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後日譚⑪『伝わらない思い』

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 夜も更け、海人は寝衣でイリアスの部屋の前に立っていた。

 昼間は駐屯地に訪れた貴族令嬢のことでイリアスの機嫌を損ねたと思っていたが、帰宅するときには何事もなかったかのようだった。その件には海人もあえて触れなかった。

 だが、思うところがあって、イリアスの部屋に来た。
 
 扉を叩くとすぐに開けてくれた。金色の髪が濡れている。風呂上りなのか、艶めかしくて、どきっとした。

「あの、入ってもいい?」
「……カイトの部屋に行こう」
「うん」

 この頃、肌に触れ合うときはイリアスが海人の部屋に来るようになっていた。

 それまでは海人が彼の部屋に入り浸っていたのだが、ある朝、イリアスの部屋から出たところで伯爵と出くわした。

「ここで寝てたのか」と訊かれ、慌てて「勉強を教えてもらってたら、そのまま寝てしまったんです」と答えた。

 イリアスの義父である伯爵は片眉を上げただけで、何も言わなかった。

 しかし、そのやり取りをイリアスは部屋の中から聞いていた。

 それ以降、夜はイリアスが海人の部屋に来るようになった。

 朝まで一緒に寝ることがなくなったのは残念だったが、節度は必要なのかもと思ったので、何も言えなかった。

 海人が先に部屋に入ると、イリアスに後ろから抱き竦められた。首筋にキスをされる。

 正面に向き直ると、待ったなしで深く口づけられた。

「……ん」

 海人も存分に味わいたかったが、今日は言いたいことがある。身じろぎして、身体を少し引いた。

 無理やり口を離すと、ちゅっと音がした。

 イリアスがどうしたのかと無言で見つめてきたので、海人は見つめ返して言った。

「おれ、今日は最後までしたい」

 灰色の瞳が驚いたように大きくなったので、海人は急に恥ずかしくなった。顔が熱くなる。

 目を見つめることができなくなり、うつむいた。

「えっと……その、いつもおればっかり気持ちいいから、イリアスにもちゃんと気持ちよくなってもらいたいっていうか……」

 顔から火が吹きそうだった。心臓もどくどくとうるさい。

 顔を上げられずにいると、イリアスは優しく抱き締めてくれた。密着した胸から心音が聞こえる。

 イリアスもいつもよりドキドキ鳴っていて、うれしくなった。

 わかってくれたかな、と思ったが、イリアスは海人の頭を撫でるようにして言った。

「カイト。焦らなくていい」
「!」

 反射的に顔を上げた。

「焦ってなんか……!」

 灰色の瞳が射貫くように見てくる。海人は口をつぐんだ。図星だったからだ。

 昼間、隊舎の休憩室で娼館の話が出た。あってもおかしくないその存在を考えたことはなかった。

 話を聞いても海人には関係のないことだと思ったが、不意にイリアスは自分との行為に満足しているのだろうかと思った。

 満足できているはずがない。

 海人の反応を見て、気遣って我慢してくれているのだ。

 しかし、いつまで我慢するつもりなのか。我慢して、面倒になったら、娼館に行ってしまうのではないかと思った。

 女性相手なら苦労だってないだろう。それだって嫌だが、もし相手が男娼だったりしたら耐えられない。

 イリアスがそんなことをするわけないと思っても、不安に襲われた。早く満足させなければと思った。

 海人の揺れた瞳を見て、イリアスは綺麗に微笑む。

「私はカイトが気持ち良ければ、それでいいんだ」

 そして海人の気持ちをよそに、熱いキスをした。

 脳が痺れるような口づけに海人も抗えず、溶かされていく。

 ベッドに倒れ込み、いつものように優しい愛撫を受けて、身体をつなぐことなく、ふたりとも達した。

 時がたつ。

 冬の澄んだ月の光がベッドを照らしている。

 イリアスのいなくなった部屋で、海人は唇を噛んだ。

 勇気を振り絞って言ってみたが、ダメだった。イリアスを受け入れたいという気持ちは、受け取ってもらえなかった。
 
 もう、どうすればいいのかわからない。
 
 海人は枕元にある小机の抽斗ひきだしをひいた。中にあるスマートフォンを取り出す。
 
 この世界に来て、一度も電源は入らなかった。

 すでに一年が過ぎており、充電も切れていることはわかっていたが、電源ボタンを押してみた。
 
 スマホが使えれば、誰かに相談できるのに。
 
 海人は何度もボタンを押した。
 
 相手は顔の見えない誰かであっても、答えてくれる。

(だれか、おしえて……)
 
 海人は黒い画面を見つめ、スマホを握りしめて眠った。
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