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変わってしまった日常
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今日もまたひとつ国が沈んだらしい。
今まで当たり前にあったはずの日常は、あの日以来大きく変わってしまった。
5年前、地球に隕石が落ちた。
大きな津波がやってきて、家は、町は、国は、水の中に飲み込まれてしまった。
太平洋のど真ん中に降ってきたその隕石は、内部から今も水を生み出し続ける。ゆっくりと、だが確実に世界は水で溢れていき、海底に突き刺さったまま氷山のように顔を出した隕石自体が沈む頃、大陸は全て無くなっているのだという。
ただひとつの隕石にそこまでの水が含まれていること自体が怪しいし、世界が終わる前にそれはぴたりと止まるかもしれない。それでも今はずっと水位が上がり続けて、そうしていくつもの国や人々が沈んでいっている。
私の暮らしていた国も小さな島国だったから、あっという間に沈んでしまった。……のだけれども、地面が無くなっても建物を継ぎ足してそのまま生活を続けている。このまま暮らしていればきっといつか隕石は放水を終えて世界はもとにもどる。それだけが私たちの希望だった。
「ふぁ……」
陽の光を浴びて目を覚ます。
少し開けてある窓からは潮風の香りと水の流れる音が押し寄せてくる。
「おはよ」
私以外誰もいない部屋にその呼び掛けは吸い込まれていく。
朝が来る度に言わなければならない。そうしないと、もうみんなは帰ってこないような気がするから。
私は今、1人でこの部屋に暮らしている。
もちろん自立して下宿しにきたわけではないが、実家でもないこの集合住宅の一室を借りている。
やむを得ない、というか。不本意ながらにここにいるのだが、それはこの世界に住むあらゆる人間がそうに違いない。実家なんてものがまるっきり残っている人間はおそらくほぼいないだろうから。
あの日がやってきて、そうして全てが失くなってしまった。
学校も、日常も、友達も、好きな人も、家族でさえも。
5年前、私はまだ中学生になったばかりだった。
蒸し暑い夏の日のことだ。中学生になって初めての夏休み。部活の合宿で中部地方の山間にある合同宿泊施設に来ていた。
そして、それはやってきた。
合宿2日目の8月16日、午前11時32分。セミの鳴く声と陽炎で歪んだグラウンド。滴る汗が音を立てて蒸発するのを見て更に喉が渇いた。
はやく水が飲みたいなぁって、そう思った瞬間。
バカみたいに大きな音がした。地響きみたいな、ミサイルみたいな、胸の奥に響いて、そうして消えない音。
グラウンドにいた生徒たちも当然大騒ぎで、急に泣き出す子もいれば好奇心と恐怖心がごちゃごちゃになって浮き足立ったような生徒たちで溢れかえっていた。
しばらくして、雲もないのに雨が降ってきた。
誰かがそれを見て、毒が散布された、なんて言うものだからみんなパニックになって我先にとばかりにお互いを踏みつけ合いながら屋内に走っていった。
結局兵器なんかじゃなくて毒なんてのも嘘っぱちだったけど、でもその方がまだ良かったような気もする。
合宿所の窓から見えた、遥か遠くの水平線。
その水平線が迫ってくる。大きく高く背を伸ばしながら。私たちの町を飲み込みながら。
合宿所内はもう誰にも止められないくらい混乱していた。
悲鳴や泣き声で溢れかえった室内に、まるで現実感を感じられなかった。
そっか、夢か。なんて思いながら、ただ窓の外を呆然と眺めながら立ち尽くしていた。
そしてその夢は今も尚覚めることは無い。
運良く津波の直撃を免れた私たちは、帰る場所は失ったが命だけは失うことはなかった。
眼下に広がる街が雨の日の水溜まりみたいに沈むのを泣きながら見ていることしかできなかった。合宿所が山間にあったことでこの場所までそうなることはなかったが、一瞬にして崩れ去った日常を全て受け止める余裕などなかった私たちは、ただ絶望に沈む他なかった。
それから数時間後。自衛隊のヘリがやって来て私たちを救助した。
