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三度の奇遇
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生田雅紀は、後から考えて、自分は何て最低なことをしてしまったのかと悔やんだ。
しかし時は既に遅かった。
23年の人生で、初めて他人の気を惹きたいと願った相手は病に倒れ伏してしまった。意識がないまま目覚めず、それがなぜなのか医者にもわからなかった。
彼女が目覚めたら謝罪したい。彼女を騙していたことを心から悔いていた。
そして叶うことならもう一度最初から出会いをやり直して、彼女の心を掴みたい。
そう願って、彼女が目覚めるのを待ち続けていた。
生田は休日を使って東京へ来ていた。意識のないまま入院している北島早苗が、東京の病院へ転院して3ヶ月経った日のことだった。
「絵麻さん、今日はありがとうございました」
「いいよ。私も来る予定だったし、一緒に来たほうが楽しいじゃん」
「荷物を持たされましたけどね」
「それくらいしてもらわなきゃ」
早苗と共通の友人である絵麻が、生田の対面に座っている。
「絵麻さんがこのホテルの部屋を取ってくださったお陰で日帰りにならずに済みました。新幹線で往復するのは疲れますからね。本当にありがとうございました」
「気にしないで。祖父のホテルだから無料みたいなものだし」
二人は朝食後にホテルのラウンジでコーヒーを飲んでいる。
「私も飛行機の時間があったから前泊しなきゃならなかったし、日程が一緒だったわけだからホテルくらい用意してあげるよ」
「痛み入ります。スウェーデンでしたっけ? 何時の便なんですか?」
「10時。もうそろそろね」
絵麻は時計をチラッと見ると、財布からお札を出してテーブルに置いた。
「あ、お金なんて」
生田がかけた言葉をさえぎるようにして絵麻は別れの挨拶をした。
「早苗さんのことよろしくね。じゃ、生田さん元気で。早苗さんに何かあったら逐一教えてよね」
絵麻は笑顔でそう言うと、颯爽と去って行った。
絵麻がドアの向こうへ消えていくまで見届けていた生田は、こちらを向いている人物の姿を目の端に捉えた。
何気なくその人物に焦点を合わせると、一人の男性客と目が合った。
見知らぬ男性だったが、目が合った瞬間に慌てたように逸らされた。
生田はそれ以上気に留めることはなく、病院の面会時間までの暇を潰すために読書を始めた。
2時間後に生田は早苗の病室を訪れた。転院してからは三度目の面会だった。
「絵麻さんは先ほど発たれてしまいました。しばらく帰って来ないそうですよ。寂しくなりますね」
それから生田は、仕事のことや早苗の好きだった本の続刊を読んだこと、話題のニュースなどを早苗が聞いているかのように一人で喋り続けた。
「それではまた来ます。次は2ヶ月程先になりますが、それまでお元気で」
眠ったままの早苗に笑顔を向け、生田は病室を後にした。
病室のあるフロアからエレベーターに乗り込むと、先客が一人いた。
一階のボタンが押されていたため、生田はそのまま反対の奥側に居場所を定めた。
すると、乗客の男性が振動したスマホを取り出して操作をし始めた。
何気なくそれを目に留めた生田は、スマホの手帳型カバーが自分のものと同じで、スマホを手に持つ腕につけられていた時計は、生田が長年欲しいと思っていたオメガだと気がついた。
思わずその男性の顔を見た。
彼はホテルのラウンジで目を合わせた男性だった。
狭いエレベーターの中での生田の挙動に意識を逸らされた男性も、生田を見た。
すると彼も生田のことに気がついたようだった。
瞬間、エレベーターの中は気まずい空気で満たされたが、ちょうど一階へと到着し、二人はバツの悪さを数秒ほど味わっただけで済んだ。
生田は病院を出て最寄りの駅ビルで昼食をとり、ラウンジで読み終えてしまった本の代わりにと、帰路の新幹線で読むつもりの本を買いに、同じビルの本屋へと入った。
中規模程度のその店は、昨今縮小されてきている本屋としてはまだ広い区画を保ち続けていると言える。
生田は海外文庫の並ぶ棚へと足を向けた。休日で賑わっている中で、ここだけは人気がない。男性が一人、立ち読みをしているだけだった。
目的の小説を探していると、その男性の目の前の棚にあることがわかった。生田は少し躊躇したが、構うまいとして手を伸ばした。その時、男性の読んでいる本が目に止まった。今まさに手に取ろうとしている小説の1巻、先程ラウンジで読み終えたばかりのものだった。
