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15. 戦友
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何の誓いも交わしていない二人は、まるで恋人のように語り合う。時折時間を気にするニルを無視するように、王子はずっと彼女に寄り添い続けた。
手を握る事さえしない。触れてしまいそうで触れないくらいの距離が、もどかしい。
そして、とうとう訪れた眠りに抗おうとするニルの肩を、王子は優しく抱き寄せる。遠慮がちにニルは王子の肩に頭を載せて、ゆっくり目を閉じる。
「殿下……ありがとうございます……わたしに……幸せな夢……見せて……くれて……」
そして、とうとうニルの意識が途切れた。大きな手が、子供をあやすように頭を撫で、そして優しく囁くように言った。
「おやすみ、ニル」
そして少しずつ、体の支配が私に戻ってくる。頭を撫でる手に、嫌悪感を抱く事もなく、私がそれを享受している事への申し訳なさばかりが心に満ちていく。
ニルが閉じた目を、私はゆっくりと開く。それに気づいたのか、ようやく頭を撫でる手が止まる。私は王子の肩から頭を上げ、体を離した。
「おはよう、エンフィー嬢」
「お久しぶりです、殿下」
私を見る王子の表情は、ニルに向けていたものとは明らかに違った。でも私にはそれが嬉しかった。だって、あの優しい眼差しはニルだけのものなのだから。
「エンフィー嬢、君とはいつぶりかな?」
「高熱の私を見舞いに来て下さったでしょう?その時以来です」
「俺が初めて君に求婚した時か」
「はい。あの時は、高熱が見せた悪夢……いいえ、夢かと思いましたわ」
「はは!誤魔化さなくてもいい!さっきも言っただろう?エンフィー嬢が俺をよく思っていないのは、よく知っている」
全く傷ついた様子を見せず、楽しそうに笑う王子に、私もつられて少し笑ってしまう。ついこの間まで、そんな気持ちになった事などなかったのに。
「では、そんな女になぜ求婚を?殿下を好いてらっしゃる女性など山ほどいるでしょうに。御し易い女の方が、殿下にとって都合がいいのではなくて?」
私の質問に、王子は腕を組む。その表情からは、いつの間にか笑みが消えている。
「俺の伴侶は、戦友であり同志でなければならない。言われたまま動くだけの頭の足りない女では困る。そして家柄、王妃の実家との政治的なバランス、王家の一員となる事に夢を持たない……他にも色々と。そしてそれにはエンフィー嬢、君が最適なんだよ。……恋だの愛だので選ぶ事など、決して許されない」
最後の一言に、私は驚く。それだけは、王子としての言葉ではなく、彼の心の奥からの声のように聞こえたからだ。
「……殿下、最後のそれは、一体誰に向けて言っているのですか?」
「どういう、意味だ」
冷静な仮面の向こうに、焦りのようなものが滲んで見える。
「まるでご自分に言い聞かせているよう。恋をするなど許されない、と」
「……」
言葉は返ってこない。こちらを向いていた権力者の眼差しは逸らされ、その表情は窺い知れない。でも、私には分かるような気がした。ここにいるのは、命を救った少女に恋をした、ただの一人の男。そして、自分の使命のために、それを捨てる決意をした王子。
「殿下。殿下はあの子の事、好いて下さっていたのですね」
私の問いに、しばらく無言を貫く王子だったけれど、とうとう諦めたようにため息をつく。
「そうだな。きっと、俺にとっての初めてで、最後の恋だろう」
「そう、ですか」
王子の耳が、少し赤く見えるの、気のせいだろうか。
私の胸は高鳴り、私の中に眠るニルを起こしてしまいたくなる。ニル、ねえ、ニル。感情が溢れて止まらない。自分がこんな風になるなど、信じられない。今の私の表情は、我慢しているけれど、きっと緩んでいるだろう。でもそんなの、どうでもいい。ニルが想われているのなら。
「私、殿下の事、見直しましたわ」
「それはありがたい」
その時、私は決心した。父のためだとか、誰がのためとかはもうどうでもいい、ただ私の心が決めた道を進もう、と。
私は、王子に姿勢を正して向き直る。
「殿下、お話があります」
私の言葉に、王子はようやくこちらを見る。すっかり王子の仮面を被り直したその表情も、今の私にはどこか好ましい。
「私、殿下との婚約、お受けします。きっと父も、反対しないでしょう」
「そうか。エンフィー嬢、感謝する」
「でも一つだけ、条件があります」
「何だ?」
その時、私の頭の中に、顔が見えない少女の姿が浮かんだ。私と違って、素直で、優しい子。できるなら、これからもずっと幸せの中で笑っていて欲しい。私が願うのはただそれだけ。
私の目頭が熱くなる。鼻の奥が、つんと痛む。でもそれを必死で堪えて、私は王子に言った。
「どうかお願いします。あの子への気持ち、ずっと、忘れないでいて」
「ああ。忘れるものか。君がそれを許してくれるなら」
「ありがとうございます、殿下」
王子が、そっと私の手を取る。
「触れられるのは、嫌ではないか?」
「大丈夫です。私たち、戦友になるのでしょう?」