連れてこられた高原の駐屯地に仮設された避難所で、まだ名前も呼び慣れていない仲間たちと励まし合った。
何も知らない。何の力もない。だから私たちは、泣くことしかできなかった。
もちろんそれで世界が変わるはずもない。時間が解決してくれるどころか世界はどんどん終わりに傾いていく。
しかし力のある大人たちは前を向いていた。水の上で生きられる環境を整え始めた。
誰もが力を合わせるしかなかった。だから私たちは、泣くことをやめて新しい世界を目指した。
……と、いうのがいきさつで都市作りに参加した私はこの部屋をもらい暮らしている。
水上都市は様々な国で生まれたが、詰めの甘かった都市は上がり続ける水位に対応しきれずに次々と海に沈んでいった。
この場所だっていつ沈むかわからないが、上下の層に分割された居住区の上層の範囲内に住む私は、その中でも下の方ではあるがしばらくの間は安心して生きることが出来る。
下層に暮らす者たちは海面に近い場所にある部屋がどんどん沈んでいってるらしいけど……その人たちは気の毒だけど私たちは下層が沈み切るまでは安心して夜を明かせるのだ。
……仕方ないよ。だって、全員を受け入れることなんて絶対にできないもん。
だから層を跨いでの移動は原則しないのが暗黙の掟になっている。特に下層の人間が上層に行くのは許されていない。もし、その時が来てしまったとしても……。
余計なことを考えないように頬をぱんぱんと叩いてベッドから身を起こす。
ケトルの電源を入れて寝巻きを脱ぐ。
熱い湯のシャワーを浴びながら結局またこれからのことを考えてしまっていた。
学校なんてもうない。今まで世界にあった知識は失われてしまったに等しい。配給のテレビや書物で日常生活程度の教養は学べるが、好き好んで勉学に励む者はあんまりいなかった。本当だったら、受験生だったはずなんだけどね。生きることで精一杯だったんだよ。
今はもう環境も整えられてこんなふうに太陽光発電で電気を使って生活できている。でも何度も何度も住む場所を失って、そうしてここにいるんだ。
いいじゃん、このままで。勉強なんて固いこと言わずにさ。
……でも、私たちはどこに向かうんだろう。こうして暮らし続けて、こどものまま大人になって。
……あぁ、そっかぁ。今頭が良い人たちが作ってくれてるものを、今度は私たちが作らなきゃならないんだっけ。じゃあしなきゃだめなのかなぁ、勉強。
身体を拭きながらハダカのまま冷蔵庫を漁る。
豊富すぎる程海の幸が採れるのでその点は安心だ。しかし問題は穀物が貴重なこと。主食を失うことは国民としての尊厳を失うことと同義だ。だからエラい人たちは米の代替品としてオーシャンミールというものを開発した。海の幸をなんか米みたいにしたやつ。これをふやかして盛り付けて魚を焼けばもう立派な朝食だ。
油を引いたフライパンに魚を乗せて火をつけ、オシャミを適量水とともに鍋に入れて火にかける。あ、オーシャンミールはね、オシャミって言われてるよ。
「あつっ」
跳ねた油が私の素肌をつつく。
いい具合に火が通るまでに服を着てしまおう……。
適当な下着と服を見繕って着替える。
そうこうしているとそろそろ火の通った頃合のようなので火を止め魚を皿に盛り付ける。オシャミもほぐれてつやつやのほわほわだ。
湯呑みに茶を入れてケトルの湯を入れる。
「いただきます」
こうして私の一日ははじまる。
快晴の空に水流の音。ウミネコの鳴く声。港町の豊かな暮らしだったならそれは快適な朝だったろう。
でもテレビでは連日沈んでいく国たちの報せが流れている。
私の故郷は沈んでしまったけれど、今でもまだ家族がどこかで生きているんじゃないかと思っている。誰かに救助されてる、この街か、そうでなくてもきっと下層で暮らしてる。そう思って毎日生きている。でも手がかりは探しても探しても見つからない。
みんな家族と離れ離れだから、全員を引き合せるのは無理だということでこうして個々で生きることになっているのだ。
だから、今だけは……そう思って、もう何年が経ったろう……。
気が滅入ることばかりだ。これまでのことも、この先のことも。
「うぅぅあぁあっ!」
気がつけば声を上げていることもしばしば。
