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18. 無実の者を救えるだけでもいいのよ
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二日間の練習を終えて、なんとか形にすることはできたものの、成功確率は4割というところか。
シュヴァリエは不満そうだったが時間がない。寝ずにやってこれなのだから仕方がないわよ。
アリシアを連れて、私とシュヴァリエは裁判所へと向かった。裁判官の執務室前で呼ばれるのを待っていると、事前に連絡を入れていたアウグスト氏もやってきた。
「これはこれは、ミス・ヴァロワ。ごきげんよう」
「ごきげんよう、ミスター・アウグスト」一応立ち上がって礼をする。マナーは大事よ。
「ミス・ヴァロワがお支払いしてくださるのでしょうか?」アウグスト氏はニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべている。
「二日間の猶予がなければお支払いすることも可能でしたが」
「それは残念だ。しかしまあ、支払っていただくよりも稼げますから、私としてはそちらの方がありがたいことですがね」アリシアに好色そうな笑みを向ける。気持ち悪い目で見ないでよ!
立ったままだったシュヴァリエが私とアリシアを隠すように前に出る。
「借用書はお持ちいただけましたか?」
「ええ」腰を下ろしたアウグスト氏が、書類鞄から紙片を取り出した。「これがなければ証明になりませんからな」
「拝見できますか?」シュヴァリエは手を差し出す。
「いえいえ、とんでもない! 汚されたら敵いません。真っ直ぐに裁判官に提出いたします」
アウグスト氏は慌てたように鞄に戻した。
私の技術では対象を目で見ないことには防御魔法を発動できないから、なんとかして視界に入れなければならない。
執務室のドアが開いて、中から使用人が顔を出した。「ミスター・アウグスト」
ここでハリエット母子の運命が決まる。
私たちが全員入室して促された椅子に腰を下ろすと、裁判官が咳払いをひとつして早速審問を始めた。
「それでは次は、ミス・ノルドクヴィストの詐欺罪についてですかな?」
「はい。こちらに借用書があります。期限までに支払ってもらえず、困っております」アウグスト氏が書類を差し出した。
「裁判は行いません。小事はこの執務室で簡易的に済ませます」裁判官は受け取って、斜め読みしたあと、私と目を合わせる。「そちらのご令嬢は?」
「ミス・ノルドクヴィストのご息女の付き添いです」
裁判官は納得した表情のあと、書面に視線を戻す。「……間違いないようですな。それでは、ご息女はお気の毒ですが、ミス・ノルドクヴィストは有罪となり、身柄を引き渡すことになります」
裁判官が何かにサインをしようとペンを取った。そのとき、シュヴァリエがすかさず言った。
「お待ち下さい!」
裁判官はペンを走らせようとした手を止めてシュヴァリエを見る。
「ミス・ノルドクヴィストは借用書にサインをした覚えがないそうです」
「は? そうは言っても、ここにサインがある」裁判官は書類を持ち上げた。
あれでは見えないわ。
「ご息女にお見せいただけませんか? 母君がサインをした書類なのかどうか」
裁判官はシュヴァリエに向けていた視線をアリシアへ滑らせる。「見てもわからないのではないか?」
「アリシア!」シュヴァリエもアリシアへ顔を向ける。「見ればわかるって言ってたよな?」
シュヴァリエがなんとか私の視界に入れようと苦心している。
「わ、わかります!」アリシアは緊張して強張っていたが、ここが頑張り時だとわかったのか大きく首を縦に振った。
「ご息女が確認したところでどうしようもありません。サインは確かに間違いないのですから。これと見比べてみてください」
裁判官がアリシアとシュヴァリエを交互に見ている横で、アウグスト氏が別の書類を裁判官に手渡した。
「これは何だ?」裁判官が書類を見ながら聞く。
「これは契約書です。私の事業に携わる契約をしていたのですが、こんなことになってしまって……。まあ貸した金を返さないような女だと事前に知ることができて良かったとは言えますがね」
「見せてください」シュヴァリエは書類の端を掴む。
「見てどうするというのだ、さっきから!」アウグスト氏は渡さないように引き戻そうとする。
「サインは偽造かもしれません」
「なに?」
呆れた様子で眺めていた裁判官の眼光が光った。
「一枚本物があれば、真似してサインすることは簡単です」シュヴァリエは二枚の書類を指で差す。
「そう言われても、どちらも本物に見える」
「鑑定士はいらっしゃらないのですか?」
