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第2章 街での暮らし④『拉致』
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海人がこの世界に来て二か月半が経ち、馬にも一人で乗れるようになった頃、初めて給料をもらった。
給料日で隊員達が浮かれている日も、海人には関係なかった。
自分はここに働きに来ているわけではない。
勝手に出入りさせてもらっているだけで、昼食も食堂で食べさせてもらっていた。
乗馬はダグラスやシモンが空いた時間に教えてくれていた。
そのうち、別の隊員も教えてくれるようになったが、誰かの手を煩わせていることに変わりはない。
海人は恩返しのつもりで、皆の手伝いをしていた。
それに対して給料だ、とダグラスから渡されたのだ。
そんなもの受け取れるわけがない。いらない、と言うと、
「カイトの働きは報酬を得るに値すると隊長が判断したんだ。素直にもらっとけ」
ダグラスは硬貨の入った袋を海人に押し付けた。
隣にいたシモンは、よかったじゃん、と肩を叩いてくれた。
海人も戸惑いはしたものの、自分の働きで金銭を得たことはうれしかった。
高校三年までただの一度もバイトをせずに育ってきたため、初めての報酬である。
このお金は大切に使おうと思った。
そして海人がこの世界にやってきて、三か月が過ぎようとしていた。
まもなくイリアスの父親である領主が戻ってくる。
そうすれば、王宮にいるというもう一人の跳躍者アフロディーテに会うことができる。
同郷の人に会ってみたいという気持ちは今でも変わらない。
それが海人の生きる希望にもなっていた。
ここの生活にも慣れてきたし、不満はない。
街への買い物は相変わらず一人で出かけることは許されていなかったが、自由はある。
だが最近は、アフロディーテに会った後のことを考えるようになった。
どうやっても帰る方法がないのなら、ここで生きていくしかない。
しかし、いつまでもイリアスが傍にいてくれるという保障はないと思っていた。
その矢先に給料をもらったのだ。
働き口を探せばなんとかなるかもしれない。
街に出てもそれほど危険を感じたことは一度もなかった。
肉屋の少年ロイにも何度か会ったが、親父さんの教育が行き届いたのか、身元の詮索はされなかった。
他の店先で何か訊かれても、サラディール家のイリアス様にお世話になっています、と言えば、それ以上深入りされることはない。
至って平穏な日常だった。だから忘れていたのだ。
自分がある者からすれば、『喉から手が出るほど欲しい人物』だということを―
その日、厨房に料理長はいなかった。
調理人の一人が、スープに入れる香草を切らしていることに気づいた。
次の料理に取り掛からなければならず、手が離せないという。
海人は調理の補助はするが、料理を仕上げることはできない。
それなら自分が買いに出ればいいと思った。
「おれ、行ってきますよ」
「いいのか? ひとりで出ちゃいけないんじゃなかったか」
言われて一瞬ためらったが、いつまでも誰かと一緒でなければ街に出られないのも不便だ。
それに一人でも大丈夫だと証明できれば、もっと自由に歩けると思った。
駐屯地の人たちの手を煩わすこともなくなる。
海人に危機感はなかった。
「そんなに遠くないし、大丈夫だと思います。花屋の先の香草店ですよね」
「そうか? 悪いな、頼む」
調理人は皆、忙しなく動いていた。
海人に目を配る者などいない。
海人は門番のいる表門ではなく、見張りが常駐していない裏口に向かった。
厨房から買い出しに行くときはここを使うのだ。
こうして海人は誰に咎められることもなく、ひとりで街に出た。
石畳の街路を進む。
細い道がいくつもあるので、曲がり角で少々迷ったが、記憶にあった花屋を見つけ、その先の香草店に辿り着いた。