好奇心にかられた生田は、その男性の顔を覗き見た。
男性は、ラウンジで目を合わせた見知らぬ人物で、先程エレベーターの中でも居合わせた人物だった。
男性も生田の存在に気がついた様子で、生田が自分を覗き見た瞬間に目を合わせた。
たった数時間の間に全く別の場所で三度も居合わせるとは、この奇妙な偶然に二人は可笑しさを堪えきれなかった。
「すみません、先程もお会いしましたね」
生田が先に口を開いた。
「まさかホテルや病院だけでなく、こんなところでもお会いするとは」
男性も気恥ずかしげな表情でそれに応えた。
「えぇ、しかも同じ小説が目当てだったようです」
そう言って生田は、伸ばしかけていた手で目当ての2巻を棚から取り出した。
男性はそれを見て、顔を赤らめて目を逸らした。
「あ、あの、先程ラウンジでお見かけして、高校の時に挫折したことを思い出して、その、再挑戦しようと思いまして」
それで自分の方を見ていたのかと納得した生田は笑顔を向けた。
「面白いですよ。僕も同じく高校時代に読みかけてやめていた口です。歳を重ねると読めるようになる小説ってありますよね。この新訳シリーズは読みやすくなっているので、再挑戦しやすいと思います」
「あ、色々な装丁のものがあるのだと思っていましたが、訳が違うんですね」
「はい。この新潮文庫のものはそれまであった岩波文庫のものより読みやすくてしばらく決定版になっておりましたが、それでも今読むと読みにくい部分はあります。新訳が出てからまた読まれるようになったのではないかと思います」
「そうか、翻訳小説は出るたびに訳が変わるものなんですね。普段あまり小説は読まないものですから」
そこで二人は会話に詰まった。
数秒後、男性が気まずい空気を断ち切った。
「あの、もしお時間がありましたら、その、お茶でもいかがですか? もしよろしければもう少しお話を伺いたいと思ったもので」
「はい、構いません。ちょうど暇をつぶしていたところです。新幹線に間に合えば他に予定はありませんから」
生田が笑顔で答えると、男性は嬉しそうに笑った。
「それではこちらの病院へわざわざ通院なさっていらっしゃられるのですか?」
男性のその問いに生田は答え、カフェに着くまでの間に早苗とのことをすっかり話してしまった。
しかし時は既に遅かった。
23年の人生で、初めて他人の気を惹きたいと願った相手は病に倒れ伏してしまった。意識がないまま目覚めず、それがなぜなのか医者にもわからなかった。
彼女が目覚めたら謝罪したい。彼女を騙していたことを心から悔いていた。
そして叶うことならもう一度最初から出会いをやり直して、彼女の心を掴みたい。
そう願って、彼女が目覚めるのを待ち続けていた。
生田は休日を使って東京へ来ていた。意識のないまま入院している北島早苗が、東京の病院へ転院して3ヶ月経った日のことだった。
「絵麻さん、今日はありがとうございました」
「いいよ。私も来る予定だったし、一緒に来たほうが楽しいじゃん」
「荷物を持たされましたけどね」
「それくらいしてもらわなきゃ」
早苗と共通の友人である絵麻が、生田の対面に座っている。
「絵麻さんがこのホテルの部屋を取ってくださったお陰で日帰りにならずに済みました。新幹線で往復するのは疲れますからね。本当にありがとうございました」
「気にしないで。祖父のホテルだから無料みたいなものだし」
二人は朝食後にホテルのラウンジでコーヒーを飲んでいる。
「私も飛行機の時間があったから前泊しなきゃならなかったし、日程が一緒だったわけだからホテルくらい用意してあげるよ」
「痛み入ります。スウェーデンでしたっけ? 何時の便なんですか?」
「10時。もうそろそろね」
絵麻は時計をチラッと見ると、財布からお札を出してテーブルに置いた。
「あ、お金なんて」
生田がかけた言葉をさえぎるようにして絵麻は別れの挨拶をした。
「早苗さんのことよろしくね。じゃ、生田さん元気で。早苗さんに何かあったら逐一教えてよね」
絵麻は笑顔でそう言うと、颯爽と去って行った。
絵麻がドアの向こうへ消えていくまで見届けていた生田は、こちらを向いている人物の姿を目の端に捉えた。
何気なくその人物に焦点を合わせると、一人の男性客と目が合った。
見知らぬ男性だったが、目が合った瞬間に慌てたように逸らされた。
