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第2章 街での暮らし⑪『ひどい親子』
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「さて、イリアス。彼の前でこんなことを言うのもなんだが、なぜ私が戻るまでこのことを黙っていた」
伯爵が足を組んだ。
「聞くところによると、彼は三か月も前に現れたそうじゃないか。私に連絡を取ろうと思えば、どんな手でも使えただろう」
笑顔が消えた伯爵は途端、凄味のある人物に変わった。
「事が事でしたので。どこに密偵がいるかわかりません。手紙にしろ、伝達にしろ、危険だと判断しました」
イリアスは動じずに返答した。ふむ、と伯爵がうなずく。
「一理あるな。ただ、おまえには別の思惑がありそうだが……まあ、そういうことにしておこう」
イリアスはしれっとしている。
こういうとき表情が読めないというのはいいのかもしれない。別の思惑というのは気になるところだが。
「私にすら黙っていたということは、王宮にも伝えてないな」
これは質問というより確認だった。
「ええ、これからです」
全く悪びれもしない息子に伯爵は呆れた顔をした。
「おまえ……三か月もこんなことを黙っておいて、王宮になんて言い訳するつもりだ」
「それは先ほど申し上げた通り、父上が外遊から戻るのを待っていたからです。領主の許可なく、王宮に取り成すなど筋違いもいいところ。立派な理由ではありませんか」
人を食ったような淀みないセリフに、だが伯爵は怒らなかった。にやりと笑った。
「まったくおまえというやつは。歳を取るごとに性格悪くなってないか」
「それは腹芸の得意な父上に似てきたのでしょうね」
親子の応酬に最初はハラハラしていた海人だったが、険悪な雰囲気にはならない。
二人ともなんとなく楽しそうである。
海人がじっと伯爵を見ていると、ちらっと目が合った。
「それで、彼をどうするつもりなんだ」
伯爵が言った。
海人が緩みかけた姿勢を正すと、イリアスが答えた。
「カイトの希望は王宮にいるアフロディーテに面会することです。ひとまず、王宮に連れて行こうかと」
伯爵は軽く眉を寄せた。
「あの方にお会いしたとして、何があるわけでもなかろう」
イリアスと同じ事を言ったので、海人はまた同じ事を繰り返し説明した。
会うことが自分自身へのけじめになるのだと。
伯爵は少し考えるようにして、海人に別のことを訊いた。
「ここでの暮らしはどうだ。何か困ったことなどないか」
伯爵の問い掛けに、海人はこの三か月間のことを思い返した。
皆がとても良くしてくれていること。グレン、マーシャ、屋敷の人たちだけでなく、辺境警備隊の皆にも優しくしてもらっていること。
毎日遊びに行ってるようなものなのに、馬に乗りたいと言ったら乗馬を教えてくれ、厨房で料理も教えてもらっていること。
街も明るくにぎやかで、人好きのする人ばかり。嫌な思いをしたことは一度もない。そして自分はこの街が好きだということを語った。
リンデの街を治める領主に掛け値のない言葉を送る。
伯爵は嬉しそうにうなずき、
「なるほどな」
と、面白そうに片眉を上げ、意味深な目をイリアスに向けた。
「なにはともあれ、王宮に行くということは決まりだな。さて、そうなると私が連れて行かねばならないが」
一旦言葉を切る。
しかしそれは、イリアスの言葉を待っているかのようだった。
案の定、イリアスが口を出した。
「そのことですが、父上。私が王宮に連れて行こうと思っております」
「訳を聞こう。領主である私を差しおいて、おまえが行く理由をな」
嫌味っぽい言い方だったが、楽しんでいるように見える。
これまでの流れであれば、イリアスもまた人を食ったように言い返すかと思ったが、彼は真剣な顔をして言った。
「三週間前、カイトは何者かにさらわれました」
