に出迎えられた。
「ただいま旦那様をお呼びいたします。こちらでお待ち下さい」そう言って奥にあるドアの向こうへ消えた。
 入ってすぐのところが応接スペースになっていて、暖炉の前に大きなソファが二脚と、奥の方にダイニングテーブルらしき大きなテーブルセットがあった。暖炉の火がパチパチと木々を燃やす音が部屋に響いている。

 数分と経たずに奥のドアからミスター・カーライルが現れた。
「ようこそ。ミス・ヴァロワ、レオ。早速だが、竜の元へ行こう」
 いきなり? いや、でもそれが本題か。

 ミスター・カーライルは玄関へ向かうのではなく、現れたドアとは違う別のドアへ向かって歩き始めたので、私とシュヴァリエは後を追った。
 ドアを開けるとすぐに下へと続く石造りの階段がある。行き先は地下のようだ。ランプも何も持ってはいないが……
 そう思っていたら、突然昼間のような明るさになった。魔法? ミスター・カーライルのすぐ後ろにいたが、何かをつぶやいたようにも、手をかざしたようにも見えなかった。

 二階分は下りたのではないだろうか。最後の一段を下りた先にも一人分がやっとと言える狭い空間が、今度はまっすぐ続いている。
 誰も声を出さないまま何十分という道のりを歩いた。
 どれくらいの距離なのかはわからなかったが、先が見えないため終わりがないのではと錯覚するほど長く感じた。

 たどり着いた先は洞窟のようだった。いきなり天井が見えないほどの大きさの空間に出たのだが、そそりたつ壁が四方を囲んでいるため、ここが外ではないことはわかった。部屋の明るさも太陽のそれではなく、ミスター・カーライルの魔法なのか、通り道と同じ灯りだったからだ。
 何もない空間だ。だだっ広いが、一周をするのに五分とかからないような大きさだった。

「連れてきた」
 ミスター・カーライルが声を出した。遠くに聞こえるような声量ではなく、近くにいる私たちに話しかけているような調子だ。

「シェストレムの者」
 いきなり地鳴りのような声が頭の中に轟いた。
 回りを見渡すが、なにもない。私たち三人だけだ。

「見えていない」ミスター・カーライルが言う。
「……姿は現さない」また頭の中に声。
 ミスター・カーライルは小さくため息をついて言った。「それでは伝説のままだ」
「なぜ人間は目で見るものしか信じない?」
「手間が省ける」
 ミスター・カーライルの答えに、私はちょっと笑ってしまった。

「ふん。リサのようだな」
 次に聞こえた声は、地鳴りのようなのは変わらないのに、人間が可笑しそうに話すそれに少し似ていた。

 一瞬の間があったあと、すぐ目の前に巨大なものが現れた。いきなりだ。
 私は驚いて尻もちをつくところだった。シュヴァリエが支えてくれなければ実際に転んでいただろう。
 シュヴァリエを見ると、歯を食いしばり、額に汗が浮かんでいる。シュヴァリエも見たのは初めてなのか?

 これが竜? 確かに顔のような目と口と鼻? があるし、そこから蛇のような長い身体がついている。物語の挿絵に出てくる竜にも近い。大きい。私の頭よりも大きな目が、すぐ間近にあるのだ。恐怖という言葉では足りないだろう。畏怖か。足だけでなく全身が震えてしまって、シュヴァリエに支えてもらっていなければまだ立つことができない。

「これだから嫌なんだ」
 この頭の中に轟く声はつまり、この目の前の竜が喋っている声なのか。
「口で言って理解するよりは早い」ミスター・カーライルは落ち着いた様子だ。
「ふん」竜が少し動いた。少しというのは竜視点で、私たちから見れば『かなり』だが。
 そのあと、まるで私を見るかのように、大きな目がこちらへ向いた。
「シェストレムの者。謝罪する」
 えっ? ……あ、そういう話だったっけ?
「……はい。謝罪を受け入れます」
 それ以外になんて言える?
 数秒ほど間ができたあと、再び頭の中に声が轟いた。
「お前は近いうちに死ぬ」
 あー、はいはい。それも事実なのね。
「それは、竜の血が入っているからですか?」
「そうだ。人間の時間で800年ほど前に、私の手でシェストレムの者を傷つけてしまった」
「死んだのですか?」
「死んではいない。私たちは人間を一人も死なせていない。──これまでは」
 なるほど。思ったよりも凶悪な存在ではないのかもしれない。800年もの間シェストレムの子孫一人一人に謝罪し続けてきたことが本当なら、その律儀さは相当なものだ。
 でもまあ、それが800年伸びただけで結局は死なせてしまうわけだから、人を殺めたことには変わりない。巡り巡った結果、なぜか最初の人ではなく私が死ぬことになったのだが。

