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14. 恋物語

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「……それは、わたしではなく、エンフィーさんが必要という事、ですよね?」

 ニルは胸の前で両手を握りしめ、消えそうな声でそう言った。ショックを受けているのが嫌というほど伝わってくる。当然だろう。目の前の男は、毎日のようにこの部屋へ通い、あんなに楽しそうに話しかけてきていた。それなのに今、その男はニルが出ていく事を望んでいるのだから。

 王子は、ニルの態度に困ったように笑う。それはまるで子供に手を焼く大人のように見え、私の王子に対する嫌悪感が更に増す。

「ニル、俺は別に、君を邪魔だと思っているわけではない。ただ、この国の王子の伴侶として相応しいのは、君ではなく、エンフィー嬢なんだ」

(まさか……本気で私を妻に迎えるつもりだったの?)

 思い返せば、最初に求婚してきた時の言葉や態度は、王族からの正式な求婚とは思えないようなものだった。命を救ってくれた女に一目惚れをして求婚をする、馬鹿な男そのもの。
 でも今の王子からは、冗談を言っているような雰囲気は微塵も感じない。

(まさか、私は王妃候補ではなく、第二王子の妻候補に挙げられていたということ?)

 第二王子とはいえ、短期間で伴侶を決定する事はまずない。もしかしたら、王妃候補を選ぶ段階で、第二王子の伴侶についてもある程度候補が決まっていたのではないか。それも、父も把握していないくらい秘密裏に進んでいたのだろう。

 私の中で、二つの感情が入り混じる。第二王子に品定めされる事への不快感。そして、父の期待に少しでも応えられる可能性への喜び。もし自分の娘が王族の一員になれば、父に少しでも利があるのは間違いないのだ。王妃候補を蹴落とせなかった事も許されるかもしれない。

 前までの私なら、迷う事なく受けただろう。私の感情など関係ない。父のためになる事ならば、全て受け入れるべきだと思っていたから。

(でも、今の私は……)

 その時、ニルがそっと右腕をさする。それはまるで、私を落ち着かせようとするようだった。そして私の中に、彼女の悲しみと、そしてどこか嬉しそうな感情が流れ込んでくる。

『ニル……?』

 驚く私をよそに、ニルは王子へと問いかける。

「求婚のお話は、本当の事だったんですね」
「もしかして、冗談だと思われていたのかな?」
「いいえ……殿下は嘘を言うような方じゃないですから」
「それはよかった。君に嘘つきだと思われるのは悲しい」
「じゃあ、もしかして、エンフィーさんは最初から王妃候補ではなかったんですか?」
「ああ。色々と事情があってね。そうするのが一番都合が良かった。……もしかして、エンフィー嬢を怒らせてしまったかな」

 声が出せたら、その通りだと言ってやりたいくらいだ。当然その感情は、ニルに伝わっている。

「……え、ええと、それは……怒るなんて……」

 王子と私の板挟みとなって、ニルは慌て出す。そんな彼女に、王子はクスッと笑う。

「大丈夫、気を遣わなくていい。エンフィー嬢が俺を良く思っていないのは分かっている」
「そ、そうですか……」
「それでも、彼女にとって悪い話ではないはずだ。それは彼女も理解しているだろう。賢い女性だからな……父親と違って」

 この男は、なぜ私の感情をいちいち逆撫でするのだ。父を侮辱した褒め言葉など、誰が喜ぶというのだ。でも、心の奥から、まるで膿が漏れ出すような感覚に襲われる。

「殿下、そんな事を言うと、余計に嫌われてしまいますよ」
「おっと、まさかニル嬢に叱られるとは」
「ち、違います!ただ……」
「大丈夫。エンフィー嬢が父親を大切にしているのは理解している。だが俺は、彼女の賢さが父親に潰されているのを見過ごせないだけでね」
「……殿下」

 なぜ、なぜ王子はそんな、私を肯定するような事ばかり言うのだろう。じくじくと痛む心から流れ出すのは、誤魔化し続けて膿んでしまった感情なのかもしれない。

 ニルが、再びそっと、右腕を撫でる。彼女の感情に、迷いはなく、まるで、そう、母親のような優しさと強さがあった。

「殿下」
「何だい?」
「どうか、もう少しだけ時間を下さい。わたしをここにいさせてくれたエンフィーさんに、恩返しをしたいんです。そうしたらすぐにでも、わたしは戻ります」
「……分かった。正式に婚約を結べるまでも時間がいる。それまでは、君の気が済むようにしたらいい」
「殿下……ありがとうございます!」

 ニルは、安堵の表情を浮かべて、深く頭を下げる。

「命の恩人への対価には安いくらいだ。他にも何か望みはあるか?」
「……では、もうひとつだけお願いがあります」

 顔を上げたニルは、両手を握って、勇気を振り絞るように言った。

「どうか、どうかエンフィーさんを……幸せにしてあげて下さい。わたしに優しくして下さったように」

 まだ私は、王子の求婚を受け入れるなど一言も言っていないというのに。でも私は、ニルの事を止められなかった。

「もちろんだ。だが俺は彼女に大層嫌われているからな。道のりは険しそうだ」

 王子は少し首をすくめながら言い、その様子にニルはクスッと笑う。張り詰めていたはずの空気が穏やかになっていき、王子とニルの恋人同士のような雰囲気が蘇ってくる。甘くて、胸焼けがする。でも、なぜだろう。不快感はなく、胸が苦しくて、泣きたくなる。

 そう。優しくて、甘くて、まるで恋物語のような二人のこの時間は、きっとこれが最後なのだ。

 いつの間にか二人は、私の存在を忘れてしまったように、会話を交わす。でもそれでいいのだ。
 私が知らない、そしてこれからも知る事のない感情が流れ込んでくる。

「殿下、こんなわたしに優しくしていただいた事……絶対に忘れません」
「俺もだ、ニル。君が命を救ってくれた事、絶対に忘れない」

 そう言って二人は、笑顔で見つめ合う。でも私には分かる。笑顔の裏で、ニルの心は涙を流している。好いた男と過ごせる残りわずかな時間に、彼女の中で喜びと悲しみが混ざりあう。
 そして、そんなニルを見る王子の眼差しは、どうしてだろう、本当に彼女に恋をしているように見えた。
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