公爵令嬢の私に騎士も誰も敵わないのですか?

海野幻創

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9. 誤解を与えるような言動は慎みなさい

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 コンティ公爵と馬車に乗り込むと、案内人を見つけ出してきたシュヴァリエが、事情を聞いたから一緒に行きますと言って有無を言わさずに御者席の隣に腰を下ろした。
 10分ほどで問題の崖に着いた。崖のふちに立って見下ろすと確かに底は深く、ゆうに50メートルはある。マリオンのいる足場へ続く階段のような岩場があり、度胸さえあれば簡単に下りることができそうだが、下男の話していた通り成人した男性の体重を支えるのには脆そうだ。
 コンティ公爵は崖のふちにうつ伏せになり、恐る恐るといった様子でマリオンに声をかけている。怖いのはわかるけどみっともない。

 私も顔を覗かせて声をかけた。「ミス・マリオン! 今助けに行きますから!」
「ミス・ヴァロワ? シュヴァリエ少佐はいらっしゃらないの?」
 シュヴァリエ……少佐? 少佐だなんてマリオンに言ったっけ?

 シュヴァリエを探すと、既に足場を伝ってマリオンの元へ向かっているところだった。縄を肩に巻き付けて軽快に下りていく。
「シュヴァリエ少佐! ありがとう!」マリオンの弾む声が聞こえた。見るとシュヴァリエの首に抱きついている。
「捕まっていてください」シュヴァリエは抱きついたマリオンごと自分の身体に縄を巻き付けて、ふちにいる下男に向かって縄の先を投げた。下男はそれを見事に受け取って、四人がかりで引き上げ始めた。

 シュヴァリエはふちに手をかけ、マリオンを持ち上げるようにして支えてあげて、下男が引っ張り上げる。野次馬のどよめき声。無事に助け出されたようだ。
 コンティ公爵がマリオンに駆け寄っている。シュヴァリエは縄を解いて離れようとしたが、マリオンは抱きついたまま離さない。
「コンティ公爵夫人もう大丈夫ですよ。無事に戻りました。お手を離されても落ちません」
「シュヴァリエ少佐、ありがとうございます。あなたは私の英雄ですわ」マリオンは怖がっているどころか笑顔を浮かべている。
 コンティ公爵がマリオンを抱きかかえるようにしてシュヴァリエから引き離したが、マリオンはまだシュヴァリエのことを見つめ続けていた。

 こりゃコンティ公爵の未来は苦労だらけだな。可哀想に。

 私たちは宿屋に戻ったが、すぐには出発をせずに食堂へ向かった。午前のうちに出発するはずが昼近くになってしまったので、昼食をとってから出発することにしたのだ。
 食事を始めようとしたとき、コンティ公爵が顔を出したので、それに気がついたフランソワが立ち上がり、他の使用人たちのいるテーブルに移ったあと、私とシュヴァリエだけが座っているそのテーブルにコンティ公爵も席を取った。
「お腹の赤ちゃんは大丈夫だったのですか?」
 私が聞くと、コンティ公爵は未だに冷静さを欠いた様子で答えた。
「それが……妊娠はしていなかったようなんだ」
 は?
「どういうこと?」
「流産したわけではない。元々していなかったみたいなんだ」
 あらあら……つまり騙されたのね。コンティ公爵も私も。
「それでミス・マリオンは?」
 私がそう聞いた時、本人が現れた。私たちを見つけて、こちらへ向かってくる。
 マリオンは私の隣の席であり、シュヴァリエの前の席に笑顔で腰を下ろした。
「シュヴァリエ少佐、先程はありがとうございました」夫には目もくれない。
「いえ」シュヴァリエは相変わらず料理をもぐつかせている。
「シュヴァリエ少佐は、執事をしていらっしゃるの?」
「はい」
「それじゃあ、雇われているのね?」
「はい」
 いったいなんだ?
 コンティ公爵は妻が来てからさらに落ち着かない様子になり、額に汗まで浮かび始めた。
「実は子供もいないし結婚もしていないの。シュヴァリエ少佐、私と一緒にタリアへ行ってお祖父様に会ってくださらない?」
 結婚もしていないの──? 私が驚いてコンティ公爵を見ると、立ち上がらんばかりに動揺していた。
「行きません」
「どうして? 公爵令嬢と結婚できるかもしれないのよ? お祖父様の土地は広大だし遺産は全て私が継ぐ。お金持ちになったら雇われる必要なんてないのよ?」
 マリオンは身を乗り出してシュヴァリエの顔を覗き込むが、シュヴァリエはマリオンの顔をチラとも見ずに、食事に集中している。