生田はそれ以上気に留めることはなく、病院の面会時間までの暇を潰すために読書を始めた。
2時間後に生田は早苗の病室を訪れた。転院してからは三度目の面会だった。
「絵麻さんは先ほど発たれてしまいました。しばらく帰って来ないそうですよ。寂しくなりますね」
それから生田は、仕事のことや早苗の好きだった本の続刊を読んだこと、話題のニュースなどを早苗が聞いているかのように一人で喋り続けた。
「それではまた来ます。次は2ヶ月程先になりますが、それまでお元気で」
眠ったままの早苗に笑顔を向け、生田は病室を後にした。
病室のあるフロアからエレベーターに乗り込むと、先客が一人いた。
一階のボタンが押されていたため、生田はそのまま反対の奥側に居場所を定めた。
すると、乗客の男性が振動したスマホを取り出して操作をし始めた。
何気なくそれを目に留めた生田は、スマホの手帳型カバーが自分のものと同じで、スマホを手に持つ腕につけられていた時計は、生田が長年欲しいと思っていたオメガだと気がついた。
思わずその男性の顔を見た。
彼はホテルのラウンジで目を合わせた男性だった。
狭いエレベーターの中での生田の挙動に意識を逸らされた男性も、生田を見た。
すると彼も生田のことに気がついたようだった。
瞬間、エレベーターの中は気まずい空気で満たされたが、ちょうど一階へと到着し、二人はバツの悪さを数秒ほど味わっただけで済んだ。
生田は病院を出て最寄りの駅ビルで昼食をとり、ラウンジで読み終えてしまった本の代わりにと、帰路の新幹線で読むつもりの本を買いに、同じビルの本屋へと入った。
中規模程度のその店は、昨今縮小されてきている本屋としてはまだ広い区画を保ち続けていると言える。
生田は海外文庫の並ぶ棚へと足を向けた。休日で賑わっている中で、ここだけは人気がない。男性が一人、立ち読みをしているだけだった。
目的の小説を探していると、その男性の目の前の棚にあることがわかった。生田は少し躊躇したが、構うまいとして手を伸ばした。その時、男性の読んでいる本が目に止まった。今まさに手に取ろうとしている小説の1巻、先程ラウンジで読み終えたばかりのものだった。
好奇心にかられた生田は、その男性の顔を覗き見た。
男性は、ラウンジで目を合わせた見知らぬ人物で、先程エレベーターの中でも居合わせた人物だった。
男性も生田の存在に気がついた様子で、生田が自分を覗き見た瞬間に目を合わせた。
たった数時間の間に全く別の場所で三度も居合わせるとは、この奇妙な偶然に二人は可笑しさを堪えきれなかった。
「すみません、先程もお会いしましたね」
生田が先に口を開いた。
「まさかホテルや病院だけでなく、こんなところでもお会いするとは」
男性も気恥ずかしげな表情でそれに応えた。
「えぇ、しかも同じ小説が目当てだったようです」
そう言って生田は、伸ばしかけていた手で目当ての2巻を棚から取り出した。
男性はそれを見て、顔を赤らめて目を逸らした。
「あ、あの、先程ラウンジでお見かけして、高校の時に挫折したことを思い出して、その、再挑戦しようと思いまして」
それで自分の方を見ていたのかと納得した生田は笑顔を向けた。
「面白いですよ。僕も同じく高校時代に読みかけてやめていた口です。歳を重ねると読めるようになる小説ってありますよね。この新訳シリーズは読みやすくなっているので、再挑戦しやすいと思います」
「あ、色々な装丁のものがあるのだと思っていましたが、訳が違うんですね」
「はい。この新潮文庫のものはそれまであった岩波文庫のものより読みやすくてしばらく決定版になっておりましたが、それでも今読むと読みにくい部分はあります。新訳が出てからまた読まれるようになったのではないかと思います」
「そうか、翻訳小説は出るたびに訳が変わるものなんですね。普段あまり小説は読まないものですから」
そこで二人は会話に詰まった。
数秒後、男性が気まずい空気を断ち切った。
「あの、もしお時間がありましたら、その、お茶でもいかがですか? もしよろしければもう少しお話を伺いたいと思ったもので」
「はい、構いません。ちょうど暇をつぶしていたところです。新幹線に間に合えば他に予定はありませんから」
生田が笑顔で答えると、男性は嬉しそうに笑った。
「それではこちらの病院へわざわざ通院なさっていらっしゃられるのですか?」
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