「そんな者はいない! サインの偽造など……本当に?」裁判官は舐めるように書類に目を通す。「先ほどから書類を見せるように言っていたのは、君が鑑定できるからか?」
「鑑定はできなくても、誰がサインをしたのかを証明することはできます」
「どういうことだ?」
シュヴァリエは私を一瞥して続けた。
「拝見してもよろしいでしょうか?」裁判官に手を差し出す。
裁判官はしばし探るような目をシュヴァリエに向けていたが、ため息をひとつついたあと、シュヴァリエに書類を手渡した。
シュヴァリエが手に取ろうとしたとき、アウグスト氏が先にそれを奪い取る。
「裁判官、時間がないのです。サインの偽造など考えられません。早く済ませてもらえないでしょうか?」
裁判官は今度はアウグスト氏に探るような目を向けた。
しかしそれは数秒のことで、壁にかけられた時計に視線を移した後、肩をすくませて言った。
「……そうですな。ここで時間を食っている余裕などない。これから法廷へ行かねばならんのだ」
アウグスト氏はそれを聞いてホッと肩を落とした。
「では書類を」
裁判官に言われて、アウグスト氏は書類を裁判官に差し出した。
と、そのとき、アリシアが差し出されて宙に浮いていた書類を、裁判官が手に取る前に掴み取った。
「エマ!」私に向けた。
今だわ!
私は目を凝らした。意識を書類に集中し、口の中で教えられた通りの呪文を唱えた。声に出さなくても、口の中でつぶやくだけで十分だ。体内にある魔力と空気中に帯びている魔力を練るイメージ。それを書類に向けて、防御魔法を発動する。
アリシアの掴んだ書類が青い光に纏われた。一瞬浮かび上がった後、紙は床へ滑空して落ちていく。しかし、宙には黒いインクの文字が浮いている。それがわかったのは、紙ではなくその文字に青い光が移っていたからだ。青い光を纏った文字が、ゆっくりと動いていく。
──アウグスト氏の元へ。
裁判官もアウグスト氏も、目と口を丸くしてその青い光の微動を見つめている。
ヒラヒラと揺れながら、アウグスト氏の胸元へ向かっていったその文字は、胸ポケットに刺さっていた万年筆に吸い込まれるようにして最後に消滅した。アウグスト氏は慌てて胸ポケットから万年筆を取り出して床に捨てた。
「やっぱりおじさんだったんだ」アリシアが声をあげる。
その声で静止していた大人たちは息を吹き返した。
「……いまのはなんだ?」裁判官は信じられないといった顔で声を震わせた。
「文字が、持ち主に帰ったんです。自分が出てきた万年筆に」
シュヴァリエの言葉で裁判官は床に落ちた万年筆に目を向ける。
そしてその視線をアウグスト氏の方へゆっくりと滑らせた。
次に書類を見る。
「ない。サインが消えている!」裁判官はこちらに見えるように書類の表面を掲げてみせた。
「ええ。さっき戻っていきましたからね」
「……信じられん」
「それはさておき、サインがない場合の判決はどうなるのでしょうか?」
裁判官はシュヴァリエを見て、次にアウグスト氏を見る。表情に変化はないように見えたが、二人に向けた視線には、この部屋に入通したときとは違う含意が読み取れた。
「そうだな。……この審問自体無意味だ」
「裁判官!」アウグスト氏が声をあげる。
「なかったことにしよう。えーっと、ミス・ノルドクヴィストは釈放だ」
「しゃくほうって?」アリシアが聞いた。
裁判官はアリシアに笑顔を向けた。「ママに会えるよ。一緒に帰りなさい」
「やったあ!」
アリシアは笑顔で飛び上がった。
裁判官はハリエットの釈放申請の用紙にサインをして、私たちに渡してくれた。これを留置所へ持っていけばすぐに釈放されるとのことだった。
アウグスト氏は未だ驚愕の表情で固まっている。
私は何か捨て台詞でも吐いてやろうかと思ったが、シュヴァリエが私を睨みつけながら腕を掴んでいたので諦めた。確かにまた下手な真似をして恨みを買うのは良くない……今回は素直に従っておくことにするわ。
シュヴァリエは不満そうだったが時間がない。寝ずにやってこれなのだから仕方がないわよ。
アリシアを連れて、私とシュヴァリエは裁判所へと向かった。裁判官の執務室前で呼ばれるのを待っていると、事前に連絡を入れていたアウグスト氏もやってきた。
「これはこれは、ミス・ヴァロワ。ごきげんよう」
「ごきげんよう、ミスター・アウグスト」一応立ち上がって礼をする。マナーは大事よ。
「ミス・ヴァロワがお支払いしてくださるのでしょうか?」アウグスト氏はニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべている。
「二日間の猶予がなければお支払いすることも可能でしたが」
「それは残念だ。しかしまあ、支払っていただくよりも稼げますから、私としてはそちらの方がありがたいことですがね」アリシアに好色そうな笑みを向ける。気持ち悪い目で見ないでよ!
