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僕は初めてだけど君は

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 真夜中の、もう朝と言ってもいいくらいの時間になった頃、ひっそりと静まり返った生田の住むマンションの中で、インターホンの音が鳴り響いた。

「……どうぞ。鍵は開いてる」
 その言葉の後、マンションの自動ドアが開いた。

 電話が切れた後に生田は、なぜあんなことを口走ったのだろうと困惑した。しかし今更掛け直して言い訳めいたことを言ったとしても、どちらにせよ久世は来るだろうと、そう思えたから掛け直さなかった。
 それならばと移動時間を考えた生田は、日付が変わる頃になるだろうと身構えていたのだが、久世は現れなかった。
 深夜になっても一向に現れないことから東京にいたはずがないと思い至り、西園寺と一緒にいるならもう久世のことなんてどうでもいい、久世の勝手にすればいい、そう自棄やけになった生田は酒を飲み始め、久世が来るときまでずっと煽り続けていた。

 少しの物音でも大きく響くこの深夜の時間に配慮をした久世は、静かにドアを開けた。

 生田はソファに座ってその様子を睨みつけるように見ていた。

「やあ、透。ホントに来たんだ」

「……雅紀、大丈夫か?」

 生田の座っているソファの足元には、空き缶がたくさん転がっている。
 部屋は暖房のむっとする空気と、アルコールの匂いが充満していた。

「東京にいたわけじゃないみたいだな」

 睨みつけながら絡むような口調で言った生田のその言葉に、久世は答えられずに押し黙った。

「東京にいたら日付が変わる前には来れただろう? どこにいた? 北海道か?」

「……雅紀……」

「嘘つきだな透は。西園寺さんといたんだろ? 僕には関係ないことだけど嘘をつかなくてもいいじゃないか」

「……悪かった」

「どうした? 遠慮せずにそこに座りなよ」

 久世は生田の態度に戸惑い、リビングの入口に立ったままだった。
 生田の言葉を受けて、おずおずとした様子で生田のいるソファへと近づいた。

「透は僕とは友達だけど、西園寺さんとは友達じゃないんだろ?」

 久世は質問の意図がわからず答えられない。

「なんで来たんだよ」

「雅紀が、俺がいなくて不安だって言ったから……」

「友達がそう言ったら北海道からこんなところにまで飛んでくるんだ? 世話焼きの御曹司はやることが違うね。僕には真似できないな」
 生田は笑いながらそう言ったが、声の調子には怒気がはらんでいた。

「そうではない。雅紀だから……」

「なんで僕だからなんだ」

 久世は再び言葉に詰まり、俯いた。

「もういいよ。透がいなくてもいい。不安になんかなってない。変なことを言って悪かった。西園寺さんのところへ戻れよ」

「……西園寺のところへは行かない。もうあいつとは会わない」

「別に会えばいいじゃないか。友達が何年ぶりかに帰ってきているんだろう? あ、友達じゃないんだっけ?」

「どういう意味だ」

 今度こそ久世は問うた。
 生田はその問いで、自分もなぜそんなことを言ったのかと答えがわからず困惑した。

 戸惑いの表情を浮かべた生田に、久世は近寄った。

「……雅紀はその、俺がどういう指向を持っているのか、気がついていたのか?」
 久世は意を決していった。

「えっ……」
 生田はその言葉を聞いて動揺した。

「俺が雅紀のことをどう見ているのか、気づいていたのか?」

 久世はさらに一歩近づいた。
 生田は久世を見ることができずに俯いた。しかし近づいてくる久世から離れようとはしない。

 久世は生田の左頬に優しく触れた。
 生田は肩を震わせ、久世の顔を仰ぎ見た。
 久世はその切れ長の目を凝らすようにして、生田を真剣に見つめている。
 生田は久世のその目を見て鼓動が速くなった。久世にされるがままにして、身体を硬直させた。

 その時、久世のスマホが振動した。メールではなく着信のようで鳴り止まない。静まり返った深夜のマンションの中で響くその振動は、緊迫した空気を破るのに十分だった。

 久世が思わず力を緩めると、生田はその手を払いのけるようにして立ち上がった。

「出たらいい」

 久世はしばし迷ったが、止めるためにスマホを見た。

 久世の表情を横目で伺っていた生田は、画面を見た時に変わった久世の顔色で電話を掛けてきた相手が誰なのかがすぐにわかった。

 かなり酔いが回っていたことと久世との会話で興奮していた生田は、久世からスマホを奪い取って受話ボタンを押した。

『透? お前さ……』

「生田です」

『……ああ、生田くん、やっぱり透はそっちに行ったんだ』

「……何の用ですか?」

『おお! 生田くん、やるね。でも君と問答をする気はない。透に代わってもらえるかな?』

「……何の用ですか」

『うーん、君酔ってるね。だめだよ。酔ってるときに透なんか入れちゃ。襲われるよ。あ、違うか。逆だね』

「どういう意味ですか」

『わかってるだろう? あー、もういいや。迎えに行くからって透に伝えてくれる? そこに。生田くんの家に』

「この場所を知らないでしょう」

『うーん、透は不用心だからね。スマホにロックもかけてない。昼には着くと思うから、それまでは君に貸しておくよ。久しぶりに会った透は腕を上げていてね。日本じゃここまでの男はそうはいないから、国内にいる間は離したくない』