頼まれた香草を手に入れ、店を出て数歩行ったところで、海人の足元にボールのようなものが転がってきた。
路地の奥で、すみません、拾ってもらえませんか、と言われたので拾って路地に入った。
すると、すぐ背後で人の気配がした。
振り返ると、屈強な男がひとりいた。海人はどきりとした。
前を見ると、声をかけてきた男がいる。挟まれていた。
海人は唾を飲み込んだ。
「ルンダの森に現れた跳躍者だな?」
ボールを拾ってくれ、と言った男に問われて、海人は背筋が凍った。
ルンダの森というのはこの街を出た先にある、魔獣が棲む森のことだ。
イリアスがシモンを連れて魔獣探索に入ったとき、海人が現われたのだと聞かされていた。
心臓が大きく鳴り、嫌な汗が背中を伝う。
海人は乾いた唇を舐めた。
「なんのことか、わかりません」
声が震えないようにするので精一杯だった。
目の前の男は首を傾けながら、嫌な笑みを浮かべた。
「黒髪は珍しいよなあ。なあ、あんた。跳躍者は皆、黒髪だって知ってたか?」
瞬間、海人は振り向き様に持っていた香草を屈強な男にぶちまけた。
怯んだ隙に男の脇を抜けようとしたが、数歩行った先で服を掴まれ、口を押えこまれた。
「はい、決まりだな」
逃げようと力の限り暴れたが、腹を殴られて声が出なくなる。
布の猿ぐつわをかまされ、後ろに回された両手と両足を縛られた。
麻の袋をかぶせられ、俵のように担がれた。
街路を大股で歩いているのが麻袋越しにわかる。
人とすれ違っているのがわかるのに、助けを呼ぶ呻き声すら出ない。
袋の中の海人は男の肩に殴られた腹が当たり、ぴくりとも体を動かせなかった。
息をするのも苦しい。
しばらくすると投げ出され、身体を打ちつけた。
荷台に積まれたのか、ひとり乗って来たのがわかった。
手綱のしなる音がし、動き出す。荷馬車のようだった。
横になり、ようやく体が動かせるようになった。
海人が麻袋の中でもがくと、剣のようなものが押し付けられ、ぞっとした。
「動くな。大人しくしてねえと、殺すぞ」
ドスの利いた声に、海人はただ震えることしかできなかった。
給料日で隊員達が浮かれている日も、海人には関係なかった。
自分はここに働きに来ているわけではない。
勝手に出入りさせてもらっているだけで、昼食も食堂で食べさせてもらっていた。
乗馬はダグラスやシモンが空いた時間に教えてくれていた。
そのうち、別の隊員も教えてくれるようになったが、誰かの手を煩わせていることに変わりはない。
海人は恩返しのつもりで、皆の手伝いをしていた。
それに対して給料だ、とダグラスから渡されたのだ。
そんなもの受け取れるわけがない。いらない、と言うと、
「カイトの働きは報酬を得るに値すると隊長が判断したんだ。素直にもらっとけ」
ダグラスは硬貨の入った袋を海人に押し付けた。
隣にいたシモンは、よかったじゃん、と肩を叩いてくれた。
海人も戸惑いはしたものの、自分の働きで金銭を得たことはうれしかった。
高校三年までただの一度もバイトをせずに育ってきたため、初めての報酬である。
このお金は大切に使おうと思った。
そして海人がこの世界にやってきて、三か月が過ぎようとしていた。
まもなくイリアスの父親である領主が戻ってくる。
そうすれば、王宮にいるというもう一人の跳躍者アフロディーテに会うことができる。
同郷の人に会ってみたいという気持ちは今でも変わらない。
それが海人の生きる希望にもなっていた。
ここの生活にも慣れてきたし、不満はない。
街への買い物は相変わらず一人で出かけることは許されていなかったが、自由はある。
だが最近は、アフロディーテに会った後のことを考えるようになった。
どうやっても帰る方法がないのなら、ここで生きていくしかない。
しかし、いつまでもイリアスが傍にいてくれるという保障はないと思っていた。
その矢先に給料をもらったのだ。
働き口を探せばなんとかなるかもしれない。