立ったままだったシュヴァリエが私とアリシアを隠すように前に出る。
「借用書はお持ちいただけましたか?」
「ええ」腰を下ろしたアウグスト氏が、書類鞄から紙片を取り出した。「これがなければ証明になりませんからな」
「拝見できますか?」シュヴァリエは手を差し出す。
「いえいえ、とんでもない! 汚されたら敵いません。真っ直ぐに裁判官に提出いたします」
アウグスト氏は慌てたように鞄に戻した。
私の技術では対象を目で見ないことには防御魔法を発動できないから、なんとかして視界に入れなければならない。
執務室のドアが開いて、中から使用人が顔を出した。「ミスター・アウグスト」
ここでハリエット母子の運命が決まる。
私たちが全員入室して促された椅子に腰を下ろすと、裁判官が咳払いをひとつして早速審問を始めた。
「それでは次は、ミス・ノルドクヴィストの詐欺罪についてですかな?」
「はい。こちらに借用書があります。期限までに支払ってもらえず、困っております」アウグスト氏が書類を差し出した。
「裁判は行いません。小事はこの執務室で簡易的に済ませます」裁判官は受け取って、斜め読みしたあと、私と目を合わせる。「そちらのご令嬢は?」
「ミス・ノルドクヴィストのご息女の付き添いです」
裁判官は納得した表情のあと、書面に視線を戻す。「……間違いないようですな。それでは、ご息女はお気の毒ですが、ミス・ノルドクヴィストは有罪となり、身柄を引き渡すことになります」
裁判官が何かにサインをしようとペンを取った。そのとき、シュヴァリエがすかさず言った。
「お待ち下さい!」
裁判官はペンを走らせようとした手を止めてシュヴァリエを見る。
「ミス・ノルドクヴィストは借用書にサインをした覚えがないそうです」
「は? そうは言っても、ここにサインがある」裁判官は書類を持ち上げた。
あれでは見えないわ。
「ご息女にお見せいただけませんか? 母君がサインをした書類なのかどうか」
裁判官はシュヴァリエに向けていた視線をアリシアへ滑らせる。「見てもわからないのではないか?」
「アリシア!」シュヴァリエもアリシアへ顔を向ける。「見ればわかるって言ってたよな?」
シュヴァリエがなんとか私の視界に入れようと苦心している。
「わ、わかります!」アリシアは緊張して強張っていたが、ここが頑張り時だとわかったのか大きく首を縦に振った。
「ご息女が確認したところでどうしようもありません。サインは確かに間違いないのですから。これと見比べてみてください」
裁判官がアリシアとシュヴァリエを交互に見ている横で、アウグスト氏が別の書類を裁判官に手渡した。
「これは何だ?」裁判官が書類を見ながら聞く。
「これは契約書です。私の事業に携わる契約をしていたのですが、こんなことになってしまって……。まあ貸した金を返さないような女だと事前に知ることができて良かったとは言えますがね」
「見せてください」シュヴァリエは書類の端を掴む。
「見てどうするというのだ、さっきから!」アウグスト氏は渡さないように引き戻そうとする。
「サインは偽造かもしれません」
「なに?」
呆れた様子で眺めていた裁判官の眼光が光った。
「一枚本物があれば、真似してサインすることは簡単です」シュヴァリエは二枚の書類を指で差す。
「そう言われても、どちらも本物に見える」
「鑑定士はいらっしゃらないのですか?」
「そんな者はいない! サインの偽造など……本当に?」裁判官は舐めるように書類に目を通す。「先ほどから書類を見せるように言っていたのは、君が鑑定できるからか?」
「鑑定はできなくても、誰がサインをしたのかを証明することはできます」
「どういうことだ?」
シュヴァリエは私を一瞥して続けた。
