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第70話
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大学には電車で一時間、レイの家には一時間半かかる場所に泉家の邸宅はあった。
期末試験も終わったので、今日はレイの家で鍋を食べる。夜は泊まる予定だ。
日が傾き出した夕刻前にサキは駅に向かって歩いていた。
泉家のある住宅街は犬を連れて歩いている人とたまにすれ違うくらいで、普段から静かで人通りはあまりなかった。
レイのマンションがある街は庶民の住宅街で何かと人の声がしており、サキはあの街の方が好きだった。
レイの家に向かいながら、サキは考え事をしていた。
(レイとは距離を置こうと思ったのに)
この世界で目覚めてからレイと暮らし、日を追うごとに彼の優しさに魅かれていった。
しかし、その優しさは罪の意識から来るものだとわかっていた。
魅かれてはならないと目を逸らしていたのに、このオメガという身体は隠していた本心を露わにさせた。
ヒートのたびにレイに抱かれたいと思うのは、アルファを欲するオメガの本能だ、だから仕方がないのだ、と言い聞かせていた。
本能の部分もたしかにあると思う。
だが、白河さんにレイに好意を持っているのではないかと指摘され、自分の気持ちを誤魔化せなくなった。
白河紙書店でヒートを起こしたあの日、レイはいつもと違う抱き方をした。
あれは処置ではなく、レイの欲望を孕んだセックスだったと思う。
ヒートを鎮めるためでなく、性欲を満たすためにサキを抱いたのだとしたら、レイとはセフレになってしまう。
そんなことは御免だったし、何より立石ハルキからレイの過去を聞き出し、サキと別れたがったレイにこれ以上、ヒートの処置をさせてはいけないと思った。
突然吹いた冷たい風にサキは身を竦ませた。
急ぎ足で電車に乗り、暖かな車内に長い息を吐く。
空いた座席の端に座り、サキは車窓をぼんやりと見つめた。
レイがオメガに対して優しいのは、立石の話からでもわかった。
そして彼の母親が番にされた話を聞き、サキはますますレイの傍にいてはいけないと思った。
万が一、サキと番になってしまったら、レイは生涯、サキに縛られることになる。
彼の性格を考えたら、レイの父親のように一生大事にしてくれるだろう。
だが、それこそ不幸な話だ。
それに、とサキは思った。
責任と義務で傍にいられることにサキの心はすでに苦しくなっていた。
だから元の魂と入れ替わった話しをして、レイの罪悪感を拭おうとした。
いま思えば無茶苦茶な話で、レイが信じられないと言うのは当然だった。
レイの家を出る理由なら他にもあっただろう。
それでもその話をしたのは、『泉サキ』ではない『吉野春之』という存在を知ってほしかった。
レイが自分との同居を気に入ってくれていたのは、せめてもの救いだった。
出ていくとき、レイは寂しそうな顔をしていたが、離れてしまえばそれほど接点はなくなるだろうと思っていた。
ところが、レイは二日と空けずに連絡をしてくる。
サキも彼が好きだという自覚があるので、嬉々として返事をしてしまい、今日もまた、はやる心で出掛けていた。
(レイは、おれのことどう思ってるんだろう)
サキは物思いにふけってしまい、降車駅を過ぎそうになった。
慌てて飛び降りた。電車での一時間半が、あっという間だった。
レイのマンションに向かって大通りを進み、左折すると歩道のない住宅街になる。
慣れた道を進んでいると、一台の黒塗りの車がサキに触れそうなくらい近寄って、追い抜いていった。
(危ないな)
歩いているサキが内心舌打ちしていると、その車はサキの前方で停まった。
運転席から人が降りた。
サキはその人物を見て、今度こそ舌打ちをした。
「サキ」
車から降りてきたのは久我だった。
サキが無視して歩みを速めると、久我は助手席側に回って、行く手を阻むように立った。
「乗れ」
片手を上着のポケットに突っ込み、偉そうに言われ、
「乗るかよ」
サキは立ち止まり、久我をにらみつけた。久我はサキの目を見ていた。
ふと、その顔つきに違和感を覚えた。
サキと話すときはどこか面白がるような表情を浮かべていたが、今日は笑っていない。
サキは危険なものを感じ、思わず一歩後ずさった。
そのとき、久我が上着のポケットに入れていた右手を出した。
サキがその手を見た瞬間、バチッとまばゆい光線が走った。
「!」
光が自分に向かって飛んで来るのがわかった。
刹那、サキの身体が硬直した。
何が起こったのかわからずにいると、久我は後部座席の扉を開け、立ち尽くしているサキを車に押し込んだ。
抗おうにも身体がうまく動かない。
痙攣を起こしているような、痺れている感じだった。
言葉を発しようにも舌が回らない。
そのまま後部座席に倒れ込んでいた。
恐怖を感じ、逃げなければと必死で身体を動かそうとした。
すると、硬直していたのは束の間で、指先に力が入るのがわかった。
もがこうとしたとき、運転席に着いた久我が振り返りざま、サキの顔に湿った布をかけた。
吸ったらまずいと息を止めたが、わずかしか動かない身体で布を取ることはできなかった。
車は静かに動き出した。