私の笑顔に、王子も笑う。そして、私の手の甲が、口付けを受ける。
「そうだ。これで俺とあなたは、戦友だ」
「ええ。どこまでもお供します」
手を握る事さえしない。触れてしまいそうで触れないくらいの距離が、もどかしい。
そして、とうとう訪れた眠りに抗おうとするニルの肩を、王子は優しく抱き寄せる。遠慮がちにニルは王子の肩に頭を載せて、ゆっくり目を閉じる。
「殿下……ありがとうございます……わたしに……幸せな夢……見せて……くれて……」
そして、とうとうニルの意識が途切れた。大きな手が、子供をあやすように頭を撫で、そして優しく囁くように言った。
「おやすみ、ニル」
そして少しずつ、体の支配が私に戻ってくる。頭を撫でる手に、嫌悪感を抱く事もなく、私がそれを享受している事への申し訳なさばかりが心に満ちていく。
ニルが閉じた目を、私はゆっくりと開く。それに気づいたのか、ようやく頭を撫でる手が止まる。私は王子の肩から頭を上げ、体を離した。
「おはよう、エンフィー嬢」
「お久しぶりです、殿下」
私を見る王子の表情は、ニルに向けていたものとは明らかに違った。でも私にはそれが嬉しかった。だって、あの優しい眼差しはニルだけのものなのだから。
「エンフィー嬢、君とはいつぶりかな?」
「高熱の私を見舞いに来て下さったでしょう?その時以来です」
「俺が初めて君に求婚した時か」
「はい。あの時は、高熱が見せた悪夢……いいえ、夢かと思いましたわ」
「はは!誤魔化さなくてもいい!さっきも言っただろう?エンフィー嬢が俺をよく思っていないのは、よく知っている」
全く傷ついた様子を見せず、楽しそうに笑う王子に、私もつられて少し笑ってしまう。ついこの間まで、そんな気持ちになった事などなかったのに。
「では、そんな女になぜ求婚を?殿下を好いてらっしゃる女性など山ほどいるでしょうに。御し易い女の方が、殿下にとって都合がいいのではなくて?」
私の質問に、王子は腕を組む。その表情からは、いつの間にか笑みが消えている。
「俺の伴侶は、戦友であり同志でなければならない。言われたまま動くだけの頭の足りない女では困る。そして家柄、王妃の実家との政治的なバランス、王家の一員となる事に夢を持たない……他にも色々と。そしてそれにはエンフィー嬢、君が最適なんだよ。……恋だの愛だので選ぶ事など、決して許されない」
最後の一言に、私は驚く。それだけは、王子としての言葉ではなく、彼の心の奥からの声のように聞こえたからだ。
「……殿下、最後のそれは、一体誰に向けて言っているのですか?」
「どういう、意味だ」
冷静な仮面の向こうに、焦りのようなものが滲んで見える。
「まるでご自分に言い聞かせているよう。恋をするなど許されない、と」
「……」
言葉は返ってこない。こちらを向いていた権力者の眼差しは逸らされ、その表情は窺い知れない。でも、私には分かるような気がした。ここにいるのは、命を救った少女に恋をした、ただの一人の男。そして、自分の使命のために、それを捨てる決意をした王子。
「殿下。殿下はあの子の事、好いて下さっていたのですね」
私の問いに、しばらく無言を貫く王子だったけれど、とうとう諦めたようにため息をつく。
「そうだな。きっと、俺にとっての初めてで、最後の恋だろう」
「そう、ですか」
王子の耳が、少し赤く見えるの、気のせいだろうか。
私の胸は高鳴り、私の中に眠るニルを起こしてしまいたくなる。ニル、ねえ、ニル。感情が溢れて止まらない。自分がこんな風になるなど、信じられない。今の私の表情は、我慢しているけれど、きっと緩んでいるだろう。でもそんなの、どうでもいい。ニルが想われているのなら。
「私、殿下の事、見直しましたわ」
「それはありがたい」
その時、私は決心した。父のためだとか、誰がのためとかはもうどうでもいい、ただ私の心が決めた道を進もう、と。
私は、王子に姿勢を正して向き直る。
「殿下、お話があります」
私の言葉に、王子はようやくこちらを見る。すっかり王子の仮面を被り直したその表情も、今の私にはどこか好ましい。
「私、殿下との婚約、お受けします。きっと父も、反対しないでしょう」
「そうか。エンフィー嬢、感謝する」
「でも一つだけ、条件があります」
「何だ?」
その時、私の頭の中に、顔が見えない少女の姿が浮かんだ。私と違って、素直で、優しい子。できるなら、これからもずっと幸せの中で笑っていて欲しい。私が願うのはただそれだけ。
私の目頭が熱くなる。鼻の奥が、つんと痛む。でもそれを必死で堪えて、私は王子に言った。
「どうかお願いします。あの子への気持ち、ずっと、忘れないでいて」
「ああ。忘れるものか。君がそれを許してくれるなら」
「ありがとうございます、殿下」
王子が、そっと私の手を取る。
「触れられるのは、嫌ではないか?」
「大丈夫です。私たち、戦友になるのでしょう?」
私の笑顔に、王子も笑う。そして、私の手の甲が、口付けを受ける。
「そうだ。これで俺とあなたは、戦友だ」
「ええ。どこまでもお供します」
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