 生田は西園寺の物言いにカッとなった。

「透はあなたにもう会わないと言っていました」

『ああ、口ではそう言うんだ。ここを出ていくときも確か言っていたな。いつものことだよ。それに生田くん、君は結婚するんだろう? 子供も生まれるらしいじゃないか。それなら透はもう必要ないだろう? 今夜で最後にしておきな』

「なっ、なんでそんなことを……」
 久世が西園寺に話していたことにショックを受けて、生田は目の前が暗くなった。

『君もこっち側の人間だと思ったが、結局ストレートなんだね。その方が生きやすいから仕方がないだろうけど。生田くんがまさかそういう男だとは思わなかったなあ』
 西園寺は笑って言った。

 生田は何も言わずに通話を切った。

 生田の返答と表情から会話の内容を想像できた久世は、生田の反応を恐れて俯いていた。

「おい、透!」

「……なんだ」

「なんであの男に話したんだ!」
 生田は声を荒げた。

 久世は答えられず俯いたまま立ちすくんでいる。

 生田はそんな様子の久世にさらに煽られて、歩み寄って久世の胸ぐらを掴んで持ち上げた。
 二人は至近距離で目を合わせる。
 生田の目は怒りに満ちている。

「西園寺には何でも話すのか? 僕にはあいつのことを何も話さないくせに!」

「……そういうわけでは……」

「そういうことだろう?」

 自分よりも背も身体も小さい生田から胸ぐらを掴まれ怒鳴られても、雨に濡れた子犬のように身を縮こませて怯えたような表情を見せている久世を見て、生田は怒りを高ぶらせる以上に衝動に駆られた。

「なんで何も言い返さないんだ?」

 生田は、顔を背けようとした久世の動きに気がつくと、させないようにと両手で顔を押さえた。

 そしてそのままキスをした。

 驚きながらも、愛する男にされたその行動でスイッチの入った久世は、すぐにそれを受け入れた。

 一分ほどの濃厚なそれは、二人の男を昂らせるのに十分だった。

 生田はソファに久世を押し倒し、先程掴んで皺のよった襟口を強引に広げた。
 女性に対して何度もしてきたように、自身の命令するままに首から肩へ、肩から胸へと少しずつ、久世の身体を侵食していく。

 久世はそれを受け入れながらも、自分もと手を動かそうとするが、生田はその両手を押さえつけて離さない。

 初めて見た時は引け目を感じた久世の鍛え上げられた筋肉を、今は愛でるようにして唇と指でなぞっていく。

 久世はされるがまま、それに反応する。

「……雅紀は……」

「初めてだよ。僕は女性にしかしない。……だけど……透のことだけは……」

 それを聞いた久世は堪らず生田を抱き締めた。

「透は……」

 そう言いかけた瞬間、生田は昂った情熱が一気に冷めた。
 身を固くさせ、動きを止めた。
 その急激な変化に久世も戸惑った。

「雅紀……?」

 生田は冷めたと同時に頭の中にどす黒い嫉妬の念に襲われた。

 久世は初めてじゃない。久世はさっきまであの西園寺と一緒だったんだ。あの男と再会してからずっと一緒にいた。四日もの間、自分とは離れたところで西園寺と……。

 毎晩二人で……!

 そう思い至ったとき、久世から身体を離して後ろへ仰け反った。
 ソファから立ち上がり、二歩三歩と後退した。

「……帰れよ」
 生田は呟いた。

 久世は起き上がって生田の表情を伺うように見た。

「僕が来てほしいと言ったら来たんだ。帰れって言ったら帰れよ」
 生田は声を荒げた。

「雅紀、どうしたんだ?」
 久世は生田を落ち着かせようとした。

「……西園寺さんの元へ帰れよ」

 生田の言葉に久世もカッとなる。

「雅紀だって木ノ瀬さんがいるじゃないか!」

「そうだよ! だからもう帰れよ!」

「西園寺とは何でもないんだ!」

「だからそんなの嘘だろ? そして僕が結婚するのは嘘じゃない。酔っ払って変なことを考えた僕が悪かった。もう二度とあんなことはしない。……もう帰ってくれ」

「雅紀!」

 久世はしばらく生田の反応を伺ってその場で待っていたが、寝室へと歩いて去った生田を目で追ったあと、諦めたようにして立ち上がると、衣服を直して玄関を出ていった。
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