「シュヴァリエって聞いてすぐにわかったわ。従兄弟が軍にいるんだけど、ランスに優秀な少佐がいるって聞いていたの。合同演習で一緒になったって言ってたわ。知らない? イヴレーア中将」
 シュヴァリエはそこで初めてマリオンの顔を見た。マリオンは目を合わせて嬉しいのか笑みが大きくなる。
「従兄弟なの。すごく褒めてたわ。『元々軍事に力を入れていないランスなんか舐めてたけど、彼がいるならランスは安泰だろう』って言うくらい。まさかこんなところでそのシュヴァリエ少佐にお会いできるとは思わなかったわ。執事として雇われているなんてもっと驚いた。少佐はそんな身分に落ちる必要なんてない。私と結婚する資格は十分にあるわ」

 すごい女だ。結婚相手で令嬢の価値が決まる社交界で言えば、かなりのやり手と言えるかもしれないが、とてもじゃないけど私にあんな真似はできない。
 私は社交界を見限って良かったと改めて安堵した。

「マリオン……」コンティ公爵はマリオンにすり寄るが、マリオンは存在すら感知していないといった態度で無視し続けている。
「ねえシュヴァリエ少佐、私と一緒にタリアへ行きましょう。もうこんなケルマンにいる必要はないわ」
 ミス・マリオンはとても可愛らしい女性なので、媚を売るように上目遣いで紳士を見れば、誰もが自分の前にかしずくと信じているのだろう。そんな必勝スマイルを見せている。

 シュヴァリエがマリオンと共に行くとは思えないが、この男がどんな反応を見せるのかには興味がある。そう思って黙って見ていたのだが、無視を決め込んでいるだけでは面白くもなんともない。

「シュヴァリエ、もしあなたがその気ならここで雇用契約を終えても構わないわ」
 私がそう誘いをかけると、シュヴァリエは顔をあげた。
「いや、行きませんよ」
 好機到来と見てマリオンがすかさず入る。
「どうして? 雇われているよりも結婚するほうがいいじゃない! 大出世よ?」
「ですって」
 私もマリオンに乗ったためか、シュヴァリエはため息をついた。
「エマ様は私にどうして欲しいのですか? 私にいなくなって欲しいのですか?」
「そういうわけじゃないけど」私にじゃなくてマリオンに反応しなさいよ!
「エマ様が何とおっしゃっても私はお側を離れません」
 そう言ってシュヴァリエは食事に戻った。
「少佐! それはどういうこと?」 マリオンは信じられないといった表情で立ち上がる。「あなた、ミス・ヴァロワをお慕いしていらっしゃるの?」
「……お言葉の意味がわかりかねますが」
「結婚してあげてもいいと申し上げているこの私よりも、執事として雇用しているだけのミス・ヴァロワの方が大切なのかと聞いているのよ!」
「ああ……エマ様は大切な方です」シュヴァリエはマリオンを見ずに答えた。
「つまり、ミス・ヴァロワのことが好きなの? 大切ということはそういうこと?」
「……はい。そうですね。エマ様のことは好きですし、大切です。命に替えてもお守りします」
 全く気持ちのこもっていない棒読みのような言い方だったが、その予想外の返答に驚きつつも私はちょっと嬉しくなった。

 マリオンは驚愕の表情でしばし静止したあと、何も言わずに食堂を出ていった。
 ずっとマリオンの一挙一動を目で追っていたコンティ公爵も、すぐさまその後を追った。


 シュヴァリエは何事もなかったかのように食事を続けている。まったくいつまで食べているんだ。これでもう四皿目だ。
 しかし今日は注意するのをやめておこう。嫌な女の鼻を明かしてくれたのだから。
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