上 下
15 / 22

15. 戦友

しおりを挟む
 何の誓いも交わしていない二人は、まるで恋人のように語り合う。時折時間を気にするニルを無視するように、王子はずっと彼女に寄り添い続けた。
 手を握る事さえしない。触れてしまいそうで触れないくらいの距離が、もどかしい。

 そして、とうとう訪れた眠りに抗おうとするニルの肩を、王子は優しく抱き寄せる。遠慮がちにニルは王子の肩に頭を載せて、ゆっくり目を閉じる。

「殿下……ありがとうございます……わたしに……幸せな夢……見せて……くれて……」

 そして、とうとうニルの意識が途切れた。大きな手が、子供をあやすように頭を撫で、そして優しく囁くように言った。

「おやすみ、ニル」

 そして少しずつ、体の支配が私に戻ってくる。頭を撫でる手に、嫌悪感を抱く事もなく、私がそれを享受している事への申し訳なさばかりが心に満ちていく。

 ニルが閉じた目を、私はゆっくりと開く。それに気づいたのか、ようやく頭を撫でる手が止まる。私は王子の肩から頭を上げ、体を離した。

「おはよう、エンフィー嬢」
「お久しぶりです、殿下」

 私を見る王子の表情は、ニルに向けていたものとは明らかに違った。でも私にはそれが嬉しかった。だって、あの優しい眼差しはニルだけのものなのだから。

「エンフィー嬢、君とはいつぶりかな?」
「高熱の私を見舞いに来て下さったでしょう?その時以来です」
「俺が初めて君に求婚した時か」
「はい。あの時は、高熱が見せた悪夢……いいえ、夢かと思いましたわ」
「はは!誤魔化さなくてもいい!さっきも言っただろう?エンフィー嬢が俺をよく思っていないのは、よく知っている」

 全く傷ついた様子を見せず、楽しそうに笑う王子に、私もつられて少し笑ってしまう。ついこの間まで、そんな気持ちになった事などなかったのに。

「では、そんな女になぜ求婚を?殿下を好いてらっしゃる女性など山ほどいるでしょうに。御し易い女の方が、殿下にとって都合がいいのではなくて?」

 私の質問に、王子は腕を組む。その表情からは、いつの間にか笑みが消えている。

「俺の伴侶は、戦友であり同志でなければならない。言われたまま動くだけの頭の足りない女では困る。そして家柄、王妃の実家との政治的なバランス、王家の一員となる事に夢を持たない……他にも色々と。そしてそれにはエンフィー嬢、君が最適なんだよ。……恋だの愛だので選ぶ事など、決して許されない」

 最後の一言に、私は驚く。それだけは、王子としての言葉ではなく、彼の心の奥からの声のように聞こえたからだ。

「……殿下、最後のそれは、一体誰に向けて言っているのですか?」
「どういう、意味だ」

 冷静な仮面の向こうに、焦りのようなものが滲んで見える。

「まるでご自分に言い聞かせているよう。恋をするなど許されない、と」
「……」

 言葉は返ってこない。こちらを向いていた権力者の眼差しは逸らされ、その表情は窺い知れない。でも、私には分かるような気がした。ここにいるのは、命を救った少女に恋をした、ただの一人の男。そして、自分の使命のために、それを捨てる決意をした王子。

「殿下。殿下はあの子の事、好いて下さっていたのですね」

 私の問いに、しばらく無言を貫く王子だったけれど、とうとう諦めたようにため息をつく。

「そうだな。きっと、俺にとっての初めてで、最後の恋だろう」
「そう、ですか」

 王子の耳が、少し赤く見えるの、気のせいだろうか。

 私の胸は高鳴り、私の中に眠るニルを起こしてしまいたくなる。ニル、ねえ、ニル。感情が溢れて止まらない。自分がこんな風になるなど、信じられない。今の私の表情は、我慢しているけれど、きっと緩んでいるだろう。でもそんなの、どうでもいい。ニルが想われているのなら。

「私、殿下の事、見直しましたわ」
「それはありがたい」

 その時、私は決心した。父のためだとか、誰がのためとかはもうどうでもいい、ただ私の心が決めた道を進もう、と。

 私は、王子に姿勢を正して向き直る。

「殿下、お話があります」

 私の言葉に、王子はようやくこちらを見る。すっかり王子の仮面を被り直したその表情も、今の私にはどこか好ましい。

「私、殿下との婚約、お受けします。きっと父も、反対しないでしょう」
「そうか。エンフィー嬢、感謝する」
「でも一つだけ、条件があります」
「何だ?」

 その時、私の頭の中に、顔が見えない少女の姿が浮かんだ。私と違って、素直で、優しい子。できるなら、これからもずっと幸せの中で笑っていて欲しい。私が願うのはただそれだけ。

 私の目頭が熱くなる。鼻の奥が、つんと痛む。でもそれを必死で堪えて、私は王子に言った。

「どうかお願いします。あの子への気持ち、ずっと、忘れないでいて」
「ああ。忘れるものか。君がそれを許してくれるなら」
「ありがとうございます、殿下」

 王子が、そっと私の手を取る。

「触れられるのは、嫌ではないか?」
「大丈夫です。私たち、戦友になるのでしょう?」

 私の笑顔に、王子も笑う。そして、私の手の甲が、口付けを受ける。

「そうだ。これで俺とあなたは、戦友だ」
「ええ。どこまでもお供します」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

淡泊早漏王子と嫁き遅れ姫

梅乃なごみ
恋愛
小国の姫・リリィは婚約者の王子が超淡泊で早漏であることに悩んでいた。 それは好きでもない自分を義務感から抱いているからだと気付いたリリィは『超強力な精力剤』を王子に飲ませることに。 飲ませることには成功したものの、思っていたより効果がでてしまって……!? ※この作品は『すなもり共通プロット企画』参加作品であり、提供されたプロットで創作した作品です。 ★他サイトからの転載てす★

悪役令嬢は皇帝の溺愛を受けて宮入りする~夜も放さないなんて言わないで~

sweetheart
恋愛
公爵令嬢のリラ・スフィンクスは、婚約者である第一王子セトから婚約破棄を言い渡される。 ショックを受けたリラだったが、彼女はある夜会に出席した際、皇帝陛下である、に見初められてしまう。 そのまま後宮へと入ることになったリラは、皇帝の寵愛を受けるようになるが……。 「悪役令嬢は溺愛されて幸せになる」というテーマで描かれるラブロマンスです。 主人公は平民出身で、貴族社会に疎いヒロインが、皇帝陛下との恋愛を通じて成長していく姿を描きます。 また、悪役令嬢として成長した彼女が、婚約破棄された後にどのような運命を辿るのかも見どころのひとつです。 なお、後宮で繰り広げられる様々な事件や駆け引きが描かれていますので、シリアスな展開も楽しめます。 以上のようなストーリーになっていますので、興味のある方はぜひ一度ご覧ください。

高級娼婦×騎士

歌龍吟伶
恋愛
娼婦と騎士の、体から始まるお話。 全3話の短編です。 全話に性的な表現、性描写あり。 他所で知人限定公開していましたが、サービス終了との事でこちらに移しました。

【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる

奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。 両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。 それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。 夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

無表情いとこの隠れた欲望

春密まつり
恋愛
大学生で21歳の梓は、6歳年上のいとこの雪哉と一緒に暮らすことになった。 小さい頃よく遊んでくれたお兄さんは社会人になりかっこよく成長していて戸惑いがち。 緊張しながらも仲良く暮らせそうだと思った矢先、転んだ拍子にキスをしてしまう。 それから雪哉の態度が変わり――。

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

処理中です...