街に出てもそれほど危険を感じたことは一度もなかった。
肉屋の少年ロイにも何度か会ったが、親父さんの教育が行き届いたのか、身元の詮索はされなかった。
他の店先で何か訊かれても、サラディール家のイリアス様にお世話になっています、と言えば、それ以上深入りされることはない。
至って平穏な日常だった。だから忘れていたのだ。
自分がある者からすれば、『喉から手が出るほど欲しい人物』だということを―
その日、厨房に料理長はいなかった。
調理人の一人が、スープに入れる香草を切らしていることに気づいた。
次の料理に取り掛からなければならず、手が離せないという。
海人は調理の補助はするが、料理を仕上げることはできない。
それなら自分が買いに出ればいいと思った。
「おれ、行ってきますよ」
「いいのか? ひとりで出ちゃいけないんじゃなかったか」
言われて一瞬ためらったが、いつまでも誰かと一緒でなければ街に出られないのも不便だ。
それに一人でも大丈夫だと証明できれば、もっと自由に歩けると思った。
駐屯地の人たちの手を煩わすこともなくなる。
海人に危機感はなかった。
「そんなに遠くないし、大丈夫だと思います。花屋の先の香草店ですよね」
「そうか? 悪いな、頼む」
調理人は皆、忙しなく動いていた。
海人に目を配る者などいない。
海人は門番のいる表門ではなく、見張りが常駐していない裏口に向かった。
厨房から買い出しに行くときはここを使うのだ。
こうして海人は誰に咎められることもなく、ひとりで街に出た。
石畳の街路を進む。
細い道がいくつもあるので、曲がり角で少々迷ったが、記憶にあった花屋を見つけ、その先の香草店に辿り着いた。
頼まれた香草を手に入れ、店を出て数歩行ったところで、海人の足元にボールのようなものが転がってきた。
路地の奥で、すみません、拾ってもらえませんか、と言われたので拾って路地に入った。
すると、すぐ背後で人の気配がした。
振り返ると、屈強な男がひとりいた。海人はどきりとした。
前を見ると、声をかけてきた男がいる。挟まれていた。
海人は唾を飲み込んだ。
「ルンダの森に現れた跳躍者だな?」
ボールを拾ってくれ、と言った男に問われて、海人は背筋が凍った。
ルンダの森というのはこの街を出た先にある、魔獣が棲む森のことだ。
イリアスがシモンを連れて魔獣探索に入ったとき、海人が現われたのだと聞かされていた。
心臓が大きく鳴り、嫌な汗が背中を伝う。
海人は乾いた唇を舐めた。
「なんのことか、わかりません」
声が震えないようにするので精一杯だった。
目の前の男は首を傾けながら、嫌な笑みを浮かべた。
「黒髪は珍しいよなあ。なあ、あんた。跳躍者は皆、黒髪だって知ってたか?」
瞬間、海人は振り向き様に持っていた香草を屈強な男にぶちまけた。
怯んだ隙に男の脇を抜けようとしたが、数歩行った先で服を掴まれ、口を押えこまれた。
「はい、決まりだな」
逃げようと力の限り暴れたが、腹を殴られて声が出なくなる。
布の猿ぐつわをかまされ、後ろに回された両手と両足を縛られた。
麻の袋をかぶせられ、俵のように担がれた。
街路を大股で歩いているのが麻袋越しにわかる。
人とすれ違っているのがわかるのに、助けを呼ぶ呻き声すら出ない。
袋の中の海人は男の肩に殴られた腹が当たり、ぴくりとも体を動かせなかった。
息をするのも苦しい。
しばらくすると投げ出され、身体を打ちつけた。
荷台に積まれたのか、ひとり乗って来たのがわかった。
手綱のしなる音がし、動き出す。荷馬車のようだった。
横になり、ようやく体が動かせるようになった。
海人が麻袋の中でもがくと、剣のようなものが押し付けられ、ぞっとした。
「動くな。大人しくしてねえと、殺すぞ」
ドスの利いた声に、海人はただ震えることしかできなかった。
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