「竜! 聞きたいことがある!」シュヴァリエが叫んだ。
 額だけでなく、服から覗く全身が汗びっしょりである。あんなに必死な形相も珍しい。
「お前は、グリフィンの息子だな?」竜が答える。
「正確には違うが、そのようなものだ。レオ・シュヴァリエと言う」
「なんだ?」
「シェストレムの子孫を、なんとか生かす方法はないのか?」
「……それをアンドリューが模索した」
「わかっている。他にはないのか?」
「あれば既に伝えている」
 そりゃそうだ。なるべく死なせたくなさそうな口ぶりで、なんだか人情家のようだもの。
「竜についていくことはできないか? その、旅立つ別の世界に」
 は? 何を言っているの?
 竜は答えない。
 ミスター・カーライルを見ると、シュヴァリエの考えを読み取ろうとでも言うような険しい視線を向けている。
 竜が再び声を轟かせた。
「……次に行く世界に人間はいない」
 世界ってことは、この世界じゃないところだから、そりゃ人間はいないでしょう。何を言っているんだ?
「リサのいた世界へ行くというのはどうだ?」
 リサのいた世界? 誰だろう? 人なのかな?
 竜は考えているのだろうか、再び間ができた。
 シュヴァリエは真剣な眼差しで竜を見据えている。
「リサのいた世界は──」
 竜が言いかけて止まった。同時にそれまで微震していた身体も静止したようだ。
 ミスター・カーライルを見ると、宙の一点を見るようにして同じように微動だにしない。
 シュヴァリエは不安そうな表情で竜やミスター・カーライル、そして私にと視線を動かしている。
 どうしたのだろう?

 当の私は20年の命と聞いても未だに実感が湧かず、他人事のような気でいるというのに、シュヴァリエは本当に私の命を守ろうとしているようだ。
 忠実な執事……いや、騎士か? それにしても、熱心だ。尊敬している英雄だからだろうか? 英雄って何よ?
 誰からも愛されないと思い込んで、死を考えるほど孤独だったから、私の存在が心の支えだったということなのかしら? だから救おうとしてくれているの? 姉みたいに思っているのかな? いや、年齢的に言えば妹だけど、シュヴァリエの下だと考えるとなぜだか不満だわ。


「ケロ……」
 ミスター・カーライルが口を開くと竜が答えた。
「ああ、ランスが攻められている」
 えっ? ランス? どういうこと?
「ポムからか?」
 ミスター・カーライルは竜を見据えている。
「そうだ。アンドリューはリサか?」
「ああ」
「行くのか?」
 竜からの問いに、ミスター・カーライルは数秒ほど間を明けて答えた。
「……行く」
「わかった」
 その直後に竜の姿が消えた。

「何かが起きたのですか?」
 シュヴァリエが困惑の表情で問う。
「ランスがケルマンに宣戦布告され、既に攻撃を受けている」
 なんてこと? ケルマンが? どうして?
「それをリサが伝えてきたのですか?」
「そうだ。ミセス・グリフィンとはたまに魔法でやり取りをしている。それよりもランスへ向かおう」
 そう言って、ミスター・カーライルは入ってきた入口に向かって身を翻し、「そうですね」そう言ってシュヴァリエも後に続いた。
 しかし戸惑っている私に気がついて、そばへ戻って来て腕を取った。
「エマ様、ランスへ行かねばなりません」
「戦争が起きたって本当なの? シュヴァリエは少佐として呼ばれたの?」
「呼ばれなくても向かわねばなりません。リサを──もう一人の竜の血を受けている方をお守りしなければなりません」
 ああ! そっか!
「その人が亡くなったら、もう竜のいる理由がなくなってしまうのね?」
「はい」
 つまり、リサという人が死んだら、私も同時に死ぬ運命だから、守りに行かなければならない。母も含めて三人の命がかかっているのだ。
「エマ様」シュヴァリエが私の腕を引く。
 わかったわよ。

 私たちは急ぎ足で竜のいた洞窟を後にした。
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