伯爵は驚き、組んでいた足を解いた。
「おまえがついていてか!」
息子の強さは重々承知なのだろう。信じられない、と目が語っている。
イリアスは声を落とした。
「そこは私も申し開きができません」
海人は思わず、彼のせいではなく、自分が勝手に街に出たからだ、と言おうとしたが、イリアスが手で遮った。海人は開きかけた口を渋々つぐむ。
「どこの者だ」
伯爵の眼光が鋭くなる。イリアスは膝の上で指を組んだ。
「わかりません。アルミルト法国の手の者かと思うのですが、断定できません。犯人は魔獣にやられ、手がかりを失いました」
伯爵はまぶたを閉じ、黙考した。
さほど時間も要さず、伯爵は目を開けた。
「ならば、おまえが行くのが適任だな。誰に狙われているのかわからないようでは、私では守れんだろう」
海人は内心ほっとした。イリアスが付いて来てくれるならこれほど心強いことはない。
ふう、と一息ついて、伯爵は続けた。
「王宮に行くにあたって、要望はあるか」
「二つほど」
「言ってみろ」
「一つはカイトの身の上に関することはすべて私に一任すると一筆ください」
伯爵は顔をしかめた。
「嫌な一筆だな。まあいい。もうひとつは」
「カイトの護衛に私の部下のシモンを連れて行きたいので、その許可をいただきたい」
イリアスは辺境警備隊の隊長ではあるが、警備隊の管轄は領主にある。
隊の責任者ではあっても、個人的な理由で警備隊を動かすことは許されないのだと後で知った。
海人はシモンも一緒に行けることにうれしくなりながら、紅茶に手をつける。
伯爵はその言に了承しながら、思い出したように言った。
「シモンというのは、おまえを追って王都からやって来たとかいう変態か」
ブッと海人は飲みかけの紅茶を吹き出した。
イリアスが飄々と答える。
「変態ではありますが、被害を受けたことはありませんよ。狙われても私の方が強いので問題ありません」
海人はカチャリと紅茶のカップを鳴らした。
シモン、かわいそうに……。
イリアスに憧れ、花形の近衛騎士団を辞めてまで来たのに。
この親子の会話は絶対に聞かせられないと海人は思った。
伯爵が足を組んだ。
「聞くところによると、彼は三か月も前に現れたそうじゃないか。私に連絡を取ろうと思えば、どんな手でも使えただろう」
笑顔が消えた伯爵は途端、凄味のある人物に変わった。
「事が事でしたので。どこに密偵がいるかわかりません。手紙にしろ、伝達にしろ、危険だと判断しました」
イリアスは動じずに返答した。ふむ、と伯爵がうなずく。
「一理あるな。ただ、おまえには別の思惑がありそうだが……まあ、そういうことにしておこう」
イリアスはしれっとしている。
こういうとき表情が読めないというのはいいのかもしれない。別の思惑というのは気になるところだが。
「私にすら黙っていたということは、王宮にも伝えてないな」
これは質問というより確認だった。
「ええ、これからです」
全く悪びれもしない息子に伯爵は呆れた顔をした。
「おまえ……三か月もこんなことを黙っておいて、王宮になんて言い訳するつもりだ」
「それは先ほど申し上げた通り、父上が外遊から戻るのを待っていたからです。領主の許可なく、王宮に取り成すなど筋違いもいいところ。立派な理由ではありませんか」
人を食ったような淀みないセリフに、だが伯爵は怒らなかった。にやりと笑った。
「まったくおまえというやつは。歳を取るごとに性格悪くなってないか」
「それは腹芸の得意な父上に似てきたのでしょうね」
親子の応酬に最初はハラハラしていた海人だったが、険悪な雰囲気にはならない。
二人ともなんとなく楽しそうである。
海人がじっと伯爵を見ていると、ちらっと目が合った。
「それで、彼をどうするつもりなんだ」
伯爵が言った。
海人が緩みかけた姿勢を正すと、イリアスが答えた。
「カイトの希望は王宮にいるアフロディーテに面会することです。ひとまず、王宮に連れて行こうかと」
