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28. 自宅へ

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 放課後になっても響は教室へは戻ってこなかった。鞄はそのままだから帰宅したわけではないだろう。ふらふらとしていたのも本当に体調が悪かったせいで、保健室で休んでいたのかもしれない。

 ということは部室へ行っても自分一人ということになる。久しぶりにドラムでも叩いて憂さを晴らすか、それともユニット用に曲のアコースティックアレンジを進めるか。
 迷いながら部室へと向かい、ドアを開けると響がいた。
 顔色も悪くないし、元気そうだ。
「サボりめ」
 嬉しくなり、思わず軽口を叩いてしまう。
「授業なんて聞いてたってどうせ頭に入らないんだから、それだったらレコーディングのために練習しておいたほうがいい」
「熱心だな。それよりこれありがとう。美味かった」
 響に弁当箱を差し出した。
 あのあと戻ってこなかったため、腐らせるのも悪いと思ってありがたくいただいていたのである。
「ああ! ごめん。また食いかけを……」
「響のお母さんの料理はまじで美味い」
「それ母さんに言ったら喜ぶよ」
「腹減ってないか?」
「うん」
「じゃあ、俺ん家に行かないか?」
「へっ?」
 予想もしていなかったとでも言う声が返ってきた。響は寝耳に水だったのだろうか。
「……機材持ってくるのが面倒だから、自宅でやりたいんだが」
「なにを?」
「レコーディング」
「ああ! レコーディングね。早速だな」
 いきなり明るい声を上げる。そんなこともあったなとでも言うような声だ。
「日を改めたほうがいいか?」
「いやいや準備万端。恭平が空くのを待ち遠しく思っていたくらい」
 それを聞いてホッとするも、待ってくれていたことを知って申し訳ない気持ちになる。
「わるい」
「その分練習できたから」

 部室を出て鍵をかけ、自宅へと向かって並んで歩き出した。
 響と二人きりになるのは河瀬家へ行ったとき以来である。
 その前も距離を置いていたから、まともに話すのは久しぶりのことだった。
 そう考えて、ちゃんとレコーディングをしたいと頼んでいなかったことに思い至る。
 二人で話し合って合意を得たのは、バンドを組むことになったところまでだ。ろくに歌も聞かず逃げ出して、そのせいで響は一人でレコーディングをするはめになった。
 うやむやでめちゃくちゃだが、それでも響は待ち遠しくしてくれていた。
 目の前で歌を聞いたらどうなるかわからないなんて、そんなバカな考えは振り払おう。響に対して不誠実だ。
 恭平は、逃げ腰になっていたことを自省した。

「ここ」
 自宅は五階建てのマンションである。3LDKの間取りだが、部屋のつくりは大きめで、オートロックもあり、いわゆる閑静な住宅街にあるお高めなマンションという風情だ。
「え、音とかやばくない?」
「一応、窓際で最上階だから隣の家とは離れているし、階下は誰も住んでないから、遅い時間にならなければ大丈夫だと思う……」
 エレベーターを降りて玄関を開け、響を招き入れた。早速自室へと案内する。
 10畳はあるはずなのに楽器類がところ狭しとあり、パソコンが二台とミキサー卓にアンプに、電子ドラムまであるから狭っ苦しい。他にも書籍や小物などがあちこちに散乱していて、響を招くために多少片付けてはいたものの、全体量が多いため片付いていると言えるのかはわからない。
 
「そこ座って」
 壁際にある三人掛けのソファへ座るように促した。
「寝れそう」
「実際寝てる」
「ここで寝てるの?」
 響は驚愕というレベルの声を上げた。そこまで驚くことだろうか?
「ベッドなんて置いたら何も置けなくなる。それより今日は何をやる?」
『ディスコミュニケーション』はあれ以上ないほどの完成度だったから、レコーディングをするなら別の曲がいいと考えていた。とはいえ響がどの曲を歌い込んでいるのかわからないため、選曲は任せるしかない。
「えっ?」
「オケはあるし、どれでもすぐに出せる。響のやりたいやつを……『ツキカゲ』にするか?」
「なに? 『ツキカゲ』?」
 パソコン画面から響の方へ視線を向けると、目が合った瞬間に逸らされた。
 顔は赤いようだし、日中はふらふらとしていたから、本当に体調が悪いのかもしれない。
「顔が赤いぞ。大丈夫か?」
 心配になったため立ち上がり、響の座るソファに近づいた。
 しかし響に手で押し留められる。
「なんだよ?」
 その腕に触れたら、今度は振り払われた。
「近い」
「なにが?」
 俯いているため表情はわからない。やはり無理やり連れてこなければよかった。
 後悔した恭平は、響を自宅に帰そうと考える。鞄は持ってきているから、ギターは部室に置いたままでよければ、このままタクシーにでも乗せて帰らせよう。
 そう提案しようとしたら、響は勢いよく立ち上がった。
「『ツキカゲ』やろう」
 顔は熱いのか火照って見えるものの、表情はやる気に満ちている。
「『ディスコミュニケーション』ばっか練習してたけど、『ツキカゲ』やってみる」
 元気いっぱいとでも言える声で言って、今度はうろうろと部屋を歩き始めた。
 歌う場所を探しているのか、落ち着かない様子で部屋中を見渡している。
 それならばと恭平も気を取り直し、マイクのセッティングを始めた。
「立った方がいいか? 座るよりも」
「うん。そうだね」
 ソファの前にスタンドを立てて、セッティングを終えるとパソコンデスクに戻る。
「じゃあ、これ」
 ヘッドフォンを渡して装着してもらい、自分もつけて音量を確認した。
「まずはリハーサルだね」
「……いくぞ」

 響は歌い始めた。
 目の前で聞く響の歌は、『急転直下アサルトボーイ』の一小節以来だった。
 今度は自作曲を生で歌ってもらうのである。レコーディングされたものとは違う。
 そう緊張して生唾を飲み身構えたものの、実際は別の意味で『ディスコミュニケーション』とは違ったクオリティだった。

「ごめん」
 響は歌い終えて肩を落とした。無念そうに顔を歪めている。
 下手であろうが恭平にとっては至上の歌声なので、聞くだけで心臓が跳ねるほどのことなのだが、本人のその様子は理解できる、そんな歌唱だった。
「まじで具合い悪いんじゃねーか?」
「大丈夫。もう一回頼む」

 二度目もボロボロだった。
 ボカロの歌をまんまなぞっているだけ。『ディスコミュニケーション』はかなり練っていたが、『ツキカゲ』はまではアレンジしていないのだろう。そう考えたものの、そういう次元ではないような気もする。音痴とまでは言えないまでも、本調子ではない様子だ。

「まだ自分なりに歌えるようには考えてないから……」
「そうか。でも一応録ってもいいか?」
「……こんなのを?」
「ああ」
 正直なところ不格好な響の歌はむしろ貴重なのだ。響にもこんなことがあるんだと思うと嬉しくてニヤけてしまう。歌うほどにクオリティは上がるわけだから、歌い始めたばかりの初々しい歌唱は今だけのものだ。これを録らずにいるなんてもったいない。

 そのあと三回レコーディングした。計五回である。
 響は絶望的な表情で落ち込んでいた。
 こんな姿を見るのも珍しいので、写真に残したいほどだった。
 ギターはなんでも弾きこなすし、天才的な歌声を持っている響が、上手く歌えずにあえいでいる。可愛らしく、愛おしい。こんな姿を見たのは自分だけかもしれないと思うと、それも嬉しくてたまらなかった。
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