ディスコミュニケーションでもゼロカウントで

海野幻創

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23. 怖気づく

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 響にミネラルウォーターを手渡すと少しずつ飲み始め、終えたころには落ち着いたようだった。
 それならばこの機会は逃すまいとして、畳み掛けることにした。
「俺の曲を歌って、それを投稿させてもらえないか?」
 響は豪快に水を吹き出した。
「なんだって?」
「レコーディングさせて欲しい」
「なんで?」
「お前の声を世界中に聞かせたい」
「まだバンドを組んですらいないのに何言ってんだ?」
「バンドを組んでくれるのか?」
「いいよ。嬉しいよ。でもだからっていきなりレコーディングは無理」
 恭平は心の中でガッツポーズをした。
 バンドを組むのを承諾してくれたということは、ボーカルとして歌ってくれるということだ。
 喜び舞い上がった恭平は、その意気のままさらに畳み掛ける。
「せっかくチャンネルがあるんだから、組むなら投稿したい」
「でもまともに歌を聞いてないだろ? まずはそれからだ」
「何時間も聞いた。最高だった」
「ドア越しだろ? それにあんなの、本気じゃない」
「十分だ」
「レコーディングをするかどうかは、Kyoとして目の前で聞いて納得してからにして欲しい。精一杯練習するから」  
「それは、レコーディングしてくれるってことか?」
 歓喜が身体中を駆け巡り、天にも登る気持ちになった。
「いや、だからまずは聞いてみて──」
「聞かなくてもいい。十分だ。えっと、どうしよう。レコーディングするなら……いや、ちょっと待て、心の準備が必要だから……」
 承諾してもらえた嬉しさのあまり恭平は混乱していた。こんなにすんなりと上手くいくとは思っていなかったため、それがつまりどういうことになるのかは考えていなかった。

「心の準備ってなんだよ? エレアコ借りるよ」
 響は立ち上がり壁際に行くと、そこにもたれかかっていたエレアコを手に持った。
 戻ってきて椅子に座り直し、チューニングを始める。
 恭平はその行動を目で追い、徐々に混乱が動揺に変わっていく。
「何をしている?」
「何がいい?」
 響はチューニングをしながら顔をあげた。
「えっ」
「『ツキカゲ』でいい?」
 響がじゃらーんとコードをかき鳴らし、恭平は思わず立ち上がる。
「はあっ? だめだ!」
「だめ? じゃあ『ディスコミュニケーション』?」
 今度は別のコードを鳴らす。今にも歌い始めそうな雰囲気である。
 恭平はゾッとして、響に近づいてギターのネックを掴んだ。
「やめろ」
「じゃあ、何がいいんだ?」
「今はだめだ」
 血の気が引いていることが自分でもわかった。喜び高ぶった気持ちはどこかへ消えてしまっている。
「なんでだよ」
 戸惑いに顔をしかめた響を見て、また誤解をさせて怒らせてはだめだと焦り始める。
「俺は出ていく。……出ていくが、歌を聞きたくないからじゃない」
「は?」
 荒療治はもう必要ない。ちゃんと想いを言葉にしないと、せっかく前向きになってくれた響の気持ちを害してしまう。
「書いた曲を響に歌ってもらえるのは念願だった。全て響のために書いた曲だったから」
 ボカロPとして楽曲を作っているのは、自分のやっていることはすべて響のためだと打ち明けた。
 さすがに気持ち悪いと思われるだろうとの懸念があったものの、響は驚いた顔をしただけであっさりと受け止めてくれた。
「ありがとう」
 そう言っただけだった。
 拍子抜けしつつも、伝わったのならもう安心だとホッとする。
「だけど、今は聞けない。てか、ちょっと待ってほしい」
 響はまだ不可解な様子で眉根を寄せている。しかしこれ以上は言えない。
 ボカロPとしての想いは伝えられても、男としての想いを伝えるわけにはいかない。
 なぜ聞けないのかの理由を説明するということは、それを打ち明けなければならないのだから。
「また別の機会にしてほしい。今は……あ! 用事が……ちょっと用事があって……。わるい」
 結局はバレバレの嘘をつき、逃げるように部室から出ていくことしかできなかった。


 ドア越しでも理性を失っていたのに、目の前で歌われたらどうなってしまうかわからない。抱きしめてしまうか、思いの丈を口走ってしまうかもしれない。
 満員電車でしでかした失態を思い出し、我を忘れてしまう自分が恐ろしかった。衝動を抑える自信がなかったのである。

 長い間叶わない願いだと思っていたせいか、叶うとはどういうことなのか深く考えていなかった。願いとはつまり目の前で歌ってもらうということで、投稿することも承諾してもらえたら、レコーディングをすることになる。
 とうとう念願が叶うというところにまできて、ようやくそれに気がついて怖気づいてしまった。
 せっかく響がトラウマを乗り越えてくれたのに。兄の言葉で歌わなくなった、その頑なな気持ちを変えてくれたのに。
 こんなことでは響と組むなんて夢のまた夢だ。

 響への恋慕を押し殺すはずが、このように顔を出してくる。響に対してはバンド仲間として考えようと決めたはずだ。惚れ込んだ声で自作曲を歌ってもらう。それが恭平の唯一の目的で、目指すべき夢であるはずだった。
 それなのに、余計な恋心が邪魔をしてくる。
 声が好きなだけで、ギターの腕に感心しているだけで、響自身は気の合う友人だ。
 なぜそう割り切れないのかと苦悶した。

 しかしそれは当然のことだった。

 声を聞いた瞬間から、その声だけでなく響自身を好きになってしまっていたのだから。
 響の声に合う曲を作ろうと思い立ったのも、声に惚れたからではなかった。

 それは叶わない想いのはけ口であり、狂おしいほど求めながら近づくことすらできない自己嫌悪の代替だった。男でありながら男を欲している背徳感を昇華しようとする下卑た思惑でもあり、万が一耳に届いて、億に一つ作ったことに気づかれて、兆に一つ響のためにということがバレたとしても、「声が好きだから作ったんだ」と、それだけで済ませられるように曲を作っていた。

 歌って欲しいという願いも同様だった。
 願っても叶うはずがないからと押し殺していたものの、本心は響を自分のものにしたい。声だけではなく、響そのものを狂おしいほどに欲していた。
 響のために曲を書き、一人で楽器の全てを演奏して歌ってもらう。それは響の全てを我が物にしたいという独占欲に他ならない。身勝手で個人的な欲望から表れ出たものだった。
 
 恭平は無意識のうちでは薄々気づいていたものの、押し隠そうと努めていた想いなのではっきりと自覚することは避けていた。考えずにいられたのである。まだ、いまの時点では。
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