サキは呼吸が苦しくなり、息を吸ってしまった。
布に湿らされた薬品の匂いを吸い込むと、意識が遠のいていった。
期末試験も終わったので、今日はレイの家で鍋を食べる。夜は泊まる予定だ。
日が傾き出した夕刻前にサキは駅に向かって歩いていた。
泉家のある住宅街は犬を連れて歩いている人とたまにすれ違うくらいで、普段から静かで人通りはあまりなかった。
レイのマンションがある街は庶民の住宅街で何かと人の声がしており、サキはあの街の方が好きだった。
レイの家に向かいながら、サキは考え事をしていた。
(レイとは距離を置こうと思ったのに)
この世界で目覚めてからレイと暮らし、日を追うごとに彼の優しさに魅かれていった。
しかし、その優しさは罪の意識から来るものだとわかっていた。
魅かれてはならないと目を逸らしていたのに、このオメガという身体は隠していた本心を露わにさせた。
ヒートのたびにレイに抱かれたいと思うのは、アルファを欲するオメガの本能だ、だから仕方がないのだ、と言い聞かせていた。
本能の部分もたしかにあると思う。
だが、白河さんにレイに好意を持っているのではないかと指摘され、自分の気持ちを誤魔化せなくなった。
白河紙書店でヒートを起こしたあの日、レイはいつもと違う抱き方をした。
あれは処置ではなく、レイの欲望を孕んだセックスだったと思う。
ヒートを鎮めるためでなく、性欲を満たすためにサキを抱いたのだとしたら、レイとはセフレになってしまう。
そんなことは御免だったし、何より立石ハルキからレイの過去を聞き出し、サキと別れたがったレイにこれ以上、ヒートの処置をさせてはいけないと思った。
突然吹いた冷たい風にサキは身を竦ませた。
急ぎ足で電車に乗り、暖かな車内に長い息を吐く。
空いた座席の端に座り、サキは車窓をぼんやりと見つめた。
レイがオメガに対して優しいのは、立石の話からでもわかった。
そして彼の母親が番にされた話を聞き、サキはますますレイの傍にいてはいけないと思った。
万が一、サキと番になってしまったら、レイは生涯、サキに縛られることになる。
彼の性格を考えたら、レイの父親のように一生大事にしてくれるだろう。
だが、それこそ不幸な話だ。
それに、とサキは思った。
責任と義務で傍にいられることにサキの心はすでに苦しくなっていた。
だから元の魂と入れ替わった話しをして、レイの罪悪感を拭おうとした。
いま思えば無茶苦茶な話で、レイが信じられないと言うのは当然だった。
レイの家を出る理由なら他にもあっただろう。
それでもその話をしたのは、『泉サキ』ではない『吉野春之』という存在を知ってほしかった。
レイが自分との同居を気に入ってくれていたのは、せめてもの救いだった。
出ていくとき、レイは寂しそうな顔をしていたが、離れてしまえばそれほど接点はなくなるだろうと思っていた。
ところが、レイは二日と空けずに連絡をしてくる。
サキも彼が好きだという自覚があるので、嬉々として返事をしてしまい、今日もまた、はやる心で出掛けていた。
(レイは、おれのことどう思ってるんだろう)
サキは物思いにふけってしまい、降車駅を過ぎそうになった。
慌てて飛び降りた。電車での一時間半が、あっという間だった。
レイのマンションに向かって大通りを進み、左折すると歩道のない住宅街になる。
慣れた道を進んでいると、一台の黒塗りの車がサキに触れそうなくらい近寄って、追い抜いていった。
(危ないな)
歩いているサキが内心舌打ちしていると、その車はサキの前方で停まった。
運転席から人が降りた。
サキはその人物を見て、今度こそ舌打ちをした。
「サキ」
車から降りてきたのは久我だった。
サキが無視して歩みを速めると、久我は助手席側に回って、行く手を阻むように立った。
「乗れ」
片手を上着のポケットに突っ込み、偉そうに言われ、
「乗るかよ」
サキは立ち止まり、久我をにらみつけた。久我はサキの目を見ていた。
ふと、その顔つきに違和感を覚えた。
サキと話すときはどこか面白がるような表情を浮かべていたが、今日は笑っていない。
サキは危険なものを感じ、思わず一歩後ずさった。
そのとき、久我が上着のポケットに入れていた右手を出した。
サキがその手を見た瞬間、バチッとまばゆい光線が走った。
「!」
光が自分に向かって飛んで来るのがわかった。
刹那、サキの身体が硬直した。
何が起こったのかわからずにいると、久我は後部座席の扉を開け、立ち尽くしているサキを車に押し込んだ。
抗おうにも身体がうまく動かない。
痙攣を起こしているような、痺れている感じだった。
言葉を発しようにも舌が回らない。
そのまま後部座席に倒れ込んでいた。
恐怖を感じ、逃げなければと必死で身体を動かそうとした。
すると、硬直していたのは束の間で、指先に力が入るのがわかった。
もがこうとしたとき、運転席に着いた久我が振り返りざま、サキの顔に湿った布をかけた。
吸ったらまずいと息を止めたが、わずかしか動かない身体で布を取ることはできなかった。
車は静かに動き出した。
サキは呼吸が苦しくなり、息を吸ってしまった。
布に湿らされた薬品の匂いを吸い込むと、意識が遠のいていった。
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