隣の部屋からもちょこちょこ聞こえてくるのでもう咎められることもない。
「……食べちゃお」
結局為す術もないからただご飯を食べる。
今まで当たり前にあったはずの日常は、あの日以来大きく変わってしまった。
5年前、地球に隕石が落ちた。
大きな津波がやってきて、家は、町は、国は、水の中に飲み込まれてしまった。
太平洋のど真ん中に降ってきたその隕石は、内部から今も水を生み出し続ける。ゆっくりと、だが確実に世界は水で溢れていき、海底に突き刺さったまま氷山のように顔を出した隕石自体が沈む頃、大陸は全て無くなっているのだという。
ただひとつの隕石にそこまでの水が含まれていること自体が怪しいし、世界が終わる前にそれはぴたりと止まるかもしれない。それでも今はずっと水位が上がり続けて、そうしていくつもの国や人々が沈んでいっている。
私の暮らしていた国も小さな島国だったから、あっという間に沈んでしまった。……のだけれども、地面が無くなっても建物を継ぎ足してそのまま生活を続けている。このまま暮らしていればきっといつか隕石は放水を終えて世界はもとにもどる。それだけが私たちの希望だった。
「ふぁ……」
陽の光を浴びて目を覚ます。
少し開けてある窓からは潮風の香りと水の流れる音が押し寄せてくる。
「おはよ」
私以外誰もいない部屋にその呼び掛けは吸い込まれていく。
朝が来る度に言わなければならない。そうしないと、もうみんなは帰ってこないような気がするから。
私は今、1人でこの部屋に暮らしている。
もちろん自立して下宿しにきたわけではないが、実家でもないこの集合住宅の一室を借りている。
やむを得ない、というか。不本意ながらにここにいるのだが、それはこの世界に住むあらゆる人間がそうに違いない。実家なんてものがまるっきり残っている人間はおそらくほぼいないだろうから。
あの日がやってきて、そうして全てが失くなってしまった。
学校も、日常も、友達も、好きな人も、家族でさえも。
5年前、私はまだ中学生になったばかりだった。
蒸し暑い夏の日のことだ。中学生になって初めての夏休み。部活の合宿で中部地方の山間にある合同宿泊施設に来ていた。
そして、それはやってきた。
合宿2日目の8月16日、午前11時32分。セミの鳴く声と陽炎で歪んだグラウンド。滴る汗が音を立てて蒸発するのを見て更に喉が渇いた。
はやく水が飲みたいなぁって、そう思った瞬間。
バカみたいに大きな音がした。地響きみたいな、ミサイルみたいな、胸の奥に響いて、そうして消えない音。
グラウンドにいた生徒たちも当然大騒ぎで、急に泣き出す子もいれば好奇心と恐怖心がごちゃごちゃになって浮き足立ったような生徒たちで溢れかえっていた。
しばらくして、雲もないのに雨が降ってきた。
誰かがそれを見て、毒が散布された、なんて言うものだからみんなパニックになって我先にとばかりにお互いを踏みつけ合いながら屋内に走っていった。
結局兵器なんかじゃなくて毒なんてのも嘘っぱちだったけど、でもその方がまだ良かったような気もする。
合宿所の窓から見えた、遥か遠くの水平線。
その水平線が迫ってくる。大きく高く背を伸ばしながら。私たちの町を飲み込みながら。
合宿所内はもう誰にも止められないくらい混乱していた。
悲鳴や泣き声で溢れかえった室内に、まるで現実感を感じられなかった。
そっか、夢か。なんて思いながら、ただ窓の外を呆然と眺めながら立ち尽くしていた。
そしてその夢は今も尚覚めることは無い。
運良く津波の直撃を免れた私たちは、帰る場所は失ったが命だけは失うことはなかった。
眼下に広がる街が雨の日の水溜まりみたいに沈むのを泣きながら見ていることしかできなかった。合宿所が山間にあったことでこの場所までそうなることはなかったが、一瞬にして崩れ去った日常を全て受け止める余裕などなかった私たちは、ただ絶望に沈む他なかった。
それから数時間後。自衛隊のヘリがやって来て私たちを救助した。
連れてこられた高原の駐屯地に仮設された避難所で、まだ名前も呼び慣れていない仲間たちと励まし合った。
何も知らない。何の力もない。だから私たちは、泣くことしかできなかった。