「拝見してもよろしいでしょうか?」裁判官に手を差し出す。
裁判官はしばし探るような目をシュヴァリエに向けていたが、ため息をひとつついたあと、シュヴァリエに書類を手渡した。
シュヴァリエが手に取ろうとしたとき、アウグスト氏が先にそれを奪い取る。
「裁判官、時間がないのです。サインの偽造など考えられません。早く済ませてもらえないでしょうか?」
裁判官は今度はアウグスト氏に探るような目を向けた。
しかしそれは数秒のことで、壁にかけられた時計に視線を移した後、肩をすくませて言った。
「……そうですな。ここで時間を食っている余裕などない。これから法廷へ行かねばならんのだ」
アウグスト氏はそれを聞いてホッと肩を落とした。
「では書類を」
裁判官に言われて、アウグスト氏は書類を裁判官に差し出した。
と、そのとき、アリシアが差し出されて宙に浮いていた書類を、裁判官が手に取る前に掴み取った。
「エマ!」私に向けた。
今だわ!
私は目を凝らした。意識を書類に集中し、口の中で教えられた通りの呪文を唱えた。声に出さなくても、口の中でつぶやくだけで十分だ。体内にある魔力と空気中に帯びている魔力を練るイメージ。それを書類に向けて、防御魔法を発動する。
アリシアの掴んだ書類が青い光に纏われた。一瞬浮かび上がった後、紙は床へ滑空して落ちていく。しかし、宙には黒いインクの文字が浮いている。それがわかったのは、紙ではなくその文字に青い光が移っていたからだ。青い光を纏った文字が、ゆっくりと動いていく。
──アウグスト氏の元へ。
裁判官もアウグスト氏も、目と口を丸くしてその青い光の微動を見つめている。
ヒラヒラと揺れながら、アウグスト氏の胸元へ向かっていったその文字は、胸ポケットに刺さっていた万年筆に吸い込まれるようにして最後に消滅した。アウグスト氏は慌てて胸ポケットから万年筆を取り出して床に捨てた。
「やっぱりおじさんだったんだ」アリシアが声をあげる。
その声で静止していた大人たちは息を吹き返した。
「……いまのはなんだ?」裁判官は信じられないといった顔で声を震わせた。
「文字が、持ち主に帰ったんです。自分が出てきた万年筆に」
シュヴァリエの言葉で裁判官は床に落ちた万年筆に目を向ける。
そしてその視線をアウグスト氏の方へゆっくりと滑らせた。
次に書類を見る。
「ない。サインが消えている!」裁判官はこちらに見えるように書類の表面を掲げてみせた。
「ええ。さっき戻っていきましたからね」
「……信じられん」
「それはさておき、サインがない場合の判決はどうなるのでしょうか?」
裁判官はシュヴァリエを見て、次にアウグスト氏を見る。表情に変化はないように見えたが、二人に向けた視線には、この部屋に入通したときとは違う含意が読み取れた。
「そうだな。……この審問自体無意味だ」
「裁判官!」アウグスト氏が声をあげる。
「なかったことにしよう。えーっと、ミス・ノルドクヴィストは釈放だ」
「しゃくほうって?」アリシアが聞いた。
裁判官はアリシアに笑顔を向けた。「ママに会えるよ。一緒に帰りなさい」
「やったあ!」
アリシアは笑顔で飛び上がった。
裁判官はハリエットの釈放申請の用紙にサインをして、私たちに渡してくれた。これを留置所へ持っていけばすぐに釈放されるとのことだった。
アウグスト氏は未だ驚愕の表情で固まっている。
私は何か捨て台詞でも吐いてやろうかと思ったが、シュヴァリエが私を睨みつけながら腕を掴んでいたので諦めた。確かにまた下手な真似をして恨みを買うのは良くない……今回は素直に従っておくことにするわ。
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