伯爵は軽く眉を寄せた。
「あの方にお会いしたとして、何があるわけでもなかろう」
イリアスと同じ事を言ったので、海人はまた同じ事を繰り返し説明した。
会うことが自分自身へのけじめになるのだと。
伯爵は少し考えるようにして、海人に別のことを訊いた。
「ここでの暮らしはどうだ。何か困ったことなどないか」
伯爵の問い掛けに、海人はこの三か月間のことを思い返した。
皆がとても良くしてくれていること。グレン、マーシャ、屋敷の人たちだけでなく、辺境警備隊の皆にも優しくしてもらっていること。
毎日遊びに行ってるようなものなのに、馬に乗りたいと言ったら乗馬を教えてくれ、厨房で料理も教えてもらっていること。
街も明るくにぎやかで、人好きのする人ばかり。嫌な思いをしたことは一度もない。そして自分はこの街が好きだということを語った。
リンデの街を治める領主に掛け値のない言葉を送る。
伯爵は嬉しそうにうなずき、
「なるほどな」
と、面白そうに片眉を上げ、意味深な目をイリアスに向けた。
「なにはともあれ、王宮に行くということは決まりだな。さて、そうなると私が連れて行かねばならないが」
一旦言葉を切る。
しかしそれは、イリアスの言葉を待っているかのようだった。
案の定、イリアスが口を出した。
「そのことですが、父上。私が王宮に連れて行こうと思っております」
「訳を聞こう。領主である私を差しおいて、おまえが行く理由をな」
嫌味っぽい言い方だったが、楽しんでいるように見える。
これまでの流れであれば、イリアスもまた人を食ったように言い返すかと思ったが、彼は真剣な顔をして言った。
「三週間前、カイトは何者かにさらわれました」
伯爵は驚き、組んでいた足を解いた。
「おまえがついていてか!」
息子の強さは重々承知なのだろう。信じられない、と目が語っている。
イリアスは声を落とした。
「そこは私も申し開きができません」
海人は思わず、彼のせいではなく、自分が勝手に街に出たからだ、と言おうとしたが、イリアスが手で遮った。海人は開きかけた口を渋々つぐむ。
「どこの者だ」
伯爵の眼光が鋭くなる。イリアスは膝の上で指を組んだ。
「わかりません。アルミルト法国の手の者かと思うのですが、断定できません。犯人は魔獣にやられ、手がかりを失いました」
伯爵はまぶたを閉じ、黙考した。
さほど時間も要さず、伯爵は目を開けた。
「ならば、おまえが行くのが適任だな。誰に狙われているのかわからないようでは、私では守れんだろう」
海人は内心ほっとした。イリアスが付いて来てくれるならこれほど心強いことはない。
ふう、と一息ついて、伯爵は続けた。
「王宮に行くにあたって、要望はあるか」
「二つほど」
「言ってみろ」
「一つはカイトの身の上に関することはすべて私に一任すると一筆ください」
伯爵は顔をしかめた。
「嫌な一筆だな。まあいい。もうひとつは」
「カイトの護衛に私の部下のシモンを連れて行きたいので、その許可をいただきたい」
イリアスは辺境警備隊の隊長ではあるが、警備隊の管轄は領主にある。
隊の責任者ではあっても、個人的な理由で警備隊を動かすことは許されないのだと後で知った。
海人はシモンも一緒に行けることにうれしくなりながら、紅茶に手をつける。
伯爵はその言に了承しながら、思い出したように言った。
「シモンというのは、おまえを追って王都からやって来たとかいう変態か」
ブッと海人は飲みかけの紅茶を吹き出した。
イリアスが飄々と答える。
「変態ではありますが、被害を受けたことはありませんよ。狙われても私の方が強いので問題ありません」
海人はカチャリと紅茶のカップを鳴らした。
シモン、かわいそうに……。
イリアスに憧れ、花形の近衛騎士団を辞めてまで来たのに。
この親子の会話は絶対に聞かせられないと海人は思った。
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