もちろんそれで世界が変わるはずもない。時間が解決してくれるどころか世界はどんどん終わりに傾いていく。
しかし力のある大人たちは前を向いていた。水の上で生きられる環境を整え始めた。
誰もが力を合わせるしかなかった。だから私たちは、泣くことをやめて新しい世界を目指した。
……と、いうのがいきさつで都市作りに参加した私はこの部屋をもらい暮らしている。
水上都市は様々な国で生まれたが、詰めの甘かった都市は上がり続ける水位に対応しきれずに次々と海に沈んでいった。
この場所だっていつ沈むかわからないが、上下の層に分割された居住区の上層の範囲内に住む私は、その中でも下の方ではあるがしばらくの間は安心して生きることが出来る。
下層に暮らす者たちは海面に近い場所にある部屋がどんどん沈んでいってるらしいけど……その人たちは気の毒だけど私たちは下層が沈み切るまでは安心して夜を明かせるのだ。
……仕方ないよ。だって、全員を受け入れることなんて絶対にできないもん。
だから層を跨いでの移動は原則しないのが暗黙の掟になっている。特に下層の人間が上層に行くのは許されていない。もし、その時が来てしまったとしても……。
余計なことを考えないように頬をぱんぱんと叩いてベッドから身を起こす。
ケトルの電源を入れて寝巻きを脱ぐ。
熱い湯のシャワーを浴びながら結局またこれからのことを考えてしまっていた。
学校なんてもうない。今まで世界にあった知識は失われてしまったに等しい。配給のテレビや書物で日常生活程度の教養は学べるが、好き好んで勉学に励む者はあんまりいなかった。本当だったら、受験生だったはずなんだけどね。生きることで精一杯だったんだよ。
今はもう環境も整えられてこんなふうに太陽光発電で電気を使って生活できている。でも何度も何度も住む場所を失って、そうしてここにいるんだ。
いいじゃん、このままで。勉強なんて固いこと言わずにさ。
……でも、私たちはどこに向かうんだろう。こうして暮らし続けて、こどものまま大人になって。
……あぁ、そっかぁ。今頭が良い人たちが作ってくれてるものを、今度は私たちが作らなきゃならないんだっけ。じゃあしなきゃだめなのかなぁ、勉強。
身体を拭きながらハダカのまま冷蔵庫を漁る。
豊富すぎる程海の幸が採れるのでその点は安心だ。しかし問題は穀物が貴重なこと。主食を失うことは国民としての尊厳を失うことと同義だ。だからエラい人たちは米の代替品としてオーシャンミールというものを開発した。海の幸をなんか米みたいにしたやつ。これをふやかして盛り付けて魚を焼けばもう立派な朝食だ。
油を引いたフライパンに魚を乗せて火をつけ、オシャミを適量水とともに鍋に入れて火にかける。あ、オーシャンミールはね、オシャミって言われてるよ。
「あつっ」
跳ねた油が私の素肌をつつく。
いい具合に火が通るまでに服を着てしまおう……。
適当な下着と服を見繕って着替える。
そうこうしているとそろそろ火の通った頃合のようなので火を止め魚を皿に盛り付ける。オシャミもほぐれてつやつやのほわほわだ。
湯呑みに茶を入れてケトルの湯を入れる。
「いただきます」
こうして私の一日ははじまる。
快晴の空に水流の音。ウミネコの鳴く声。港町の豊かな暮らしだったならそれは快適な朝だったろう。
でもテレビでは連日沈んでいく国たちの報せが流れている。
私の故郷は沈んでしまったけれど、今でもまだ家族がどこかで生きているんじゃないかと思っている。誰かに救助されてる、この街か、そうでなくてもきっと下層で暮らしてる。そう思って毎日生きている。でも手がかりは探しても探しても見つからない。
みんな家族と離れ離れだから、全員を引き合せるのは無理だということでこうして個々で生きることになっているのだ。
だから、今だけは……そう思って、もう何年が経ったろう……。
気が滅入ることばかりだ。これまでのことも、この先のことも。
「うぅぅあぁあっ!」
気がつけば声を上げていることもしばしば。
隣の部屋からもちょこちょこ聞こえてくるのでもう咎められることもない。
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